・4・見えない道
4 見えない道
尚子たちが男たちに連れられ、けもの道をしばらく進むと、不意に道を外れ雑木林の中に入り込んだ。葉をかき分け、さらに奥へと進む。
いったいどこへ連れていかれるのだろうか。
道はない。しかし、男たちの足取りに迷いはない。きっと男たちにはわかる、何か目印があるのだろう。
尚子にはただの生い茂った雑木林にしか見えないのに、道が見えているかのような男たちの振る舞いに、不安はいっそう募っていった。
間もなく、驚くことに、人の手で整備された道へと出た。
方角的に尚子たちが来た道とは違う小道であることは明らかだ。しかし、どこをどう歩いたのか、全くわからなかった。
尚子は足を止め、背後の雑木林を振り返る。
(――……)
もう何処から自分が出てきたか分からない。
(参ったな、無事に帰れる気がしない……)
わざと外界からの道とはつながず、間に他者を阻む雑木林の “道”を挟むことで、この先にあるものを隠そうとしているのは明らかだ。
盗賊だから、追手を巻くために、というのは分かるが。
それにしては、隠れるというより……。
(……何かを恐れているみたいだ)
男たちに先を促されながら、尚子はそんなことを考えていた。
小道を進むと、小さな村にたどりついた。それは、尚子の想像をはるかに上回る立派なものだった。
村は生垣で囲われ、その外側を用水路が一回りしている。透明度の高いこの水路の水は、湧水と言われてもそん色のないもので、きらきらと光を反射しながら村の中央を通って奥へと続いていた。
不思議なことに、それまで喉の渇きを感じていなかったのに、その美味しそうな水を見た途端に、尚子の喉は、焼けるようにヒリヒリと痛み出した。
いつ殺されるかわからない緊張の中、歩き通しだったのだ。当然かもしれない。
今にも駆け寄って、喉を潤したい衝動を必死で抑え、尚子は村の内部に視線を運んだ。
ざっと見たところ建物は二十戸。建物の隙間から、村の奥の方に田畑が在るのが垣間見えた。
どう考えても、昨日今日で出来上がった村ではない。
(まさか、これがあの『祟り村』なのではないか?)
尚子が小春丸に目配せしようとした瞬間、小春丸のすぐ前にいた男が彼のみぞおちを強打した。
短いうめき声をあげて、小春丸が崩れ落ちていく。
「!!」
反射的に、尚子は彼のそばへ駆け寄ろうと地面を蹴った。が、身動きした瞬間、両脇を二人の男に掴まれてしまう。
そればかりか、そのまま尚子だけを別の場所へと引きずっていこうとする。
尚子は焦った。
このままでは、小春丸と引き離されてしまう!
「んんーーっ!!」
彼の名を叫んだつもりだったが、猿ぐつわのせいで上手くいかない。
なんとか首をひねって、どこか別の場所へ運ばれていく小春丸の姿を目で追ったが、ついに尚子自身も小さな納屋の中へと放りこまれてしまった。
「――っ!!」
まるで米俵のように放りだされたおかげで、尚子はほこり臭い納屋の床に全身を強打した。
激痛に一瞬、息ができなくなる。縛られているおかげで、体を起こすこともできず、床に倒れ込んだまま、息を整えるしかなかった。
そうこうしている間に、背後で納屋の戸が閉められる音がした。
あたりに静寂と、暗闇が訪れる。
(とりあえず私は殺さないということか? 待って……じゃあ小春丸は!?)
自分の出した答えに、背筋がぞっとした。
一刻も早く、小春丸を助けねばならない。
なんとかして、この納屋からでなくては。
まずは、両手両足の自由の確保だと、尚子は縛られた腕や手首を動かし必死にもがいた。縄はびくともしない。
それでも、ジタバタと腕を動かしてねばったが、上半身を起こすのが精いっぱいだった。おかげで納屋の中が見渡せるようになった。
古い納屋は、外からの光がこぼれていて、十分に見渡せた。と同時に、尚子は息を飲む、
目の前にうず高く積まれているのは、米俵だ。そして、今、尚子が寄りかかって座っているのは、干した大根。他にもさまざまな種類の野菜が、しかも数多く並んで積まれているのに気づく。
これが盗んだものでないならば、この村はよほど広大な耕地を持っているということになる。
(もしかして、この村の奥にはとんでもなく大きな開墾地があって、ここの住人が田畑を耕しているのか? それとも、強大な盗賊団の村で、全部近隣の村々や行商から盗んだものなのか? ……それにしても――)
かすかに尚子の眉が寄った。どうしても腑に落ちない点があったのだ。
もしも、この村が盗賊の村だとしたら、女である尚子は女郎なりに売り飛ばすとしても、男の小春丸はその場で殺されたはずだ。村までわざわざ連れてきたからには、小春丸にも何かをさせようということなのだろうか。
(いや、その前に……本当にここが祟り村なのだろうか? それに、あの男たちが言っていたことも気になる)
男たちは尚子たちが罪を犯したと言っていた。そして、その罪を自分たちで償えとも。
いったい、尚子たちに何をさせようというのだろう。
(どっちにしても、さっきの娘はこの村の住人に違いないだろうが……無事かな……)
――――ガサ……。
尚子ははっとした。
今、何かの気配を感じた。
首をひねってあたりを見回す。……誰もいない。
もしかして、あの娘が助けにきてくれたのでは、と淡い期待を抱いたのだが、そう上手くことは運ばないようだ。しかし、何か気配がしたのは確かだ。
ふと、尚子の脳裏に四つ足動物の名前が浮かんでくる。
(……ネズミ?)
これだけの食糧があれば、一匹くらい入り込んでいてもおかしくない。一見しては分からないが、この納屋のどこかにネズミの巣穴があるのかもしれない。
と、その時、尚子の中に、ひとつの突拍子もない考えが浮かんだ。
まさか。
そんなことができるわけがない。
でも、二回もその起こるわけないことが起きたのも確かだ。
(猿ぐつわが邪魔して声がうまく出るか心配だけど……やってみる?)
尚子は、ごくりと生唾を飲み込んだ。
もしも、今、自分が思っていることが正しいならば――――。
「ほょっひにほひ」
ゆっくりと、一音一音を大切に『こっちに来い』と発音したつもりが、猿ぐつわのせいで、やはり美味く発音できない。
それでも、かすかな期待を込めて、尚子は気配を感じた方向を見つめた。
全神経を、目と耳に集中させる。
どんな物音も聞き逃さないように。
かすかな動きも見逃さないように。
(さあ、出てこい……ネズミ!)
自分が立てる鼓動や呼吸の音がやけに大きく聞こえた。
尚子の頬を、一滴の汗が流れていく。
そういえば、暑くもないのに背中も汗でぐっちょりと濡れている。
それで、はたと自分の滑稽さに気がついてしまった。笑いさえこみ上げてきた。
(……やっぱり、そんなはずはない……動物と言葉が通じる、なんて……)
何を考えていたんだろう。
そんな非常識なことが起こるはずないのだ。
さっきの野良犬ことも、先日の馬のことも、不思議な偶然が重なっただけで。
(自分の言葉を、意志を動物たちに伝えられるなんて、そんな夢みたいなことができるはずが――――……)
嘲笑を浮かべながら、尚子が目を反らそうとしたその瞬間。
「――――っ!?」
尚子は目を見張って息を呑んだ。