・3・使える男
3 使える男
なかなか立ち上がろうとしない娘に、尚子は優しい笑顔を浮かべながら、手を差し出した。
「立てるか?」
同時に、娘に怪我がないか、ざっと観察する。
大丈夫そうだ。出血や骨折があるようには見受けられない。
しかし、声をかけられた娘は小さく震えながら、遠慮がちに首を横に振った。野犬に襲われた恐怖から、娘は完全に腰を抜かしてしまったらしい。
よく見れば、娘は尚子とそう変わらない年頃のようだ。健康そうな小麦色の肌に、混じりけのない黒い髪を長くのばし頭の高い位置で一つに結んでいた。だが、全体的に細身で今にも折れそうな手足が、儚げな目元をより一層強調する。
「――だそうだ」
間髪いれずに、くるりと体の向きを変え、尚子は背後の男を眺めやる。
「……はいはいはいはい。背負えばいいんでしょう、背負えば」
「さすがに“使える”男は違うな。実に主人の気持ちを汲むのがうまいじゃないか」
尚子は、にやりと口端をあげて、大げさにほめちぎってやった。
「うっわ~、誉められてる気が、全然、全く、これっぽちもしないのはなんでだろう」
「気のせいだ」
そう言って、小春丸が娘に背を向け、負ぶさるように娘を促した時だった。
再び、自体は一転する。
「――――!」
気配を察知したのが、一歩遅かった。尚子がはっと周囲に目をやった次の瞬間、四方から現れた数名の男たちに取り囲まれてしまった。
とっさに、尚子も腰の短剣に手をやり、身構える。
男たちは無言で尚子たちを睨みつけ、じりじりと距離を縮める。明らかな殺意を感じた。
(盗賊か!?)
尚子は、首を動かさずに、目だけで素早くあたりを見回した。
前方に二人、後方に一人。右に一人。
とても戦える人数ではない。何しろこちらは戦力になりそうもないヤサ男と、尚子だけだ。いくら尚子が普通の姫君とはかけ離れたお転婆ぶりを発揮したとしても、男四人を相手にできるわけがない。
どうする?
逃げる?
いや、この娘を置いて逃げるわけにはいかないし、かといって娘を連れて逃げるのは不可能だ。
何か良い考えはないかと、かすかな望みを込めて左隣にいる小春丸に視線を投げかける。と、早々に、彼は両手を上にあげて投降の意を表しているではないか。
(…………)
おかげで、尚子は一気に脱力感が押し寄せ、闘争心を削がれた。
顔をひきつらす尚子の視線に気がついた小春丸は、じっとこちらを見つめてくる。そして、何かを尚子に訴えようとしている。目が必死だ。
『戦うなんて問題外、無理無理、勝てるわけないじゃん。とりあえず、おとなしく捕まっておいてから、隙をみて、とんずらしましょう』
あまりの目力に、尚子はそんな幻聴すら聞こえた気がした。
……確かに投降せざるを得ないが……。
自分やこの娘ならば、どこかに売り飛ばしてしまえば金になるから、すぐは殺さないかもしれない。ならば、隙を見て逃げだせばいい。
(……でも、最初から相手が殺すつもりで近づいてきたのなら?)
そもそも、明らかに使い道のなさそうな小春丸なんぞ、有無を言わさずに、ここでバッサリと切り殺されて終わりではないのか?
尚子が考えあぐねていると、背後から気の抜けた声がしてきた。
「いやぁ~、すいませんね、僕たち道に迷っちゃって~」
振り返ると、小春丸が、自分に任せておいて、というように片目をつぶって合図してきた。
(ふ、不安だ……。自分だけ助かろうと、私を売り飛ばしたりしないか、すっごく不安だっ!!)
尚子にまったく信用されていないことなど知る由もない小春丸は、得意顔で続けた。
「いやね、常陸の国から親戚を訪ねて来たんですけどぉ~、道に迷っちまって。あ、これうちの妹なんです。ちょっと気が強いんですけど、結構、美人でしょう?」
小春丸が、へらへらと笑いながら一歩足を前へとすすめた。その瞬間、男たちがぐっと刀をこちらに突き出してくる。それ以上近づくなとでも言うように。
「おおっと、お兄さんたち物騒だなぁ~、俺は丸腰ですよ、ほらね」
降参、降参と両手を上げる小春丸を、男たちは穴が開くほどに睨み続けた。ほんの少しでも、おかしなそぶりを見せたらその場で切り殺す、と言わんばかりの緊張感が、尚子にも痛いほど伝わってくる。それでも小春丸は笑顔を崩さなかった。
尚子は小春丸の背中を、じっと見守った。ひょろひょろっとした小春丸が、これほど心強く思えるのが、不思議だった。そうか、いざという時は、なんだかんだ言っても、こうして尚子を守ろうとする男だったのか。なんとなく、のんきにそんなことを考えてしまい、うっかり見直してしまいそうになった。
ついに観念したのは、盗賊の方だった。
「お前たちはとんでもないことをした」
前方で小春丸と対峙していた男の一人が口を開いた。どうやら、この男がこの盗賊団の長なのだろう。
「とんでもないこと?」
「その罪は、自分たちであがなえ」
どういうことだろうか? と思わず小春丸と顔を見合わせたのと、長が顎で他の男たちに指示を出すのが、同時だった。
「わっ、えっ!」
あっという間に尚子たちは後ろ手に縛りあげられ、猿ぐつわまでされてしまう。
「ひょっひょう! みひにまひょっただへだへば~!」
小春丸が最後まで何かを叫びながら抵抗していたが、背中に刀を突きつけられ、あえなく観念した。そして、促されるままに、道なき道を歩かされる羽目になった。
(でも、とりあえず殺されずには済みそうだな……)
ふと、娘を心配に思った尚子は、ちらりと背後を盗み見る。そして思わず眉をひそめた。
(……縛られていない)
娘は、尚子たちのように縛られることなく、刀で脅されることもなく、うつむきながら黙々と男たちと共についてくる。逃げようともせずに、だ。
(……盗賊の一味の娘だったの?)
ならば、娘を助けたのだから、こんな扱いをされるのもおかしい。理不尽じゃないか、仲間を助けたのに。娘も娘で、尚子たちを庇おうとするそぶりくらい見せてもくれてもいいようなものだし。
それに、娘は明らかに居心地の悪そうな様子で、男たちに挟まれるようにして同行している。男たちと親しいなかというようには見えない。
まさか、女奴隷として男たちに酷い目にあわされていて、ちょうど逃げ出したところで山犬に襲われたのだろうか?
でもそれならば、男たちも、再び逃げるのを恐れて縛って連行しそうなものだ。娘を縛らないということ自体が、 “娘が逃げることは想定していない”』という意味なのだから。
ということは、同時に、娘を連れて逃げることは考えなくてもいいということだろうか?
答えの出ない疑問が、次々と尚子の頭を旋回する。
頭が痛い。この下総に来てからというもの、理解できないことばかりだ。