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災厄の姫君  作者: 日向あおい
第三話 妄執の姫君
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・1・ 金色の揚羽


1 金色の揚羽 




「なんだと!?」


 将門は、思わず腰を浮かせてしまった。


「姫様が、たった今お戻りになられましたが、全身にひどい傷を負われ、意識不明だそうです。先ほど、お部屋に薬師が呼ばれ、診察中とか」


 表情を変えずにそう言ったのは、文屋好立である。彼とは対照的に、将門の顔は見る見る青ざめていく。


「なぜ、尚子が意識不明なのだ!」

「存じ上げません」


 あまりに好立が涼しい顔で言い放つので、将門の苛立ちは、いっきに頂点に達した。


「ふざけるな、存じ上げませんじゃないだろう!」


 言いながら大股で文屋好立に詰め寄り、胸ぐらを掴む。


「姫に関しましては、私の管轄外です」


 噛み締めた将門の奥歯が、ぎりりと鳴いた。

 好立には罪はない。解かっているが、体が勝手に動いた。


「話にならん!」


 好立を突き飛ばし、荒々しく執務室を後にした。


(意識不明とはどういうことだ!)


 足をふみならし、尚子の元へ急ぐ。

 尚子にと用意した部屋の前にたどり着くと、あわただしく下位の女官たちに指示を出すあやめの姿があった。あやめは、将門に気が付き、恭しく頭を下げた。


「尚子は!? 怪我はひどいのか!?」

「姫様は、今はゆっくりと眠られております」


 将門の眉が寄る。


「大怪我を負って意識不明ではないのか?」

「いえ。姫様には、どこもお怪我はございません」

「では、誰が怪我をしたというのだ?」

「それが……」


 あやめが言葉を濁らせた時、低いところから声がした。


「殿」


 尚子の部屋の前の廊下から見下ろすと、地べたに這いつくばるようにして平伏す男の姿があった。尚子の従者に付けた、馬番の男だ。


「姫さまは、森の中で野犬に遭遇されました」

「何だと?」

「ですが、ちょうど出くわした娘に助けられたのです。姫さまには、怪我はございません。ただ、険しい山道に入られたため、お疲れが激しく、正体を無くされたようで……」

「そうか」

「姫さまの命により、姫さまを助けた娘を一緒にお連れしました」


 男の言葉を受けて、あやめが続ける。


「その娘は全身にひどい傷を負っております。先ほど、少しだけお目覚めになられた姫さまが、娘の治療をお命じになられたのです」

「それで薬師を呼んだのか」

「殿にお伺いを立てず、申し訳ございませぬ」

「それほどに、娘は瀕死の状態なのか」

「薬師の話によると、今日明日が山か、と……」

「尚子の命を救ってくれたのだ。手を尽くしてやれ」

「かしこまりました」


 そこで、小さく将門は息を吐く。

 いつの間にか、あれほどに強張っていた頬の筋肉はゆるみ、肩から力が抜けていた。尚子は疲労で寝ているだけなのだから、もう心配はいらない。そう体が納得したのかもしれない。


「さて、小春丸」


 将門は再び、視線を地に下ろし、冷やかに言った。


「覚悟はできておろうな」


 聡い男だ。

 それを見込んで、尚子に付けた。

 今回は無事であったとしても、次回も無傷で帰宅できるとは限らない。

 主の危険を回避できてこそ、従者としての価値があるというもの。


(野犬の出るようなところを歩かせたことが失態であったな、小春丸よ)


 緊張という名の静寂があたりを包んでいた。

 おそらく、小春丸でなければ、体中が恐怖で震えだし、どうにか将門の前から逃げようとしたかもしれない。

 しかし、小春丸は落ちついているように見えた。堂々と、しっかりとした声で、告げる。


「姫さまをこのような危険な目にあわせた罪、死をもって償います」


 伏せていて、表情こそ確認できないが、『殺せるなら殺してみろ』そんな挑むような声だった。


「――そうか。ならば、ここで、この俺が首をはねてくれる」


 小春丸は、ますます自分の額を地面に擦りつけるようにして平伏した。


(ふん。あいかわらず食えない男だ)


 将門は、心の中で呟いた。

 小春丸は、聡いが信用ならない男だ。だが、解かりやすい男でもある。

 自分自身の価値を理解してる。

 自分が小春丸を殺すわけがないと、信じて疑っていない。

 そして、この手の男が自分を“殿”と呼ぶ理由も心得ている。

 この男が自分を見捨てて他国へ行く時は、この将門に価値がなくなったということだ。


(残念なことに、俺はそういう男が嫌いじゃない――――だが、気に食わん!)


 将門は、周囲に気づかれないように、一瞬、口端を引き上げた。そして、殊勝な小春丸の姿を、まるで、臭いものでも見るように一瞥してから、背後にいるだろう好立に向けて、振り返らずに、命令を下す。


「この男を納屋につるしておけ」


 言い終わる前に、尚子の部屋へと足を踏み入れた。

 当然のように、「かしこまりました」という好立の返事が追いかけてきた。





◇◆

 




 将門が姿を現したので、尚子の部屋に居た者がいっせいに作業をやめ、恭しく頭を下げた。

 その中の一人の男が、頭を下げたまま、すっと前に進み出る。


「姫様は、深くお眠りになってます」 

「大事無いのだな?」


 言いながら、将門はひょいと御簾をくぐり、几帳の影に寝かされている尚子の枕もとに歩み寄った。


「はい。じきに、お目覚めになられるかと」

「そうか」


 疲労からだろうか、青白く見える尚子の顔を少し眺めたのち、つるりと滑らかな額に手を当てる。

 熱はないようだ。周囲に気づかれないように小さく息を吐く。

 それから、隣室に目をやった。隣室は、普段から女官の控室として使われる。きっと、その隣室に例の娘が治療をうけているに違いない。


「瀕死だと聞いた。尚子の命の恩人なのだ。救ってやれ」


 それだけ言うと、もう一度尚子の顔を眺めやる。


「最善を尽くします」


 薬師の声を背中で聞きながら、そっと尚子の頬に触れた。

 規則正しい体の揺れが、伝わってくる。


(まったく、無茶をする……じゃじゃ馬め)


 思わず、口元が緩んでしまったのを、必死で隠して立ち上がり、尚子の部屋を後にした。

 再び廊下に出た時、将門の目の前を、金色に輝く何かが、通り過ぎた。ひらひらと、舞う様は蝶を連想させた。

 将門は驚きに足を止めていた。

 軌跡を探すように、宙に視線を這わせる。

 それらしいものは何も見当たらない。


(なんだ……? 蝶のように見えたが……だが、金色の蝶があるか?)


 季節は秋。そもそも、蝶である可能性は低いように思う。

 しばらく、視線を彷徨わせたが、虫らしい虫もいない。

 落葉だったのだろうか?

 そう思って、足元に視線を落として見たが、一枚の葉も見当たらない。


(気のせいか?)


 再び、将門は歩き出し、執務室へともどっていった。







 だが、将門が見た黄金の蝶は、見間違いではなかった。

 蝶は、将門の前を一瞬舞い、すっと姿を消したのだ。

 次に蝶が姿を現したのは、尚子の枕もとであった。

 蝶は、ひらひらと尚子の頭上を舞い始めた。砂金のように黄金に輝く鱗粉が尚子に降りかかる。わざわざ、蝶が振り掛けているようにも見えた。

 数秒の後、蝶は、すうっと空気に溶け込んでしまった。 

 その直後、尚子の頬に赤みがさしてきて、見る見るうちに顔色が良くなっていった。





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  また『活動報告』に作品裏話&次回予告があります。 
 
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