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災厄の姫君  作者: 日向あおい
第一話 まどろみの姫君
7/40

・3・大きな国(3)

 

◆◇




「さあ、薬湯を飲め」

 低い男の声で尚子は再び目をあけた。どうやら自分は、また眠りに落ちていたらしい。

 室内は小さな炎が揺らめくだけの暗闇。外は静まり返って、虫の声しか聞こえてこない。だいぶ夜も更けているのだろう。

 将門が薬湯を飲ませるために、尚子を抱き起こそうとして、こちらに手を伸ばしてきた。尚子は慌てて寝具に寝かせていた半身を起こし、将門の手から薬湯を奪い取る。

「そのくらい自分でできる」

 言いながら自分の体がだいぶ楽になっていることに気がついた。熱もずいぶん引いたらしい。それでもまだ体の節々が痛む。

「何だ、遠慮するな」

「してない。それより、病がうつったら大変だ」

 女官たちは何をしているのだろう。こんなこと、屋敷の主たる将門がやることではない。

 尚子はちらりと御簾の外へ目をやってから、薬湯を口に含む。その目の動きで尚子の気持ちを察したのか、将門がくすりと笑った。

「いいんだ。おまえの世話は俺がすると言ってある。それに、もう四日もこの部屋で寝泊りしているが、俺はなんともない」

「──んぐっ」

 尚子は薬湯を噴出しそうになるのを必死でこらえ、なんとか飲み込んでから聞き返した。

「寝泊り!?」

「ああ、ずっと添い寝してやっていたのに気がつかなかったのか?」

「なっ…………」

 あまりの衝撃に、尚子は二の句が告げない。

 まさか、知らない間に男と同衾していたなんて。

(ふ、不覚っ!! 熱があったとはいえ、全然気がつかないなんてっ!!)

 こみ上げる恥ずかしさに、顔から火がでそうだ。

「────っ!!」

 がばり。

 尚子は自分にかけられていた寝具の布を頭からかぶって、自分の体を将門の視線から隠した。

「なんだ、どうした?」

 将門は面白いものでも見るように、にやにやと笑った。

「大丈夫だ、まだ何もしていないぞ。眠りこける女を抱く趣味はない。それから、ずいぶんと頑張って耐えたが、体も見てないぞ。体を拭いていたのも女房たちだしな」

(あ、あたりまえだっ!!)

 何かされていてたまるか。だいたい、何を頑張って耐えたっていうんだ。

 そう言い返してやりたかったが、恥ずかしさのが先にたって、言葉がでてこない。

(もう、どうして、そう……)

 この手のことからずっと逃げてきた尚子だって、将門がこれから尚子に何を求めてくるのか分からないわけではない。

 この時代の姫と呼ばれる女性たちは、教養の一つとして、“男女のいろは”も一通りのことを学んでいる。さらに、今も昔もその手の恋愛話が好きなのは女性の方。姫たちはかしずきの女官たちから、歯に衣着せぬ話を聞き、あれやこれやと深くリアルな知識を得る。今で言うガールズトークである。

 尚子だって、進んで女官たちの話に参加することはなかったとは言え、耳に入ってくることもあれば、教養として学んだ知識ももっている。

 だが、頭でわかっていたとしても、それを実際に行うのとでは話が別だ。到底、女官たちの言うようなことはできそうにない。恥ずかしいものは恥ずかしいのだからしかたないではないか。

 もうどうして言いかわからないくらい尚子はパニックに陥っていた。






 一方、寝具の掛け布の中で一人何がぶつぶつ言ったまま、いっこうに顔を見せようとしない尚子に、将門は自然に顔が緩む自分を感じていた。

「尚子」

 名前を呼ばれた尚子がびくりと体を硬直させる。

 将門は掛け布ごと、尚子を抱き寄せた。すっぽりと腕の中に納まった瞬間、尚子は石のように固まってしまった。

 そんな彼女の初々しい仕草も、将門に春の日差しのような暖かさを呼び込んでくる。

「やせたな……」

 高熱で寝込んでいた間、薬湯と白湯しか口にしていない。元々細身だった尚子の体が、ますます華奢で頼りなげに感じた。腕の中に閉じ込めておかないと消えてしまうのではないか。そんな不安すら覚えるほどに。

「尚子」

 もう一度将門が呼んだ。

 するりと掛け布が零れ落ち、尚子の大きな二つの瞳が将門の瞳の中にうつりこんだ。

 将門が緩やかに笑む。そして、流れるような自然なしぐさで、尚子の唇にそっと口付けた。

 唇を離すと、瞼を閉じ自分に身をゆだねる尚子の姿があった。

 絶されなかったことに、こっそり胸を撫で下ろしつつ、名残惜しそうに将門は尚子の瞼に短く口付けし、尚子を寝具に寝かしてやる。

「この国をおまえにやる」

 尚子に掛け布をかけなおしてやりながら、将門は言った。

「今はまだ、手から零れ落ちてしまいそうな、小さな国だ。だが、俺はこの国を大きくする」

 尚子はじっと将門を見上げている。その瞳は、将門の言葉を一つ残らず胸に刻み込むかのように真剣だった。

「大きくとは所領地のことではないぞ」

 将門はごろりと尚子の横に転がった。 

「民が生きていることに絶望し、生まれてきたことを悔やむような国にはしない」

 今日を明日への希望につなげられるような。

 尚子が尚子として生まれてきたことを喜べるような。

 なにより、将門自身が生きていることを、誇りに思えるような。

「それには、おまえの力が必要だ」

 自分の体を尚子の方へ向かせ、将門は尚子に微笑みかけた。

「私の力?」

「ああ。おまえにしか出来ないことだ」

 ふいに尚子はがばりと体を起こし、寝具の上で正座したかと思うと、すっと将門の方へ体の向きをずらした。どうやら、主として将門が命令を下すと思ったようだ。

「何でもする。私で出来ることならば、この命に代えても────わっ!」

 尚子の言葉をさえぎり、将門は再び自分の腕の中に引っ張り込んだ。おのずと、尚子は引き倒されるように寝具に突っ伏す形になる。

「今は寝ろ。そして、早く体を治せ」

「……」

 尚子は将門の腕から逃げ出そうと、もぞもぞ動いている。が、そうはさせじと、将門はさらに両腕で尚子の体を背後から抱え込んだ。

「返事」

「……わかった」

「よし」

「わ、わかったから……」

「なんだ?」

 見ると尚子は耳を真っ赤に染めながらもじもじしている。

「腕を……離して……」

 消え入りそうな声で将門の腕から逃げようと懸命になる尚子。だが、尚子は分かっていない。逃げるものを追いかけたくなるのは、何も野生の獣だけの本能ではない。いや、この男も立派な獣ではあるが。

「……尚子」

「な、なに?」

 必死に将門の指を一本ずつ解きながら尚子は答えた。

「今、出来ることなら何でもするっていったよな。その言葉、忘れるなよ」

「え?」

「とりあえず、今日はこのまま寝ろ。いいな」

「こ、このまま!?」

「嫌か?」

「嫌だっ!!」

「うわ……即答かよ。傷つくなぁ……」

 女性に袖にされたことのない将門は、がっくりとなった。その拍子に尚子が腕の檻から抜け出す。すかさず、将門の腕が尚子の腰に絡みつき、引き戻した。今度は向き合って抱き合う形だ。

「ちょっ! これじゃ寝られないっ!!」

 今度ばかりは将門も、尚子の意見に同意した。お互いの息がかかりそうな距離に尚子の美味しそうな唇がある。

(確かにこれは寝られなくなりそうだ……)

 このまま流されてしまおうか。そう思ったが、また尚子が病をぶり返して高熱に命を落としても困る。しかたなく将門は腕の力を緩めた。

 慌てて尚子はぐるりと体をねじり、再び将門の腕の中で背を向けた。その拍子に、尚子の白いうなじが、将門の目に飛び込んできた。

(…………手遅れかもしれん……)

「私」

 将門がその尚子の首筋に釘付けになっていると、尚子の声が聞こえた。今にも尚子の首筋にかぶりつきたい衝動と戦っていた将門は、後ろめたさに、思わずどもる。

「な、なんだ?」

「小次郎の力になれる?」

 思いもよらない質問に、将門はとっさに言葉を失った。  

「私にもできることはある? この国の力になりたい。小次郎の力になりたい」

 将門はその小さな背中から、覚悟のようなものを感じ取った。

 自分は、多くの民の命を犠牲にしてきた。多くのものを捨ててきた。

 もう帰る国はどこにもない。

 自分の生きる場所はここしかない。

 この場所で、自分は民のために、国のために────生きていく。

 そんな覚悟が、華奢な背中から伝わってくる。

 将門は、ふっ、と顔を緩ませた。

(まったく……)

 時々、将門はこの娘がほんとうに一五だというのが信じられなくなる。将門の知る一五の娘は、もっと感情的で良い意味で愚かだ。

 若さゆえの暴走は、時として凝り固まった古い体制を吹き飛ばすほどのつむじ風となる。

 だが、この娘はどうだ。何か一つのことを成し遂げようと夢中になっている時、普通、自分が気がつかないうちに視野が狭くなってしまう。それは、十代の若者であればなおさら。自分の目的達成のために、他者のことや、周囲にそれが何をもたらすかまでには考えが及ばないものだ。

 だが、この娘は年相応に視野狭窄に陥ったとしても、ここぞという時に必ず、いっきに視野が広がる。盲目に突き進むだけでは何も成せないことを知っているのだろう。自分ひとりの力だけで生きてきたのではない。他者があってこそ今の自分があることを。

(だからこそ、俺の隣にふさわしい)

 ただの娘など要らない。

 尚子だから。尚子だけが。

 自分には必要なのだ。






「おい、聞いているのか?」

 尚子はそんな将門の言葉が、どこか遠くの方から聞こえてくるように感じていた。

「だから、言ったろう。おまえにしか出来ないことがある、と」

「……うん」

 返事はしたものの、頭の中は幾つかの記憶の断片が忙しく駆け巡っていた。

 自分がこの国に来てしまったということが、どういうことを招くのか分からないほど子供ではない。

 尚子はそっとあの赤い月夜の出来事に思いをはせた。

 自国においてきた皆は元気でいるだろうか。自分をいつも暖かく見守っていてくれた人たちは、無事でいるだろうか。

 いつかこの国に迎え入れたい。皆でまた笑いあいたい。小次郎はそれを許してくれるだろうか。 

(でも皆を呼ぶには、その土台がいる)

 まずは自分の土台を確保しなくてはなるまい。この国での自分の居場所を見つけなくては。

 小次郎のそばで、ぬくぬくとしているだけでは、いざという時に尚子の大切な人を守ることはできないのだから。

 誰からも文句を言わせない、完璧な土台を整え、それを守り、維持出来るまで、彼らを呼び寄せることなど出来ない。

(皆と一緒に生きていくためには……私がしっかりしなくちゃ)

 “幸福”な毎日とは、用意されているわけでも、降って湧いてくるわけでもない。誰かに幸せにしてもらえるなんて、そんな甘い夢は描かない。

 幸福は誰かに与えられるものではなくて、自分でつかみとる物。そのためには大きな努力をしなくてはならない。

 今の自分には何ができるのだろう。何の力ももたない自分に。上総の豪族、上総介平良兼の娘であることを捨てた自分に。

「……たく」

 痺れを切らしたのか、将門がふうと息を吐き出すと、がばりと体を持ち上げ、尚子の上に覆い被さった。将門の奇襲に、考え事をはじめていた尚子はなすすべもなく唇を奪われる。

「なにするっ……んーーっ!?」

 抗議しようと開いた尚子の口は再び小次郎のそれで塞がれる。あげく、そのまま、少し乱暴に舌を吸われた。

(な、にっ!?)

 初めてのことに尚子の頭は真っ白になった。

 体を必死によじり、小次郎の体の下から逃れようとした。だが、すぐにたくましい腕に、しっかりと抱きしめられてしまう。

(苦しい! 息ができない)

 脈拍が上がり、余計に酸素を欲する尚子の脳は酸欠で悲鳴をあげていた。だが頭が真っ白になっていくのは、酸欠だからというだけではない。

 まるで薬でも盛られたのではないかと思うほど、体から力が抜けていく。

「息をしろ……」

 少しだけ口を離し、囁く小次郎。

「っ……」

 やめて、と言おうと思ったが、間に合わなかった。再び唇を奪われる。

 今度は、優しい口付け。

 尚子は胸の奥が、きゅうと熱くなるのを感じた。

 小次郎の唇がそっと離れていった時、尚子は不思議な気持ちになった。だがそれが何なのかわからなかった。胸の奥で、何かがほんのり暖かくなったのを感じていた。

「今は、早く元気になることだけを考えろ」

 ぼけっと小次郎の顔を眺めていると、小次郎は悪戯を思いついた少年のような顔になった。

「早く寝ないと、このまま襲うぞ」

「なっ!!」

「俺はそれでもかまわないがな」

「ね、寝る寝る!!」

 再び顔を近づけてきた小次郎を、慌てて体を横にひねり拒絶する。小次郎は、ふわりと笑い、尚子の頬に唇を軽く寄せると、尚子の隣に横になった。腕を伸ばし尚子を後ろ抱きにする。

 小次郎の息が、耳元にかかって、尚子はどきりとなった。

 視線を下にむけると、小次郎の腕がしっかりと自分の体に巻きついていた。

(寝られないっ! こんなの寝られるわけないっ!!)

 どんどん大きくなる自分の心臓の音が、小次郎に聞こえてしまうような気がした。

「……こ、小次郎、腕を離して……」

 返事がない。

 しかたないので、首をひねり小次郎の様子を恐る恐る伺う。

「……小次郎?」

 鼻の触れそうな位置に、小次郎の顔がある。切れ長の目は閉じられ、長いまつげが見えた。

 小次郎が規則正しい寝息を立てていることに気がついたのは、その少し後だった。小次郎の顔に見とれていたことに気づいて、尚子は頬を染めた。


 小次郎はこの夜、思いがけず深い眠りをむさぼることになった。本当に本当に久しぶり────十二年ぶりに、心安らかな睡眠を得たのであった。



 

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  また『活動報告』に作品裏話&次回予告があります。 
 
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