表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/26

夜永つみきの地獄のはじまり


 死のうと思った。

 夜永つみきは死のうと思った。

 これ以上生きている理由はない。だから私は、死のうと思った。


 だけど。魚の怪人は、ダクトの中にいる私には見向きもせずにどこかに行ってしまい。

 ――しばらくして、さんざん遅れてやってきたヒーローに、私は助け出されてしまった。



 *****



 篝火ソラの葬式は、それはひどいものだった、らしい。

 彼女の体は怪人にまるごと食べられてしまった。残っていたのは、私が握り続けていた片手だけ。遺体とするにはあまりにも寂しすぎる。


 大きなデパートの中で起きた、大規模な怪人の襲撃だ。少女の凄惨な死というセンセーショナルな話題もあいまって、ソラの近辺には至るところにマスコミが張り付いていた。

 そして、その余波は私のほうにも来ていたようだ。私は、彼女の死をもっとも間近で、いや、この手の中で感じていた人間だ。どこから嗅ぎつけたのか、知らない大人たちがかわるがわる現れては、同情を装って私から一言を引き出そうとしていた。


 すべて、私には関係のない世界のことのように思えた。


 伝聞なのは、それらのことを自分とは切り離していたからだ。

 私はソラの葬式に出られなかった。それどころか、警察の事情聴取すら満足にできていない。体も、心も、何一つ満足には動かなかったから。


 壊れてしまった人間未満。それが、今の私だ。


 立ち直れないのではない。立ち直りたくなかった。もう目を開けたくないし、何も聞きたくない。頭を使ってものを考えるのはひどく億劫だ。何もしたくないし、これ以上何も望みたくない。

 今の私が願うことなんて一つだけ。

 生きたくない。生きていたくない。生きようとする意思が、この胸からぽっかりと抜け落ちてしまっている。目を閉じるたびに、このまま二度と目が覚めなければどんなにいいかと、何度も何度も願い続けた。


「死なせてください」


 ある時、私は呟いた。病室にいた誰かが何かを取り落した。


「死なせてください」


 誰かが私をだきすくめた。ひどく懐かしく、優しい匂い。覚えはあったけれど、それが誰かはわからなかった。


「死なせてください」


 病室で誰かが泣いている。どうしてだろう。わかる気もしたけれど、考えたくなかった。


「死なせてください」


 誰かが私の頬を張る。厳しくも優しい、懐かしい匂い。私が大好きだった、誰かの匂い。

 これは一体誰だろう。わからなかった。


「死なせてください……。お願いします、死なせて、ください……」


 わからない。もう、何もわかりたくない。

 力が抜け落ちてしまったこの体で、私は、一日でも早く死が訪れることだけを願い続けた。



 *****



 地獄の底を這い回りながら、私は、ばらばらになった自分を拾い集めた。

 集まってしまった、と言うべきだ。私は、自分を取り戻したいなんてこれっぽっちも思わなかった。だけど、私に残った数少ない人間としての機能は、なんとかして生きようとしているらしい。


 自分が戻ってくると、私の頭は少しずつ動き始める。考えるのはあの日のこと。私の手の中で死んでしまった、ソラという少女のことだ。


 私は、あの時も失敗した。


 後悔することはいくらでもある。もしも私に力があれば、ソラを引き上げることもできた。いや、そもそもソラを先に行かせるべきだったんだ。それなら彼女の足が痛んでも、無理やり跳ね上げられたのかも。それよりも前に、壁に張り付こうとちゃんと伝えられていれば、ソラが足を怪我することもなかった。


 そうすれば。私が、そうしていれば。

 助けられたのに。


 太陽の時と同じだ。私は、彼女を助けられた。なのに私は、そうしなかった。

 私がソラを殺したんだ。


 何かが叫んでいた。ものすごい声で叫んでいた。耳に障る悲痛な声。なんだろう。誰がそんなに叫んでいるんだろう。

 声は謝っていた。ずっと、ずっと謝っていた。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。助けられなくてごめんなさい。何もできなくてごめんなさい。だからもう、死なせてください。お願いします、お願いします、お願いします。そんなことを壊れたスピーカーのように繰り返し続ける。


 しばらくして、その声は私の喉から出ていることに気がついた。


 すぐに大人たちがあらわれて、私の体を取り押さえる。何かの薬剤が投与されて、体は一度びくりと跳ねて、それで、静かになった。


 それは自分の体のことだと言うのに、まるで遠い世界の出来事のような気持ちで見ていた。心と体がちぐはぐだ。体が悲鳴を上げる様子を、私の心は冷たく見下ろしている。

 そして、もう一度唱えた。


 太陽を殺したのは私だ。


 私の体がびくりと跳ねる。


 ソラを殺したのは私だ。


 取り押さえられながら、暴れようと手足をもがく。


 二人を殺したのは私だ。


 投与された薬剤が筋肉を弛緩させ、徐々に体が動かなくなる。


 私だ。私が、殺したんだ。


 大人たちの手で拘束具が取り付けられる。身動き一つ取れなくなって、私はただ涙を流し続けた。

 そんな資格なんて、一つもないのに。


 体は言うことを聞かないけれど、心はずっと考えていた。

 どうすればソラを助けられたのか。あの時私はどうすればよかったのか。緩慢な心と頭で考え続けて、一つの答えに行き着いた。


 私が、“声”に従わなかったのが悪いんだ。


 私の声は、その場における正解を教えてくれる能力だ。私がそれにちゃんと従っていれば、こんなことにはならなかった。

 私は自分の声を甘く見ていた。最初に声が聞こえた時点で、躊躇なくエスカレーターを逆走して上に逃げなければいけなかったのだ。私がそれをできなかったせいで、状況はどんどん悪化していった。


 “声”は絶対だ。これに逆らってはいけない。声が言ったことは、なんとしてでも叶えなければならない。そうしなければ。私は、何があっても絶対にそうしなければいけない。


 どうすればいいんだろう、と声に聞く。私はこれからどうすればいいのか。生きればいいのか、死ねばいいのか。償えばいいのか、忘れればいいのか。なんにもなくなってしまった空虚な心で、指針を求めて自分の声に身を委ねる。


 教えてほしい。どうすればいい。夜永つみきは、これから何をすればいい。


 ――ヒーローになろう。


 声は。

 とても簡単に、最悪の正解を教えてくれた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ