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災厄の姫君  作者: 日向あおい
第一話 まどろみの姫君
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・6・宝の山(1)

 6 宝の山




 どうしても気になることがあった。

 尚子は再び牧へと馬を走らせる。だが、牧にはすでに多治経明の姿がない。馬でどこかに駆けていってしまったのだろうか。

(……あれはいったい)

 先ほどの、尚子の持ち合わせている常識では説明できない出来事を、彼とならば共有できると思っただけに、尚子の落胆は大きい。

 悠然と牧を駆ける馬たちを、しばしの間、目で追いかけてはいたが、待っていても経明が現れることがないようなので、仕方なしに再び馬を進めた。

 そうだ。最初の目的は、牧を眺めることでも、馬に見惚れることでもない。

 自分は自分のできることをする。そのためにここへ来たのだった。それを忘れるところであった。

 尚子はそっと心の中で舌を出し、小さく息を吐く。しっかりせねば。ここに、尚子を叱りつけてくれる老女官も、尚子の手足となって走り回ってくれる従者もいないのだから。

 自分の身は自分で守る。

 そして、自分の場所は自分で見つける。

 尚子は静かに、胸元に手を当てた。着物の上から、堅い金属の感触が伝わる。母の形見である小刀だった。母はまたその母にもらったというから、いつも肌身離さず持つようにしていた。だから、着の身着のままで小次郎と逃げてきた尚子でも、これだけは上総から持ってくることができたのだ。

(母上……どうか、お力を)

 心の中で深く祈る。目を閉じ、息を整えた。再び瞼が開かれ、その大きな眼が輝きを増したかと思うと、尚子は澄んだ声で言った。

「行こう」

 馬は軽やかな足取りで、牧を後にした。




 ◇◇



 尚子が思っていたよりも、状況は悪かった。

 正直なところ、上総よりずっとひどい。他の国と比べようにも、上総の父の領地から外へ出たことがないので、狭く浅い了見でしかないが、それでも十分だった。自分たち、いや、この領地の主、平小次郎将門が今置かれた状況の悲惨さに驚きを禁じえない。

 沼地に囲まれた高台の牧は、確かに沼地が自然の柵と化し、馬たちは逃げることなくその牧で生き生きと暮らしている。立派な、誇れるものだ。

 だが、その沼地は牧だけを囲むものではない。むしろ、このあたり一帯、ほとんどが沼地と言えよう。

 川から染み出した水が土地をぬかるませ、耕地としては使い物にならない。多くの植物は、根ぐされを起こしたのだろう、不毛地帯と化している。それに、これほどの低地では、人も暮らせない。大雨や雪解け水で川が増水すれば、人家は濁流にのまれるだろう。

 沼の向こうには、雑木が立ち並ぶ深い森に、その奥へ続く高い山が見えた。そっちの方は高台になってはいるものの、未開の地だ。開拓しなくてはどうにもならないだろう。

 何より不思議だったのは、いくら馬を走らせても、村はおろか、集落と呼べるものすら見当たらないことだ。

 この国の民はいったいどこへ行ってしまったというのだろう。

 驚愕とも焦燥ともつかない気持ちのまま、尚子は馬を走らせた。

 どのくらいたっただろう。やっと村らしい集落が見えてきて、尚子はほっとした。だが、ずいぶんと屋敷から離れている。一抹の不安を感じながらも、その集落へと足を進めた。

「邪魔をするぞ」

 馬上の尚子を不審な目で見上げながら、民たちは尚子が集落の中に足を踏み入れることを黙認した。尚子は決して笑顔を崩さなかった。

 同じような経験を、すでに上総でしていた。今でこそ心を通わせていた上総の村人たちではあったが、最初はこの集落の者と同じような反応をしていたのだ。だから、尚子は驚かなかったし、話せばわかりあえると信じて疑わない。例えどんな国の者であっても。

 だから、尚子は爽やかな笑みをたたえ、ふわりと馬を下りると、農作業をする一組の夫婦へと近づいていった。

「このあたりの村はここだけなのか?」

 尚子は問う。すると、村人たちが尚子からすっと視線をそらし、農作業を続けだした。答える気がないらしい。めげずに尚子は言う。

「今年の収穫はどうだ?」

「あんたは誰だ?」

 返ってきた声は背後からだった。反射的に尚子が体をひねる。声の主は、浅黒い顔の女性だった。高齢のせいか、腰がひどく曲がっていて、右手には杖らしき木の棒が握られている。尚子は、一瞬、祖国のかの村の老婆を連想した。姿かたちが似ているというわけではない。気迫が、いや、気高さが、というべきか。

常陸(ひたち)か、それとも上総(かずさ)か」

 言葉が出てこない尚子に、再び老婆が問う。その質問に、何か胸がざわめき、それがきっかけとなり尚子の頭が再び回りだす。

「……下総の、平将門の屋敷からきた」

 どうして、ここに常陸や上総が出てくるのだろうと。ここは下総の、小次郎の領地だ。怪訝そうにかすかに顔をしかめながら、尚子は老婆の返事を待った。

「ふん。あのろくでなしの小僧のところか。何用だ。ここには、これっぽっちの米粒ものこっちゃいないよ」

「ちがう、税を取りにきたわけではない!」

 尚子はあわてて否定した。

 この時代、税金は米だ。米を領主に収め、その領主は代わりに他の者からの侵略から守ってやる、という構図になってる。表向きは。

 国の法律により、開拓した土地は自分のものにしてもいい、ということになっていた。これが日本史上でも悪法名高い、墾田永年私財法(こんでんえいねんしざいほう)というものだ。それまで土地はすべて国のものであったが、この法により、開拓地は国の土地ではなく私有地とされて開拓者のものとなった。

 土地の権力者である有力豪族はこぞって開拓を始める。もちろん農民たちも、自分の土地を守り拓くことに躍起になった。だが、豪族同士の争いや盗賊による略奪の絶えない坂東の地では、農民たちは自分の土地を守る手段がない。そこで、弱者である農民たちは、土地の有力者である豪族へ、土地を寄進した。豪族に、土地と自分の命を守ってもらい、安心して農作業をするために、だ。そのために、農作物の一部を護衛賃金として支払う、そのようなものだと考えてほしい。

 が、その結果、寄進した豪族によっては、国の取り立てよりもはるかに厳しい重税が農民たちの肩にのしかかることになる。

 もちろん、将門も、尚子の父である良兼も、そして、源護一族もこの有力豪族にあたる。農民たちを守る義務があり、農民たちは税を豪族に収める義務があり、その代価として税を徴収していた。……はずである。

「ならば、何をしに来たのだ」

「私は先日この国に来たばかりで、このあたりのことが全く分からない。だから教えてもらいたくて来たんだ」

「なんだ、旅人だったのか」

 老婆は勝手に誤解し、表情を和らげた。訂正しようか、どうしようかと迷ったが、取り合えず話をしてくれそうな雰囲気になったので、あえて口をはさまなかった。

「ここから奥にも集落はいくつかあったが、みんな行ってしまったよ」

「行ってしまったって、どこに?」

「常陸のなんとかっていうお偉い方のところさ。先日、このあたりにお使者が来てね、そのお方の所領へ来いと誘いに来たのさ。米と土地をタダでくれるとあって、皆喜んでいっちまったよ。この集落も、見ての通り。わしら家族しか残っておらん」

「常陸……源護か?」

 尚子はぐっと唇をかんだ。強く噛みすぎたのか、血の鉄くさい味が口に広がる。

「そんな名前だったか。忘れたわい」

(あんの狸じじいっ!!)

 尚子は、あの源護ならばやりそうだ、と思った。

「タダで土地と米を貸してくれるといったのか?」

「ああ、言った。ただでさえ、このあたりは痩せた土地だ。今年はあまり収穫がよくなかったらか、なおのことさ。皆、飛びついた」

 米を貸して、その二倍から三倍の米を翌年の収穫時に徴収する。そんな高利貸しのようなことも、豪族はしていた。もちろん、父である良兼も二倍の利息で貸出していたから、それを利息なしで貸すということがどれほど破格なことなのか、よくわかる。

「どうして、そなたは行かなかったのだ?」

「はっ! タダだなんてあるわけがなかろう。収穫の頃には、なんだかんだと上手いこと言って、がっぽりふんだくっていくに決まっている」

「……そうなのか?」

「ああ、土地代だとか、水代だとか、なんだかんだとな。わしには常陸に妹がいて、その汚いやり方を聞いていたのよ。だから、皆を止めた、必死に止めたさ! だが、聞く耳をもつ者はおらんかった」

「そうだったのか……」

「今に、痛い目にあって、ぼろぼろになって逃げかえってくるに違いない。わしはそう踏んでいる」

 ふん、と老婆は鼻を鳴らした。そうなったら、自分が正しかったと皆に頭を下げさせるんだ、と息巻いている。だが、尚子はそんな老婆に苦々しい笑顔しか向けられなかった。



 老婆に感謝の意を伝え、他の村のあった場所を聞いてから、再び馬にまたがった。

 確かにいくつか、村の跡地と放棄された農地を見つけた。

 これは大変なことになっているなんてものではない。完全に、沈没しかけている。沈みかけた船からは、鼠も逃げると言うが、虫すらもどこかへ引っ越してしまったのでなかろうかと思うほど静かだ。

 尚子は半ば呆然としながら馬を走らせ続けた。どこにも希望のかけらを見つけることが出来ぬまま、気がつけば山に隠れ始めた太陽のせいであたりが暗く冷たくなっていた。しかし、尚子の顔は時間を追うごとに影っていき、屋敷に戻ったころには、尚子から笑顔はすっかり消えていた。





 ◇◆




 夕刻。

 将門のところへ知らせが入るや否や、将門は尚子の部屋へと急いだ。その手前の渡り廊下で、両手いっぱいの書物を抱えた女官のあやめと鉢合わせする。書庫から尚子の部屋へ運ぶ途中であったようだ。

「それは?」

「昨年までの米の収穫量を記した帳簿、それに川の水害の記録、それから……」

「尚子が?」

 将門は眉をひそめた。いったい何を始めたのだろうか、突然。

「好立の許可は取ったのか?」

 書庫や帳簿の管理は、好立の管轄である。勝手に持ち出せば、好立がまた拗ねるに違いない。それに、好立が素直に尚子へ情報提供するだろうか、とも思う。

 しかし、事は将門の思惑とは少し違っていた。

「はい。事前に、どんなことでも姫の好きなように、と指示を受けております。それに、かの文屋殿とて、姫に見られて困るような物などありますまい」

 にこりともせずに、淡々とあやめは言ってのけた。いつもこの女官は、感情が読めない。もう少し笑えばいいのに、と思わないでもないが、特に業務し支障があるわけでもないし、そんなことを理由に彼女を嫌ったり、手放すほど将門も馬鹿ではない。彼女は女性にしておくのがもったいないくらい、有能だ。

「それに──」

 あやめが、言うべきかどうか迷っているといったそぶりを、かすかに見せた。将門はすかさず、言葉を促す。

「それに何だ?」

「恐れながら、文屋殿は姫の力を試すおつもりであられると推察いたします」

「ほう──それで?」

 将門は、口端をかすかに上げ、あやめに続けさせる。

「文屋殿ほどのお方ならば、姫様に十分な情報を提供し、正々堂々の勝負を臨まれるかと──申し訳ございません、言葉が過ぎました」

 静かに頭を下げる女官を、将門は軽快に笑い飛ばした。

「はっはっは。良い、良い。しかし、お前がそれほどに好立を買っているとは思わなかったぞ」

 からかうように、にやりと笑いかけたが、女官は眉ひとつ動かす様子もない。

 実は、好立とこの女官ほど、似合いの者はいないのではないかと思い始めていたのだが、何しろ二人ともに、まったく異性に興味を持っている様子がないので困る。無理やりにでも既成事実を作らせてしまおうかとも考えたが、好立をその気にさせることは、この国を日の本一の国にするより難しいに違いない。

「姫様」

 あやめが部屋の中に声をかける。気もそぞろな返事がきたので、あやめと共に将門も、物音を立てまいと、部屋の中へ入り込む。部屋の内部には御簾が降ろされ、御簾越しに見える几帳に人影が写っていた。

「少しお待ちください」

 あやめの囁きに従い、御簾の中へとはいっていくあやめを見送った。しばらくして、将門の存在をしらない尚子が話し始めた。

「そこに置いてくれ」

「かしこまりました」

「このあたりの川の水害は、本当にひどいものなんだな。だから、この国の民たちはみんな沼や川を離れ、高台に住んでいた。でもそうすると、田畑に水を引くのが大変なはずだ。あまり農耕が盛んではなかったんだろうか」

「……私にはわかりかねます」

「どこか交易があったのだろうか。それには名産が必要だ。何かこの国の名産があるのか?」

「……とくには……」

「そうか。では、やはりあの牧が何か重要な役割を果たしているとしか考えられない。つまり、名産は、馬ではないだろうか。軍馬だ。あれだけの数の馬を保有していれば、都にいくらか献上しても、十分お釣りがくる。献上品ほどではなくても、良い軍馬ならば、坂東の豪族も喉から手が出るほど欲しいはずだ」

「姫様……」

 あやめが何とか将門の来訪を伝えようとしているのが、将門には痛いほどわかった。だが、尚子がそれを許さない。次から次へと湧き出る疑問に、自ら抑えようのない探究心をもてあましているようだ。

「…………」

 なぜか、将門は声をかける気にならなかった。

 彼女の笑顔を見にきたというのに。やっと二人で話ができると思ったのに。それでも、尚子の邪魔したくない、そう思ったのだ。だから、極力息を殺し、自分の鼓動さえも聞こえないようにと細心の注意を払って、将門は尚子の部屋をでた。

 外に出ると、冷たい風が将門の頬を撫ぜて行った。だいぶ冬が近づいてきている。この冬を越せるだろうか。やらねばならないことは、山ほどある。

 少し気の緩んでいた自分に、将門は気付かされた。


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  また『活動報告』に作品裏話&次回予告があります。 
 
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