どうか、私に報いが与えられますように。積み重ねてきた罪の業火が、この身を余すことなく焼き滅ぼしますように。
クラウドバーストにはアンビバレントも巻き込まれたわけだが、ヤツは当然のようにそれを耐えきった。
倒れ伏したヒーローたちを、異形は顔らしき器官で無感情に見下ろす。そして、ぷしゅうと気が抜けるような音を立てて、するすると縮小していった。
「あ……あ、あ……。あー、やっぱこっちの方が楽だ……。あんま体いじりすぎると、いまいち頭回んねえんだよなぁ。せっかく殺しても、なーんか楽しくねえ」
人間の姿に戻ったアンビバレントは、脱ぎ捨てていたパーカーを着直した。
「随分と余裕ですね。アンビバレント」
戦闘は終わったわけじゃない。まだ私とシケモクがいる。それなのに異形化を解くとは、随分と舐められたものだ。
「別に舐めてるわけじゃねえよ。せっかくのデートだってのに、半分意識飛ばしたままじゃ楽しめねえだろ。俺は全身でつみきちゃんを感じたい」
「夜永です」
「それにな」
――不意打ちをしよう。
予備動作抜きの奇襲をしかける。静から動へ。最速で切り替えて、意識の外をつく。
「今のあんたは、無駄に体デカくしたって勝てねえ。殺す気で行かせてもらうぜ」
黒い炎を燃やし、ヒーロードライブから力を引き出し、声が指し示した最適解の一撃を、アンビバレントは柳のようにすり抜けた。
――打ち合おう。
至近距離での乱打戦。互いに一歩も引かず、鼻先の距離で殴り合う。二つのチェーンソーがぶつかり合うように、私たちは火花を散らした。
強い。恐ろしく強い。こっちはヒーロードライブを発動しているのに、それでもまったく切り崩せない。最初は私のほうが圧倒していたはずなのに、今では互角に打ち合うのがやっとだ。
理解する。殺す気で行くという宣言に嘘はないらしい。こいつは、手抜きして人間に戻ったわけじゃない。最適化したのだ。彼は私を一対一で仕留めるために、隙の大きい巨体ではなく、扱いに慣れた人間の体を選択した。
だけど。こっちは、一人じゃない。
音もなく、アンビバレントの後ろに雲が生成される。体育館のマットのような、広くのっぺりとした硬質の雲。
――下がらせよう。
速いだけの軽い拳をアンビバレントの顔に振るう。やつはそれをスウェーで避けようとして、後ろの雲に背をつけた。
――叩き込もう。
雲の壁を背負い、逃げ場がなくなったアンビバレントの顔に本命の一撃を叩き込む。
どごん、と気持ちのいい音。拳に残る感触。顔面に突き刺さった一撃は、雲の壁を突き崩す勢いでやつの顔をえぐり取る。
「ぎはっ……! ぎ、ひゃ、ひゃ……!」
男はもんどり打って吹き飛んでいく。二度、三度とバウンドし、砂埃を巻き上げて校庭に転がった。
「そりゃあねえよつみきちゃん……! 壁ドンってのは、もっと、ドキドキしながらやるもんだぜ……!」
「さっきから――!」
全力で跳ぶ。足元がひび割れるほどに踏み込み、爆発的な勢いをつけて跳び、限界まで右腕を振りかぶる。ヒーロードライブを駆動させ、黒い炎を力と変える。
心を燃やした渾身の一撃。それを、万感の思いと共に叩きつけた。
「言ってることが気持ち悪いんですよ!」
大地が砕ける。地面が吹き飛ぶ。爆心地を中心に、巨大なクレーターが形成される。
人間の限界を超えた破壊力。アンビバレントは、それをノーガードで受けた。
しかし。
「残念。ちょーっと遅かったなァ」
ぬるっとした手応え。ゼリー状のものを殴りつけたような感触。私の拳は、やつの体をぬるりと貫き、地面を直接殴りつけていた。
軟質化――。こいつ、この一瞬で。
――すぐに逃げよう。
「逃さねえよ」
腹に掌底を受ける。倒れこんだ体勢から打った無理な一撃だ。そう大したダメージはない。しかし。
ぐりっと。私に、何かが、埋め込まれた。
――引き抜こう。
すぐに距離を取り、攻撃を受けた場所に指を突っ込んだ。
内臓を自分の手で引っ掻き回す激痛。痛みを噛み殺し、埋め込まれたものを無理やり引き抜く。
異形の芽だ。
「あー……惜しい。決まったと思ったんだけどなァ。やっぱあれか、一度植えたからか。拒絶反応に体が慣れちまってる」
歯を噛む。惜しかったのはお互い様だ。
少しでも早く攻撃が入っていれば、そこで勝負は決まっていた。軟質化が間に合わない速度があれば、私はやつを殺せていた。
逃したチャンスは大きい。だけどそれは、私の手があいつの首にかかったということ。
もっとだ。もっと、心を燃やせ。
もう少しで、あいつを殺せる。
「おい、夜永」
シケモクだ。何の用だ、わずらわしい。
「夜永、ちょっと落ち着け。あんまり飛ばすな」
「飛ばすなって、この状況ですよ。ゆっくりしている暇がありますか」
「お前。ヒーロードライブ、どれくらい使った」
「最初からずっと使ってますけど」
「……やべえな」
シケモクは深刻そうな顔をする。だけど、どうでもよかった。
「お前、このままだと本当に燃え尽きるぞ」
別にいい。問題ない。
元より惜しむようなものじゃない。あいつを殺せるのなら、燃え尽きたって構わない。
返事はしない。無言は何よりも雄弁な意思表示だった。
「くそっ。逃げろっつっても聞かねえし、やめろっつってもやめねえし。どうすりゃいいんだよ……!」
元よりシケモクに心配されるようなことではない。
私はただ、私の望みのために突き進むだけ。それ以外のことはどうでもいい。
たとえ心が燃え尽きて、この身が灰になろうとも、私は必ずあいつを殺す。
「あー……。どういうカラクリがあるかと思えば、そういうことか」
アンビバレントは冷めた目で私を見る。
「そりゃそうだよな。たった二ヶ月で急にここまで強くなるわけがねえ。何をやったのかと思えば、心か。あんた、心を燃やしてるのか」
ひどく冷たい目だった。彼の目から粘ついた執着が霧消し、失望が満ちていく。
消化試合を見るような熱のない瞳。彼は大きくため息をついた。
「つみきちゃん。さっさと終わらせようぜ。そういうことなら、時間の無駄だ」
言われなくとも、終わらせてやるさ。
「そもそもさ、勘違いしてるんだよ。その炎は俺に向けられたものじゃない。つみきちゃんがやりたかったことは、本当に復讐なのか?」
距離を詰め、拳を振るう。点と点を線でつなぐような、最短最速の一撃。
彼はそれを、するりと避けた。
「つみきちゃんを燃やす炎は後悔だろ。仲間を死なせてしまった罪。助けられなかった罪。自分が殺したも同然くらいは思ってるのかもしれねえな」
至近距離。嵐のように攻撃を繰り出す。
アンビバレントは反撃してこない。風に舞う木の葉のように、冷めた瞳のままかわし続ける。
「それを背負って、燃やして、罪の業火に身を包む。いつか報いが与えられるようにと願い、身を焼き滅ぼしながら歩み続ける。それが、あんたが選び、俺が選ばなかった道だ」
反撃しないのなら、思い切りやらせてもらう。
ヒーロードライブがもたらす力を、拳に込めて叩きつける。二度、三度、四度。何度でも、何度でも、何度でも。
「つみきちゃんは復讐がしたいんじゃない。ただ、俺を否定したいだけだ。似たような過去を背負いながら、違う結論にたどり着いた俺をな。だって、俺を認めちまったら、自分の後悔が何のためなのかわかんなくなっちまうから。だからこうやってムキになって戦ってる。そうなんだろ?」
もっとだ。もっと、心を燃やせ。
まだ足りない。まだ届かない。もっと、もっと、力をよこせ。
「だけど、俺は違う。俺は復讐がしたい。この世界を黒い炎で焼き尽くしたい。つみきちゃんが自分を責めるように、俺は世界を責め続ける。熱量は同じかもしれねえな。だけど、内に封じ込めた小さな炎と、外にぶちまけた大きな炎では、焼き尽くせるものが違うだろ」
自分の中に燃える黒い炎をかき集める。この身を焦がす罪の炎を。
空虚な心に揺れる黒い炎は、ヒーロードライブを通じて力に変わる。燃やして、燃やして、燃やし尽くして。全てが灰に変わるまで。
「大体さ。復讐心で、あんたが俺に勝てるわけがねえんだよ」
ぷつりと。
私の中の、炎が消えた。
ヒーロードライブが駆動を止める。体に満ちた力が消える。
なんだ、どうした。何があった。後少しだ。後少しなのに、どうして。
「満足したか?」
満足なんてするわけがない。私はこいつを殺したい。なんとしても殺さないといけない。なのに。
どうして……。あんなにたくさん、燃えていたのに。
どうして、私の心は、空っぽなんだ。
「おめでとう、つみきちゃん。あんたの後悔は燃え尽きた。これからの人生は、きっと素敵なものになるよ」
アンビバレントは微笑んだ。ぽん、と軽く私の頭を撫でる。とても優しく、赦しを与えるように。
彼を殺したい。今でもそう思っている、はずなのに。
私の心には、もうどこにも炎が残っていなかった。




