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僕の■■■■・私の■■■■


 お気に入りのワンピースを着て、待ち合わせ場所で三十分待った。

 早く来てしまったわけではない。むしろ私は、待ち合わせ時間ぴったりに来た。案の定太陽が来ていないことを確認し、早々に木陰に避難して読みかけの小説本をめくることしばらく。

 三十五分後に、太陽はようやくやってきた。


「おう、つみき。おはよう」

「待った。三十五分と二十六秒待った。何か言うことは?」

「この前よりは早く来れたな。よっしゃ!」


 どついたろか、この男。

 あまりにもあんまりな態度だが、ため息一つで流せるほどに慣れてしまった自分がいた。こいつ、本当に、こういうやつなのだ。三十分の遅刻なんて当たり前で、下手すれば一時間や二時間くらいは普通に遅れてやってくる。さすがに以前怒ったら、「ヒーローは遅れてやってくるものだからな」なる謎理論を振りかざしていた。

 それでも付き合ってしまうのは、幼馴染のよしみゆえか。損な役目だと自分でも思う。


「じゃあ行こうぜ。レッドがいる街、どんなとこなんだろうなー」

「どんなとこって、行ったことないの?」

「ああ、結構遠いからな。でも、歩いてりゃそのうちたどり着くだろ」

「ちょっと待て」


 初耳だった。行くとは聞いたが、歩いて行くとは聞いていない。


「太陽。そこ、歩いていける場所じゃない」

「大丈夫だって、歩いても二時間くらいだろ? 俺、そんくらい歩けるぞ」

「大人の足で二時間。子どもの足ならもっとかかる。それにそれ、片道でしょ? 往復で考えたら歩くだけで半日終わっちゃうよ」

「往復……? そうなのか? つみきは難しいこと知ってるなぁ」


 よし、こいつ馬鹿だ。この男に任せていたら大変なことになる。私は早々に主導権を奪いに行くことにした。


「大人しく電車を使います。いいですね」

「ええー? でも、俺財布もってきてないぞ」

「大丈夫。太陽の財布、預かってきたから」

「うわっ、なんだその準備の良さ」


 “能力”のおかげだ。支度をしている時、「太陽の財布を預かろう」と声が聞こえたのだ。その時は理由がわからなかったけれど、こういうことらしい。


 なお、財布を預かることはとても簡単だった。太陽の家とは家族ぐるみの付き合いがある。私はおばさんから太陽のお目付け役と目されているらしく、今朝も「うちの子をよろしくね」なる言付けを財布と共に頂いていた。


 私たちは電車に乗った。きっぷの買い方を知らなかった太陽にやり方を教えたり、人混みに流されそうになった私の手を太陽が握ったり、手をつないだまま二人で電車の入り口をぴょいんと飛び越えたり。

 そんな一幕も交えつつ、私たちはレッドがいる街にたどり着いた。


「……大人を連れずに来るのは、はじめてかも」


 この街は、私たちが住む町よりも遥かに活気がある、地域随一の繁華街だ。

 大きなお店がずらりと立ち並び、見たこともないような食べ物の看板があちこちに飾られている。信じられないほど広い車線をびゅんびゅんと飛び回る車の列を眺めるだけで、目が回ってしまいそうだ。スピーカーが付いたトラックには独特な絵柄の女の人が描かれていて、おいしいバニラの宣伝をわんわんと鳴り響かせながら目の前を横切っていった。


「ねえ、太陽。せっかくだからちょっと見ていこうよ」

「ええー? 俺は早くキャプテン・レッドに会いたい」

「レッドがどこにいるのか知らないでしょ。それを探すついでに、ね」


 家族に連れられて来たことはあったけれど、子どもだけで来たのは初めてだ。しかも自由に見て回れるなんて、このきらきらした街が自分たちのものになったような気持ちだった。


 キャプテン・レッドを探すという名目で、私たちは街中をくたくたになるまで歩いて回った。この街はすごい、どこに行っても人だかりだ。ビル一つ分まるごと本が詰まった書店から、巨大なアリの巣めいた地下街まで。スクランブル交差点に立つ巨大なビルには、象がまるごと映りそうな巨大なディスプレイが飾られていて、女の人が早口で何かのニュースをまくしたてていた。


「ねえねえ太陽、次はどこに行く?」

「レッドのいるとこ」


 太陽はぶすっとしていた。

 私は楽しかったけれど、楽しんでいたのは私だけだったのかもしれない。確かに、書店や地下街にヒーローがいるわけがない。ちょっと申し訳なくなって、自分にブレーキをかけた。


「えっと……。じゃ、じゃあ……」

「こっち、行ってみようぜ」


 太陽は私の手を掴み、ずんずんと歩き始めた。

 行き先は薄暗い路地裏だ。この街には華やかな大通りがある反面、路地裏は身がすくむほどに薄暗い。だけど太陽は、こんな異質な空間にもひるむことなく突き進んでいく。


「ねえ太陽、こっち路地裏だよ。誰もいないし、危ないよ……?」

「でも、レッドがいるかもしれないだろ。ヒーローってのは事件がある時以外は隠れてるんだ」

「それはそう、だけど……」


 正直、怖い。太陽がいるとは言え、こんな薄暗い場所を歩くなんてすごく怖い。細い路地には換気扇がごろごろと詰まっていて、淀んだ空気をぶんぶんとかき回している。足元には何かのゴミや虫の死骸が積もっている。

 私たちがいていい場所ではないということは、一目でわかった。


 ――引き返そう。


 頭の中に声がした。ほら、私の“能力”もそうした方がいいと言っている。


「太陽、引き返そうよ。レッドもこんなところにはいないって」

「どうしてそんなことわかるんだよ」


 ――引き返そう。


「私、ここ嫌だ。良くない場所だよ、ここ」

「何もいないだろ。何ビビってんだよ」


 ――今すぐここから離れよう。


「だって、声がするもん。ここから離れたほうがいいって、ずっと言ってる」

「はあ? 声って、つみきの能力か? なんて言ってんだ」

「だから――」


 ――太陽の手を振りほどいて、一人で逃げだそう。


「……え?」


 立ち止まった。

 聞き間違いではない。私の“能力”は、間違いなくそう言った。

 私は自分の力をそれなりに信用している。この声が言うことはいつも正しい。声に従っておけば、そうそう悪いことが起きることはない。

 だけど……。声は今、太陽の手を振りほどけと言った。


「つみき? つみき、どうした?」

「え、と……」


 突然のことに考えが追いつかない。何かの間違いじゃないかと思って、私は呆然と立ち尽くす。

 嫌な予感がした。何かが起きる予感が。取り返しがつかないようなことが起きてしまうような、そんな予感が体を支配した。


 ――諦めよう。


 声が無情な言葉を告げ、路地裏に闇がうごめいた。

 ぐち、ぐち、と嫌な音がした。生物の手足を無理やりねじまげたような、気味の悪い水音。そんな奇怪な音を響かせながら、不気味なものが路地裏を這い回る。

 とても恐ろしい異形だった。人間の部品を一度切り離してから、もう一度つけなおしたような。不自然な肉体はブリッジのような形でビル壁を伝うパイプを掴み、四足歩行でもするように壁面を這い回っていた。


 怪人だ。


 人々が能力を手に入れた時、その能力を悪いことに使う人たちがあらわれた。それが怪人。社会を混乱させる悪者であり、ヒーローが倒すべき敵だ。

 怪人のことは学校でも習ったし、テレビでも見たことがある。怪人と出会った時、どう対処すればいいかなんて嫌というほど教わった。


 だけど、いざそれが目の前にあらわれた時、そんなことは全部頭から吹き飛んでしまった。


 声も出せなかった。身をすくませて、震えることしかできなかった。その場にへたりこんでしまわなかったのは、太陽が手を握ってくれているからだ。それがなければ、座り込んで泣いてしまっていたかもしれない。


「つみき、大丈夫だ」


 太陽は私の手を強く握って、小さくささやいた。


「まだ怪人って決まったわけじゃないだろ。たまたま……たまたまああいう格好をしてるだけで、いい人かもしれない」


 そんなわけがない。こんな路地裏で、あんな格好をしているやつが怪人じゃなければなんだって言うんだ。

 それは私もわかっていたけれど、今だけはその言葉を信じた。


「ゆっくりだ。ゆっくり引き返すぞ。声出すなよ。俺の手にだけ集中してろ」


 本当に、こういう時だけは頼りになる。握られた手の温かさのおかげで、足も少しは動きそうだ。

 そろそろと、音を立てないように後ずさる。怪人は今も壁を這い回っている。それのひたひたした足音が近づかないように祈りながら、震える体をなんとか抑えて、勇気を振り絞るように一歩一歩足を進めて。


 からんと、缶が転がる音がした。


 何かが爪先に触れた感触がした。目の端で空き缶が転がる。私が? 蹴飛ばした? この缶を?

 怪人が叫び声を上げる。空洞を震わせるような不気味な声。それでもう、頭の中は真っ白になった。


「つみき、走れっ!」


 手のひらからぬくもりが消える。それが泣きそうなほどに寂しくて。

 太陽は、私に背を向けて怪人に向かっていった。


「俺が食い止める! だから、お前は助けを呼んでこい!」


 その叫びで我に返った。


「え、でも、太陽は……!」

「俺のことはいい、“能力”がある! 大丈夫だから早く行け!」

「う、うん……!」


 そうだ、震えている場合じゃない。まだやれることはある。太陽が食い止めてくれるなら、私は。

 弾かれたように走り出した。細い路地を駆け抜けて、換気扇を飛び越えて。痛いほどに心臓を鳴らしながら、懸命に懸命に走り続けた。


 路地裏から転げ出る。光の差し込む大通り。つんのめって倒れ伏したまま、助けてと、かすれた声で何度も叫んだ。


 あらわれたのは、赤い服を着た男だった。

 帽子をかぶり、赤いマスクで顔を隠した男だ。腕には小さな装置が取り付けられたバンドを通している。

 彼の目は優しくも力強い。男は私を助けおこすと、短く聞いた。


「何があった」


 キャプテン・レッドだ。

 聞き覚えのある声だった。テレビで、雑誌で、その顔は何度も見てきた。ヒーローの中のヒーロー。どんな怪人も倒してくれる、絶対無敵のスーパーヒーロー。

 これ以上ないほどの助けがあらわれた時、抑えていた感情が溢れ出して、私はぐちゃぐちゃになった。


「向こうの……! 路地に、怪人が……! 今、友だちが、食い止めてて……それで、私……!」

「大丈夫だ」


 要領を得ない言葉というのは自分でもわかる。それでも彼は、優しく私の頭をなでた。


「そこで待っていたまえ。すぐに終わる」


 キャプテン・レッドは路地裏へと飛んでいった。

 そこで、私を支えていた糸のようなものがぷっつりと切れた。その場に座り込んでじっとする。


 安心感があった。レッドならどうにかしてくれるだろうという安心感が。

 だって彼はスーパーヒーローだ。どんな困難も打ち破り、世界を何度も救ってきたヒーローの中のヒーローだ。


 それに、太陽だって。太陽は……私のヒーローだ。夏祭りの時といい、今日といい、彼はいつも私を助けてくれる。

 太陽が戻ってきたら、あの時の分までお礼を言おう。それから、嫌だって言ったのに路地裏に入っていったことをちょっと怒って、無茶をしたことをいっぱい怒ろう。


 多分、あいつは生で見たキャプテン・レッドに興奮して、私が怒っていることなんて気づきもしないだろう。なんとなくそんな気がする。だけど、それでも私は許してやるつもりだ。

 だって、太陽が無事に帰ってきたことが一番なんだから。


 大丈夫。大丈夫だ。キャプテン・レッドが来てくれたんだ。怪人はもうやっつけられたも同然で、私たちは何事もなく日常に帰れる。今日の事はちょっとした冒険譚として、私たちの思い出になっていく。


 そう思う。そう願いたい。そうで、あってほしい。


「……どうして」


 胸騒ぎがやまない。

 とてつもなく嫌な予感が、真っ白なシーツに垂らした墨汁のように、頭の中に広がっていく。


「どうして……“声”は、何も言ってくれないの……?」


 私の“能力”。頭に響く“声”は、最後に「諦めよう」と言った。

 あれきり声は何も語らない。それはつまり、私がやるべきことが変わらないということだ。

 私は今、何かを諦めなければならない。だけど何を諦めればいいのか、私にはわからない。

 一抹の不安を胸に、太陽とキャプテン・レッドの帰りを待ち続け――。


 そして、彼らが帰ってきた。


 太陽はレッドの腕に抱かれていた。気絶しているのか、ぐったりとしていて動かない。だけど戻ってきたことが嬉しくて、不安を振り払うように、私はレッドにかけよった。


「太陽! 太陽は無事!?」

「すまない」


 ヒーローは、厳しい顔をしていた。

 テレビでは見たことのない顔。聞いたこともない声。それに、しばし戸惑う。


「レッド……。あの、太陽は……」

「すまない」


 同じ言葉が繰り返される。どうしてだ。どうして、彼は謝っている。

 太陽は動かない。

 レッドの腕の中で、ぐったりとしている。


「彼は――」


 厳しい顔のまま、キャプテン・レッドは口を開く。

 その重々しさで、彼が何を言おうとしているか、わかってしまった。


「嘘だ!」


 聞きたくなくて、とっさに叫んだ。

 キャプテン・レッドがそれを言ったら、本当に確定してしまうような気がしたから。


「だって、太陽は……。太陽は、怪人を食い止めるって……! “能力”があるから、大丈夫だって、そう言って……!」


 ……能力?

 太陽の……能力?

 そんなもの――あるわけ、ないじゃないか。


 過ちに気づいてしまう。彼の嘘に気づいてしまう。あいつは、私を逃がすためにそう言ったのだと。能力なんてまだ目覚めてもいないくせに、拳一つであの怪人に立ち向かっていったのだと。

 そんな、今さらの嘘に気がついて。


「彼は、立派なヒーローだった」


 その日。

 私の胸に、とても大きな穴が空いた。

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