『婚約破棄されたので、敵国の王子を口説いてきます』
王太子殿下に婚約を破棄されたのは、社交界最大の舞踏会の真っ只中だった。
「公爵令嬢ヴィオラ・アルステル。君との婚約は、ここに破棄する!」
どよめきと、演奏の止まる音。――ひどく芝居じみた演出。
私は静かに微笑んで、深々と頭を下げた。
「ご決断、感謝いたします。では、私は自由の身ですね?」
王太子の顔が強張った。想定していたのは、泣き叫ぶ私だったのだろう。
「……なに?」
「こんなに大勢の前でわざわざ破棄とは。ご丁寧にありがとうございます。後腐れなく“別の方”と幸せになりますわ」
私は軽やかにドレスの裾を翻し、王太子の前から去った。
――すべて、計画通り。
*
舞踏会を抜けた私は、こっそりと外の馬車に乗り、王都のはずれにある“ある建物”へ向かっていた。
そこには、黒髪に銀の瞳、常に黒衣を纏う、どこか異国の空気をまとう青年がいる。
敵国・ルヴァレスト王国の第二王子、レオン=レオハルト。
……いや、その正体は“魔術兵器”。
人間ではなく、国家が創り上げた禁断の存在。
「来たな、ヴィオラ」
彼は私の姿を見ると、微笑んだ。
この男は私のことを“王都の令嬢”として見ている。――本当の私は、王国諜報部のスパイだ。
「王子殿下、今夜は踊っていただけます?」
「……ふむ。踊りたいなら、踊ろう。おまえとなら、悪くない」
踊りの間に、私は機密を探る。けれど、レオンは私の視線の動きも、指先の強張りも、すべて見抜いているようだった。
「……おまえ、誰の命で動いている?」
ささやかれる声に、私は目を見張った。
「……何のことかしら?」
「王太子に婚約破棄されたその夜に、敵国の王子を“口説きに”来る。これは普通の令嬢の行動じゃない」
私は笑うしかなかった。
「じゃあ、聞くけど。私をどう思ってるの?」
沈黙。――やがて彼は答える。
「……俺にとっては、光だ」
心臓が、跳ねた。
*
その夜、任務中断が決定された。
理由は、機密対象の暴走リスクが限りなくゼロに近いと判断されたため。
……つまり、“恋をした兵器”はもう兵器ではないということ。
「王太子がさ。泣きついてきたの」
私は告げる。
「やっぱりおまえがいいって。でも、もう遅いよね?」
レオンは、ほんの少しだけ笑った。
「今さら戻ってくる男より、口説きに来た女を信じるよ」
「……そう言うと思った」
私は彼の手を取る。
任務で近づいたはずが、――今はただ、一人の男として彼を選んでいる。
「これから先、国がどうあろうと、私がそばにいる」
彼は言った。
「なら、俺は世界を敵に回しても、おまえを守る」
――かくして、婚約破棄された令嬢は、
敵国の王子と、恋を始めた。