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掲げられた火は、ふつりと消えた


 二人で女子トイレの個室に隠れて、息を潜めた。

 それ以来“声”の指示はない。ひとまず、これでいいのだろう。とりあえず一息はつける。


「ソラ……。足、見せて」


 彼女を便座に座らせて、私は彼女の靴を脱がせた。

 細かったソラの足は、倍くらいに腫れ上がってしまっていた。これ以上歩くのは難しそうだ。

 私の力で背負えるだろうか。ソラの体は私より大きいけれど、頑張れば。


 ――ここでじっとしていよう。


 動かないのが得策、か。声がそう言うならそうなんだろう。私はおとなしく従った。


「大丈夫だ。そんな顔すんな、つみき。なんとかなる」

「でも……」

「あたしの足のことはいい。それより、どういうことなんだ」


 説明しろ、と彼女の目が問う。私だってわからない。だけど、説明できることはあった。


「聞いて、ソラ。私の能力のことなんだけど――」


 私は自分の能力を説明した。私がやるべきことを教えてくれる、“声”が聞こえる能力のこと。その能力を使って、状況はわからないけれど、とにかく逃げたほうがいいと判断したこと。


「そういうことか。じゃあ、お前にも何が起きてるかはわかんないんだな」

「うん……。ごめん」

「なんで謝るんだよ」

「ごめん……。だって、私、黙ってた」


 これまで私は、彼女に自分の能力のことを教えなかった。彼女が無能力者だと知っていたから。でも、もしも先に教えていれば、私たちはもっとスムーズに動けていたのかもしれない。そうすればソラが怪我をすることもなかったのかも。

 そういう意味を含めての謝罪。返事は、一発のデコピンだった。


「ばーか」

「……ソラ。いたい」

「次謝ったらもう一発な」


 こんな状況でも彼女は強い。歩けなくなって心細いはずなのに、私よりもずっと。

 だったら私が不安がってどうするんだ。そう思うと、少しだけ強くなれるような気がした。


「状況はわからないけど……。まあ、何があったかなんて、大体想像はつくな」


 ソラは明言しなかったけれど、言わんとすることはわかった。


 怪人だ。


 きっと怪人がこのデパートを襲っているのだろう。それも、無差別に人を襲うような凶暴なやつが。そう思うだけで、目の前が真っ暗になっていく。


「上に逃げようって言ってたのは、ヤツが下にいるからなんだろうな。でも、直後にトイレを目指せって言ってた。上に逃げるよりも隠れる方を優先したのはなんでだ? ……ああ、あれ以上エスカレーターのあたりにとどまると、パニックに陥った時に弾き飛ばされるからか」

「……ソラ?」

「つみきが聞いた声について考えようぜ。何か、根拠があるんだろ」


 根拠。“声”の根拠。そんなもの、考えたこともなかった。

 声はいつも私に正解を教えてくれる。与えられるのはいつも結論だけ。どうしてそうしたらいいのかなんて、多くの場合は結果が出るまでわからない。


「しっかりしろ。こういうこと考えるの、あたしよりお前のほうが得意だろ」

「うん……。わかった、考えてみる」


 “声”はトイレに隠れろと言った後、壁に張り付けと囁いた。それはパニックを予期しての行動だ。事実私たちは壁に張り付いて、群衆のうねりをやりすごした。

 問題はその後だ。人々がいなくなった後も、“声”はトイレに隠れろと言った。


「下に逃げろって言わなかったのは、下にその……。か、怪人、が、いるから。上に逃げるよりも隠れるのを優先したのは、それがもうすぐ側まで迫っていたから……? それで、今、じっとしているように言ったのは……」


 下手に動くと、死ぬから。

 ぺたりと、足音が聞こえた。

 ぺた、ぺたと。素足がタイルを這い回るような音がする。それと共に血の匂いが濃くなる。

 もう二度と訪れないでほしいと願っていた悪夢が、私の目をくらませる。吐きそうだ。立っているのも難しくて、私は壁にもたれかかってガタガタと震えた。


「……大丈夫だ」


 ソラは小声でつぶやき、私の手をしっかりと握った。


「絶対、大丈夫だ。あたしが強いのは知ってるだろ。だから――」


 ――少しも音を立てないようにしよう。


 声が聞こえて、私は凍りついた。

 いかなる音も出してはいけない。祈るような気持ちで、ソラを見上げて必死に首を振る。

 だけど。

 そんな身振り一つでは、私の意思は伝わらない。


「――心配するな。お前は、あたしが守ってやる」


 ソラは、小声で囁いてしまった。


 ――上にあるダクトに逃げよう。


 声の指示と、何かが女子トイレの扉を蹴破る音は同時だった。

 ぺたぺたと、何かが高速にこちらに這い寄ってくる。そして、個室のドアをガンガンと叩き始めた。

 ダメだ、もう、私たちがここにいることはバレている。声の言う通り、すぐに上のダクトに逃げないと。

 恐怖が振り切れる。とにかく動こう。無理矢理にでも体を動かさないと、死んでしまう。


「ソラ! 上に逃げるよ!」

「わかった!」


 便座の上に立ち、天井の換気口を思い切り引っ張って無理やり外した。

 道はできた。でも、さすがに腕の力だけではよじのぼれない。


 ――ソラに手伝ってもらおう。


「つみき、あたしが跳ね上げる! 先登れ!」


 ソラの手に足を乗せる。彼女は力任せに私を跳ね上げて、おかげで私はダクトに潜り込んだ。

 ダクトの中は狭いけれど、動けないほどではない。寝転んだ姿勢で体勢を入れ替えて、私はソラに手を伸ばす。


「ソラ、掴まって。引き上げるから……!」


 ソラは私の手をにぎり、上によじ登ろうとはする。だけど。

 赤く腫れ上がった彼女の片足は、少しも踏ん張れていなかった。

 少しでも踏ん張れていたら、便座を足場にダクトまで跳べた。上半身だけでも上に来れたら、私が彼女を引きずりあげることもできた。だけど。

 全て、仮定の話だった。


「……すまん。思ったよりも、無理みたいだ」


 自分の運命を悟って、ソラは達観した顔をしていた。

 個室のドアは今にも破られそうだ。上から見ると、狂ったようにドアを叩き続ける怪人の姿がよく見えた。

 魚のような体に手足がくっついた怪人だ。出来損ないのマスコットキャラクターのような風貌は、赤黒い血で彩られている。冗談のような体をびたびたと脈動させ、今も全身をドアに打ちつけている。

 嫌だ。あんな怪人に殺されたくない。あんな怪人に、ソラを殺させたくない。だけど。


 ――ソラの手を離そう。


「手、離してくれ」

「嫌だ……」


 ――ソラの手を離そう。


「あたしはダメだ。わかるだろ」

「嫌だ……!」


 ――ソラの手を離そう。


「あー……。実はあたし、本当はすごい能力持ってんだ。嘘ついてごめんな。巻き込むと危ないから、離してくれるか?」

「嫌だ! 絶対に……! もう、絶対に離さない!」


 その嘘を聞くのは二回目だった。

 この手を離せば最後、私は二度とソラの手を掴めないような気がした。私はまた目の前で取りこぼしてしまう。だから、どんなに“声”が無情な宣告をしても、私は、この手を離すことはできなかった。

 力任せにソラを引き上げようとする。だけど、私の腕力では、どんなに頑張っても引き上げられない。


「つみき……」


 自分の力ではどうにもできない。

 私にできるのは、もう、奇跡を願うことだけだ。

 お願いします。

 お願いします、お願いします。

 全部、私が悪かったから。“声”の指示を聞かなかったのも、ヒーローが嫌いだなんて言ってしまったのも、全部私のせいだから。

 罪は私が償うから。だから、どうか。どうか、ソラは。ソラだけは。


「助けて……。助けてよ、ヒーロー……!」


 この期に及んでヒーローに助けを求める私を、ソラは困ったように見上げていた。


「背負わせちまって、ごめんな」


 奇跡は起こらなかった。

 扉を破った怪人は、一口でソラの体を飲み込んだ。

 私の手に残ったのは、主を失ったソラの手首だけだった。

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