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さあ、一生懸命がんばろう


 ヒーローは嫌いだ。

 大嫌いだ。憎悪している。

 太陽が憧れたヒーローは、太陽を助けてくれなかった。ソラが目指したヒーローは、ソラを助けてくれなかった。だから私は、ヒーローが嫌いだ。


 平和な世界は自分たちが守る、だとか。助けを呼べば必ず行く、だとか。そんな薄っぺらい言葉を聞くだけで反吐が出る。

 お前たちが守った平和な世界には、太陽もソラもいないじゃないか。


 この世界には闇しかない。空は分厚い雲で覆い尽くされて、太陽なんてどこにもない。こんなものが平和な世界だって言うのなら、一体何の価値があるのだろう。


 私にはわからない。ヒーローがなんなのか。あいつらが一体何のために戦っていて、何を守っているのか。ヒーローが掲げる理想とは何なのか、ヒーローが守った平和な世界とは何なのか。


 あの頃の私はわかっていたはずなのに、今はわからなくなってしまった。

 それでも。


 ――ヒーローになろう。


 声は言う。ヒーローになろうと。

 昔のことを思い出す。いつも私の手を握ってくれていた彼は、どうしてヒーローに憧れていたんだろう。ぶっきらぼうながらも側にいてくれた彼女は、どうしてヒーローを目指していたんだろう。あの二人は、ヒーローに一体何を夢見ていたんだろう。


 わからない。憧れも、理想も、私にはないものだ。ここにあるのは空虚な心と、ヒーローへの嫌悪感だけ。

 それなのに。


 ――ヒーローになろう。


 繰り返し、繰り返し、声は言う。ヒーローになろう、と。そうするのが正解なのだと。

 声が言うことは絶対だ。それに逆らってはいけない。ほんの少しでも声に逆らえば、とても嫌なことが起きる。


 だから私は。ヒーローが何なのか、これっぽっちもわからなくとも。

 死にものぐるいで、ヒーローを目指した。


「つみき、今日も行くの?」


 母という名で呼んでいる誰かが、心配そうに私を見ていた。

 退院した後も、この人は私のことが心配で仕方ないらしい。私がどこで何をしているか、いつもいつも気にしている。

 昔は通っていたパートもやめてしまって、心労からか顔にはシワが増えるばかりだ。


「うん。行ってきます、お母さん」

「あのね、つみき。無理しなくていいからね。ゆっくりでいいんだよ、ゆっくりで」

「大丈夫」


 口ではそう答えつつも、頭の中では別のことを考えていた。

 ゆっくりでいいわけがない。時間は限られている。ヒーローになるために、できることは全てやらなければならない。


 どうすればヒーローになれるか、声は全部教えてくれる。それに従わないという選択肢はない。今日だってやらなければいけないことが山ほどあるのだ、こうして話している時間も惜しかった。


「まあまあ、いいじゃないか。せっかくつみきも元気になってくれたことだし」


 今度は、父という名で呼んでいる誰かがあらわれた。


「つみきがそうしたいのなら、父さんたちも応援する。だけど、無理して倒れるようなことはしてはいけない。わかるね?」

「うん。わかってる」

「ならよし」


 父は私の頭を優しく撫でた。

 手。父の、手。それが頭に触れている。


「……お父さん。それ、やめて」

「あ、ああ……。すまない」


 手は嫌いだ。他人の手が私に向けられているのを見ると、とても嫌なことを思い出す。

 太陽もソラもいないこの世界は、寒くて寒くて仕方ない。だけど私は、もう二度と、誰かと手をつなぎたいとは思わなかった。


「なあ、つみき……」


 父はしゃがみこんで、私と目線をあわせた。

 厳しくも、優しい瞳。大好きだった父の目。今もそこにあるはずなのに、空っぽになった私の目には、ひどく懐かしいもののように思えてしまう。


「……復讐、なのか」


 父は小さな声で聞く。母は、はっと息を呑んだ。

 復讐。復讐か。そんなこと、考えたこともなかった。だけど、もしも私が復讐を望むのなら、絞めるべきはこの首だろう。

 太陽とソラを殺してしまった、薄汚いこの首を。


「違うよ。私は、ヒーローにならないといけないんだ」


 この夢に、憧れはない。

 この夢に、理想はない。


 私の心にあるのは、“声”が命じたままに動かなければならないという強迫観念だけ。

 それ以外のものは、もう何も残っていなかった。



 *****



 声が命じたトレーニングは、とても過酷なものだった。


 両親の手前ああいったが、無理も無茶も嫌というほど積み重ねた。気を失って倒れたことも一度や二度ではない。気絶しているところを見つかって何度か怒られるうちに、私は隠れて気を失う方法を覚えた。


 以前の私なら、気が狂いそうになるほどの過酷な負荷をかけ続ける日々。だけど逃げだそうとはしなかった。声がそうしろと命じた以上、私にはそれをする以外の選択肢はない。


 不思議なことに、辛いともあまり思わなかった。

 それは、私がもっと辛いことを知ってしまったからか。

 あるいは、そんなことを感じる心も壊れてしまったからか。

 どちらでもいい。それは、私にとって大事なことではない。


 体を作る一方で、勉学にも励んだ。ヒーローになるには教養も必要だ。

 正直、こっちについてはどうとでもなる。元々勉強は苦手ではなかった。強迫めいた目的意識が備わった今、この程度は障害の内にも入らない。


 最後に、ヒーローに求められる最も重要な素質。道徳心。

 残念ながら、私の中にそんなものはない。私の胸は空っぽだ。誰かを助けましょうだとか、良いことをしましょうだとか。そんなことを思うような機能はもう失われてしまった。


 これに力を貸してくれたのは、太陽とソラ。それから、私の“声”だった。

 私が殺してしまった二人の友人は、何の因果か二人揃ってヒーローを目指していた。確かに彼らはヒーローに向いていると思った覚えもある。だから、そんな彼らの言動を真似すれば、表面をとりつくろうことは簡単だ。


 それに。いざという時には、私には“声”がある。質問になんて答えるのが正解か、ちゃんと教えてくれる。道徳なんてわからないけれど、試験という形式で確認してくれるのなら、いくらでもごまかせるだろう。


 いつの間にか私は小学校を卒業していて、身分的には中学生になっていだ。だけど、学校なんて一度も行くことはなく、私は淡々とトレーニングに励み続けた。


 すべてはヒーローになるため。

 すべてはヒーローになるため。

 それ以外は、なにもいらない。


 そうして月日はすぎていく。胸に空いた穴は塞がらないまま、体だけが強くなって。憧れも理想もないけれど、ヒーローになろうという声はこの胸を蝕んで。


 やがて、ヒーローになる一歩目を踏み出す日がやってきた。

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