夜永つみきの地獄のはじまり
死のうと思った。
夜永つみきは死のうと思った。
これ以上生きている理由はない。だから私は、死のうと思った。
だけど。魚の怪人は、ダクトの中にいる私には見向きもせずにどこかに行ってしまい。
――しばらくして、さんざん遅れてやってきたヒーローに、私は助け出されてしまった。
*****
篝火ソラの葬式は、それはひどいものだった、らしい。
彼女の体は怪人にまるごと食べられてしまった。残っていたのは、私が握り続けていた片手だけ。遺体とするにはあまりにも寂しすぎる。
大きなデパートの中で起きた、大規模な怪人の襲撃だ。少女の凄惨な死というセンセーショナルな話題もあいまって、ソラの近辺には至るところにマスコミが張り付いていた。
そして、その余波は私のほうにも来ていたようだ。私は、彼女の死をもっとも間近で、いや、この手の中で感じていた人間だ。どこから嗅ぎつけたのか、知らない大人たちがかわるがわる現れては、同情を装って私から一言を引き出そうとしていた。
すべて、私には関係のない世界のことのように思えた。
伝聞なのは、それらのことを自分とは切り離していたからだ。
私はソラの葬式に出られなかった。それどころか、警察の事情聴取すら満足にできていない。体も、心も、何一つ満足には動かなかったから。
壊れてしまった人間未満。それが、今の私だ。
立ち直れないのではない。立ち直りたくなかった。もう目を開けたくないし、何も聞きたくない。頭を使ってものを考えるのはひどく億劫だ。何もしたくないし、これ以上何も望みたくない。
今の私が願うことなんて一つだけ。
生きたくない。生きていたくない。生きようとする意思が、この胸からぽっかりと抜け落ちてしまっている。目を閉じるたびに、このまま二度と目が覚めなければどんなにいいかと、何度も何度も願い続けた。
「死なせてください」
ある時、私は呟いた。病室にいた誰かが何かを取り落した。
「死なせてください」
誰かが私をだきすくめた。ひどく懐かしく、優しい匂い。覚えはあったけれど、それが誰かはわからなかった。
「死なせてください」
病室で誰かが泣いている。どうしてだろう。わかる気もしたけれど、考えたくなかった。
「死なせてください」
誰かが私の頬を張る。厳しくも優しい、懐かしい匂い。私が大好きだった、誰かの匂い。
これは一体誰だろう。わからなかった。
「死なせてください……。お願いします、死なせて、ください……」
わからない。もう、何もわかりたくない。
力が抜け落ちてしまったこの体で、私は、一日でも早く死が訪れることだけを願い続けた。
*****
地獄の底を這い回りながら、私は、ばらばらになった自分を拾い集めた。
集まってしまった、と言うべきだ。私は、自分を取り戻したいなんてこれっぽっちも思わなかった。だけど、私に残った数少ない人間としての機能は、なんとかして生きようとしているらしい。
自分が戻ってくると、私の頭は少しずつ動き始める。考えるのはあの日のこと。私の手の中で死んでしまった、ソラという少女のことだ。
私は、あの時も失敗した。
後悔することはいくらでもある。もしも私に力があれば、ソラを引き上げることもできた。いや、そもそもソラを先に行かせるべきだったんだ。それなら彼女の足が痛んでも、無理やり跳ね上げられたのかも。それよりも前に、壁に張り付こうとちゃんと伝えられていれば、ソラが足を怪我することもなかった。
そうすれば。私が、そうしていれば。
助けられたのに。
太陽の時と同じだ。私は、彼女を助けられた。なのに私は、そうしなかった。
私がソラを殺したんだ。
何かが叫んでいた。ものすごい声で叫んでいた。耳に障る悲痛な声。なんだろう。誰がそんなに叫んでいるんだろう。
声は謝っていた。ずっと、ずっと謝っていた。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。助けられなくてごめんなさい。何もできなくてごめんなさい。だからもう、死なせてください。お願いします、お願いします、お願いします。そんなことを壊れたスピーカーのように繰り返し続ける。
しばらくして、その声は私の喉から出ていることに気がついた。
すぐに大人たちがあらわれて、私の体を取り押さえる。何かの薬剤が投与されて、体は一度びくりと跳ねて、それで、静かになった。
それは自分の体のことだと言うのに、まるで遠い世界の出来事のような気持ちで見ていた。心と体がちぐはぐだ。体が悲鳴を上げる様子を、私の心は冷たく見下ろしている。
そして、もう一度唱えた。
太陽を殺したのは私だ。
私の体がびくりと跳ねる。
ソラを殺したのは私だ。
取り押さえられながら、暴れようと手足をもがく。
二人を殺したのは私だ。
投与された薬剤が筋肉を弛緩させ、徐々に体が動かなくなる。
私だ。私が、殺したんだ。
大人たちの手で拘束具が取り付けられる。身動き一つ取れなくなって、私はただ涙を流し続けた。
そんな資格なんて、一つもないのに。
体は言うことを聞かないけれど、心はずっと考えていた。
どうすればソラを助けられたのか。あの時私はどうすればよかったのか。緩慢な心と頭で考え続けて、一つの答えに行き着いた。
私が、“声”に従わなかったのが悪いんだ。
私の声は、その場における正解を教えてくれる能力だ。私がそれにちゃんと従っていれば、こんなことにはならなかった。
私は自分の声を甘く見ていた。最初に声が聞こえた時点で、躊躇なくエスカレーターを逆走して上に逃げなければいけなかったのだ。私がそれをできなかったせいで、状況はどんどん悪化していった。
“声”は絶対だ。これに逆らってはいけない。声が言ったことは、なんとしてでも叶えなければならない。そうしなければ。私は、何があっても絶対にそうしなければいけない。
どうすればいいんだろう、と声に聞く。私はこれからどうすればいいのか。生きればいいのか、死ねばいいのか。償えばいいのか、忘れればいいのか。なんにもなくなってしまった空虚な心で、指針を求めて自分の声に身を委ねる。
教えてほしい。どうすればいい。夜永つみきは、これから何をすればいい。
――ヒーローになろう。
声は。
とても簡単に、最悪の正解を教えてくれた。