夜永つみきの最適解
黒い虚無が、私の心に満ちていた。
心見瞳は死んだ。
私をかばって、彼は死んだ。魔獣の巨体に押しつぶされて、駅のタイルの染みになって死んだ。
風来ふわりは死んだ。
衆目にさらされた彼女は、自らの能力を発揮できずに死んだ。人々の見ている前で、腹を刺し貫かれて死んだ。
天元寺突破は死んだ。
逆境を覆すべく正面からの突撃を仕掛けた彼は、玉砕して死んだ。醜い筋肉の塊に握りつぶされて、肉片になって死んだ。
みんな死んだ。
みんな、死んでしまった。
私が。私が……。“声”に、従わなかったから。
私が声に従って、おとなしく逃げていれば、彼らだってここまで無理はしなかったはずだ。あの三人を命がけの戦いに駆り立てたのは、私が意地を張ったから。逃げたくないなんて、らしくないことを思ってしまったから。
太陽と同じだ。ソラと同じだ。
彼らも、私が、殺したようなものだ。
だけど。
「……ヒーローは嫌いだ」
この後悔こそが。
私と、この男の、違いだった。
「だけど、私は。自分のことが、世界で一番嫌いなんだ」
ヒーローのせいだとは思わない。これは私の罪だ。私は、私の罪から目をそらすような真似を、決して私に許さない。
黒い炎が燃え上がる。できるなら、この炎が、私の身を焼き尽くしてくれればいい。
どうか、私に報いが与えられますように。
積み重ねてきた罪の業火が、この身を余すことなく焼き滅ぼしますように。
「……そうか。あんた、俺よりも狂ってるよ。一番苦しい道を選びやがって、バカが」
同情と、軽蔑。その二つが同時に吐き捨てられた。
「だったら俺があんたを助けてやる。あんたがいる地獄よりは、俺の地獄の方がまだマシだ。つみきちゃん、こっちを選べ。ヒーローに復讐しよう。あいつらが悪いんだってことにしよう。そうじゃねえと、俺ら、生きられねえだろ」
男は、床に転がった、三つの死体を引きずり集めた。
心見くんと、風来さんと、天現寺くんの死体だ。
ところどころパーツが足りていない死体の、なるべく大きいところを、ずるずると引きずって私の前にもってきた。
「安心しろ。選べねえってなら、選ばせてやる」
しゃがみこんで、彼は、手のひらから小さな芽のようなものを出した。
キャベツの芽のような、小さくころっとした球体。それが三つ。
「この駅を包囲した六体の怪人、いただろ。あれな、俺が作ったんだよ」
その三つの芽を、三人の死体に、順番に埋め込んでいった。
「俺の能力、異形化は、自分の体を組み替えるだけじゃない。他人の体だっていじれるんだ」
死体が、動き出した。
ボコボコと、内側から、隆起するように。筋肉が膨れ上がり、欠損した部位を再生しながら、みるみるうちに巨大化していって。
そして、三人は。私の友だちだった、三人の死体は。
怪人となって。痛切な、雄叫びを上げた。
「これが最後だ、夜永つみき。俺に協力しろ。そうしたら、こいつらはちゃんと死なせてやるから」
優しく差し出された、無慈悲な手。
とても暖かそうで、とても残酷な、男の手。
差し出されたその手を、私は。
――心見くんを楽にしてあげよう。
声は言う。それが正解だと。逃げることもできなくなった今、私に選べる正解はそれなのだと。
――風来さんを楽にしてあげよう。
私にはもう、そうする以外の道はないのだと。他の方法なんてどこにもないのだと。
――天元寺くんを楽にしてあげよう。
彼らを友と思うなら、せめて安らかに眠らせてあげるべきだと。地獄に落ちるのは自分だけでいいと。
……だから、私は、その手を。
「……その、芽」
その手を、取らなかった。
「その、芽。異形の芽。私にも、ください」
「つみきちゃん。あんた、異形になりたいのか?」
「はい。もう、疲れました」
ずっと、考えていた。
この場における最善策は逃げることだった。だけど私はそれを選べなかった。だから、ずっと考えていた。
次善の手。丸く収まらない解決策。何かを犠牲にしてでも、何かを得るためのセカンドプラン。
声が教えてくれない次善策を、ずっとずっと、考え続けて。
そして、ようやく、それを見つけた。
「……そうしたいってなら止めはしねえさ。そのままでいるよりはずっと楽だろ」
男がくれた異形の芽。手のひらの上で、不気味に震える、小さな灰色の芽。
私はそれを、躊躇なく飲み込んだ。
私の内側で芽が暴れはじめる。体が熱い。肉が焼け、骨が溶けるような激痛が絶え間なく走り続ける。
一秒ごとに、自分の体が変質していく。人間から異形へ。ヒーローから、怪人へと。
自我を失うのも時間の問題だ。まもなく私は、荒れ狂う力を振りまわすだけの、狂った怪人へと成り果てるだろう。
だけど、今は。ほんの僅かでも自我をつなぎとめていられる、この一瞬なら。
私には。この男を、殺す力がある。
「――っだらああああああああああああああああッ!!」
咆哮と共に、異形の力を叩きつけた。
至近距離からの奇襲。絶対優位を確信していた男への不意打ち。異形の力も相まって、私の渾身の一撃は、やつの体を吹き飛ばした。
――男を殺そう。
朦朧とした頭に声が響く。ようやくか。ようやく、声も、それを承認するか。
いいだろう。声のお墨付きだ。くれてやるよ。
これが、夜永つみきの最適解だ。
「死ねええええええええええええええええッ!!」
およそヒーローらしからぬ叫びと共に、異形と化した豪腕で、男の体を叩き潰す。
一切の容赦も手加減もない一撃。大地を砕き、駅そのものを強く揺るがす、特大の一発。
やつは、それを、耐えきった。
「ひひっ……! やっぱ、お前、最高に面白ぇ……!」
しかし、無傷ではない。私の一撃を防いだ両腕は、根本から吹き飛んだ。
男は嗤う。愉しそうに。互いの命が火花を散らすこの瞬間が、心の底から楽しくてたまらないとでも言うように。
「そう来るか、そう来るか、そう来るか。俺ァますますあんたに惚れた……! 夜永つみきィ! お前の! 名前は! 絶対に忘れねえよォ!」
「あああああああああああああああああッ!!」
狂いそうだ。いや、もう狂っている。狂気に飲まれる寸前のところで、私は、この男への殺意だけで留まっている。
殺さなければ。この男だけは殺さなければ。なんとしても、私が殺さなければ。
この身が怪人と化す前に。この身が地獄に落ちる前に。こいつだけは、絶対に殺さなければ。
私は荒れ狂う衝動を全力で解き放ち、男はそれを受け止める。もう、周りのことなんて目に入らない。私の殺意の全てはこの男に、男の狂喜の全ては私に注がれて。
空気が爆ぜて、大地が揺れて、あらゆるものが瓦礫の中に崩れ落ちていって。
「そこまでだ」
私たちの間に、一人の男が割り込んだ。
赤いコスチュームに身を包んだ、筋骨隆々の大男。人々の希望の象徴にして、絶対無敵のスーパーヒーロー。
キャプテン・レッド。
名実ともに最強のヒーローが、私の殺意と、男の狂喜を、両腕で受け止めた。
「そこまでだ、怪人。私が来た以上、これ以上の暴虐は許さん」
嵐のような怒りは、怪人に。巌のような優しさは、私に。
向けられたそれぞれの感情は、たしかに希望に満ち溢れたものだけど。
それでも、ヒーローは。
やっぱり今回も、遅すぎたのだ。
「……チッ。つまんねえな。お呼びじゃねえんだよ、ヒーロー。俺はもう、お前よりも面白いもんを見つけちまった」
シラけたように男は言う。たんっ、と大きく跳躍して、壊れた駅舎の瓦礫に立った。
「約束だったな。ご褒美だ、つみきちゃん。俺の名前を教えてやる」
殺さないと。逃してはいけない。あの男は、なんとしてもここで殺さないと。
そう思う私の体を、キャプテン・レッドは、強く握って引き止めた。
「アンビバレント。怪人アンビバレント。愛と憎悪の使者、それが俺だ」
また会おうぜ、つみきちゃん。
そう言い残して、怪人は。怪人アンビバレントは。
光の中に、消えていった。




