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災厄の姫君  作者: 日向あおい
第二話 妖の姫君
21/40

・6・ 琥珀色の殺意(2)

◇◆




「なぜだ」 

 左前方の木陰からの声に、少女は足をとめる。その声の主が長兄であることはすぐに分かった。

 彼は常に、少女を見張っている。もちろん、心配という名の善意からだ。

「なぜ、殺さぬのだ」

 長身の青年が木陰から姿を現した。優雅な足取りで少女の真正面に立ち、切れ長の銀色の瞳で何かを探るように、見下ろしている。

 年は、二十代前半だろうか。木漏れ日が反射して輝く銀髪は、朝露にきらめく蜘蛛糸のように、妖艶な雰囲気を持つ。その完璧までに整った顔立ちの彼の前では、少女の美しさも霞む。誰もが一瞬にして目を奪われ、感嘆の息を漏らすに違いない。

「朧を殺しに来たのだろう?」

 兄の問いかけに、少女は明らかに面倒臭そうに、息を一つ吐いた。

「いつから見ていたの?」

「お前が、あの“淡雪の臭い”を追って、駆け出したから、私もそれを追った」

 つまり、兄はずっと自分の後を付けて、あの娘と自分が対峙するのを見ていたということになる。

「てっきり、お前は、あの者を殺すのだと思った」

「殺そうと思っていた」

「ではなぜ?」

「殺そうと思って、あの娘に近づいた――でも、できなかった」

 長兄の眉がかすかに寄る。

「あの者は、どう見ても、タダの人間だった。我らのような妖でも、術を使う陰陽師の類いでもない。何の力も持たぬ、タタビトであった。それがなぜ――?」

「淡雪の……」

 少女はそっと目を伏せた。その表情には、戸惑いが見え隠れしている。

 長兄は少女を気遣うように覗きこんだ。その瞳がほんのり優しさに包まれる。

「淡雪は死んだ……ほんとに死んだのよ……」

「見えたのか?」

 少女はこくんと頷いた。

「――そうか」

「あの娘を殺そうとした瞬間、淡雪が見えた。あの娘の命を――守ろうとしていた」

「守ろうと?」

「なぜかは、分からない。なんだか、急に――ここが変になった」

 あの泉でのことを思い出して、思わず少女は胸のあたりを両手で押さえた。

(ここが――すごく変だった)

 それは少女の感じたことがない、感情だった。くすぐったいような、きゅうっと掴まれているような。

(日向ぼっこをしている時みたいに、ここのあたりが暖かくなった)

 この感情を表す言葉を知らない。

 わかるのは、敵意でもなく、殺意でもない。勿論、食欲でもなかった。

 ただ、どこか心地よい――。

 この感情は明らかに淡雪のものだ。

 淡雪は、死した後も、強力な妖力を娘の体に宿らせるようにして、守ろうとしている。

(でもなぜ、あの娘を? 自分の命を犠牲にしてまで、あの娘を守る理由はなんだというの?)

 少女たちの母、朧が唯一認めた妖猫。幾度となく死闘を繰り返し、それでも勝敗が決することがなかった。その淡雪を服従させるような何か特別な力が、あの娘にあったというのだろうか。

(信じられない――あの娘、ただの人間ではないのか?)

 少女は、娘の顔を懸命に思い返していた。

 確かに、あの時は、淡雪の妖力に包まれていたから、娘自身の妖力を感じ取り損ねたのかもしれない。あの娘が、強大な力を持つ大妖怪である可能性は、無いわけではない。

 だが、淡雪を使役するほどの大妖怪であったなら、この朧の森へ足を踏み入れた理由は、一つしかないはずだ。少女たち朧の一族を喰らい、自らの妖力を高める――そのために来たことになる。

(でも、あの娘は朧の名は愚か、淡雪の名も知らないように見えた。いったいどうなっているの?)

 いつしか、少女の眉間には深い皺ができていた。

「どうした?」

 黙ってしまった妹を心配した長兄が、少女の肩に手を置いた。

「――なんでもない……」

「淡雪が、あの娘を生かしたのならば、我々が手を出せる問題ではなくなる。朧が戻るまでは、様子を見るしかない」

「でも……」

「朧に任せよう」

 長兄は静かに、そして、強く言った。

 不意に、微かな風に乗って、嗅ぎ慣れた長姉の臭いがした。少女と長兄は同時に、一点に視線を集中する。

朝霧(あさぎり)。何があったの?」

 これまた、華麗な美女が姿を現した。白銀の絹糸のようなつややかな髪を、頭の高い位置で一つに縛っているためか、気の強そうな印象を受ける。年は青年とさして変わらないように見えた。

咲木(さき)

先詠(さきよみ)炎刈(ほがり)たちが、不安がっているわ」

「大事ない。我々も戻ろうとしていたところだ」

「本当に淡雪だったの?」

「いや――淡雪の妖気を纏った人間が、この森に足を踏み入れただけだ」

 それを聞いた長姉も、信じられないことを聞いたというように、顔をしかめる。

 そんな兄たちの会話を人ごとのように聞きながら、少女は吸い込まれるように背後に視線を送った。

「もうよい――戻ろう。弟たちが心配しているのだろう?」

「……そうね」

 少女は、まだ、視線の先にあるはずの泉に思いをはせている。

(ただの人間に見えた)

 でも、自分をずっと凝視していた。

 普通の人間は、自分を見ると脅えたように悲鳴を上げ、逃げまどう。

 あの娘は、違った。

 まっすぐこちらを見ていた。

(あの娘は――何者なの?)

「小夜」

 名を呼ばれ、はっとして兄たちを振り返った。

「ゆこう」

「……」

 少女は、もう一度だけ泉の方を振り返って、兄たちの後ろに続いた。






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  また『活動報告』に作品裏話&次回予告があります。 
 
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