表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
災厄の姫君  作者: 日向あおい
第二話 妖の姫君
22/40

・7・ その命で(1)


 7 その命で






「そのくらいにしておけ、死んでしまうぞ」

「死んだって構うもんか、こんなヤツっ!!」

「そうだ、こいつがヤツラを逃がしたせいでっ!!」


 最後の男の声と一緒に、痛恨の一蹴りが、娘の脳天を直撃した。その衝撃で、地表を半回転し、そのまま背中で着地した。受け身を取れぬまま着地したため、激痛が全身を駆け巡り、一瞬、息が出来なくなる。目の前がチカチカして、意識が遠退きそうになった。


「ああ、もうこの村はおしまいだ」

「なんていうことだ」

「おしまいだ。皆、殺されてしまう。犬神様は絶対に我らを許したりしない」

「ああ、殺される! 皆、殺される!」


 仰向けのまま動けないでいる娘の頭上で、無数の男たちが口ぐちに騒ぎ立てている。


村長(むらおさ)に報告しろ。村長ならば、何かいい案がおありかもしれん」

「そうだな、村長に報告だ!」

「俺がいく」

「俺もだ!」


 遠ざかっていく数人の男の足音が、右耳近くで聞こえた。それでも、娘は指一つ動かすことができないでいた。

 どのくらい殴られたのだろう。

 もう、途中から記憶がない。意識がもうろうとしていた。

 お腹やら背中やらを、集団で殴られ、蹴られ――かろうじて生きている。呼吸ができている。

 そんな状態だった。


「お前のことは、可愛がってやっていたつもりだった。それが――とんだ裏切りだ」


 吐き捨てるように、聞きなれた声が頭のすぐ上から降ってきた。視線をやっとの思いで動かし、顔を確認する。


(……大助(だいすけ)さん……)


 娘と視線があった大助は、ばつの悪そうな顔で、目をそらした。

 確かに、大助はこの村の男たちの中では、親切だった。だが、その理由は不純なものであることを、娘は知っている。


「お前の母さんの立場を考えてやれ」


 大助は小声で言った。

 その、引きつった顔を見て、娘はやっぱりな、と思った。

 大助は母が好きなのだ。だから、その娘である自分に優しい。それだけのこと。

 自分のことを大切に思ってくれているわけではない。むしろ、邪魔に思っているに違いないのだ。

 そう、思っていたが、どこかで自分のことも、実の娘のように思ってくれているのではないだろうか。そんな微かな期待を消しきれなかったのは確かだ。

 それが証拠に、今、胸が切り裂かれるように痛む。

 ――微かではなかったらしい。


(……大助さん……)


 娘は、ぐっと唇に力を込めた。


「大助、村長が来たぞ!!」

「おお、村長だ!」

「村長っ!!」


 男たちは、まるで、すがる子供のような、情けない声を出して、老人を迎えた。


「話は聞いた――大変なことをしてくれたな」


 村長が、背筋が凍るような冷たい目で娘を見下ろした。


 憎悪。

 侮蔑。

 とても、同じ人に向ける視線ではない。


「しかたがない。――おまえが、その命を持って、すべてを償え」


 いっせい、その場にいた者が息を飲んだのが分かった。恐ろしいほどの静寂があたりを包む。


「そ、それはつまり」


 誰かが問う声も、もう娘には、遠くの方で聞こえる人事に思えてきた。


「この娘を、犬神様に捧げるしかなかろう」

「そ、それで我々は助かるのですか!?」

「本当に、森に入り込んだよそ者でなくても、犬神様のお怒りは鎮まりますか?」


 期待から声が上ずる男たちに、村長は深く頷いた。


「大丈夫じゃ。かつても、同様なことがあったが、犬神様はこの村をお許しになられた。だから、村は今日まで、存続しておったのじゃ」

「おお!!」

「助かった!!」

「信じられぬ!! 我らは助かるのか!!」


 もはや、娘の命を心配する者など、誰もいない。泣きながら、抱き合いながら、大喜びする村人たちを、娘は、仰向けのまま、視界の端で受け入れた。


 ――空が、青かった。


『命を持って償え』


 つまり、自分は生贄にされるのである。

 犬神が住むと言われる森に足を踏み入れた者は、犬神の怒りを買う。怒った犬神は、森の生き物という生き物を食べつくしてしまうという。森の美しい湧水も、川も枯れ果て、森はあっという間に死してしまうという。

 今日、娘は野犬に追われ、いつのまにか禁じられた森へと足を踏み入れてしまっていた。そこを、よそ者の娘と男に助けられた。

 あの者たちが、なぜ、あの場に居合わせたのかは分からない。

 でも、自分には、あの者たちが生贄となるのを黙って見ていることは出来なかった。

 第一、よそ者が森に侵入しただけで、森の守り神たる犬神が、森を殺すなどというのもおかしい。ただの言い伝えにすぎないのではないだろうか。

 だから、二人を逃がした。

 自分のために、必要かどうかも分からない生け贄として、彼女たちを見殺しにすることはできないから。


(これでいい――)


 娘はそっと目を閉じた。

 自分は間違ったことをしたとは思っていない。

 村人を裏切り、あの者たちを助けた自分を、母ならば、きっと許してくれるはずだ。


(だって、これは母さんが、いつも、いつも、私に教えてくれたこと)


『我らは、誇り高き民族。たとえ倭人(やまと)に捉えられ、俘囚(ふしゅう)と呼ばれ、奴隷のように蔑まされようとも、心まで犯されることはあるまいよ』


 母はそう言っていた。

 自分の心を信じよ。

 自分に恥じぬ生き方をせよ。

 それが、我ら――気高き北方の民族――だと。


(だから、私は私の心に従う。私の命を救った人たちが――私を助けたせいで殺されるのを黙って見てなどいられない。これが私の強き心)


 だから。

 これでいい。

 たとえ、生きたまま、生贄として崖から突き落とされようとも。

 その死した体を、野犬が食い散らし、鳥が啄ばもうとも。

 自分は後悔しない。


(私は、私の心に恥じることはしない――でも……)


 娘は小さく息を吐き、重たいまぶたを押し開いた。

 すがすがしいほどの青空を、もう一度だけ、目に焼き付けようと思った。


 ――きっと、もう見ることのできない、母の笑顔の代わりに……。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
面白かったよということでしたら、
お気に入り登録&感想聞かせてやってください。

 
  また『活動報告』に作品裏話&次回予告があります。 
 
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ