パスタとなまと日本人 7-1
きっかけは、〈小さな契約解消〉。
「ずっと懇意にしていた卸先から、半量切られてしまった」と沈むゼフィルを前に、モナに生まれたのは理不尽に対する怒りと、助けたいという気持ちだった。
「──さぁ~てねぇ、余った麺、どーすっかな……」
小麦の匂いが立ち込める工房の中、こちらに背を向け、ガリガリと頭を掻くゼフィルに、モナは拳を握りしめて言う。
「売らないんですか? 売りましょうよ! わたしもやります! もったいないです!」
──それは、暗に覚悟を決めた言葉だった。
ゼフィルを困らせたくない。
損失を出したくない。
何とかしたい。
彼の顔が明るくなるなら、飛び込み営業でもやってやる──!
そんな意気込みだったのだが、彼から飛んできたのは、端的な言葉。
「ここじゃ出ねえよ」
ひどく冷たい、突き放した声に、モナが背を冷やした時。
彼は、音もなく顔を向けてこう言った。
「……売れねえんだよ、ここ。パスタは無理なの」
※
「パスタは……〈無理〉?」
息も詰まる沈黙が落ちる中。
製麺工房ローダーの厨房に、乾いた音で響いたのはモナの声。
駆け巡るのは疑問と違和感だ。
記憶の中では、ゼフィルは自店を人気店だと言っていた。
──のに、〈ここじゃ出ない〉とは、どういうことなのか。
そんな疑問は、モナの口から滑り出していく。
「え。でも、人気店って言ってませんでしたっけ……」
「ん~。人気だよ~? 超人気。だけど、街の外でのハナシな~?」
彼の瞳を求めて滑らせた視線の先、逃げるように向こうを向くゼフィルの顔。
声色からわかる、諦めと強がり。
モナの青い視線が彼に注ぐ中、彼は棚から塩の瓶を手に取ると、
「モナちゃん、ここで相談受けてて、オレのパスタの感想聞いたこと、無いでしょ? みーんな〈風使いの便利屋〉だと思ってるじゃん?」
「……あ。そういえば……」
くるんと振り向くからりとした顔に、モナは逆に視線を下げた。
確かに彼の言う通りだ。
相談に訪れる人々がゼフィルに言うのは、「裏の庭の枯葉がヤバいから魔法で回収してくれ」とか「雑草狩るのめんどくさいから頼む」とか「今年は風のとおりが悪くて果実の乾燥が遅いから風起こして」とか、そんな仕事ばかり。
誰一人、彼のパスタについて語っているのは聞いたことがない。
唯一、常連のシエルばあちゃんに笑いながら、「あんたのところの麺高いのよ! 食べられやしないわ!」と言われたことはあったのだが──
……つまりゼフィルさんのパスタ、出荷先が都内の、地方高級地場産品って感じなのか……
緩く握った拳を口に当て、現代日本に置き換え理解するモナ。
その隣で、ゼフィルはおもむろに大きめの塩瓶を取り出し、軽く放る。
「ここってさ」
ぺちん、ぱちん。
手の上で、瓶を投げ遊ぶゼフィル。
落ちては浮かぶ瓶を、目で追いかけながら語りだす。
「火をおこすのは午前中だけ。そのうちにラップル焼いて、あとは適当に包んで食べるのが普通じゃん?」
「……確かにみんな、「お昼はラップルロール」って言ってましたよね、「野菜や豆や肉を巻いたのを、仕事場で食べる」って」
「──そ。相性悪いんだよな、パスタは熱いうちが美味いから」
しゅ、ぱちん。
しゅ、ぱちん。
「そもそも作るのに時間のかかる飯作らねえんだよ。一気に焼いて、一気に作って、さっと食べて終わり。時間かかるやつ嫌いなんだ。待ってらんねえの」
──しゅっ、パチン!
ゼフィルの手の内で、瓶がやや大きな音を立てた。
何かを結論付けるようなその音は、まるで戦うことすら諦めているようで──
モナの中、〈憤りと町の文化〉が、静かに沈んでいく。
確かに、火を使うには魔法石が必要だし、水のように魔法陣でいつでも使えるものではない。風が強いこの土地で、長時間の過熱となると見張りが必要な火は、暮らしに適していないのも理解できる。
自分は燃える薪を見つめるのが好きだし、そもそも織物などの仕事がないから片手間で見ていられるが、そうじゃない場合、短い時間で終わらせたいのもわかる。
でも、だからって、『出ない』と諦めるのはなんか違う。
もったいない。
日本で当たり前だった〈午後に熱々のパスタを食べる幸せ〉がこの街で成立しないのはわかる。でも──……!
思わず唇を噛みしめて。
ぐっと拳を握るモナの前で、ゼフィルはゆっくり瓶を拭く。
モナの中にたまる熱に気づいていながら、〈スルーするように〉。
「──パスタが出張るのは祭りの時ぐらい? あとは、お祝い事の時かな」
「……じゃあ、なんで……」
それは、暗に〈どうしてこんなところで〉を含んでいた。モナの問いに、ゼフィルは少しだけ視線を落として──数伯。
「ここで麺打ってんのは、いい小麦が手に入るのと、あと──……」
──ことん。
塩瓶を棚に戻す、小さな音。
ゼフィルは小さく肩をすくめて、笑った。
「”親がやってた店だから”」
「──親……?」
「そう。”親”。孝行息子だろ? へへへっ」
塩瓶を元に戻して。
言いながら振り向いた彼が纏うのは、からりとしていながらも寂しそうな空気で、モナはぐっと、唇を強く閉じた。
──ゼフィルの言葉が蘇る。
『領都で風使い屋やってたんだけど、全然金になんなくてさ。戻ってきたら実家が消えてて店だけ残ってた』。
あの時は気に留めなかったが、それは、つまり、親御さんも居なくなったということで──……。
どくん。
胸のあたりで嫌な音。
彼の、飄々な空気の裏に背負ったものを、垣間見たような気がして。
どうしようもない寂しさに触れた気がして、息ができない。
しかしそれらを口にできないモナの前で、彼は〈ふつう〉なのだ。
あっさりとした雰囲気を纏い棚から離れると、作業台の前にしゃがみ込み、ごそごそと物色し、一呼吸。
「納品は魔法陣通すからどれだけ遠くても問題ねえし。たまに「店を大きくしないか」とか言ってくる都会人も居るけど、オレはね、この店がいーわけ。」
言いながら、大きめの紙束を取り出し、ぱんぱんと埃を払う。
その表紙に書かれた文字らしきものは全く読めないが──、年季の入った色合いといい、出てきた場所といい、おそらくそれは、この店の帳簿かレシピ本か何かだろう。
「…………」
そんな彼に、モナはただ口を閉ざしていた。
……唐突に出てきた〈彼の歴史〉。
見えなかった奥が見えた気がして何も言えない。
何事にも歴史はあるし、彼にもそういう過去があるのは当たり前なのだが、ゼフィルの陽気な印象がそれを遠ざけていたのだ。
モナは思う。
きっと、あの紙束も思い出があるんだろうな。
ご両親の顔も声も知らないけど、ゼフィルさんにとっては思い入れのある店なんだ。だったら、なおさら……もったいないじゃない。パスタ。
ゼフィルは捨てると言っていないし、やり場に困っているだけだが、それがモナの中で渦を巻く。
しかしゼフィルは、そんな彼女の空気をすり抜けるように、紙束をぱらぱらとめくり口を開くと、




