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災厄の姫君  作者: 日向あおい
第一話 まどろみの姫君
13/40

・6・宝の山(3)

 尚子は自分の心が凍りつく音を聞いた。

 頭から、いっきに血の気が引いてく。

 暗闇の中、几帳の上に顔を出したのは、尚子の想像していた女官ではない。明らかに男性だった。

「――――……」

 その姿が、いっきにあの赤い月夜の出来事を呼び覚ます。みるみるうちに、尚子の脳裏でその几帳の男性の影と、あの男の顔が重なっていく。

 あの男。

 憎らしい、あの男。


 (たすく)────!!


「あ……っ……」

 尚子は小さく声を上げ、ガタガタと震えだした。そして、あっと言う間に、悲鳴を上げるどころか息をすることすらできないほどの、強い恐怖に飲み込まれていった。

 まるであの日を再現している感覚にとらわれる。


 あの男の手が、尚子の体を無理やりに引き倒し。

 着物を剥ぎ取り。

 馬乗りなって。

 ざらりとした不気味な舌で。

 尚子のやわ肌を、心をぼろぼろに犯していく────。


(いやああ、助けてっ!! 助けてーーーーっ!!)





 何か様子がおかしい。将門はそう思った。

「尚子?」

 将門の声がかすれる。気づけば、喉がからからに乾いている。

 返事がない。

 油さしの小さな明りでは尚子の表情がここから確認できない。小さなさざ波を心に感じながら、ゆっくりと足をすすめ、寝具に座りこむ尚子の隣に腰を下ろした。

「尚子?」

 やっと確認できた尚子の顔は、完全に凍りついていた。

(俺が何をしに来たかわかったってことか? そんなに緊張するなよ……)

 心の中で独りごちながら、将門の顔に笑いがこぼれた。

 この屋敷に尚子を連れてきてから、尚子が自分を男として意識をしている印象がなかったので、若干焦っていたところもあった。でも、こんな尚子の様子を見れば、尚子には申し訳ないとは思いつつ、ほっとする。

「尚子……」

 尚子をなだめようと、そっと手を伸ばそうとし、はっとする。

(──泣いてるのか……?)

 一瞬、そんなに自分と夜を明かすのが嫌なのか、と思ったが、すぐに、明らかな異常を尚子から見て取った。

 がたがたと大きく震える肩に、虚ろな瞳は見開かれ、大粒の涙がぽろぽろとこぼれていく。

 これは、明らかな拒絶。一つ救いなのは、自分を拒絶しているのではないということ。なぜなら、尚子は先ほどから自分を一度も見ようとしない!

「尚子……どうした?」

 将門は、尚子を覗き込む。

 ゆっくりと尚子の焦点が自分に合ってくる。

「あ……」

「そうだ、俺だ。わかるか?」

「小次……郎……」

 後から後からあふれてくる涙に、尚子は上手く言葉が紡げない。

「そうだ、俺だ。俺だから、落ち着け。泣くな」

「ほんとに……小次郎?」

(なんだ? 誰だと思ったんだ?)

 思わず聞き返しそうになった。だが、まずは尚子を落ちつかせるのが先決だと考え、将門は素直に頷いてみせた。そして、そっと尚子の右手を両手で包む。

「俺だから、安心しろ。どうして泣いてるのか言ってくれ。俺まで泣きたくなってくる」

 少しおどけた様子で将門がいうので、尚子はかすかに泣き笑いになる。

「うん……」

「突然、泣きだすから、俺はかなり傷ついたぞ」

「……ごめん、もう大丈夫だ」

 将門を安心させようと思ったのか、やわらかに笑って見せた。その笑顔に、将門は心のざわめきを覚える。その不安を払拭させるために、自分も尚子にやさしくほほ笑みかけた。

「もっとそばに行ってもいいか?」  

「────」

「お前に触れてもいいか?」

 返事がないのを、了承と受け取った将門は、そっと尚子の頬に手をのばす。指先が少し触れたとたん、尚子がびくりと体を震わせた。

「怖いか?」

 尚子はぎゅっと掛け布を握りしめたまま、動かない。

(やっぱり……そうなのか? あの男なのか?)

 先ほどの胸騒ぎが、将門の脳裏に、あの赤い月夜の記憶がよみがらえせていく。

 あの男。常陸の豪族である源護が息子、源扶(みなもとのたすく)

 尚子は上総の自分の部屋で、意にそぐわない相手──扶に組み敷かれ、喉から血がでるのではないかと思うほど必死に泣き叫び、助けを求めていた。心が裂けて粉々に壊れてしまうのではないかと思った。それほどの悲鳴に、将門は助け出すことができた自分を褒め称え、間一髪間に合うことができた運命に、心から感謝したい気持ちでいっぱいになったものだ。

 だが、尚子はその時にはすでに大きな心の傷を負っていたのだ。全然、間に合ってなどいなかった。だから、こんなに怯えているのではないだろうか。

(俺でも……駄目なのか? 俺も拒絶するのか?)

 将門は、胸をぎゅっと握りつぶされたような痛みに襲われる。    

「俺はお前に触れていたい。嫌か?」

 自分も尚子に拒絶されるのが怖いのかもしれない。自分だって、男だ。このまま尚子の体を自分のものにすれば、尚子は心を失ってしまうのではないだろうか。そんな不安と焦りが将門を幾度となく襲う。

「尚子?」

 だが、将門の願いに反し、尚子の瞳から大粒の涙が再び落ちてきてしまう。それを見た瞬間、将門の胸は、どんな矢で打ち抜かれた時よりもずっと、激しい痛みに押し潰されそうになった。

「尚子……泣くな。お前が望まないことを俺はするつもりはない。だから泣くな」

 将門は、そっと尚子の腕を引っ張った。尚子のか細い体は硬直したまま、腕の中にぽすりと収まる。ついに尚子は泣きじゃくりだしたので、いよいよ将門はどうしていいかわからなくなった。

「どうした。泣いていてはわからないぞ。言ってみろ」

 子供をあやすように、ぽんぽんと背中をさすり、将門は問う。

「俺が怖かったか?」

 尚子が首を横に振る。

「俺とこうしているのは嫌か?」

 再び尚子は首を横に振る。

 少しほっとした。

「じゃあ、嫌なことを思い出したか?」

 少し間があって、尚子はこくりと首を縦に動かした。

(やはり――)

 やはり、あの晩のことが、心に深い深い傷となっているのだろう。あの男が尚子を襲った状況と、今の状況がどこか酷似していたのかもしれない。あの男は、こうやって夜遅くに突然尚子の部屋へ訪れ、乱暴を働いたのかもしれない。

(くっそう……)

 湧きあがる怒りをどこへぶつければよいのか。

(尚子に心の傷を負わせた罪、そして、今この俺の幸せな家族計画を邪魔する罪。どうしてくれようか)

 脳裏に焼き付いて離れない、憎らしい男の顔を、どうにか消し去ろうと将門は試みた。だが、消そうとすればするほど、深く刻みこまれていくような気がする。

 それにしても、もう一発、股間を蹴り飛ばして、使い物にならないようにぶっ潰してやればよかった、と悔やまれて仕方ない。

 将門はすべてを吹き飛ばすように、大きく息を吐いた。

「もういい。今日は何もしないから、こうして枕を並べて朝まで一緒にいよう」

「……?」

 そっと尚子から体を引き離し、いたわるような口づけをその瞼に降らす。

「俺はお前と一緒にいたいだけだ。だめか?」

 尚子は、じっと将門の顔を見上げた。その大きな瞳に吸い込まれそうな自分を、必死で抑えながら、将門はやわらかくほほ笑む。  

 それでやっと尚子も安心してきたのか、ひきつった笑顔を見せた。

「誓って、何もしない。な?」

 将門は、尚子から、ぱっと手を離し、これ以上は何もしないと強調するために両手を上げる。

「だめか? 俺とは一緒にいたくないか? あ、まて。そんなことはっきり言われたら、俺はぐれるぞ。よく考えて答えろよ?」

 冗談交じりに将門が言うので、尚子はついにいつもの太陽のようなまぶしい笑顔になった。そして、ゆっくり首を横にふる。

「私も一緒にいたい」

 その笑顔に、将門の心がほんのり温かくなった気がした。それで、十分だと思った。

 今は、これでいい。

 この笑顔が、自分の生きる理由であり、自分が一番守りたいものなのだから。

「よし、では朝まで一緒にいるとしよう」

 が。

 どうしたことか、いつもの調子を取り戻した尚子がにやりと笑って言った。

「何もしない、そう言ったよな?」

「な、なにぃ?」

 言葉を失っている将門に、尚子はたたみかける。

「男に二言はないよな」

「…………」

「返事」

 誰だ、さっきまでめそめそ泣いていたのは。将門は、してやられた気分になりながら、渋々答えた。

「ああ、いいだろう。今日は何もしない! お前が俺を望むまで、助平な気持ちでお前には触れない! これでいいかっ!!」

 もう、やけくそだ。腕を組んで、ふんと鼻を鳴らす将門に、尚子は満足そうな笑みを浮かべた。しかし、将門も負けっぱなしで黙っていられる性質ではない。

(最後に笑うのはこの俺だ、わかったか尚子)

 にたりと尚子に笑いかける。

「だがな、尚子」

「ん?」

「俺の唇を拒むことは、絶対に許さん」

「え……――わっ!」

 将門は、ぐいっと尚子の顎を上に向かせ、唇を奪った。

 長い、長い口づけ……。

 名残惜しそうに尚子の唇を解放すると、わずかに呼吸が乱れ、ほんのり頬を染めた上、潤んだ瞳で自分を見つめる尚子に、身震いがした。

 早くも後悔している。

(何もしない? ……拷問だ)


 もう笑うしかない。





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