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災厄の姫君  作者: 日向あおい
第一話 まどろみの姫君
12/40

・6・宝の山(2)

 

◇◆





 二日後。朝から尚子は気合が入っていた。

 将門は朝餉を食べ終わるや否や、尚子の襲撃にあった。予告なく、女官たちの制止も聞かず、部屋に飛び込んできたのである。

 それを平然と見やりながら、将門は思う。乱入するのならば、夜にしてくれればいいものを、と。まあ、昼間でも誰に何を気にすることもないと言えばないのだか。

「つまり、仕事与えたらどうだろうかと思う!」

 尚子は目を爛々と輝かせ、そう言った。

 どうやら、自分を口説きに来たのでも、襲いにきたのでもないのだと再確認し、将門に明らかに落胆の色が濃くなる。

「朝からなんだ?」

「だから!! 昨日一日ずっと考えていたんだ!」

「俺のことを?」

「違う! この国のことだ!」

 からかうような口調の将門に、いらだちを露わにした尚子は、ぐっと将門の襟元をつかんで、詰め寄った。

「……言ってみただけだ」

 降参、降参、という様に、将門は両手を軽くあげる。それを見て、尚子はしぶしぶ手を離した。

「順を追って話してみろ」

 観念して、将門は尚子に向き直った。

(さあて、二晩も俺をほったらかしにして、いったい何を考えていたのか説明してもらおうか)

 心の中で、そうつぶやくと、自然に口端がにやりと上がった。

「つまり、この国に足りないのは人手だ。人手が欲しいが、食べ物もない」

「ないな。今、この国の倉庫はすっからかんだ」

「それでは民はこの国では生きていけない」

「現に、皆逃げだした」

 その通りだ、という様に尚子は頷いた。

「だが、(きん)があればどうだろう」

「金?」

「つまり、食べ物は金で買える。行商を呼べばいい。その行商から食べ物を買い付けるんだ。そうすれば民は飢えることない」

「だが、金はどうやって手にいれる?」

「そこだ」

 その言葉を待っていた、と尚子の瞳が輝きを増す。

「この屋敷が金を出す。もちろん、金だけを配るということではない。労働の代償として、金を支払うんだ」

「労働?」

「まず、堤を作る。川の水が少ない冬のうちに、民に堤をつくらせ、その労働の対価として金を払う。それから、春になったら農具を作らせる。先日、出向いた集落では、木製農具を使っていた。上総では鉄具を使う。その方が効率がいい」

 将門は、思わず顔がほころんでいく自分に気が付いていた。だが、どうすることもできない。にやにやと、表情がたるんでいくのを止められない。それほどに、この場に好立がいないことを、心の底から残念に思った。

「では、金はどうやって調達する?」

 期待を込めて、将門は問う。

「馬だ!」

 尚子は声を張り上げ、将門に詰め寄ってきた。黒々とした大きな二つの目が、まるで小さな太陽であるかのように輝いている。将門は、まぶしさに目を細めた。

(見ろ、好立。これが、俺の連れてきた女だ。お前と同じ答えに、たった二日でたどり着いたぞ)

 将門の胸は、まるで幼子のように踊り高ぶっていた。





「では、金はどうやって調達する?」

 含みのある笑いを浮かべる小次郎に、尚子は懇親の意を込めて言い放った。

「馬だ!」

 どうだ、と胸を張りたい気持ちでいっぱいになった。

 あんな宝石の山を持っているだけではもったいない。あれこそ、民のために使うべきなんだ!

「牧の馬を売る。あの馬たちは軍馬として高値で売れる。軍馬を欲しがるものなら、いくらでもいる」

 一息で言いきると尚子は自信に満ちた顔をした。そして、静かに将門の言葉を待つ。

 開け放たれた格子窓から、秋の終わりを告げる冷たい風が部屋を駆けぬけていった。

「そのようなこと、殿が考え付かないとでも思っているのですか?」

 尚子は声の方を反射的に見上げた。いつからそこにいたのか、好立が几帳の影に立っていた。

 急に部屋の中が暗くなる。雲がかかったのは、空の太陽だけではなかった。

(やっぱり……)

 今の彼の一言で、確かに自分の考えが正しかったと証明されたわけだが、先ほどまでの高揚感は完全に沈下し、鉛のようにずしりと重たくなった心が序所に床にめり込んでいく感覚にとらわれる。

 自分が二晩考えただけで思いつく案など、小次郎たちが気がつかないわけがない。そうは思っていた。でも、少しは期待していた、いやかなりだったのかもしれない。

 自分が思っているよりずっと、よくやった、と認めてもらいたかったのだ。小次郎に、そして何より、この仏頂面の男に。

「なんだ、好立。いつからそこに居たんだ」

「失礼。お声が大きかったもので」

 そう言うと、好立が尚子と小次郎に頭を下げる。

「姫は、行商を呼ぶとおっしゃっておられたが、どこの国から招くのですか? また、軍馬を売るとなると、その国の勢力も左右しかねない軍事力強化につながりますし、やみくもに売るわけにも参りません。さらに、鉄具ですか。ごもっともですが、その鉄はどこから仕入れるのです?」

「…………」

 氷の刃のような好立の言葉は、尚子の胸に深く突き刺さり、反論するための言葉を奪う。

「好立」

「事実を申したまでです」

「尚子はこの国に来てまだ日が浅い。大目に見ろ」

「いいえ。良く知りもせずに、口にすることが問題なのです。仮にも殿の妻として屋敷にいる以上、姫の言葉は殿の言葉として捉えられます。姫がまだこの国ついて勉強不足である、とか、姫一人の見解である、など、下々の者には関係のないこと。その自覚がお有りか?」

 ぎろりと睨みつける好立の冷たい視線に、尚子の背筋が足の先から凍りついていく。勝手に手が小さく震えた。この男に負けた悔しさでも、恐怖でもない。自分の無力さが、惨めだった。

 その通りだった

 それは、上総に居た時から十分に感じていたことだった。でも、それを面と向かって指摘する者が上総にはいなかった。だから深く考えもせずに来てしまっていた。


 ────自分の言葉には民の命を奪うだけの力がある。けれど、民を守るほどの力はないのだ、と。

 

 尚子が何も言えないでいると、好立はもう興味が失せたかのように、尚子から視線を外し、小次郎に向き直った。

「例の件でお話がございます」

「ああ、わかった。尚子、すまないな」

 小次郎が出て行くように、笑顔で促してくる。尚子は、素直にそれに従い、立ち上がった。もう、好立などは目も合わせようとしない。

 わかっている。自分が嫌われているのではない。好き嫌いの問題ではないのだ。そんな幼稚なことは言わない。

 今、この場に、自分の居場所はない。だから出て行く。この場にいても役に立てないから。

 彼らと同じものを見れるだけの背丈がない。背伸びをしても、到底届かない。


 早く、早く、追いつきたい。

 もっと、力が欲しい。

 彼らの横に並んで歩けるほどの力が──。





 すっかり肩を落とした尚子が、部屋を出て行ってしまうと、将門はにやりと笑った。

「お前、尚子が相手だと、ずいぶん、ムキになるじゃないか」

 好立は、それをしれっと受け流す。  

「どこがです?」

「鉄のことを持ち出したのは、尚子だけであったぞ。正直、してやられたと思ったのではないか?」

「私は確証が持てるまでは、口にしません。姫のは、すべて理想論でしょう? 希望や願望で国の行く末を語られても迷走するのが落ちです」

「そうか? 二晩であれだけ考えだしたのならば、褒められるべきだと思うが」

 将門は実に嬉しそうに、くくく、と笑った。まるで、我が子をほめられた父親のようだ、と好立は思う。

 意外に、この男は息子ができれば、溺愛する親ばかになるかもしれない。今以上に、目じりの下がった主を想像すると、吐き気を催すほど気味が悪い。できれば見たくない。……不可能だが。

「鉄ならば、北方と交易してはどうか?」

「簡単に言いますね」

「出羽、陸奥は古来から鉄の産地ではないか。その鉄を我が国の軍馬と引き換えならばどうだ。鉄具もいいが、かの地の刀は魅力だ。製法も知りたい」

「……願望を通り越して、妄想の域に達しましたね。鉄の精製法など、漏らすはずがないでしょう。どれだけ金を積んでも、教えてくれませんよ」

「やっぱりか」

「まったく、話を戻しますよ。まず、堤のことですが──」

 将門が小さくため息を漏らした。


 


◇◇




 その夜、今度こそ、と将門は尚子の部屋を訪れた。前回は少し来室時間が早かったのではないかと反省し、皆が寝静まった深夜に夜這いを決行することにした。その甲斐あってか、今回は部屋の入り口で鎮座するあやめに出会う。室内もずいぶんと静かだ。

「もう姫様のお支度は、整っておいでです」

 あやめはそれだけ言って頭を下げた。

 つまり、夜着に着替え、敷布も引きそろえ、あとは寝るだけになっているということだ。

「まだ起きているか?」

「はい。読書をしておいでです」

「そうか」

 明らかにほっとした顔になって、将門は言った。せっかくこの時間まで待ったのに、すやすやと寝息をたてられていてはかなわない。

 緩む顔をなんとか引き締め、尚子の部屋へと足を踏み入れようとした。が、その足が不自然に空中で止まる。

 将門は、そうだそうだと言いながら、勢いよく女官を振り返りかえると、人差し指を突きだすようにして、こう言い放った。

「いいか、好立をこの部屋に通すなよ。何があっても邪魔するな、いいな!」

 珍しく、ぽかんとした顔になったあやめをしり目に、将門はひとり気合いを入れ、尚子の部屋へといそいそと入っていった。





 尚子は薄暗い室内で、小さな小さな炎の明りを頼りに、書物を読みふけっていた。

 すると。


 ──かたん。


 木戸が鳴く。

「あやめ?」

 書物から目を上げることなく、尚子は女官の名を呼んだ。

 誰かが入ってくる気配があったが、いっこうに返事がない。あやめではないのだろうか。

 でも、こんな時間に、自分の部屋に入ってくるような人物が他に思い当たらない。

(どうしたんだろう?)

 まさか、あやめが声を出せないような状況にでも陥っているのだろうか。

 書物から顔を上げたが、几帳が視界を遮っていて、御簾の向こうの様子がわからない。人の気配はある。近づいてくるのも感じる。

(誰? あやめじゃないの?)

 眉を詰め、もう一度女官を呼んだ。





 将門はそっと御簾を上げる。まるで、初めて女の部屋に忍び込んだ夜のようだ。胸が高鳴って、鼓動がうるさい。

「あやめ?」

 もう一度、尚子が問いかけてきた。返事がなかったので不思議に思ったのだろう。

 一歩。また一歩。

 几帳に近づけば、尚子の長い髪が床に棚引いているのが見えてきた。

 手に変な汗が吹き出てくる。

 勝手に呼吸が浅くなっていってるのもわかった。    

(……今宵こそ、手に入れる。尚子のすべてを。自分自身の心を。“人”の心を────永遠に手に入れる)

 はやる気持ちを抑えながら、なんとか、最後の一歩を踏みだした時、ついに几帳越しに、寝具にうつ伏せに横たえた姿勢で、こちらを見上げる尚子と目が合った。

「────」

 反射的に半身を起した尚子の瞳は、見る見るうちに大きく見開かれていった。




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