美食の都・リヴィエール 13-1
──美食の都・リヴィエール。
リヴィエール伯爵が治める、大陸南部の大きな街だ。
リヴィエールの付近を飛べば、バターとミルク・肉や魚を焼く香ばしい匂いが漂い、否応なしに立ち寄りたくなる。
モナとゼフィルが住むオルマナからは、飛空の魔法で小一時間ほど。
出かける前、ゼフィルが「暖かい服」と言った理由もよくわかる。夜間飛行は風が冷たく、彼がどれだけ魔力で風よけを施しても、寒さを防ぎきれなかった。
ゼフィル曰く「かなり頑張って無風にしてる」とのことだったが、着いた頃には、その頬は心地よく冷えていた。
……モナを除いて。
彼女はどちらかというと暑かった。
原因は、彼が用意した『でかい冬用マント』だ。
『あったかくてでっかいの』と聞いて、モナはてっきり、男性サイズの防寒着を二着用意してくれるのだと思った。
しかし実際は、大人二人がすっぽり入るサイズのもふもふマントが出てきた。ゼフィル曰く、この国では飛行で人を運ぶ際、互いに温め合い体温低下を防ぐらしいが──
まるっきり。
『でっかい彼氏のコートに入っちゃう彼女』だ。
こんなの、心拍数が上がらないわけがなかった。
飛行中、ずっと感じる彼の鼓動。
喋るたび、視界で動く喉ぼとけに、息を吸う音・吐く音・笑う声。しっかりとした腕・意外にがっしりとした肩・胸板……
どれもこれも、27歳絶賛恋落ち中のモナには、〈一撃必殺はい無理死んだ案件〉である。
──そんなドキドキを、頬を隠す手のひらの中に封じて。
彼に着いて訪れたのは、ゴチ・リヴィル。
美食の街中心に店を構える、昔ながらの大衆食堂だ。
※
扉を開けた瞬間、ふたりを包んだのは賑やかな声。
大衆食堂、ゴチ・リヴィル。
店内では、年季の入ったテーブルを人々が囲み、酒を飲み交わしている。
付近のテーブルでは樽酒を豪快に開ける音、笑い声、椅子がきしむ音が重なり合い、店内を舞う光が時々グラスをつついて、カランと澄んだ音を鳴らしていた。
胃袋をぐるんと動かす芳醇なバターと肉の香り。
壁一面の棚には、大小のワイン樽とガラス瓶がぎっしりと並び、ラベルに書かれた金文字がランプの光を反射して輝いている。
モナが特に驚いたのは、店内に舞う無数の光だ。
ゼフィルとモナが店内に足を踏み入れた瞬間、ひとつの光が素早く寄ってきたかと思えば、足元で一周。
その光に驚くモナに、ゼフィルはニコッと微笑むと、
「案内してくれるって。ほら、こっち」
指さし優しく手を引いて。すいすいと飛んでいく光の尾を追いかけて、二人はカウンター席へ導かれていた。
「……ゼフィー、これ……」
「へへっ。……案内妖精〈ラシェット〉。飯屋に住んでる種族でさ。綺麗だろ? 連れてきてよかった」
遠慮がちに腰かけるモナの隣で、ゼフィルはご機嫌である。
ゆったりと慣れた様子でカウンターに腕を置き、厨房のオヤジに目くばせすると、メニューも見ずに口を開け、
「──オヤジ。ポテ・マシュウとヨグルガ・チキンね」
「はいよう」
まるで実家のようにオーダーをするゼフィル。
それは、彼の余裕を引き出しているようで胸がときめきもしたのだが──それよりも今、モナを包んでいるのは、謎のメニューだ。
「ポテましゅ……? よぐるがチキン……?」
「──あ。食ったことねえ感じ? あはは、その顔見たかった!」
ケラケラと笑うゼフィルに、しかしモナは必死だ。
脳内現代知識を総動員して考えてみるがヒットしない。
「……えっと、ゼフィー。
〈ぽてましゅう〉はポテト。
……チキンは鶏……なの、わかるんだけど、ヨ、〈ヨグルガ〉って、ナニ?」
「ん? ヨーグルト。」
ヨーグルト?
思わず目を見開く。
ヨーグルトに鶏??
その前で彼は、ぐるんとカウンター奥の店主に顔を向けると、
「ヨーグルトと~、なんだっけ? オヤジ」
「ああん? 脱水ヨーグルトとガーリックとオリーブオイル。比率は教えねーぞ」
「……ははは! 極秘だよなそういうの!」
「…………よ、ヨーグルトに、……に、にんにく……? ヨーグルトに、にんにく???」
〈さも当然〉。
当たり前のように笑う彼らに、モナはひとり、ぐるぐると考えた。
モナは、元現代日本人だ。
世界でも有数の美食の国に生まれ育ち、ありとあらゆる異国文化を吸収し適応させてきた日本にいた。そんな日本にいた彼女が、知らないはずない……のだが──
ヨーグルト×ニンニク+鶏肉。
この方程式が成り立たない。
まったく味の想像のつかぬ組み合わせに、数秒。
宙を凝視したモナは、その違和感を、おずおずと口に出す。
「……美味しい、の? それ……」
「美味いよ!」
「マジで?」
「まじで」
「えええええ……マジで────……?」
言いながら身を引いていた。
少し前なら考えられない態度だが、モナはもうそれを隠さない。
なぜならゼフィルは、それを許してくれるからだ。
現に、彼は、抵抗を露わにするモナにくすりとほほ笑みかけると、小さく肩を揺らして言うのである。
「苦手? だったら無理することねえよ! オレ食うし」
「……いえ、チョット馴染みがないですが、頂きます……!」
カウンター席で背を伸ばし、緊張の面持ちで待つモナの耳に、厨房の油がはぜる軽やかな音が届く。
隣のゼフィルは頬杖をつき、いつもの調子でリズムを取るように足を揺らしながら、楽しげに彼女の方をちらりと見──、手の内でくすりと笑う。
やがて皿が置かれる音と共に、香ばしい匂いがふわりと広がり、現れたのは〈ヨグルガ・チキン〉。
純朴で艶やかな木の皿に、どんと構える揚げた鳥。
横に添えられた大きめのココットには、白いソースがたっぷりと入っている。
「よ! おまちどおさん、まずヨグルガ・チキンな!」
「……うわぁ~……」
目の前に現れたそれに、モナの感嘆の声が上がる。
すうっと吸い込んだ鼻の奥で混ざり合う、唐揚げの匂いと香ばしいスパイス。これにヨーグルト……いや、ヨグルガソースを絡めたらどうなるのか──
ごくりと喉を鳴らすモナの前、すっと出てきたのはグラスに入った飲み物だった。
「はい、モナちゃん」
「? ありがとう……」
ほほ笑みながら差し出され、モナは遠慮がちにグラスに指を添えた。
グラスの中、しゅわしゅわと小さな泡を立てている飲み物は、どう見てもシャンパンのようだが、香りは微かな柑橘系で──
純粋に、その正体が知りたい。
「ねえゼフィー……これ、お酒?」
「いや、食前用のジュース。なんだっけな、エルバム産シトラスと薬膳ハーブの微炭酸飲料。口の中調えるヤツだよ」
「……へぇぇええ~!」
「モナちゃんところは? そういうの無いの?」
「……麦茶と緑茶?」
「ははっ! へえ! 飲んでみてえ~!」
カラリと笑うゼフィルに、モナもくすっと笑っていた。
示し合わせたように、ふたりグラスを持ち上げる。
細かい泡がランプの光を受けて煌めき、どこかおしゃれな雰囲気だ。
「じゃあモナちゃん。食事の挨拶しよっか」
「あれ? いつもは……」
「ここ、リヴィエールだからさ。ここのマナーがあんのよ」
悪戯っぽく言いながら、右目をパチン。
ウインクする彼に、モナは素早くこくこく頷くと、
「なるほど……! 教えてゼフィー……!」
「んっ。こうやって、グラス掲げてさ、『楽しもうぜ!』って感じで
Triant Rouge!」
「と、とりあん・るーじゅ!」
──コンッ。
軽くぶつかるグラス、はじける炭酸。
モナのぎこちない声に、ゼフィルが満足げな笑みで綻んだ時。カウンターの奥から、呆れた店主の声は飛んできたのである。
「へえ。おまえさんらにとって今日は祝杯なのかい。ほお」
「え!? 飯の合図、《トリアン・ルージュ》だろ? アレ!?」
「バカタレが。そらあ、宴会とか祝いの席の挨拶だ」
慌てるゼフィル。
呆れる店主。
困るモナ。
視界の中で、焦ったゼフィルが店主に声を上げた。
「え。じゃあ、Val Goûter?」
「そらあ貴族の晩餐だ、ボウズ。こういう食事の時はなあ……」
すぅ……っと、何かを引き付けるような店主の間に呼応して。店員が数名、顔を見合わせグラスを手に取ると、タイミングを合わせるように口を開いた。
「「「 LA・Tablo! 」」」
途端、店内に響く男たちの声。
釣られたように、挨拶を交わしなおすお客たち。
案内妖精〈ラシェット〉もふわりと浮き上がり、店全体が、改めて食事を楽しむように賑わった。
「うわぁ、すっご……」
その青い瞳を真ん丸に変え、驚くモナのその隣で。
あきれ顔の店主は、肩をすくめてゼフィルに言うのである。
「──〈こう〉だ。坊主ぅ。恋人連れてくんならしっかりしとけ」
「…………マダ恋人じゃねえし……」
「まなん?」
「オヤジ、ポテ・マシュウまだー?」
「いいからヨグルガ・チキン食え。冷めちまうだろうがよ」
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