・3・ 初夜の襲来(4)
*
「いいんじゃないか? お前が気に入ったのなら」
将門はさわやかに答えて、内心、ほくそ笑んでいた。
尚子のことを、一番に考え、動ける者は、多ければ多い方がいい。そして、今この屋敷に、それができる者は誰もいない。尚子はそれに本能的に気がついているのだろうか?
そして、将門の命令で尚子に付けた者では、最後に将門に従う。それではだめなのだ。尚子自身が、信頼のおける者を見つけ、下に置かねばならない。そのことに、気がついているのだろうか?
将門は、自分の許可を得て、無邪気に喜ぶ尚子を見ながら、そんなことを考えていた。
「それと……」
「ん? まだあるのか? なんだ、全部言ってみろ」
「うん。それが、子供を拾ったの」
「子供?」
「……えっと、親を亡くした幼子で……」
(なんだ、歯切れが悪いな、何かあるのか?)
将門は眉を寄せる。
「おい。本当に子供だろうな?」
「え?」
「お前と同じぐらいの年頃の男ではないだろうな、と聞いてる。そんなの許さんぞ! 絶対に駄目だ!! 娘のことだって、娘だっていうから許可したんだ! 助けたのが男だったら、いくら命の恩人でも却下だ、却下!!」
「はあっ!?」
思いっきり、尚子の眉毛がつり上がったので、「あ、女児なのね」と将門は小さく呟いた。
「とにかく、身寄りのない子供を拾ったから、屋敷で面倒を見たい」
「身寄りのない子供か。大方、どこかの廃れた村の孤児だろうよ。悪いのは俺だ。餓死しないでいてくれただけ、有難い。可愛がってやれ。ただし……」
「ただし?」
「この屋敷を孤児だらけにするわけにはいかぬぞ。孤児を減らす方法を考えなくてはな。一緒に考えてくれるか?」
「うん!」
まるで、幼い少女のように、頬を蒸気させて喜びを露わにした尚子に、将門も思わず笑顔になった。
(その女児も、すぐに尚子の忠臣となろう。このままなら、尚子の意のままに動く人材があっという間に集まりそうだな。俺が出るまでもなく、な。大したものよ)
それで、いい。
そうやって、自分の居場所を、足場を確立していけばいい。
そのうち、誰もが尚子をこの国の国母と認めるだろう。無くてはならぬ存在として、将門の横に並ぶものとして――家臣、民が自然と頭を垂れる女主人になっていくのだろう。
「それから……もうひとつ」
将門が、目を細くして何年か先の尚子の幻を追っていた時、そう言った尚子の顔付きが急に固くなったことに気がついた。
「どうぞ?」
その言葉を受け、尚子がわざわざ座り直し、将門の真正面を取る。
「なんだ、改まって?」
将門も、怪訝な顔になって、尚子をのぞきこんだ。
尚子は、将門と目を合わせることなく、つつ、と三つ指を立て、ゆっくりと頭を下げた。
そんな一つ一つの尚子の動きを、将門は食い入るように見つめていると、尚子の口から出たというのに、抑揚のない無機質な声が、将門の耳に届いた。
「わたくしに子をお授けください」
一瞬、何を言われたのか理解できなかった。
しばらくの間、ぽかんと情けない顔で、いつまでも頭を上げない尚子を見下ろしていた。
「な…………っんだと?」
やっとでた言葉がそれだった。
「殿の子が欲しいのです」
「…………」
なんだか頭が痛くなってきた。
将門は額を片手で抑えて、がっくりとうなだれた。
(何がどうして、こうなった?)
誰かが何かを吹き込んだのか?
いや、尚子の望みは願ったりかなったりなのだ。
子供は欲しい。
たくさん欲しい。
欲しいし、子作り自体もたくさんしたい。
(だがしかし!! これは何か違うぞ! 尚子がこんなことを言いだすはずがない!! だいたい、こんな改まって言うことか!? おかしい。なんだ。どうなってる?)
ぐるんぐるんと、思考を巡らせるが、的確な言葉が見つからない。
(なんか、好立あたりが高笑いしている声が聞こえて来た……空耳か?)
とにかく……。
こんなことは望んでない。
こんな関係は、イラナイ――。
「ふう」
自分を落ち着かせるために、将門はため息をついた。それを、後ろ向きな反応と捉えたのか、尚子がびくりと体を震わせた。
「尚子、顔を上げてくれ」
「はい」
「それから、もっと俺を見てくれ」
「……?」
「俺の顔を見ろっていう意味じゃない。俺の心を見ろ」
「見ている」
「見てない」
「……私の産んだ子供が、必要なのでしょう?」
「必要?」
将門の眉がぴくりと反応する。
「だって、私にしか出来ないことだって。だから、それは小次郎の望みは、私が子供を産むことだって思ったんだ。私の産んだ子は、父上の国とこの国の共存の道を作ってくれる、そうでしょ?」
「だからかっ!?」
将門は思わず腰を上げた。
暗闇の中、尚子を無言で見下ろす。
「だから、俺の子が欲しいのかっ!?」
――我が子を政に使うと、それをお前が言うのかっ!?
気がつけば、睨んでいた。
「――――小次郎?」
尚子が不安そうに声を震わせ、こちらを見上げている。が、それ以上何も言わない。
それでいい。
今は何も聞きたくない。
何も言いたくない。
(今は、抱けない……抱きたくない。今、尚子を抱いたら、何もかも失ってしまう……)
尚子の心も。
将門自身の夢も――。
将門は、ぎりっと奥歯を噛みしめた。
(くそう、どうしたらいい)
分かっている。尚子は必死なのだ。
自分の居場所を見つけることに、躍起になっている。それも、仕方のないこと。
回りには、自分に味方する者がいない。そればかりか、敵視する者までいる。そんな状況下で、己の役割や価値を見出そうとするのは、至極当然なことだし、将門だってそうするだろう。むしろ、周囲から認められないことを他者や環境のせいにして、己を顧みないような娘だったなら、将門も一気に興醒めしたことだろう。
――――認められないなら、認めさせるまで。
そのくらいの心意気と根性がなければ、将門の隣に並び立ち、共に歩んでいくことは出来ないだろう。
(今は、尚子に余裕がないだけだ。自分が見えていない。……大丈夫、時は必ず来る。尚子に俺のこの想いが伝わる時は、必ず来るはずだ。今はその時ではない。それだけだ)
将門は自分に言い聞かせるように、心の中でつぶやいた。そして、ため息と共に、尚子の名を呼ぶ。大きな瞳に、今にも零れそうな涙をためたまま、尚子は静かに見つめ返してきた。
「……今日は自室で休む」
続けて、何か言葉をかけてやろうと、言葉を探した。けれど見つからず、迷いに迷った挙句、そのまま部屋を後にしようと身を翻そうとした、その時だった。
「…………何も……」
かすれて今にも消え入りそうな尚子の声に導かれるように、再び尚子に視線を戻す。目を伏せた尚子の瞳から、月明かりを反射した想いの雫が零れ落ちた。
「私には……何も…………ない……何もできない……」
まるで宝石のように、きらきら煌めきながら落ちる涙。
一つ、また一つ、尚子の心の声を乗せた雫が落ちていく。
――もう、限界。お願い、助けて。どうしていいか分からない。
「小次郎の……役に……立ちたいのに……何も……できない……」
最後の方は、顔をくしゃくしゃにし、ついには両手で顔を覆うようにして泣きだしてしまった。
――――何もできない。私には何の力もない。
無力。
無能。
不要。
邪魔者。
要らないもの。
―――――でも、あなたの力になりたい……。
どうしていかわからない。
何ができるのかわからない。
声を我慢しながら、泣き震える尚子の姿に、将門は胸をぎゅっと鷲掴みにされたように、苦しくなった。言葉にしなくても、尚子の気持ちが直接流れこんでくるように分かったのだ。
(くっそっ!!)
将門は、力いっぱい尚子を抱き締めた。
次回最終話!