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あの日あの時見た”アンタ” 8-1




「……ゼフィルざん、なんでそんなに優しいんですか……」 

「んー?」


 彼女がそう聞けるようになったのは、窓の外が暗くなったころ。


 ひっくひっくと泣きじゃくりのモナに、苦笑交じりの頬杖で返事をしたのは、ゼフィル・ローダー。



 この製麺工房の店主であり、モナの購入主だ。

 


 製麺工房ローダーのダイニング。

 簡素なテーブルを挟んで、乾き始めたカラの皿をそのままに、そこでずっと〈待つ〉ゼフィル。



 事の発端は、モナが作ってくれた〈かるぼなぁら〉を褒めたこと。見たことのない料理を出した彼女に、素直に気持ちがタダ漏れになってしまったのだが、それが、モナの我慢(?)を壊してしまったようで……


 ゼフィルは下手に席から立てなくなった。

 まあ、離れる気もなかったのだが。


 静かにそこにかけ、見守る自分のその前で。 

 モナはひっくひっくと肩を揺らし、その青い瞳に涙をいっぱい溜めながら、



「だって、ずっと、そこにいるし、ぜんぜん、席、立とうとしないし、ミルクまで、くれるし」

「うん。だって、モナちゃん泣いてるし。ほっとけるわけない」

「……そうじゃなくて……!」



 当たり前に答えたのだが、モナがあげたのは、鋭い声と眉の寄った顔。


 その顔は──怒っているように映るが、怒ってはいないという表情で、ゼフィルはそれを目の前に少し考えた。



 ……モナには、こういうところがある。

 優しく……というか、人として当たり前の対応をすると、何故か抵抗(?)するのだ。



 相談術師として他者に出る振る舞いはとても丁寧なのに、こちらがすると、驚き拒む。まるで、自分はされる側じゃないというようにテンパる。




 彼にはそれが、とても不思議に映っていた。



 嬉しそうだけど手放しで喜ばない。

 さらりとやるのに鼻にかけない。



 セリにかけられている時に自分を出せるだけの奔放さを秘めているのに、人前では貴族の従者並みに礼儀正しい。



 その辺の貴族や王族並みの知識を持ち、明らかに高等教育を受けているはずなのに、自己評価が低い。



 いつも「いえいえすみません」「そんなことないです」「恐れ入ります」「大丈夫でしたか?」と周りに気を使い、頭を下げ謙遜することを厭わない。

 



 褒めればすぐに首を振る彼女に、(褒められるのが嫌いなのか?)と思ったこともあった。



 けれど、そうじゃない。

 謙遜した後こっそり喜びをかみしめているところを何度も見たことがある。



 ──そんな、とても不思議な子。


 

 それを噛みしめるゼフィルの前。

 モナはというと、余裕のなさそうに眉を寄せ、険しめな泣き顔をこちらに向けると、



「ゼフィルざん、深く聞いてこないし距離適切だし、でも気遣いしてくれるし、褒めてくれるし」

「んー。まあ」



 すぐさま下を向いて話す彼女に、緩く相槌。




「わだじ失敗したのに、それでも美味しいって言ってくれるし、ずっとずっと優しいしさあっ」


「や。当たり前じゃね?」

「なんなのもう情報量が多すぎる、成分が全部優しさで出来てる、こんなの無理」


「……嫌なわけじゃねーんだよな? えっと」

「嫌じゃない、嫌じゃないんです、ただ、臨界点突破っていうか、だって社会人なってからこんなに褒められたことない、なんで、どうして、罪ですそれぇ……!」


「──んー。ごめ、あーと、表現が微妙に謎なんだけど、まずそうだな、ウーン」



 ──と。

 特有の謎表現を交えながら嘆く彼女に、ゼフィルは天を仰いだ。



 褒められてるんだか責められてるんだか。


 ──いや、たぶんこれは褒めているのだと思うが、言い回しが独特なのである。


 これもこれで楽しみのひとつではあるが、問題は〈ここで、次に、どう返すか〉だ。



 それらをぐるりと思考の中に。

 ゼフィルはゆったりと頬杖を突き直すと、横目でちらりと彼女の様子を伺った。


 ちいさなテーブルの向かい側。

 青い瞳を潤ませて、いかり肩で待つモナの顔は真剣だ。


 


 ……おそらくだが、彼女に、適当な方便は通用しないだろう。


 『可哀そうだったから』とか『きまぐれ』とか、『オレって優しいでしょ?』とか。


 そんなもんはきっと、彼女は望んでいない。




 ──ふう……



 それらを胸の中に、ゼフィルはひとつ、決めたように息を落とした。



 ……彼女になら、話してもいいかもしれない。

 今まで何度奴隷を受け入れても、ここまで話すことはなかったが、彼女だけは──語ってもいいだろう。




 自分のところに来た人々への、願いと、信念。


 そう、心に落として。

 ゼフィルは、”すっ……”と姿勢を正すと、モナを正面からとらえて、ひとつ。



「…………畏縮とか、ビビったりとか、してほしくないのね。オレ」



 テーブルの上、ゆるやかに組むのは両指。

 言いながら思い出すのは、過去のこと。



「……いきなり連れて来られてわけわかんねえのに、怒られて叩かれて、「何やってんだ」とか「動け」とか「出来ないなんて恥さらし」とか言われて、人間、まともに動けるわけねえんだよ」



 ──そう。

 動けるわけがない。できるわけがない。


 蘇る昔の記憶。

 ちらつく嫌悪。

 徐々に温度を無くしていく声。


 それがわかりながらも、ゼフィルは続けた。

 モナが、待ってくれているから。



「叱咤の恐怖に縮みあがって、なんにもできなくなる。本来できるもんも出来なくなる。失敗をしない事しか考えなくなる。笑顔なんて出ねえ。オレ、そーいうの嫌だったの」

「…………」


「──どんなヤツだって、親がいて、育てた人間がいて、大きくなってきたんだ。笑っててほしいんだよ、単純に、さ」



 ……なんて、口にしながら。

 ゼフィルは内心、自分を嘲笑った。

 


 ──よく言うよ。

 まあ、半分はマジだけどさ。

 笑っててほしいのは本当。

 でも、モナちゃんに対しては、それだけじゃない。



 ──明らかなる意思と、反抗心を持って彼女を選んだ。

 浮かんだ疑惑と懸念を確かめるために、彼女を買った。


 それを優しさで包み隠しているだけだ。



 ──そう、冷めていく自分の視界の端で、モナが戸惑いの声を上げる。その青い瞳を迷いで揺らめかせて。



「……それにしたって優しすぎる……、有難いけど、でも……、嬉しいけど、でも……」



 ──〈でも〉。

 言い淀んだモナに、ゼフィルは目くばせ。

 期待に応えるように、その、言葉を放った。



「安心して欲しかったんだよね。〈ここはちゃんと居場所だぞ〉って。モナちゃんには特に、ね」


「……? それってどういう──」

「モナちゃん、アンタ……」



 ゆっくりと放つのは、あの日、あの時の確認。おそらく本人もわかっていないであろう、記憶の話。


 


「──売られるまでの記憶、飛んでるだろ」




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