表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
災厄の姫君  作者: 日向あおい
第二話 妖の姫君
29/40

・9・ 飛翔(3)

 ◇◆






 人間の娘が放った眩しい妖気に飲み込まれた小夜は、気がつくと(もや)の中にいた。

 わかっている。これは、あの娘に残された泡雪の力だ。


 幻影を見せ、心を喰う妖――泡雪。


 ここは、泡雪の作りだした幻影の世界なのだろう。きっと、娘の身に危険が及んだことで、泡雪の力が爆発し、この世界に取り込まれたのかもしれない。

 これで、はっきりした。

 泡雪は確かに、この人間の娘を助けようとしている。


「泡雪……いるのか」


 小夜は、四方を見渡した。どこかに泡雪の思念が残っているに違いないと思ったのだ。

 すぐに小夜の視線が、靄の濃くなっている場所を目ざとく見つけ出した。


「泡雪」


 小夜は確信を持って呼びかけた。


「面白いものが喰えたと思うたら――この匂い……朧の娘か?」


 徐々に靄は人型を成していく。


「それに、お前にはヒトの血が流れているな。ヒト臭いわ。――血迷うたか、朧も。ヒトを喰わずに、子を成すとは」


 ついに、若い男が姿を見せた。腰まである銀の絹糸のような髪を一つに束ね、真っ白な着物を着ている。その中性的な美しさには、どんなヒトも一瞬で目を奪われてしまう。実際、泡雪がヒトを“狩る”時、ヒトの女にも男にも、むしろその相手の望み通りの姿に自在に姿を変えることが出来た。


「朧を侮辱するな」


 小夜がギロリと睨む。男は、口端を上げた。


「泡雪――お前こそ、人間に肩入れしているではないか」

「気になるのか?」


 くっくっく、と泡雪が笑う。そのたびに、柔らかそうな銀の髪が、煌めきながら肩から滑り落ちた。


「…………この娘は、ただの人間なのだろう?」

「そうさ。ただのヒトの子よ」

「ならばなぜ――」


 泡雪が、ふわりと優しく笑った。だから、言葉を続けられなかった。


「なぜだろうな」

「…………」

「ヒトは弱く愚かな生き物よ。単独では何一つできぬ。我らならば、ちょっと指先でつついただけで、殺すことができよう。それに、我ら妖に比べたら、ヒト命は実に短い。あっと言う間に、死んでいく」


 泡雪はどこか一点を見つめたまま、どこか寂しげに続けた。


「だが、私は、ヒトがうらやましく思えたのだ」

「……うらやましい?」


 ふっ、と口元を和らげ、泡雪が頷く。


「これを、寂しいとヒトは言うのだろうな。私は、ヒトを喰らううちに、ヒトに近づき過ぎた。いつのまにやら、私がヒトに喰われていたのやもしれぬ」


 ヒトの心に触れるうち、自分にも芽生えた心――……。

 寂しさや、悲しさや……愛しさ……。


 泡雪は、胸元を抑えながら静かに目を閉じた。


「朧の娘、お前もここに感じるのだろう? ここが熱くなったり、痛くなったり、苦しくなったり、ざわつくことがあるだろう?」


 小夜はぎくりとなった。

 確かに、小夜は感じていた。

 あの娘に出会ってからというもの、胸がざわついてばかりだ。


「図星か。その、ざわつきはヒトのものだよ」

「――――」

「ヒトはその心が邪魔をして、時に考えられぬ行動をする、実に面白い生き物だ。見ていて飽きぬぞ?」

「――――」

「腹が減っているのに、拾ってきた白い野猫に食い物を与えたり、泣きながら飼い猫に、夫がどうの、新しい妻がどうのと、愚痴り続け、泣き疲れて寝たり――怒って泣いて、また笑って……実に忙しい生き物よ」


 再び、くくくと泡雪は笑いだした。なんだか嬉しそうだ。

 だが、すぐに泡雪から笑顔が消え、何かを思い出したように、遠い目になった。


「……やっと子を成して、あんなに笑っておったのに、あっさり死によって……」


 小夜は、はっとなった。


「あの人間の娘はまさか!」

「おいおい。私はヒトを孕ませる趣味は持ち合わせておらぬよ。あのヒトの子は正真正銘、ヒトの子よ」

「違うのか? ではなぜだ? ますます分からぬ。それほど、なぜあの娘に固執する」

「なぜだろうなぁ。私にもわからぬよ。ただ……もう少し見ていたかったのう」


 アレが笑っている姿を。

 あの華のように笑う、アレの笑顔を――。

 不思議と、小夜には泡雪がそう言ったような気がした。


「もしや、泡雪が執着しているのは、あの娘の……」


 小夜の呟きに、泡雪は声なく笑っただけで答えなかった。その表情で、泡雪にはもうこの話を続けるつもりがないのだと悟る。

 だから小夜は、黙って泡雪の顔から答えを探した。


 泡雪があの娘に肩入れするのは、その母親に執着しているからにちがいない。だがその理由がわからない。

 妖の中には、親兄弟など関係なく、死闘を繰り広げるものも多い。力が全てであり、弱いものは強いものの餌食となる。小夜たち兄弟のように、群で生活しているのは希だ。

 まして大妖怪たる泡雪が最弱の、しかも食餌である人間と共に生活するとは考えられない。


 どこでどう人間の娘に接触し、その子供までも守ろうとするほど執着するに至ったのだろうか。

 あの娘をよくよく観察すれば答えが見つかるのだろうか。


 静かに泡雪を見詰めていると、ばちりと目が合った。慌てて、怖くなって目をそらす。


 泡雪の目は怖い。

 透き通った泉の水鏡のように、美しすぎで怖い。

 すべてを見透かされそうで怖い。


「なあ、朧の娘」


 呼ばれてギクリとなるのを何とか堪えた。何事もなかったように、どうにか泡雪の瞳をにらみ返す。


「お前は、ヒトの子か? 妖の子か?」

「なっ……何を言う、私は朧の娘だ!」

「――――質問を変えよう。ヒトの子として生きるつもりか、妖の子として生きるつもりか?」


 胸のあたりを、鋭い牙でえぐられたような痛みが走った。

 あまりに胸が苦しくて、痛くて――息が詰まる。


 ――『お前はヒトか妖か?』


 泡雪の声が、脳内を反響し続けた。

 自分はヒトでも妖でもない。

 それは小夜にだってわかっている。

 そして、それはここずっと小夜が抱き続けていた疑問だったのだ。


「お前たち妖狼は、仲間意識が強いからな。今のように朧のもとにいれば、他の妖に喰われることなく、その短い命を全うすることも出来よう。朧に守られて生きて行けばよい。だが――」


 それは、同時にヒトの子として生きていくこともできるぞ――。


 泡雪は、目でそう語りかけている気がした。


「そのお前の胸のざわつきを、本当のお前を、真に理解できるのは朧たちではないぞ」


 小夜の瞳が泳ぐ。


「まあ、選ぶのはお前だ、朧の娘よ。好きにするがいい」


 ゆっくり考えろ。

 そう囁く泡雪の目が、どこか暖かくて。

 今まで抱いていた、母の命を狙う危険な大妖怪という印象が、間違っているような気がしてきた。

 母が泡雪の話をするときの目とどことなく似ている。

 泡雪が纏う気配は、殺意でも、敵意でもない。

 何か眩しいものでも見ているような、心底安心している時のような――そんな瞳だった。


「そろそろ時が来たようだ」

「え?」

「お前の力に抵抗するのに、私の残り少ない力を使い果たした。だが、この娘ももう、自力で生きて行けるだろうよ」

「泡雪は……本当に死んだのか?」


 ふっと泡雪は柔らかく笑った。


「言ったであろう? ヒトがうらやましいと」


 だから、泡雪は自ら死を選んだ。ヒトを喰らうことを止め、妖力が日に日に弱っていっても、それでよかった。


「もう飽きたのよ」

「生きることに?」

「違うな。アレのおらぬ、この世界に……お前ならいつか解るやも知れぬな、この言葉の意味が」

「あの娘の側にいればか?」 

「まあ、お前の兄、朝霧といったか、あやつが許さぬだろうが。まったく誰に似たのやら――――そうそう、朧に伝えてくれ」


 返事の代わりに小夜は、微笑む泡雪を見つめ返した。


「『結局、お前ほどの“いい女”は居なかった』とな」


 返事する間もなく、泡雪の周囲の靄が濃くなり、あっという間にその姿を飲み込んだ。

 瞬きをした後には、小夜は現実世界に引き戻されていた。





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
面白かったよということでしたら、
お気に入り登録&感想聞かせてやってください。

 
  また『活動報告』に作品裏話&次回予告があります。 
 
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ