逃げんの? 5-3
「わたし、嫌じゃないです。ちょっと不便だけど。慣れてないからきょどるけど、逃げようとか、マジで思ってなかったし……」
伝えるのは〈自分の気持ち〉。
異世界オルマナで感じた、自分の素直な気持ち。
夕映えのオルマナを吸い込みながら、モナはぽそぽそと話し出した。
「……むしろ、全体的に余白があって……。空の青さとか。街の匂いとか。ゼフィルさんの小麦の匂いとか。ほっと息が抜ける感じで、癒しっていうか……」
声に、健やかと清らかを乗せて。
じっくり感じ取るように述べたモナは、そのまま沈むように目を閉じた。
今日、一日すごかった。
店の魔法陣に、ゼフィルさんの風魔法。
赤い花びらが軽く巻きあがって、綺麗な螺旋作ってね? 彼の指先に反応して、青空を舞ったかと思ったら、かごにどんどん入っていくの。
青空と花びらのコントラストが綺麗だった。それらを操るゼフィルも、湧きあがった歓声も全てが魅力的だった。
エモイとか、ヤバイじゃなくて、もう──
魅力的だった。
「……だから、逃げたりしませんよっ。だいじょうぶです! むしろ自分が雑魚すぎるんで、なにかできることないかなって考えてるぐらいで……」
「…………」
初めは弾んだ声で明るく。
だけど最後は尻つぼみで頬をコリコリ。
自虐と、世話になっている申し訳なさをごまかすモナに、返ってきたのは沈黙。
不安になる。
軽さも陽気さも追いやって、真面目に黙り込み唇を触るゼフィルに、モナは素早く頭を下げた。
「あ。すみません、奴隷の癖に生意気言っちゃって……」
「──モナちゃんのアレ、すげぇと思うんだよな」
「…………ア・レ?」
──なんのこと?
「昼間の。感心したもんね、オレ」
「ぇ……っと、ぁ、マーサ様のことです、か?」
「そう。あのひと最初はすっげ怒ってたのに、次見た時は憑き物が落ちたような顔で泣いてた。何があったのかと思ったら、モナちゃん……すっげ丁寧に寄り添っててさ」
「いや、それはその、」
「思わず見とれた」
「──へっ?」
鼓動がときめきで跳ねた。
唐突の〈見惚れた〉はモナに効く。
しかしゼフィルは止まらない。
密かに動揺する彼女に、柔らかくも真剣な、尊敬の瞳を向けると、嬉しそうに語りだすのだ。
「物腰やわらけーし、〈マジで王家の指南役か、城の執事長でもやってたんじゃね?〉って思うぐらいには、凄かった」
「え、あ、あ。はい……」
「マジで。どこの王家に仕えてたの?」
「──いえ! あの、……マジで、どこの王家でも無いんですほんと」
ときめきと混乱が胸を支配する中、飛び出す訂正の手のひら、細やかな首振り。そんな日本人の習性を発揮しつつ、モナはゼフィルのトンデモ勘違いに精一杯、
「えっと、あの、一般企ぎょ……えっと、相談窓口っていうか、えっと、え────……」
詰まった。
ああもう、なんて説明すればいいのっ。どう言ったって伝わらない、『日本で社畜やってました』なんて。
しかしその次の瞬間。
またもや唐突に、ゼフィルの納得の音が降る。
「なるほど。相談員さんか」
「はい。へ。────え?」
なんて?
そ、相談員?
福祉課? ケアワーカー?
ちが、ちがう資格もってないっ。
「すげえ……! 噂で聞いたことあるんだ。話を聞いて寄り添うのが得意な人間のこと、“相談術師”って呼ぶ地域もあるって」
「──じゅ、じゅつし……!?」
「マジで術みたいだった! 魔法じゃねえのにさ、魔法みたいだった! すげえ。……はは! さすが、幻の相談術師さん!」
「いえあのちがッ……」
「ははは、まーたぁ。そんな謙遜して。もーわかってるぜ? モナちゃんの「いえ違う」は「違わねー」って」
「ちが、あの……!」
「だって、〈訓練受けてねえ奴の動きじゃなかった〉」
──ずどん。
「──だろ? モナちゃん、すげえ修行してきたはずなんだ。そういう動きしてる」
まっすぐな賞賛。
心から褒めてくれてる。
日本では当たり前、だけど彼はそう思ってて、これを、これを……
違うって言えない……!
──そう、胸の奥から湧き上がる喜びに困惑するモナの内情など知らず。ゼフィルは言うのだ。明るくカラカラと笑いながら。
「それってすげえことだからさ。雑魚じゃねーんだ。モナちゃん、〈人の気持ちを汲める人〉だ。なかなかできねーから」
モナの瞳をまっすぐと見つめ、にかっと笑う。
「さっきも、オレの気持ち汲んでくれたろ? すげえ嬉しかったんだから。オレ」
覗き込んできた彼の瞳が綺麗で、息が止まる。
「……あんがとね。モナちゃん」
言いながら、彼はモナの肩を”ぽん”。
安心の空気を纏って、店の中へと入ってしまった。
「…………」
しん……と静まり返った周囲。
橙に染まった空から、夕日の光が降り注ぐ中。
残されたモナは、ただ茫然とそこに立ち尽くし、頭の中を整理して──
「……まって……」
出た声が震えている。
右手が自然と胸を押さえる。
「……どうしよう、うれしい……」
ありがとう、だって。
凄いこと、だって。
仕事してきて、こんなの当然で、むしろできなきゃ怒られて、ずっとずっと、そんなこと言われたことなかったのに。
「──こんな褒められ方、したこと……あったかな」
・
その日の夕飯は豆と干し肉だった。
朝には物足りなさを感じたそれが、妙に、暖かく、モナの中を満たしていった。
この時、彼女はもう、気付いていたのかもしれない。
──ゼフィル・ローダー。
彼はきっと、とても優しい人。
そして、甘やかしてくれる人。




