言えない。言えない。 15-2
「ゼフィー?」
「……!」
耳に届いた柔らかな声は、ゼフィルを思考の窮地から引き戻した。
急に、息ができるようになった感覚。
焦点の合わない視界がぐらりと揺らめき、動揺の視線が捉えたのは、片手に紙袋を抱えたモナの姿。
艶やかな赤い髪。
目を惹く鮮やかな青い瞳。
口元のほくろが可愛らしい、彼の、同居人だ。
アルセイドの言葉が回る中、彼女はフツウだ。
召喚検体かもしれない。
帰れないかもしれない。
それを知らずにこちらを気にかけている。
黙りこくるゼフィルに、モナは赤い髪を柔らかく揺らし、青い瞳に優しさと配慮を滲ませて、ぎこちなさそうに部屋をぐるりと見渡すと、
「……昼間、誰かいた? 話し声聞こえたけど……お客さん?」
「──あ、え────っと…………」
問われ、瞳が逃げた。
間に合わせにもならない相槌で、言葉を探すゼフィルの前。
モナは、紙袋を静かに置きながら首を傾げ、気遣いを滲ませ口を開く。
「? ゼフィー? どうしたの? なんか顔色悪くない?」
「……いや。えと、別に、その。
普通じゃね?
あ~、まあ。ちょっと、動揺は、したけどさ」
そっと寄られて、ぎこちなく距離を取る。
我ながらごまかすのが下手だ。
視線は泳ぐし腕が落ち着かない。
後ろ頭を掻く自分にも、心臓の嫌なリズムで支配された自分にも内心苛立つが、事態もモナも待ってはくれない。
視界の中、モナの表層に懸念が走る。
彼女の顔が、〈緊張のお伺い〉から懸念に様変わりして、動揺の声がゼフィルに届く。
「……もしかして、取引先がまた……」
「あ、いや、違う。
えーと、トモダチ?
そう、トモダチ」
「へえ……! ゼフィーの友達かあ、会ってみたかったなぁ」
「……」
死ぬほど下手なごまかしを、受け入れ明るく笑う彼女に、ゼフィルの胸がズキっと傷んだ。
それが、わざとなのか、それとも素なのか。
解らず罪悪感に口を閉ざすゼフィルの前、モナはにこやかだ。
ごそごそと紙袋の中からソース瓶を取り出し、丁寧に置きながらこちらに顔を向けると、
「その友達と喧嘩でもしたの?」
「──い、いや? あ~。チガウ」
「そうなの?」
「ん。あ~、えと。そう。
そいつが結婚するっていうから。
そいつの恋人、オレちょっと苦手だから。
マジか~と思ったっていうか」
「なる~。それは複雑だね~わかるぅ~」
ゼフィルの言い訳に、モナの軽口な同意が飛ぶ。
その口調は空気を緩めようとしてくれているが、ゼフィルにとっては逆効果だ。
現に、今も彼女はにこにこと、「友達の配偶者って地味にくるんだよね。相性悪いと付き合いにくくなっちゃうし、でも友達が選んだ人だから無下にできないし……」と語ってくれているが──
それが、地味に、つらい。
彼女が何も知らないことを、如実に語っているから。
〈こんな彼女を、元の世界から引きはがしたかもしれない〉
〈なのに彼女の姿にホッとしてる自分がいる〉
それらがきつく絡み合い、息も細く黙り込むゼフィルの前で、モナはくすりとひとつ、笑いを零すと、瞳を輝かせて言うのだ。
とても、嬉しそうに。
「っていうかゼフィーのそういう話、初めて聞いたかも。ちょっと嬉しいな~、あんまりそういう話しないじゃない?」
「まあ」
「友達って昔は横並びで、差なんてなかったけど、やっぱり歳重ねるとライフスタイル変わってくるよね。わたしも友達が結婚したり、親に急かされたりしたし」
「……ウン」
「結婚イコール勝ちとか負けとか、そういうんじゃないと思ってるけど、それでもやっぱり〈まだな方〉は思うことがあるわけで、わたしはっ、そういう気まずさもわかるつも……、……? ゼフィー……?」
さすがに。
短く言葉を濁し続ける自分に、に違和感を覚えたのだろう。
モナは、それまでの明るさに不安を滲ませ、全身に〈心配〉を醸し出している。
ああ、駄目だ。
そんな顔で見られたら、抱えてるものが溢れそうになる。
全部ぶちまけたくなる。
でも、彼女を不安にさせるわけにいかない。
聞くにしても、言うにしても、どこから。
”どこから”。
そう、思考の闇を彷徨って、ゼフィルは数十秒の間を置くと、一歩。彼女に歩みより距離を詰め、そこのテーブルに指をつき──
──一言。
「──……モナちゃん、さ」
「ん?」
「……売られる前のこと、どこまで覚えてる?」
「……え」
瞬間、空気が凍った。
彼女の顔色が変わって。
明らかに揺れ始めた瞳に、こちらの血の気が引く。
でも、だめだ。ここで引いたらいけない。
息も吸えないほどの緊張の中。
ざらついた木のテーブルに触れていた指を握りしめ、固く、固く力を入れながら──、告げる。
「──マジで。
……ごめん、変な質問だけど答えられるなら答えてほしい。大事なことだから」
「…………」
彼女の瞳が下に逃げた。
それはまるで、答えを探しているようにも、答えを選択しているようにも見えて、ゼフィルは懇願の追撃を放った。
「なんか、覚えてない? 小さなことでもいいんだ、マジで」
「……」
「見えてたもの、空、山、なんでもいい。頼むよ、モナちゃん」
そんな自分の必死さを、汲んでくれたのだろう。
モナは青い瞳を激しく惑わせたかと思うと、次の瞬間。ゆっくりと瞼を落とし、自身を落ち着かせるように息を吸い込むと、
「…………故郷にいたことは、覚えてる」
ぽつんと語り出す彼女は不安そうだ。
胸の前で、しきりにそれを潰すように指を絡め握りしめ、落ち着かない。
しかしゼフィルは、言葉を待った。
「だけど、酷くぼやけてて……、それが直前の記憶なのかどうかもわかんなくて、はっきり覚えてるのは、スマホ画面の『18:47』……」
「……ガメン……」
聞きなれない単語。
〈スマホ〉〈ガメン〉。
ごくん。
「──あ。そういう道具、持ってたの。無くしちゃったんだけど」
「どんな形? 大きさは?」
「え? 長方形で、これぐらいで、鉄……アルミの板?」
「……」
「──聞いて、どうするの? アノ、えっと」
「どーもしない、だいじょぶ。ちょっと聞いてみただけ。で、続き、聞かせて?」
どくん、どくん、どぐん、どぐん。
口が、走る。
意識は、拒否をしているのに。
聞きたくない、違う、違うと思いたい。
そう、胸の内で叫ぶゼフィルのそれを、裏切るように──
モナは、迷いながら言うのだ。
彼女の記憶を。
「それで、そう。
『あ、これ配信間に合わないな』って思って………
そこから……次はふわふわして……
気づいたら、あそこにいた……感じ……カナ」
「……………………」
「……ごめんなさい、ゼフィー……
ちょっと、これ以上、言えない……ごめ」
「モナちゃん悪ぃ」
彼女の謝罪を遮って。
ゼフィルは、モナの腕に手を伸ばしていた。
慌てる彼女の気配。
今すぐ引き寄せたいのを堪え、彼は、モナの青い瞳を見つめて、放つ。
「──抱きしめてもいい?」
「え。……え?」
「ごめん」
一瞬の動揺。
それを振り切るように、ゼフィルはモナを引き寄せ閉じ込めた。
「……ゼフィー……?」
きょとんとした甘い声。
丸い肩。
さらりとした髪。
頭を抱え込むように閉じ込めて、感じる彼女の存在に、痛くて痛くて、顔を歪めた。
ああ、決定打だ。
「……別人であってほしいけどさ、これ……確定だよな……」
痛みの中で味わうぬくもりが、甘い。
少し気を抜けば崩れ落ちそうな感覚の中、そっと、背中に感じた彼女の腕の力に、ゼフィルは、こぼしていた。
「はぁ……嫌だ。はあ……どうしろっつーんだよ……」
「……ゼフィ……?」
小さく名を呼ぶ彼女に、答えられない。
彼の中、鮮明に蘇る奴隷市場での光景。
あれはまさしく〈定着〉だった。
嫌な予感は正しかった。
召喚術は古来の禁呪。
世界を超えてナニカを呼び寄せるのは、召喚体に大変な負担がかかる。それを危惧して封印していたのを、若い自分は〈大人の逃げ〉だと信じて疑わなかった。
しかし現実は残酷だ。
検知魔法で掴んだ、〈呼び寄せる前の姿〉と、召喚で姿を現した彼らの、姿かたちが違う。
〈世界をまたぐ〉代償を被った召喚検体は、ことごとく元の形をしていなかったり、どこかが歪んだりしていた。
運よく世界の歪みを突破し、体が無事だったとしても、意識混濁や部分損失が見られ、すぐに意思疎通を図ることは出来ない。
それらを修復・および世界適合させる施設が『治癒定着施設』で、そこから逃げた検体が居て──……
ぐらり。
出そろった状況証拠・並びに知見から導き出された、ただひとつの答えに目の前が揺れた。
モナはやはり、部分損失の修復を終え、意識を定着させる段階の中脱走したか、もしくは盗まれ連れ去られた《召喚検体》だ。
異界から連れ去ってきた命だ。
…………研究の、成果だ。
ああ、嫌だ。
別の世界に憧れただけだったのに。
知らない世界を知りたかっただけなのに。
自分の研究は命の犠牲を生んでしまった。
完全に破棄したつもりだったが甘かった。
あの頃犠牲になった奴隷たちへの贖罪として、奴隷を買い養い開放してきたのに。
モナはもう帰れない。
家族のもとに戻れない。
それを知った彼女はどう思うだろう?
絶望するだろうか。
泣き叫ぶだろうか。
落ち込んでしまうだろうか。
オレを、恨むだろうか。
そんなの嫌だ。
この子の笑顔を見ていたい。
この子に好かれていたい。
嫌われたくない。
出来るならばこのまま、傍にいてほしい。
「…………モナちゃん。ごめん」
落とした贖罪に、声も問いも帰っては来なかった。
ただ、そっと回された彼女の腕の感触が、痛く、優しく、残り続けていた。




