・6・宝の山(4)
◇◆
翌日、尚子はいつもの尚子だった。昨夜のは何だったのか、別人ではないか? と将門が舌を巻くほどのじゃじゃ馬ぶりを発揮した。
まず、朝から牧へ向かい、経明を手伝って裸馬の世話をする。それが終わると屋敷周辺の散策に出かけたようだった。
尚子には馬番の一人である小春丸を従者として同行させるようにきつく言ってあったからそれほど心配はしていなかった。その甲斐あってか、二人は屋敷の馬にまたがり、どこかへ連れだって消えていった。
夕刻になると尚子は将門の部屋へと顔を出した。そして、目を爛々と輝かせ、あれやこれやと質問攻めにする。
馬はどれほどの値打ちがあるのか。
馬を育てるまでには、どれほどの年月と資金が必要なのか。
馬の価値を一番高く評価しているのはどの国か。等など。
(軍馬、軍馬と――まったく経明めっ!! あいつの領分じゃないか!)
尚子にばれないように、将門は舌打ちする。
ひとつ答えれば、倍になって質問が返ってくる。だから、答えるのが面倒だと、経明が「小次郎に聞け」とでも言って、丸投げしたに違いない。その気持ちもわからないでもないが。
(よぉし)
将門の顔が、ニタリと歪む。尚子は一瞬、その不気味な笑みに後ずさりした。
「尚子」
「な、なに?」
明らかにおびえた様子の尚子は、すでに負けを認めたようなものだ。
将門は、じりりと尚子との間を詰める。当然のように尚子が座ったまま、後退した。
だから、また仕方なく、ずいっと間を詰める。それはもう自然の流れというやつで。尚子が逃げるから、追うだけだ。だが、間を詰めながら、おや? と思った。
(おびえ方が昨日と違うな。どうやって攻めればいいか、いろいろ試してみるのもいいな)
へっへっへ、と、いかにも悪人しそうな笑い声を上げ、将門はまた少し尚子の方へと詰め寄る。すでに四つん這いになり、まるで獲物を狙う狼のような体制だった。尻餅をついた姿勢のまま後ずさりする子ウサギ、もとい、尚子は顔をひきつらせている。
「ちょ、ちょっと! 真面目な話をしていたじゃないか、何なんだ急に!」
「お前、失敬だな。これが不真面目な顔に見えるか? 俺は大真面目だ。それに、昨日言ったはずだ。唇は拒むことは許さない、と」
まるで、真っ赤な夕日を浴びたように、尚子の顔が一気に染まった。
「そ、それとこれとは話が――」
「違わない」
四つんばいのまま、じわりじわりと距離を詰める将門の目は、尚子を捉えて離さない。わざとらしく、まるで飢えた獣のように舌舐めずりした将門に、尚子の顔がいよいよ青ざめる。
「小次郎、待って、落ち着いて」
「俺は落ち着いている。それから、俺のことは将門と呼べ、いいな」
そう言いながら、また少し前進した将門から逃れるために、尚子が再び後退した時だった。尚子が、はっと後ろを振り返える。背中に柱を感じたらしい。ついに追いつめた。
「こ、小次郎!」
「将門だ。将門と呼べといったろう」
将門の顔が尚子に近づく。尚子の喉がごくりと音を立てた。
ゆっくりと、尚子の唇へ自分の唇を近づける。触れそうになったのと同時に、尚子は覚悟を決めたようにぎゅっと目をつぶった。
(まるで、俺に噛みつかれるとでも思ってるみたいだな……いいだろう、俺の唇を自分から求めるようにさせてくれる、これからじっくりと、な)
将門は、自分の唇をそのまま尚子の耳元へ移動させた。
「もういい加減、観念しろ。そう簡単に俺から逃げられると思うなよ」
将門が耳に息を吹きかけるように、低い声で囁くと、尚子はびくりと体を震わせた。
(ほう……なんとも、喜ばしい反応をしてくれるな)
将門は尚子から一時も目を離せなくなっていた。明らかに一つ一つの反応を楽しむように、確かめるように、それでも内心ではおっかなびっくりであるのを必死に隠して。
「こ、こんなことしている場合じゃないだろう?」
「こんなこと? まだなにもしてないが、例えばこんなことか?」
将門はニヤニヤとしながら、片手を尚子の胸元へ伸ばそうとする。
「い、いやっ!」
慌てて胸元を両手で隠す尚子。それとほぼ同時に将門の心臓が跳ね上がった。
(――――……)
頬を染めて、胸元を隠す尚子に釘付けになる。
何かが将門の中で、音を立ててはじけ飛んだ気がした。
「ほぅ……」
しばらく宙でぴたりと止まったままの将門の手が、ふたたび尚子の頬へと伸びていく。
触れたい。
もっと触れたい。
尚子をすべて自分のものにしたい。
そんな衝動を、まるで紙のように薄くなってしまった理性で必死に丸めこもうとした。
が、将門の熱を帯びた視線が、尚子のぷっくりとして、やわらかそうな紅色の唇から、どうしても離れてくれない。
「なかなか上手く煽ってくれるじゃないか」
口から出てくる言葉で、なんとか自分を取り繕ってはみたものの、体の奥底から込みあげてくる何かが体温をあっという間に上昇させていく。
まるで引力が働いているかのように、将門の顔が尚子に近づいていく。すると、ぽっと尚子の顔が染まった。
尚子の服の香か、それとも匂い袋でも持っているのか、ふわりと甘い香りがした。
ふと、尚子が恥ずかしそうに目を伏せる。
(――――……)
将門の喉がごくりと鳴いた。
色っぽい。
普段は子供っぽさが目立つ尚子なだけに、たまに見せる色気が特に強調されて見えてくるから、たまらない。
あげく、尚子はどうにか将門を押し戻そうと、腕をいっぱいに伸ばして将門の胸に触れてきた。
――限界だった。
尚子の潤んだ瞳。
高揚した頬。
少し開いた柔らかそうな唇。
白くか細い腕。
全身から薫る甘い香。
尚子のすべてが、どれほど将門の男としての本能をくすぐり、自制心を破壊するか、尚子は何一つわかっていない。
「煽ってなんかなっ────」
将門は、尚子が何か抗議しようと口を開いた瞬間、かなり強引にその小さな唇を奪った。
「んんーーっ!!」
驚きからか、恐怖からか、尚子が自分の腕の中で小さな抵抗をみせたが、全く気にならない。気にしている余裕がない。
まるで、一週間ぶりに食事にありつけた獣のように、頭を真っ白にして、尚子の口内を味わった。
不思議だった。
いくら、むさぼっても足りない。むしろ、飢えは増していくようで――夢中で堪能した。
「……っ」
尚子から小さな息が漏れる。
気がつけば、尚子自身もこの熱い感情の渦に飲み込まれてしまっているようだった。
(尚子────)
もう、このまま尚子を組み敷いて、自分のものにしてしまおうか。
何をためらうことがあるだろう。
この手で快楽の海に沈め、この尚子への思いで溺れさせてしまえばいいではないか。
将門の口づけがいっそう激しく、息もつかないほどになった時、ついに尚子が悲鳴を上げた。
「いやっ、こ、小次郎っ!!」
はっと我に変えると、小刻みに震え、身を堅くする尚子が目の前にいた。
どうしたことか。
自分を制御できなくなるほど、女に夢中なるとは。しかも、口づけごときで。
明らかな動揺が将門の瞳を揺らす。
(おいおい……)
自分でも信じられない現状に、こみ上げてきた。こんなところを好立や経明に見られたら、この先十年は軽く酒の肴にされかねない。
(この俺が、こんな小娘一人に……冗談だろう)
尚子にこの動揺を悟られては不味いと、ちらりと尚子を盗み見た。
が、その直後、あっという間に修復中の理性をすべて正常化することができた。なぜなら、将門よりよっぽど尚子の方が切羽詰まっていたからだ。
尚子は決して動揺を隠さない。いや、隠すまで頭が回っていないようだ。両手で口元を覆うようにして、放心状態になっている。頭で何が起きたのか理解する前に、体が反応してしまい、どう対応していいかわからないのだろう。
夕日よりも真っ赤になった尚子の顔を眺めているうちに、将門の顔に余裕の二文字が完全復活を遂げる。同時に、胸の奥の温度が、それまでの煮えたぎるような熱さから、心地よい陽だまりのような暖かさに変っていくいのがわかった。その心の変化に心地よさすら覚え、勝手に口元が緩む。
──愛しい……。
自然にその言葉が浮かんだ。
「将門だ。わからんやつだなぁ~」
おどけた口調になって、将門は尚子を引き寄せた。そして、今度は軽く唇を吸おうとする。だが、尚子は先ほどのことがあってか、首を左右に振って嫌がった。
「往生際が悪いな」
将門はそっと尚子の耳もとでささやくと同時に、両手首をつかみ、背後の柱へ押しつけるようにした。逃げ場がないところまで追い込むわりに、優しい、本当に、心から慈しむような短い口づけを降らす。
何度も、何度も。
啄ばむように、そっと。
「わかった、わかったからっ!! 待って話を聞い──んんっ……」
唇を開いた尚子が悪かった。
これ幸いと、将門は文字通り尚子の口を塞いだ。
今度は、長く、長く。でも、先ほどのすべてを奪うような激しさはなく、心を与えるような暖かい口づけを──。
ふいに、尚子の両腕から力が抜けた。
それに気づき、顔を上げた将門は、頬を真っ赤に染めた尚子を満足に見下ろした。本当に嬉しそうに。
「お前は俺のものだ」
将門は尚子の耳もとで囁いた。
──覚悟しておけよ。
お前が、俺を欲しがるようにしてやる。俺と居なければ息もできないほどにしてやる。
それまで、口説きに口説いてやるからな。
そんな含みのある笑いを浮かべたのだが、尚子は頬を染めるどころか、見れば眉間に皺をよせているではないか。
「……え?」
将門は予想外の展開に、思わず小さな声を上げた。
(あれ?)
何かが、おかしい。確実に、尚子は気分を害しているように見えるが。
変だなあ、と将門が首を傾げている余裕はあまりなかった。
「私がいつお前のものになったーーーーっ!!??」
尚子の叫び声と共に、強烈な蹴りが男の股間に炸裂する。
「────……」
声も出せずに悶絶する将門の手を振り払って、尚子は立ち上がった。
「真昼間から何考えてんだ、大馬鹿野郎ーーーーっ!!」
尚子は沸騰寸前という顔で吐き捨てると、大股で部屋の入り口まで行き、力の限り木戸を押し開け、派手な音と共に部屋を出て行ってしまった。
「っ…………い、いてえ…………」
後には、実に情けない格好で、股間の痛みに打ちふるえる可哀そうな男が残るばかりであった。