旧友の来訪 14-1
風に乗って響いてくるのは、管楽器の音。
精霊ヴェンティアに捧ぐ祈りと音色は、この街に夏の終わりを知らせる旋律だ。
そんな、毎年恒例の音を右から左に流しながら、店の裏手の仕込み場で、紙を眺めるのはゼフィル・ローダー。
この製麺屋の店主であり、相談術師モナの同居人である。
簡素な丸椅子に腰かけ、胡坐をかきながら。
まじまじと眺める走り書きは、モナの書いたモノ。
時刻はもうすぐ午後三時。
祭り前日の今日は忙しく、モナは近所の手伝いに出かけている。
「つーか、見れば見るほど不思議だよなあ。モナちゃんの字……」
彼女が居ないのをいいことに、ぼそっと呟く〈文字への感想〉。
パスタの計量の一件から、モナはそのグラム数を素早く明確に出してくれるようになった。それは凄く助かっているのだが、問題はその文字だ。
すらすらと書く彼女の文字形体は、まったくと言っていいほど、〈見たことがなかった〉のである。
学生時代に少し齧った「異国の文字」。
それらのどれにも当てはまらない。
自分はそちらの専門ではないが、それでも形ぐらいは覚えていたのに──
「……どうなってんだ? この言語。うーん」
メモ書きを見て唸る。
そもそも、彼女が「読み書きができる」ことが意外だった。
文字を扱うのには〈学〉がいる。
学を身につけるには金が要る。
したがって、〈喋れるけど書けないし読めない〉人間が七割を占めるのが実情だ。
だから彼女もそうだと思っていたし、そこを言及する気もなかった。
けれど、違った。
『読めない・かけない』がまさか、『ここの字は読めないし書けないけど、祖国のなら読めるし書ける』だったとは思いもしない。
思えば確かに、モナは、この辺りの文字こそ読めないものの、掃除・洗濯・対人スキルはずば抜けているし、王宮執事並みの訓練を受けていたのではないかと思ってもいた……のだが。
ここまで〈見たことない文字〉を平然の扱うとは、誰が想像しただろう。
彼女が使っている言語は、〈カタチ〉に統一性がない。
「つーか、これ……《《混ざってる》》?
ぐちゃっとしたヤツら、曲線だけのヤツ、カクカクのやつ……。
なんじゃこりゃ。まーじでわかんね。
言語法則どうなってんだ??」
と、紙に顔を近づけぶつくさ。
凝視してみるが特殊過ぎて何一つ読み取れない。
しかし、内容はなんてことのないものだ。
彼は読むことができないが、以下、その内容である。
──────
ハッキーコ:小麦粉
リッキーコ:強力粉
ピスペス:たぶんピスタチオに似た豆のペースト
ミフィル:バターミルク強めのクッキー生地全部のこと?
卵・オリーブ・リヴィルキャロット(リヴィル産にんじん)・ミリアンルージュ(酒)・生ビール・生卵・卵かけご飯・醤油・らーめん・お刺身食べたい。うどんそば牛丼豚丼っていうか米。こめ。こめ。こめ。こめ~
──────
「…………読めね。最後は同じ単語が連続してんのわかるんだけど、ぜんっぜんわかんね」
モナの欲求を書きなぐったそれに、眉を寄せ首を振る。
そんなゼフィルの脳の裏側で、あって欲しくない懸念がじわりとよぎった。
モナの所作だとか。
見たことのない文字だとか。
たまに出る不思議用語だとか。
昨日のことのように思い出せる、奴隷競売の時の〈定着したような反応〉だとか。
「……いや。ちげーし。ちげーって」
ざわつく〈気づき〉から逃げるように独り言。
それは、認めなくないことだ。
あって欲しくないことだ。
はじめから見え隠れしていたが、今はもう、認めなくないことだ。
だから彼はメモに逃げた。
親指と人差し指でピンと張ったメモを天井に透かすと、「こめこめこめ」を見つめて呟くのだ。
「これ……文体研究の好きな奴……に見せたら興奮すんだろうなあ。アルセイドとか。見せてやりて~」
──気を紛らわすように旧友の名を口にする。
アルセイド・バレヂ。
文字造形・言語法則学を専攻していた文字オタクだ。
魔法の才も優秀で、今も協会に詰めている男である。
常に小難しそうな顔をして、書庫の奥底で本にかじりついていたのが印象的で、話しかけたらしゃべる喋る。文字造形について語るその様が面白いと感じ友になったのだが──
「あいつに見せたりしたら──」
──がこん、ギイ……!
「────ゼフィル、居るか?」
「うそだろ! アルセイド! マジで!? 今オマエのこと考えてたとこ!」
唐突に。
まさに呼ばれたようなタイミングでそこに現れた旧友に、ゼフィルは跳ねるように立ち上がり、目を丸くした。
板戸の前に立つアルセイドは、みるからに魔導士の装いであり、ゼフィルは(こいつマジで服装気にしないよな)と思いつつも、両手を広げて歓迎した。
アルセイドはたまにこうしてふらりと訪ねてくるのだが、今日はタイミングが神がかかっている。
もはや風に導かれてきたのか?
と思うゼフィルだったが──、アルセイドの表情は渋かった。
彼は室内を見回すと、はぁ、と短くため息をひとつ。
粉に塗れた作業服に冷ややかな目を向けると、呆れを交えて話し出すのである。
「……全くオマエは……今日も粉まみれか。オマエほどの魔力を持つ人間が、なんでこんな地味なことを」
「パスタ屋ですから。で、なんだよ、どしたの?」
一瞬で、ゼフィルの歓迎に、陰りが走った。
軽口でごまかしているが、先が読める。
アルセイドはたびたび訪れてくれるが、その時の空気によって、目的が明らかだ。
……そして今日は、明るい話題ではない。
そうゼフィルの瞳に鋭さが宿った時、アルセイド・バレヂは静かなまなざしをこちらにむけると、
「──魔導士協会本部から通達があってな。人を探している」
「…………へえ。そりゃあ大変なこって」
急転直下。
歓迎の気持ちを即座に冷却し、静かに椅子に腰かけるゼフィル。
そこにアルセイドの呆れと我慢が飛んでくる。
「……凄まじい態度の変わりようだな、そう嫌がるな」
「……無理言うなよ。友達が遊びに来てくれた~って思ったら、仕事だろ? 魔導士協会の犬として来てるじゃん」
「…………そんな言い方をするな」
無表情のアルセイド。
そんな彼にちらりと目だけを寄越し、ゼフィルはテーブルの上、作り終わった羽飾りの芯をくりくりと回しながら、
「事実だろ~?
友達のアルくんなら歓迎するけど~、魔導士協会・二級導師のアルセイドさんじゃあ、気持ち乗らねーもん。
てか何の用? パスタなら在庫切れでーす。
『後日、改めましてご注文お待ちして……』なんだっけ、モナちゃんみたく上手く言えねえや」
「……”モナチャン”? 珍しい名だ」
「ん。今一緒に住んでる」
「また奴隷を飼ったのか。性懲りもない」
「うるせえ」
アルセイドの物言いを、ゼフィルは棘で終わらせた。
旧友だから許している部分はあるが、人様の生き方に呆れを交えて述べてくる部分は正直鬱陶しい。ましてや、モナのそれは今までの一倍腹に来る。
──しかし、それを黙り隠すゼフィルに、アルセイドは、鼻から漏らしたようなため息をひとつ。そして、切り替えるように息を吸い込むと、
「……オマエ。〈艶めきの板〉を知っているか」
「〈艶めきの板〉ぁ?」




