ゼフィルの事情 10-1
──その片鱗は、端々にあった。
モナがゼフィルに出会って二か月と少し。
彼は初めから、拘束の首輪のことを「我慢して」と言っていたし。「逃げたいと思うけど」と気遣ってくれていた。
それは、単に彼の優しさや好意からくるものではなかった。
それらを〈自分への気遣いじゃなかった、嘘つかれた〉と悲劇に染まるつもりはない。むしろ逆に、それらを抱えながら明るく振舞っていた彼に胸が痛む。
──と、〈同時に〉。
〈自分も転生者だということ〉。
〈日本に親兄弟がいること〉。
それらが、真っ白い頭の中でカラカラ、カラカラと回って仕方ない。
どうしていいかわからない。
自分も日本に〈おいてきた〉。
回り続ける思考が何も考えさせてくれない。
そう、呆然とするモナだが、しかし現実は悠長に待ってはくれない。
”……こつ”。
石畳を踏む靴の音。そろりと目だけを向ければ、そこに居たのはゼフィル・ローダー。
去りゆくトマスを背景に、こちらに向かって気まずそうに耳の下を掻いている彼は、彼女のあるじで、想い人で、…………〈待つ男〉。
彼は遠慮がちに口を開く。
その瞳に、迷いと気まずさを乗せて。
「……モナちゃん。あーっと、その──。怖かったよな?」
「…………ぁ。うん…………」
小さく頷いた。
喉の渇きも他人事のようにかろうじて反応したが、ゼフィルに対してどうしていいかわからない。
「……すいません、だいじょうぶです……」
乾いた声が出て行った。
しかし、声は安否の音で返ってくる。
「相談受けるの、止めるか?」
時が止まった。
背中を伝い滑り落ちて行った冷感と共に。
嫌だという思いはあるが、しかし、だけど──
そう、戦うモナに、ゼフィルの悔しそうな声が届く。
「オレ、実は薄々あぶねえなって思ってたんだけど、あ~~くそ」
「──…………」
「……モナちゃん、女の子だから。〈丁寧に話聞いてくれる「若い女の子」〉なんて、勘違いした野郎どもの餌になる。だから牽制してたつもりだったんだけど」
”……はあ”というため息に、モナの胸が苦しさで詰まった。
ああ、もう。
そういうことを言う。
ゼフィーのほうが、今ツライはずなのに、そうやってこっちを気にかけるんだ。
そんな痛みを表層に目だけを向ければ、ゼフィルはくすんだ金の髪をぐしゃっと搔き上げ、眉間を寄せて言うのだ。
「……あんな形で来るとは、想像できなかった……!」
「…………ゼフィーのせいじゃ、ないでしょ」
いつもの軽口も冗談も封印して。
後悔を口にするゼフィルに、モナは、反射的に首を振っていた。
まだ、気持ちの整理もつけられない。
自分の事情がバレたら怖い。
胸の中だってざわめいて仕方ない。
でも今、ゼフィーをこのままにできない。
あなたのせいじゃないって伝えなくてはならない。
今、モナができるのは、彼の後悔を拭うこと。
守ってくれた彼に、きちんとそれを伝えることだ。
そう、心を落ち着けて。
モナはすぅ……と息を吸い込むと、どこか足元を見つめながら、
「……わたしも、会社で散々、そういうのの躱し方とか、男性への接客の注意点とか学んでたのに、いい気になって良い子ぶって忘れてたのがいけないんだよ。ゼフィーのせいじゃない。違う」
「でもさ」
「絶対違う。ゼフィーは守ろうとしてくれてたじゃん。それでも防げないことはあるよ。自分を責めないで」
「……でも……」
「……うん、〈でも〉。……ゼフィーに迷惑かけるなら、辞めた方がいいかな……」
「──……モナちゃんは、どうしたい?」
「……続けられるものなら、続けたい……」
滲んだ無念を掬い攫うような声色に、モナは力なく、しかし素直に答えていた。
辞めたいわけがない。
だってゼフィーが導いてくれた道だから。
日本では雑魚だったわたしが、自信を持てるようになったから。
それを胸に、モナはすぅっと顔を上げる。
今は馴染んだ青い瞳に、寂し気な表情のゼフィルを映して。
「役に立ちたいし。話をするのは楽しいし。いろんなところから情報も入ってくるし」
「……うん」
「危険はあるけど、でも、気を付けることは、できるし」
「…………ん」
「──で。あの、……〈もしかしたら〉、だけどね?
ゼフィーが……その、〈待ってる人〉のことも、わかるかもじゃない?」
「…………。……モナちゃん……」
言った瞬間。
ゼフィルの瞳が動揺で揺らめいた。
その顔が語る。〈なんでバレた?〉と。
そんな彼に、モナは思わず笑った。
「…………流石に分かるよ。なにげ、二か月ちょっと、ゼフィーと一緒に暮らしてないよ」
柔らかな口調でほほ笑んで。
モナは、くるりと振り向きお道化てみせた。
──日が沈んでいく。
伸びた二人の影が、もう一組の誰かのようで。
自然と言葉が滑り出していく。
「──お父さんとお母さん。待ってるんだよね? ゼフィー?」
──問いかけに返ってきたのは、静かな肯定。
そして彼は語りだす。
相談カウンターの椅子を引き、ふたり、肩を並べて腰かけて。




