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異世界恋愛【短編】

そのザマァ、本当に必要ですか?


 エーリックは胸が高鳴るのを感じていた。



 ここはグロラッハ侯爵の屋敷――彼の婚約者が住む場所。


 彼の婚約者はこの屋敷の主、グロラッハ侯爵の一人娘ウェルシェ・グロラッハである。


 彼は家令に案内されて、その婚約者の元へと向かっているところだった。



「お嬢様は中庭の四阿(ガゼボ)でお待ちです。こちらの部屋からお通りください」

「ありがとう」



 家令に瀟洒な応接間へと案内されたエーリックは、もうすぐウェルシェに会えると思っただけで胸が熱くなった。


 うるさく鼓動する心臓の音はエーリックに婚約者への恋を自覚させる。



 ――ああ、そうだ……初めて会ったあの日から僕は未だ彼女に恋をしているんだ。



 エーリックがウェルシェと婚約を結んだのは今から二年前、エーリックが十五歳の時であった。


 この婚約の背景は――


 王位を継げないエーリックは婿入りし当主となり、グロラッハ家は彼を受け入れることで向こう三代まで公爵家に陞爵される。


 細かい条件はあるものの、お互いに利のある、そんな契約……つまりは政略結婚であった。


 王族、貴族にはよくある話。


 だから、エーリックが見合いでウェルシェと初めて顔を合わせる直前まで、ただの契約として彼は婚約相手に何の期待も感慨もなかったのだ。



 だが――



「お初にお目もじ(つかまつ)ります。グロラッハ侯爵の娘、ウェルシェでございます」



 エーリックを綺麗な立礼(カーテシー)で出迎えた少女を一目見た瞬間、彼は雷に打たれたような激しい衝撃を受けたのを今でも覚えている。


 幻想的な白銀の髪(シルバーブロンド)と神秘的な翠緑の瞳(エメラルド)、透き通る白い肌にほっそりとした小柄な令嬢は何処までも儚く、触れれば消えてしまいそう。


 美しいだとか、可愛いだとか、そんな言葉で表現できない存在。



 ――妖精だ……妖精の姫が目の前にいる!



 完全なる一目惚れ。


 この時のエーリックに彼女以外の事を考える余裕はなかった。


 もう既に彼はウェルシェに夢中になっていたのだ。



「マルトニア王国第二王子エーリック・マルトニアです」



 それでも胸に手を当て優雅に一礼するのを忘れないのは、さすが彼も王家で鍛えられた王子である。



「貴女のように可憐な姫君と婚約できるのは望外の喜びです」



 今、エーリックの顔から(こぼ)れる微笑みと、口から漏れ出る言葉は全て本物。


 賛辞を向けられたウェルシェは少しだけ頬を染め、それを隠すように手を当てて小首を(かし)げた。



「まあ、エーリック殿下はお世辞がお上手ですのね」

「まごう事なき本心です。僕は国一番の果報者だ」

「私ごときで大袈裟ですわ」

「大袈裟ではありませんよ。貴女の前には美しい花達も恥じ入るでしょう」



 いよいよウェルシェは真っ赤になった。



「ですが、それだけに国中の男達からやっかみを受けないか心配になります」

「ふふふ、殿下ったら」



 エーリックが器用に片目を瞑っ(ウィンクし)て軽口を叩くと、ウェルシェはパッと花が咲くように笑った。



「エーリックです」

「殿下?」

「グロラッハ嬢には名前で……エーリックと呼んで欲しいのです」

「あっ、その……エーリック…様?」



 ウェルシェがもじもじと真っ赤になりながら上目遣いではにかむと、エーリックはグッと胸を押さえた。


 ウェルシェの愛らしさは抱き締めたくなる衝動を掻き立てる。



「では私の事もウェルシェ……と」



 そう言って、自分の言葉に恥ずかしくなったウェルシェは両手で覆って顔を隠してしまった。



 ――絶対ウェルシェと結婚する!



 そう決意した出会いの日から二年……


 今でもエーリックの想いは色褪せていない。


 婚約してからウェルシェとは仲を深めていった。


 だから、想いは……恋心はより燃え上がっているのだ。


 彼は政略など関係なくウェルシェを愛している。


 溺愛と言っていい。



「こちらでございます」

「あ、ああ……ありがとう」



 ウェルシェとの出会いに想いを馳せていたエーリックは家令に掛けられた声で我に返った。


 家令が開けた掃き出し窓から中庭へと出る。


 どうやらウェルシェは庭のガゼボでティータイム中らしい。



 ――なんとも面倒だな。



 屋敷内部を通らず、外から周って中庭へ向かった方が近い。

 だが、お客はいったん応接室に通すのが儀礼となっている。


 こういった馬鹿らしい形式が貴族の世界では重んじられる。


 それが何とも煩わしい。



 ――それでも王家のしきたりに比べれば、まだ気楽さはあるけれど……



 国王になろうものならエーリックは息が詰まって死んでしまいそうだ。


 彼はここマルトニア王国の第二王子である。


 だが、彼の兄である第一王子オーウェンの立太子が決まっており、エーリックには王位など関係ない話のはず(・・)であった。


 王位を継げないから彼はグロラッハ侯爵の一人娘ウェルシェと婚約を結んだのだ。ゆくゆくはグロラッハ家の当主となるはず(・・)だった。


 自分は王家の重責から解放され、可愛い妻と温かな家庭を築く……そのはず(・・)だった。


 そう……全ては『はず』だった。



 ――このままではウェルシェとの婚約が解消に。



 それだけは絶対に嫌だ。



 ――あの考えなしのバカ兄貴のせいで!



 エーリックは自分の兄に心の中で毒づいた。

 実は今、彼は最大の窮地に立たされている。



 ――兄さんがやらかしたせいで……



 国王になるはずだった兄のオーウェンが盛大な失態を犯したのだ。


 それも取り返しのつかない痛恨事を。



 ――何で浮気した挙句に婚約破棄なんてするかなぁ。



 オーウェンの婚約者は自分の強力な後ろ盾であるニルゲ公爵の令嬢イーリヤである。彼女と結婚する事でオーウェンの王位継承が盤石なものになるはずだった。


 それなのに、何処ぞの馬の骨とも知れぬ男爵令嬢に入れあげて、人目も(はば)らず浮気してしまった。



 ――ニルゲ嬢に何の不満があったのやら。



 第一王子オーウェン・マルトニアの婚約者イーリヤ・ニルゲ。


 才色兼備を絵に描いたような令嬢である。



 ――あれ程の女性はいないだろうに。



 艶やかな黒い髪、鋭く光る赤い瞳、生命力と迫力に溢れた絶世の美女。


 気品も所作も他者を圧倒しているが、それだけに留まらない。


 剣を握らせれば騎士科の生徒達を薙ぎ倒し、魔術を使わせれば教師陣を驚かせ、学問においては常に学年トップ。


 しかも、見た目に反して情に厚く好感の持てる人物でもある。


 容姿、才能、人柄、人望、血統……どれを取っても超一流で非の打ち所がない。


 そんな彼女を大衆の面前で、自分の浮気相手を虐めたなどと難癖をつけて婚約破棄を宣言したのだ。


 更に(まず)いのは、オーウェンが浮気相手と側近達を引き連れて、イーリヤを断罪しようとしたことである。


 一人の罪なき令嬢を多数で囲み暴力まで振るおうとした所業は、もはや(かば)いようもなくオーウェンは失脚した。


 そのせいで、国王の座がエーリックに回ってきてしまったのだ……本人は望んでいなかったのに。



 ――だけど、僕も王族である以上は責任から逃れられない。



 だからエーリックは立太子する……ゆくゆくは即位する覚悟はできている。



 ――でも、ウェルシェと別れるのだけは耐えられない。



 ウェルシェはグロラッハ侯爵の至玉である一粒種。


 エーリックが国王になるなら大切な一人娘との婚約解消を求めてくると予想される。


 これからエーリックはウェルシェにその相談をしようとしていた。


 いつもなら、ただただ楽しい婚約者との逢瀬の時間になるはずだったのに……そう思うと先程とは打って変わって、暗澹(あんたん)たる気持ちにエーリックの足が重くなる。



「エーリック様!」



 四阿(ガゼボ)まで暗い感情を引きずっていたエーリックの気分を一気に晴らす鈴を転がすような声。



「ウェルシェ!」



 それは最愛の婚約者のもの。


 居ても立っても居られなくなったウェルシェが四阿(ガゼボ)を飛び出し、エーリックに走り寄ってくる姿が見えた。


 エーリックも喜色を隠さず、満面の笑みでウェルシェに駆け寄りそのまま抱き締めた。



「ウェルシェ、君にずっと会いたかったんだ」

「私もですエーリック様……」



 二人は互いの温度を噛み締めるように確かめ合う。


 しばし愛しの婚約者に包まれて陶酔していたが、ウェルシェはエーリックの胸に埋めていた顔を上げた。



「……ですが、このところエーリック様はお忙しくしてらして、全然お会いできないんですもの」



 私とても寂しかったんです、と愛しい婚約者に少し恨みがましい目で睨まれて、エーリックはむしろデレっとだらしなく相好(そうごう)を崩し悶えてしまった。


 上目遣いでのうえ恨み言がいじらしく、ウェルシェのあまりの可愛さに心臓を射抜かれてしまったのだ。



「ごめんよウェルシェ……僕も寂しかったけど、城内がごたごたしていて時間が取れなかったんだ」



 これは事実である。


 オーウェンの婚約破棄は高位貴族の子息である側近達も巻き込んでおり、騒動の波紋があちらこちらに飛び火したのだ。


 実はエーリックも事情聴取を受けていた。


 それと言うのもオーウェンの浮気相手である男爵令嬢アイリス・カオロが、見目の良い貴族子弟に馴れ馴れしく絡むとんでもない女で、エーリックも学園で幾度となく声を掛けられたからだ。


 しかも、オーウェンはイーリヤを断罪する際にエーリックにも協力を求めてきた。


 もちろんエーリックは断ったし、馬鹿な真似は止めるように忠告もした。


 しかし、オーウェンやアイリスと話しているのを大勢の者に目撃されていたエーリックにも嫌疑がかかったのである。



 ――僕は無関係だって何度も言っているのに!



 この尋問で拘束されていた彼は婚約者に会いたくとも会えなかったのである。



「ふふっ、冗談です」



 困り顔のエーリックに悪戯っぽく笑う可愛いさと、「分かっております」と事情を汲んでくれるウェルシェの優しさにエーリックは何度も恋に落ちるのだ。



「好きだよウェルシェ」



 ふわりと穏やかな風が二人を包み、薔薇の花びらがひらりと舞う。



「私もエーリック様を誰よりもお慕い申しております」



 二人の視線がしっとりと絡み合い、その距離はゆっくりと近づく。



 ウェルシェの熱い吐息を感じ、エーリックの理性は限界を迎え……



「こほん、こほん!」



 ……咳払いで我に返った。



「殿下もお嬢様も弁えてください」

「す、すまない」

「カミラ!」



 ウェルシェの専属侍女カミラにじっとりとした非難の目で見られているのに気がついて、二人は赤くなって慌てて離れた。



「お茶のご用意をしておりますので四阿(ガゼボ)の方へお越しください」



 態度は(うやうや)しいのだが、無表情で声も無機質なカミラは美人なだけに少々怖い。


 エーリックは苦手とする侍女を不機嫌にさせまいと素直に従って四阿へと足を向けた。



「さあ、ウェルシェ、手を」

「ありがとうございます」



 もちろん彼はウェルシェと並んで手を取るのは忘れないが。これはエスコートだからカミラも一瞥しながらも何も抗議はしない。



「ウォルリントの茶葉が手に入ったのです……エーリック様、お好きでしたわよね?」

「ああ、よく覚えていたね」

「エーリック様の事ですもの」



 ウェルシェと仲睦まじく会話をしながら席に着けば、カミラが綺麗な所作でお茶と菓子をエーリックとウェルシェの前に配置していく。


 カミラに一言ありがとうと礼を述べたエーリックがティーカップを持ち上げれば、ふわりと花の香りが彼の鼻腔をくすぐった。



「ウォルリントは薔薇のような香りがして何だかほっとするね」

「薔薇の香りは気持ちをリラックスさせてくれるんですのよ」



 しばし二人はお茶を楽しみながら他愛もない話題で談笑していたが、ウェルシェの方が「そう言えば」とエーリックが避けていた話題に触れた。



「先程なにやら城内がごたついていたと仰っておられましたが?」

「あ、ああ、ちょっと……ね」



 元々エーリックはそれについて話し合いに来たのだが、やはり気が重くなかなか切り出せなかった。


 だが、いつまでも避けては通れない。



「実は……兄上の廃嫡が決まったんだ」

「まあ!」



 ウェルシェは口に手を当てて目を大きく見開いた。



「どうして、そのような仔細に?」

「ウェルシェも兄上の浮気の事は知っているだろう?」

「ええ、確かお相手はアイリス・カオロ男爵令嬢だとか……」



 アイリスはエーリックやイーリヤと同じ学年であり、一つ下のウェルシェは本来なら関わる機会はあまりないのだが、彼女は何かと問題を起こす学園の問題児で有名である。



「ご自分を『ヒロイン』と称し、イーリヤ様を『悪役令嬢』だとか(なじ)る、意味の分からない言動の多いご令嬢ですわね」

「ああ、他にも高位貴族の子息に近づいて媚を売っては、彼らの婚約者達を(いわ)れなき理由で非難する(いさか)いの絶えない人物さ」



 彼女の槍玉の筆頭が第一王子オーウェンの婚約者イーリヤ・ニルゲ公爵令嬢だった。



「彼女は日頃からニルゲ嬢から虐めを受けていたと口撃を加えていてね……」



 教科書を破かれただの、除け者にされただの、身分を笠に着て馬鹿にされただの、下らない言い掛かりを将来の王太子妃につけていたのだ。



「イーリヤ様が、そのような愚かな真似をするはずありませんのに」

「そうだね。それにもしニルゲ嬢が本当にカオロ嬢を排除しようとするなら、もっと上手い手段を講じるだろうしね」

「ええ、彼女の話をまともに取り合われる貴族はいないでしょう」

「ところが、取り上げた者がいたんだ」

「まさかオーウェン殿下が?」



 エーリックは苦々しく頷いた。



「それどころか兄上の側近達まで一緒になってね」



 一人の令嬢に将来国を背負って立つ有力な貴族子弟が熱を上げるなど嘆かわしい。そう思うと同時に、アイリスに対してエーリックは不気味なものを感じていた。



「そして、カオロ嬢が階段から突き落とされる事件が起きて、その犯人をニルゲ嬢だと兄上達が糾弾したんだ」

「何と愚かしい真似を」

「ああ、愚かな兄上達だ。証拠など何も無いし、実際ニルゲ嬢がそのような振る舞いをするわけもない」



 更に、オーウェンは大勢の貴族子女の前でイーリヤに婚約破棄を宣言し、多数で囲んで断罪だ国外追放だと騒ぎ立てたのである。



「それでイーリヤ様はご無事でしたの?」

「そこは大丈夫だ」



 イーリヤは剣も魔術も学園で敵無しの武闘派令嬢だった。

 襲いくるオーウェン達を軽く一蹴してしまったのである。



「それはそれで頭を抱えたくなる状況ですわね」

「まったくだ」



 この事件は当然ながら大問題となり、オーウェンと側近達、そしてアイリスの身柄は拘束された。



「それでオーウェン殿下が廃嫡に……」

「その代わりに僕が立太子するってわけさ」

「それは……おめでとうございます……と申し上げて宜しいのでしょうか?」

「宜しくはないねぇ」



 さて、ここからが本題だと、エーリックは居住まいを正した。



「ここからが本題なんだけど、僕が王太子になるに当たり君との婚約が白紙になるかもしれないんだ」

「そんな!」



 最愛の婚約者の残酷な宣告に、ウェルシェの顔がさあっと血の気を失う。



「エーリック様は私をお嫌いになられたのですか!?」



 ウェルシェが両手で顔を覆ってさめざめと泣くので、エーリックは大いに慌てた。



「そ、そんなわけないよ! 僕がウェルシェを嫌いになるはずがないじゃないか!」

「本当ですの?」

「ああ、誓って」

「では、どうして婚約を解消するなど酷い事を仰るのです?」

「それは……君がグロラッハ侯爵の大事な一人娘だからさ」



 この婚約は王家から出なければならないエーリックと、娘のみで後継がいないグロラッハ侯爵の利害が一致した政略性の強いものである。


 だが、エーリックが王位を継ぐとなるとグロラッハ家の当主とは成れなくなる。


 それに、一人娘を王家に差し出せばグロラッハ家は跡継ぎを失くしてしまうのだ。当然、グロラッハ侯爵は、エーリックとウェルシェの婚約を認めはしないだろう。



「僕が国王となるならば君との結婚は難しくなる」



 エーリックはウェルシェと結ばれたい。

 だが、王族の血がそれを許さないのだ。



 ――それもこれも全ては兄上が悪い!



 胸の内で再びオーウェンに呪詛と強い殺意が湧き上がる。



「何だそんな事でしたの。それなら問題ありませんわ」

「えっ、ホント!?」



 だが、エーリックの苦悩を当のウェルシェは事もなげにばっさり斬り捨てた。


 驚きのあまりエーリックは不作法にもガタッと音を立てて椅子から立ち上がった。


 その時、彼はテーブルを勢いよく両手で突いてしまった。その拍子にお茶が溢れてクロスに染みが出来て侍女(カミラ)の眉が僅かに吊り上がった。


 だが、エーリックはそれに気づく余裕がない。



「本当です」

「だけど、君には兄弟はいないじゃないか。家督の問題はどうするんだ?」

「お父様がお気に入りのとても優秀な再従姉弟(はとこ)がおります。彼を養子として迎えれば良いのです」



 聞けば元々その再従姉弟を後継にするつもりであったらしい。


 エーリックとの婚約と陞爵の話がなければ今頃はウェルシェに義弟が出来ていたのだとか。



「何だ……僕の杞憂だったのか」



 エーリックは脱力して椅子に崩れ落ち、その様子にウェルシェがくすくすと笑う。



「それよりも私はエーリック様に誰ぞ好きな方でもできたのかと不安になりましたわ」

「あり得ないよ!」

「本当ですの? アイリス様にも言い寄られていたと聞いておりますが」

「それこそまさかさ。僕はウェルシェ一筋なんだよ」

「うふふふ、冗談です」



 悪戯っぽく笑って信じておりますと告げられたエーリックは、可愛い婚約者に手玉に取られているなと苦笑いした。



「ですが、少し不安もあるのです」

「不安?」

「私のような者に果たして王妃が務まるのか……」



 王になるエーリックに嫁ぐならば当然ウェルシェは将来の王妃である。


 王妃には重責が課せられるし、何より宮中では権謀術数を武器に戦わねばならない。


 エーリックから見て(・・・・・・・・・)ウェルシェは優しくおっとりした娘である。この人の好い婚約者が策略を巡らせ腹黒い貴族達と権力争いが出来るとはとても思えない。



「安心して。僕が必ず君を守るから」

「エーリック様……嬉しい」



 エーリックの宣言にウェルシェは喜び頬を染める。



 ――ウェルシェは僕が守らなきゃ!



 婚約者の可愛い姿にエーリックはそう強く決意した――





 ――エーリックを見送ったウェルシェは、再び四阿(ガゼボ)でカミラから淹れてもらったお茶を楽しみ始めた。



「これでエーリック様も少しはしっかりしてくださるでしょう」

「エーリック殿下は少し頼りのうございましたから」



 口調が崩れた主人に驚く風もなく、カミラはしれっと同意した。



「ですが、ホントお嬢様の猫被りには、いつも感心するやら呆れるやら」



 エーリックの前で天然の振りをするウェルシェを見せつけられる度に、カミラはいつも吹き出しそうになる。


 それを堪えるのに必死で仏頂面になっており、エーリックからは苦手意識を持たれていた。



「だってエーリック様は(しと)やかな子が好きでしょ?」

「まあ、あの方はお嬢様に幻想を抱かれていますから」



 こうやって婚約者(エーリック)を手の平で転がしているのかと、カミラは我が主人ながら腹黒いと感心した。



「ところで当主に再従姉弟(はとこ)殿が座っても宜しかったのですか?」

「あら、だってそうしないとエーリック様と結婚出来ないじゃない」

「えっ!?」



 エーリックとの甘々な雰囲気は、てっきり政略結婚を円滑に進める為の演技と思っていたカミラは驚きである。



「殿下に本気で懸想(けそう)しておられたのですか!?」

「懸想って……言い方が嫌ね」



 あの純粋培養されたような頼りない男に、猫被りの腹黒令嬢であるウェルシェが真剣に想いを寄せているなど信じ難い。



「わ、私どうやら熱があるようです……それともこれは悪夢?」

「私がエーリック様をお慕いしたらおかしい?」

「だって、お嬢様ですよ。周囲の者を騙して出し抜くのに生き甲斐を感じる、あの愉快犯のお嬢様ですよ?」

「失礼ね!」



 あわあわするカミラに苦笑するウェルシェ。



「私だって普通に恋する乙女よ!」

「お嬢様に一番似合わない言葉ですね」

「あなた私の専属侍女で、私があなたの主人よね!?」

「はい、私はお嬢様が小さな時から大人達を翻弄して楽しんできたのを側で見てきた侍女にございます」



 主人の言及に平然と(うそぶ)くカミラに、参ったとウェルシェは両手を挙げた。



「それでも私のエーリック様への恋心は本物なの……あの方を立派な王にしたいと思う程には」

「だから先程は発破をかけられたのですね」

「グロラッハ家の当主くらいなら私が陰で支えれば問題はないけど、国主となれば難しいもの」

「アイリス様とイーリヤ様の件が上手く仲裁出来たら良かったのですが」

「あの二人には話し合いの場を(もう)けてあげたのに……」



 ふぅっとウェルシェが呆れたように息を吐く。



「まったく……ザマァだか何だか知らないけど、同じ『転生者』ってなら仲良く出来なかったのかしら」



 こっちはいい迷惑だわと不貞腐れたウェルシェの態度にカミラは小首を(かし)げた。



「お嬢様はお二人がされた話を信じていたのですか?」

「この世界が『乙女ゲーム』ってやつ?」

「あまりに荒唐無稽で……リアリストのお嬢様が信じるとは思えませんでした」

「まあ、アイリス様だけなら一笑に付したでしょうね」



 確かにイーリヤ様からも同じ話を聞かされたなとカミラは会談の内容を思い出して頷いた。


 あの場でアイリスは自分は『ヒロイン』だの一点張りで、イーリヤはただザマァから逃げる事しか考えていなかった。



「その『ザマァ』というのはホントに必要だったのかしら?」

「さあ、私には分かりかねます」



 二人は『ザマァ』なるイベントらしきものに固執していた。


 そのせいで、せっかく互いの利害を一致させて丸く収めようとしたウェルシェの努力が全て水泡に帰したのだ。



「それにしてもオーウェン殿下には困ったものね。殿下が理性的に振る舞いアイリス様を遠ざければ、最初から問題にならなかったのに」

「ですが、『乙女ゲーム』の話を信じるのなら、『攻略対象』は魅了されていたのでは?」

「それはどうかしら」

「違うのですか?」



 アイリスは自分が『ヒロイン』だから『攻略対象』は自分を愛するのだと豪語していた。



「エーリック様も攻略対象だけど魅了されなかったでしょう?」

「えっ!? エーリック殿下も攻略対象だったのですか?」



 驚くカミラに、あっと口を押さえたウェルシェの目が盛大に泳ぐ。



「ほ、ほら、イーリヤ様が仰っていたじゃない」

「そうでしたか?」



 カミラは記憶を探ったが、どうにも聞いた覚えがない。



「それよりアイリス様はどうなったのかしら?」

「やはり処刑は免れなかったようです」



 何とも苦しい話題の切り替えだとは思ったが、カミラは特に追求しなかった。



「仕方がないわね。仲裁に応じてくれれば、それなりの幸福は得られたでしょうに」

「イーリヤ様は家を勘当されたようです」

「あの方も大概ぶっ飛んでいたわねぇ」

「ええ、ザマァ回避に剣と魔術を極め、商売にまで手を出したのだとか」



 まあ、あの真っ直ぐな気性の令嬢では、王妃どころか貴族の世界で生きていくのも辛いだろうなとカミラは思った。



「商売もかなり軌道に乗っているご様子です。イーリヤ様には勘当された方が良かったようですね」

「イーリヤ様の天職だったのね」

「お嬢様もイーリヤ様と結託して、投機されて利益を得ているじゃありませんか」

「私も王妃じゃなくて、そっちの方に進みたかったなぁ」



 王妃なんて堅っ苦しくてやりたくないんだけど、と愚痴を口にした主人に専属侍女はじっとりとした目を向けていた。



 その目は語る――それこそ王妃は腹黒お嬢様の天職ではありませんかと……


本作の続編「あなたのお嫁さんになりたいです!」連載スタート!

腹黒令嬢ウェルシェと純情王子エーリックの馴れ初めストーリーです(*´ω`*)

本作の過去編になりますが合わせてお読みいただけると嬉しいです(∩´∀`)∩

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下のリンクは本作の続編です

「あなたのお嫁さんになりたいです!」

本作ウェルシェとエーリックが婚約した過去のお話です
― 新着の感想 ―
[一言] いやもう、最後の最後で衝撃ですわ!! というかウェルシェ嬢……君もまさか(;゜Д゜)
[一言] 面白かったので、腹黒ウェルシュと忠犬エーリックもっと読みたいです。
[良い点] 面白かったです! 本当に三者三様ですね! 物事は人物の視点が違うと違う面がみえて面白いですね…!
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