表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
災厄の姫君  作者: 日向あおい
第二話 妖の姫君
20/40

・6・ 琥珀色の殺意(1)

 6 琥珀色の殺意






「とにかく、歩こう。歩きながら話す。このままここにいては、危険だ」


 尚子は立ち上がると、小春丸を促す。


「どこに行くんです?」

「泉だ。ここを真っすぐ進むと、森の中に泉があるという。そこに、しばらく身を潜めていろと言われた」

「言われたって――あの娘にですか?」

「そうだ」

「信用できるんですか?」


 返事をする前に、尚子は足を進める。


「あの娘が、私たちを助けてくれた。それだけは事実だ。ならば、それを信じるしかないじゃないか」

「それはそうッスけど……でも、先に娘を助けたのはこっちッスよ? なのに、命の恩人である俺らを売り飛ばすとか、意味わかんないッスよ」

「……」


 押し黙った尚子の顔を、小春丸が覗き込む。


「何か知ってるんだったら教えてくださいよ」

「……どうやら私たちは、禁を犯してしまったようだ」

「禁?」

「私たちがあの娘を助けた場所は、禁足地だったそうだ」

「禁足地?」

「いわゆる、聖域だな。この森には犬神が住んでいる。あの村の者たちは、代々、その犬神が生活する領域に、何者か入りこまなように見張っているのだという」

「番犬の村だったんすね」

「そう言うな。その使命と、大上村という名を、村人たちは誇りに思っているようだ」

「ふーん――――でも、俺たちが、禁足地に入ったのは不可抗力じゃ!? あの娘が先に入ってたんすよ!?」

「そうだな」


 小春丸がはっとした顔になる。


「――――だから、あの娘は自分たちを助けたっていうんですか?」

「そうかもしれないな」

「…………」

「見ろ、あれじゃないか?」


 尚子が進行方向を指差した。

 きらきらと、日光を反射した水面が、木々の間から微かにのぞかせていた。

 近づくにつれ、その全貌が明らかになる。


「けっこう大きいな」


 泉を前に、尚子は呟いた。

 泉は直径が二十メートルはあろうか。森林において、そこだけぽっかりと青空が見えるので、まるで異世界にたどり着いたような明るさを感じた。

 水の透明度も高い。

 青空が写り込んだ水面を、小魚が泳いで行く。

 まるでそこには水が存在しないかのように見えて、思わず手を差し込んでみる。

 ――冷たい。

 手首まで入れてみたが、水底に届く気配はない。案外深いのかもしれない。そう思うと、急に、吸い込まれそうな泉の美しさが怖くなってきた。


「奥にまだ道がありますね」


 顔を上げ、小春丸が指差す方を見た。確かに、泉をはさんでちょうど反対側に、けもの道が続いている。

 周りを見渡しても、泉の反対側へと続く道はない。ということは、この泉を泳いで渡るしか、あのけもの道へはたどり着かないということだ。


「ここは、本当に安全なんッスか?」

「あの娘の話では、ここならば村人は追ってこない、とのことだ」

「追ってこない?」

「ああ」

「それって――」

「何だ?」

「……だって、ここまで来るのに、ちゃんと道があったじゃないですか」

「ああ。一本道だった」

「なのに、追ってこない?」

「何が言いたい?」

「わかんないんですか!? 道があるけど、追えない。追ってはいけない」

「――禁足地か」

「そうですよ!!」

「だから、この泉にしばらく身を潜め、村が落ちついたころを見計らって、来た道を引き返せと言ったのか」


 ならば、やっぱりここは安全なのだ。

 あの娘は、自分たちを助けようとした、それだけは間違いないということだ。

 信じてはいたのだが、どこかほっとしている自分がいる。

 尚子は、そっと苦笑いを浮かべた。

 だが小春丸は、いっそう切羽詰まった声を上げる。


「何落ち着いてるんです!!」

「むしろ、何を慌ててるんだ?」

「禁足地ですよ!!」

「そうだと言ってるじゃないか。ちょっとは落ちつけ」

「だって!! 姫さま、忘れたんじゃ!? 祟りですよ、のろいですよ、疫病ですよっ!! ほら、結局、さっきのおっきな犬に俺らは食べられちゃう運命なんスよっ!!」

「……飛躍しすぎだ」

「うがあああああああ。俺の桃色の人生!! カンバーックっ!!」


 立ち上がって、小春丸を振り返った。

 その時だった。


 ――――ざわわ……。


 尚子はその草木の、微かなざわめきに、はっ、となった。

 視線を感じて、勢いよく振り返る。

 琥珀色に輝く瞳とぶつかった。


「――――」


 少女が泉の対岸に立っている。

 さっきまで、誰も居なかった。それは確かだ。

 いつからそこに立っていたのだろう。何の気配も感じなかった。

 たった一人で、年端もいかない少女が、じっとこちらを見据えている。

 小春丸の息を飲む音が、背中越しに聞こえた。

 再びそよ風が、草木を揺らす。


「――おまえだ」


 鳥が鳴いたのかと思うほど美しい声で少女は言った。


「おまえから泡雪の匂いがする」


 美しいが抑揚のない声だった。

 まるで人形のようだな、と尚子は思った。

 腰まで伸びた、絹のように艶やかにきらめく黒髪。

 小ぶりで、少女には不釣り合いなほど鮮やかな紅色の唇。

 それに、雪綿のような白い肌には、藤色の着物がよく映えていた。

 その姿を見る限り、裕福な貴族の、大切に育てられた幼い姫君のように思える。

 ――この場所が、村人もほとんど足を踏み入れることのない深い森であることと、その大きな琥珀色の瞳を覗けば。


「そなたは何者だ?」


 尚子は、少女から目を離すことなく問う。

 少女は答えない。


「あの村の者か?」


 再び問う。


「――――」 


 少女はこちらの質問に答える気がないようだ。

 とたんに、少女の美しさが恐ろしいものに思えてきた。尚子は、食道と胃のあたりをすーっと氷水が通ったような、そんな寒気を感じ始めていた。

 少女は、いっさい瞬きをせず尚子を凝視したまま、静かに足を前に進めた。


「!」


 尚子は目を見張った。

 すー、すー、と足を繰り出し、少女は近づいてくる。


「う、うあっ! 歩いてる!!」


 その少女の様子を指差し、小春丸が腰を抜かした。

 無理もない。尚子だってその場から逃げ出したいほど驚いている。

 なぜなら、少女は泉の水面の上を“歩いて”いた。

 だか、その驚きよりも、少女の視線が、まるで金縛りにあったかのように尚子の足を動けなくしていた。


(な、なに……?)


 少女は、異常なほど自分だけに関心を示しているのが、はっきりと見てとれる。


 関心。

 興味。


 そんな、なま易しいものではない。

 感じる――。

 全身の肌がびりびりするほど感じる。


 隠す気もない、まるで獲物を見つけた獣のような――これは殺意だ。

 逃げろ。

 逃げるべきだ。


 尚子の全身の毛が逆立つようにして、危険を告げていた。

 少女が、また一歩、前に足を出す。そのたびに、水面が波紋を作った。

 尚子の喉がなる。


「おまえ、泡雪を殺したのか?」


 少女は言った。

 微かに少女の目が妖しく光ったような気がして、ぐっと息を止めた。次の瞬間、少女は、どうやったのか、あっという間に尚子のすぐ目の前へと移動した。

 突然のことに、尚子は悲鳴をあげることもできずに、ただ、驚きに目を見張った。

 すぐに、その驚きは芽生えていた恐怖を増長させ、自分ではどうすることもできない震えが指先を襲い始める。それでも懸命に少女を見据えた。

 相手から目をそらしたら敗けだ。そんな自然界の掟に本能的に従っていた。


「間違えない。おまえから、泡雪の匂いがする」 


 一瞬何を言われたのか分からなかった。完全に恐怖に支配された脳は、うまく働いてくれない。ただ、その場にへたれこみそうなのを必死に耐えていた。


「……あ、泡雪……?」


 やっと出た声は、勝手に上ずる。


「殺したのか?」


 言いながら、少女の琥珀色の瞳が徐々に上昇していった。自然に尚子の視線もそれを追う。ついに尚子の顔の高さと少女の顔の高さが揃う。

 少女の背が急激に伸びたのではない。少女は空中に浮いていた。

 尚子は背中を嫌な汗が流れていくのを感じた。


(ア、アヤカシか……!)


 ごくりと尚子の喉が鳴った。


「それにしてはおかしい。おまえに、それほどの力があるとは思えない。どういうことだ?」

「……」


 妖しげに輝く琥珀色の瞳が、尚子の体中を舐め回すように上下に走る。生きたまま切り刻まれ、その肉片の一つ一つ、細部まで覗かれているような気分だった。

 最後に、少女の瞳が、尚子の怯える瞳を捉え、微かに赤く光った。

 全身が瞬時に氷つくような殺気に、尚子の心臓が飛び出そうなほど、強く脈打った。


 ――喰われる!

 そう思った。


 人間によく似たこの美しい異形のモノは、彼女の縄張りを侵した自分を喰らいに来たのだと思った。

 瞬もできないほどの緊張――。

 息の仕方も思い出せずにいると、意外にも、少女は、すーっと目をそらした。


「――立ち去れ」


 それだけ言うと、こちらに背を向けてしまう。


「えっ……」


 訳がわからず、尚子の目が泳ぐ。


「――――泡雪は朧が唯一、認めた相手。ゆえに、おまえを生かそう」

「ま、待てっ!!」


 少女がそのまま消えてしまうような気がして、尚子は慌てて引き止めた。少女は少しだけ尚子を振り返った。


「……何のことだかわからない! 泡雪とはなんだ! 朧とは───」

「――立ち去れ」


 ふわりと風が巻き起こった。尚子の長い髪が揺れる。

 まるでその風に、かき消されたかのように、少女の姿は消えていた。そこに確かに存在していたという事実さえ、残さぬように――。

 ふいに、どこかで鳥が囀ずった。

 柔らかなそよ風に、木漏れ日が揺れた。

 明らかに、泉は日常を取り戻していた。


「――――」


 緊張のあまりからからに乾いた口の中を潤そうと、唾を飲み込もうとしたが、唾なんて出てきそうにない。


(助かった……のか?)


 ほっとした。

 ほっとしたら、体中から力が抜け、へなへなとその場にへたれ込んでしまった。

 ほぼ同時に、背後でドサッという音が聞こえた。小春丸も腰が抜けたらしい。


 ────『泡雪は朧が唯一、認めた相手。ゆえに、おまえを生かそう』


 “生かす”いうことは、やはり、あの娘は自分を殺そうとしていたのだ。

 体中を無数の羽虫が這うような悪寒が走る。

 脳裏に焼き付いて離れない、あの琥珀色の瞳。

 あの少女はきっと、アヤカシに違いない。あんな妖しい色の瞳を持ち、宙に体を浮かせる人間を、尚子は知らない。

 尚子は少女が先ほどまで立っていた場所を見やる。足跡一つ残されていない。

 唯一、残されたのは、少女が自分に投げかけた言葉。


 ――『泡雪を殺したのか?』


 少女の声が、生々しく思い出された。


(泡雪……誰なんだ……)


 尚子は、じっと、泉の対岸を見つめたが、答えは返ってくるはずもなかった。





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
面白かったよということでしたら、
お気に入り登録&感想聞かせてやってください。

 
  また『活動報告』に作品裏話&次回予告があります。 
 
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ