MEGALOVANIA
回復とリハビリに、二ヶ月の時を要した。
限界を超えた状態で無理に動いたことで生じた大怪我だ。ダメージは体の奥深くまで蓄積されていて、医療系能力者の治療を受けながらでも、元のように動けるまではしばらくの時間が必要だった。
それでも、予定よりは大分早い復調だ。当初の予定では、リハビリに年単位の時間がかかると言われていた。それを短くするのなら、文字通り地獄を味わうような覚悟が必要だとも。
あの程度で地獄とは拍子抜けだ。私は、もっと辛くて苦しいものを知っている。
ひとまず体は動くようになったけれど、もうしばらくは無理禁止。そんな釘をいっぱい刺された上で退院した私は、その足で学校に向かった。
久しぶりに家族に会おうかなと思ったけれど、やっぱりやめた。ぷよ高に入学して以来、私はずっと一人暮らしだ。時々電話がかかってきても、取るのは三回に一回くらい。今回の入院でも面会を強く希望していたが、リハビリが忙しいからと面会謝絶の札は取り下げなかった。
もう、家族には会えない。アンビバレントに狙われている私にとって、家族との接触は弱点を晒すことになる――というのはただの方便。
本当は、あの人たちに合わせる顔なんてどこにもないだけだ。
二ヶ月ぶりのぷよ高。ヒーローを夢見る若者たちが通う、正義と希望の学び舎。未来のヒーローを育てるための、新たなる希望のゆりかご。
本日は平日、我らがぷよ高は平常運転だ。生徒たちは今日も今日とてヒーローになるための研鑽を積んでいる。
その光景をぼんやりと眺めて、ああ、あの三人がいない世界は、今日も正常に回っているんだなと思った。
校庭の片隅に置かれたベンチに座り、目を閉じる。そして、これまでのことに思いを馳せた。
私の心は空っぽだった。
太陽が死んだ時、ソラが死んだ時、私の心は壊れてしまった。
あの時から私には何もない。将来の夢とか、希望とか。こんな自分になりたいとか、あんなことをしてみたいだとか。そんなものはもう何もない。
声が命じるままヒーローを目指して、ぷよ高に通うようになって、あの三人と出会って。友だちというものができて、少しは変われたのかもと思っていた。
人を助けようと思えたことは、私にとっては大きな変化だった。ヒーローのことは割り切れなくとも、私は私のやり方で人を助けようと思えた。名前も知らない赤の他人を、守り抜きたいと本気で願った。
だけど、今は、違う。
空っぽだったこの心には、黒い炎だけが燃えている。
平和なんてどうでもいい。社会が壊れたって知ったことか。私は、私が望むままに、あいつを殺そう。
たとえ、誰一人としてそれを望まなくとも。
私がそれを望むのだ。
「よう、待たせたか」
軽い声と共に、隣に誰かが腰掛けた。
目を開く。時計を見る。
奇しくも、待ち始めてから三十五分が経っていた。
「ええ。三十五分と二十六秒待ちました」
「そうか。俺は二ヶ月待った」
顔を見ずともわかる。再会を願って夢にまで見た相手だ。この声を聞き間違えるはずがない。
怪人アンビバレント。
あれから二ヶ月。地下に潜伏していた怪人が、私の隣に座っていた。
「なんでここだとわかった」
彼が姿をあらわすとしたら、ここだと思っていた。
そう思った理由はとても簡単だ。
「私だったら、この場所をぶっ壊そうと思うので」
彼の目的は、ヒーローの嘘を暴くこと。絶対無敵のスーパーヒーローなんてもの、本当はどこにもいないんだと世の中に知らしめること。
もしも私が、それをするなら。私はこの、正義と希望の学び舎をぶっ壊す。
「くく……。はははは……」
アンビバレントは笑う。たまらない、とばかりに。
「つみきちゃん。やっぱりあんた、こっち側だよ」
「夜永です」
「本当に惜しい……。こんな世界、どうでもいいと思ってたのに。あんたが俺の側にいてくれたら、ちょっとはこの世界も好きになれたかもしれねえのになぁ」
意味のない仮定だ。そんな可能性は、もうほんの少しだってありえない。
私はヒーローで、彼は怪人。
私たちがたどり着く結末なんて、最初から一つしかない。
「それで、どうするんだ」
空を見上げた。
天気は快晴。晴れ渡った空には雲ひとつなく、太陽はあたたかに地上を照らす。
風は爽やかにかけぬけて、小鳥たちは美しく歌う。草木も花も、今日という日を祝福してくれているようだ。
今日は、こんなにも素敵な一日だから。
「あなたを殺します」
地獄の業火に焼かれてもらおう。
「そうか」
「はい」
「じゃ、やろうか」
「ええ。やりましょう」
示し合わせたように立ち上がる。数歩離れて、向かい合い。
彼は、魔獣と姿を変えて。
私は、ヒーロードライブを起動した。
*****
ヒーロードライブは心を燃やす。
私の心に満ちた、黒い炎を燃やし尽くす。
燃えて、燃えて、炎と変えて。この身を業火と焼き尽くして。
その力を、余すことなく叩きつけた。
「ふはっ……! 夜永……! 夜永、つみきィ……!」
魔獣が逃げ、私が追う。先制の一撃は後ろに飛んで防がれた。すぐに距離を詰め、追撃の二手目。
――後ろに回り込もう。
二手目をフェイントに後ろに回る。カウンターを合わせようとしてた魔獣は大きな隙を晒し、その背中に回し蹴りを叩き込んだ。
――大ぶりの一撃を入れよう。
もんどり打って飛んでいく魔獣に向けて、大きく跳躍する。
体をそらし、右の拳を極限まで引き絞り、倒れる魔獣に思い切り叩きつけた。
感触はある。だが、芯ではない。逸らされたか。
「お前……! どこで、そんな、力を……!」
魔獣は私の体を蹴り飛ばす。後ろに飛んで、勢いを殺した。
体が動く。ヒーロードライブが力をくれる。心を燃やした今の私は、この男にも通用する。
頭に響く声が証明している。私には、こいつを殺す力があるのだと。
――隙を伺おう。
先制の奇襲が通用したのはここまでだ。あいつは明らかに私を舐めていた。格下と侮り、隙を晒していた。
だけど、ここからのアンビバレントに油断はない。私が全力でヤツを殺そうとするように、ヤツも私を全力で殺そうとするだろう。
もう、人間と怪獣の戦いではない。
これは、ヒーローと怪人の戦いだ。
「おい、嘘だろ……! たった二ヶ月だったはずだ……! お前……何をした……!」
答える道理はない。だけど、私は。
この男に、罪を突きつけなければならない。
「アンビバレント。あなたを殺すために、全て燃やすことにしました」
「ひひっ……! 復讐、か……! だよなァ……。俺たちみたいな奴らには、それしかないもんなァ……!」
「一緒にしないでください」
私と、お前は、違うんだ。
――正面から迎撃しよう。
魔獣と私が跳んだのは同時だった。
正面からの激突。正面からの交差。異形の腕と私の拳は一瞬にすれ違い、互いの体に突き刺さった。
爆撃めいた衝撃が全身を貫き、強く吹き飛ばされる。そのまま校舎の壁に叩きつけられそうになって、ぼよんと、雲の塊が私の体を受け止めた。
「おいテメっ! 夜永ァ!」
怒声が響く。校舎の三階から、冴えない顔の男が飛び降りてきた。
シケモクだ。
「この大馬鹿野郎。お前、やる時は俺を呼べっつったがな。目の前でやれって意味じゃねえぞあれは!」
「そんなこと向こうに言ってくださいよ」
この場所を指定したのは私じゃない。私はただ、あいつがあらわれそうな場所に来ただけだ。
校舎にはサイレンが鳴り響き、避難を促すアナウンスが流れる。耳をつんざく警報音の中、シケモクは顔をしかめた。
「無茶苦茶しやがって……! おかげでこっちの計画が全部パァだ。あーあ。もう、こうなっちまったらやるしかねえじゃねえか」
「計画ってなんですか?」
「退院次第、お前をふん縛って地下に幽閉する計画」
「あんた本当に教師か」
シケモクは鼻で笑った。
恐ろしいことにこの男、本気でやるつもりだったらしい。すぐに事を構えてくれたアンビバレントに、ちょっとだけ感謝した。
「だが、よくやった。ここなら他のヒーローたちもすぐに駆けつける。いいか夜永、お前は逃げろ」
今度は私が鼻で笑った。
逃げるわけがないだろう。
――左から攻めよう。
声が命じる。シケモクの静止を無視して、私は駆けた。