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■■・努力・■■


 ――今すぐ逃げよう。


 この期に及んで私の能力は役に立たない。声が示すのはいつだって最善手だけ。

 わかってるさ。それが正解だってことは。だけど、それだけはできないんだ。

 打つ手なんてとっくに尽きている。あの魔獣は、声の力なくして勝てるような相手じゃない。これから始まるのは、あの十八秒の繰り返しだ。


 だけど、一つだけ変わるものがあるとしたら。

 そろそろ来てもいいと思うのだ。


「夜永ァッ!」


 遠くから聞こえる声。駅を震わせる轟音。空気を切り裂いて突き進む飛翔体。

 天元寺突破。


「い――っくぞおおおおおおおおおおおッ!!」


 猛烈な速度で突撃してきた彼は、人々の頭上を流星のように飛び越えて、魔獣に痛烈な一撃をぶちこんだ。


「夜永ッ! 無事か!」

「死ぬかも」

「死ぬなあああああああああああッ!!」


 めちゃくちゃうるさかった。その声だけで死にそうだ。

 天元寺くんの突撃を正面から受けた魔獣は、衝撃を受けてぐらりと揺らいだ。だけど、それだけだ。


「いってえなぁ……」


 内心で舌打ちをする。この一撃ですらロクに効いてない。

 実を言うと、天元寺くんの突撃は切り札だった。彼の突撃は加速すればするほど威力を増すという特性がある。最大加速の突撃ならあるいはと思っていたけれど、結果は見ての通りだ。


「天元寺くん、先言っとく。私の声は逃げろって言ってる」

「あ? 逃げられるわけねえだろ。俺らヒーローだぞ」

「死ぬよ」


 はん、と彼は鼻で笑った。いい無謀だ。

 こんな閉所での戦いは、彼がもっとも苦手とするものだ。助走距離が取れなければ、突撃も威力を発揮しない。ましてや相手はあの魔獣、半端な能力で太刀打ちできるような相手ではなかった。


「じゃあさ、たとえばなんだけど」


 ふわっとした声。風来ふわり。

 まばたき一つの間に魔獣の頭上に出現した彼女は、太もものホルスターから銃を抜いた。

 後頭部に向けて、一切のためらいのない六連射。ビスビスと突き刺さった六発の弾丸は、魔獣の頭に小さく穴を開けた。


「ハイパーふわりん丸が加勢したら、意見変わったりとかしない?」


 着地と共に下がった彼女は、慣れた手付きで排莢と再装填を行った。

 この子、ヒーロー志望にしては珍しく銃なんてものを使う。体格に恵まれなかった彼女は、自らの身体を鍛えることを諦めて、早々に文明の利器に手を出していた。


 神出鬼没の能力を考えれば、飛び道具を使うというのは理にかなっているのだけれど。ヒーローらしくないと言えばらしくない。


「風来さん。遅かったね」

「ごめん、つきみん。タイミング見計らってた。本当に危なかったら助けに入るつもりだったんだけど」

「本当に危なかった時、ちょくちょくあったよ」

「そこはつきみんを信じてたから」


 手厳しい。だけど、彼女にも理由はある。


 神出鬼没の能力は、人に見られていると使えない。

 こんな衆人環視の状況では、風来ふわりはただの少女に成り下がる。さっきの奇襲が、彼女にできた最初で最後の一撃なのだ。


 それでも姿を見せたということは。彼女は、死ぬ覚悟を決めたということだった。


「それでも、四対一なら……!」


 少し遅れて、心見くんがあらわれた。

 彼は天元寺くんを探しに行ってくれた。そういう意味で、とても大事な役割を果たしてくれたんだけど。


「心見くん、何しに来たの?」

「おい心見。お前なんで来た」

「瞳ちゃん、バカだねー」

「ひどくない!?」


 彼、この中では一番戦闘力が低かったりする。

 言っちゃなんだが、彼は弱い。能力がそもそも戦闘向きじゃない上に、身体能力もそこそこ止まり。風来さんのように自分の能力に適した戦術を編み出しているわけでもなく、いっちょ前に徒手空拳で戦おうとする。

 つまりは、彼、ただのお荷物だった。


 ――三人を囮にして逃げよう。


 声の指示が変わる。より最低なものに。わかってはいたことだけど、私は諦めの息をはく。


「つきみん。声はなんて?」

「逃げろって」

「そっかぁ」


 相変わらず状況は最悪だ。私の声は逃げろとしか言わないし、天元寺くんの突撃は助走距離が足りてない。風来さんの神出鬼没は使用不可で、心見くんの心眼はそもそも戦闘に向いていない。


 ヒーロー候補生、四人揃って四人とも満足に能力を使えない。なのに相手はあの魔獣。

 トドメとばかりに、誰も逃げるつもりがない。それが一番悪かった。


「なんか……ワラワラ増えたな……。あー、名乗り……。いや、面倒だ……。どうせ雑魚だろ……」


 魔獣は緩慢に私たちを見下ろした。

 どうでもいい、という様子だ。あれほどヒーローに固執していたのに。

 間延びした話し方といい、意識がはっきりしていないのかもしれない。


 ああいった変身系の能力は、精神が肉体に引きずられると聞いた。人からかけ離れた姿になるほどに、徐々に人間としての精神が保てなくなるのだと。


「わかってると思うけど、勝てる相手じゃない。生きてる間は回避と防御に専念して。逃げてくれるとなおよし」

「あ? ンだよ、勝ちゃいいじゃねえか」

「つきみん、自分にできないことを人に求めないでよね」

「最後以外了解」


 三者三様、それぞれの返事。揃いも揃って馬鹿ばっか。悲壮感なんて微塵も感じさせない。ヒーロー候補生ってやつはこれだから。


 場に緊張感が満ちていた。糸が張り詰めるように。コップの縁ギリギリまで水を注ぐように。宙に舞ったコインがくるくると落ちるように。目に見えない緊張感が、私たちと魔獣の間にきりきりと満ちていって――。


 一瞬に、爆ぜた。


 初手をとったのは天元寺くんだ。能力を使わない正面からの突撃。魔獣の巨躯に肉薄し、勢いままに蹴り飛ばす。

 ガン、と重い衝撃。ヤツの体はびくともしない。片足を持ち上げた魔獣は天元寺くんを踏み潰そうとするが、彼は即座に能力を発動した。


 頭上への短距離突撃。タメのない体勢から急激に加速し、魔獣の足を跳ね上げて上を取る。


「フッ――!」


 拳を組み、振り下ろす。ダブルスレッジハンマー。後頭部を捉えた一撃は、ヤツの頭を強く揺らした。

 私も彼の動きに合わせた。姿勢を低くし、懐に入り込む。彼が上を取るなら私が下に回ろう。腰を捻り、腕をタメて、顎をカチ上げるように掌底を放った。


 魔獣の頭が上下に強く揺れる。いくら体が頑丈でも、突き抜ける衝撃は脳にも届く。これで、気を失ってくれれば――。


「二人とも、下がって!」


 心見くんが叫ぶ。魔獣の体から、二本、新たな腕が生えていた。

 一本の腕は私に、もう一本の腕は天元寺くんに。ギリギリ知覚できる速度で伸びる。


 攻撃の後隙で私たちの体は伸び切っている。

 回避か、防御か。絶対に外せない択が迫った。


 乾いた音が六回。ビスビスと、六発の弾丸が突き刺さる。三発は私に迫っていた腕に、三発は天元寺くんに伸びた腕に。

 一瞬、腕の動きが止まる。その一瞬に、私は回避を、天元寺くんは防御を選択した。


「うぎッ……!」


 防御に成功したものの吹き飛ばされた天元寺くんは、心見くんに受け止められた。

 すんでのところで腕から逃れた私はバックステップで距離を取った。上出来だ。この攻防、得たものはないが、失ったものもない。


「風来さん、助かったよ」

「ん。ふわりんって呼んで」

「……ありがとう、ふわりん」

「にひ。これでもう悔いないや」


 最期だからね。大盤振る舞いだ。

 嫌な感じに友情を確かめつつ、次の手を考える。倒すのはやはり無理。さっきは流れで天元寺くんに合わせてしまったが、できれば当初の予定通り回避に尽力したい。だけど、今の攻撃はうまくいったのも事実である。攻撃は最大の防御と言うし――。


 どっちだ。

 どっちが、正解だ。


 声は何も教えてくれない。ただ、逃げろとだけ言い続ける。だから私は自分で考えなくてはいけない。

 私と、仲間たちと、この場にいる全ての人の命を背負った、究極の二択を。


 だけど、結論から言えば、どっちでも同じだった。

 攻撃も、回避も、そもそも選択肢にすら乗っていなかったのだ。


 砲撃のような爆音とともに、魔獣の巨躯が跳ねる。まばたき一つの間に迫りくるそれは、暴力的な質量を伴って、全ての選択肢を叩き潰した。

 回避は無理だ、速すぎる。防御しようにも、防ぎきれるようなものじゃない。反撃なんて考えるだけ無駄だ。


 それでも――。それでも、死にものぐるいで何かをすれば、窮地に一生は得られたのかもしれない。逆転勝利はヒーローのお家芸だ。諦めなければ勝機はあると、授業でもヘドが出るほど教わった。

 だけど、血が足りないのだ。頭が痛む。腕も足も動かない。

 私の体は、限界なんてとっくに超えていた。


「夜永さんっ!」


 誰かに、突き飛ばされた。

 心見くんだ。彼が、私を突き飛ばした。どうして? 私を助けるために。でも、そんなことをしたら、彼は。


 魔獣が着弾する。駅のフロアを叩き割るほどの、凄まじい一撃。轟音と共に、衝撃波が地面を強く揺るがす。

 心見瞳は。その一撃を、生身で受けた。


「心見……くん……」


 突き飛ばされて尻もちをついた私は、その様子を間近で見ていた。

 わかる。わかってしまう。ダメだ。あんな一撃を受けてしまったら。彼は。もう。


「つきみん! 立って!」


 耳元で声がする。風来さんだ。

 彼女は、見たこともないほど、険しい顔をしていた。


「ごめん。瞳ちゃん、助け、られなかった……!」


 神出鬼没。誰にも見られていなければ、瞬間移動ができる能力。

 魔獣に押しつぶされそうになった寸前、彼女はヤツの体で視線を切り、神出鬼没で難を逃れた。その際、天元寺くんも一緒に飛ばすことはできた。だけど。

 心見くんは……。間に合わなかった。


「へえ……。面白いことすんなぁ……。頑張るじゃねえか……」


 魔獣が動く。体から新たに一本、尻尾を生やす。針を備えた、サソリのような鋭い尾。

 それをぶるんと振るい、速く、とても速く、突き出した。


「……あ? これは、避けねえのか……?」


 尾は、風来さんの体を刺し貫いた。

 彼女の体に大きな穴が空く。華奢な体は紙切れのように折れ曲がり、ぱっと舞い上がった血しぶきは、菊の花びらのように散っていった。

 風来さんは、尾の先に刺し貫かれたまま、だらりと手足を垂れ下げる。


 それでもう、動かない。

 もう二度と、動かない。


「なんだ、つまんねえ……。マグレかよ……。そういうのは……よくねえなぁ……」


 悲鳴が上がる。動揺が広がる。漏れ聞こえる嗚咽が、心を蝕む絶望が、加速的に空間を侵食する。

 立たなければ。こんな状況を覆せるのはヒーローだけだ。ここに本物のヒーローがいないなら、私たちが、その代わりをしなければいけない。


「夜永」


 なのに、私は立てなかった。

 尻もちをついたまま、体が少しも動かない。血が足りない。心が足りない。何もかもが、私から抜け落ちていく。

 だけど、彼は。


「もういい、夜永。お前は頑張った。誰も責めやしねえ。だから」


 天元寺突破。

 筋金入りの負けず嫌い。小細工抜きのド直球。誰よりも純粋に力を求め、何よりもまっすぐに己を貫く男。

 彼は、私の前に立ち。迷うことも、震えることも、ためらうこともなく。


「お前は、逃げろ」


 まっすぐ、突っ込んだ。

 真正面からの突撃。一瞬のうちに魔獣と激突し、力と力がせめぎ合う。


 それは彼が最も得意とする戦い方だ。策を弄さず、不利な状況でも正面から立ち向かい、どんな逆境だろうと凄まじい力ではねのける。

 彼の力は私が一番よく知っている。天元寺くんとは何度も何度も戦った。彼が繰り出す最後の突撃に、私は何度も苦しめられた。


 だけど……。

 今回は、相手が悪すぎる。


 魔獣の体が膨れ上がる。筋肉量が二倍に、三倍に、四倍に。それでも足りなければ十倍に、二十倍に、三十倍に。加速的に膨れ上がり、膨張した巨大な筋肉の塊は、天元寺くんの突撃を正面から止めてみせた。

 力のせめぎ合いはすぐに終わった。勢いを失った天元寺くんの体を、歪な筋肉の塊が、晒し上げるように持ち上げる。


「ギヒ……。お前……ハ……。ちョッと……おもシ……ロ……い……」


 握りつぶした。

 くちっと。粘ついた音とともに、彼の体が、両手で包み込まれるように押しつぶされて。


 天元寺突破は。

 赤く、ぐずぐずしたものになった。


「ヒひゃ……。あー……。さすがに、ちょっと……。やりすぎ、たな」


 やつの体が元に戻る。筋肉の塊から魔獣に、魔獣から人間の男に。

 元の姿に戻った彼は、脱ぎ捨てていたパーカーを着て、ポケットに手を突っ込んだ。


「夜永つみき」


 彼は、私を見下ろして。

 私は、彼を見上げていた。


「わかるだろ。お前らがこんだけ頑張っても、ヒーローなんて来ないんだ」


 ヒーローは来ない。

 私たちが死にものぐるいで時間を稼いでも、ヒーローはまだ来ない。

 太陽の時と同じように。ソラの時と同じように。私がどれだけ頑張っても、ヒーローは決してあらわれない。


「お前は、俺と同じだろ。だったら来いよ。こっち側に」


 三人、死んだ。

 私の目の前で。

 ほんの少し前まで、何事もなく話していた、友だちが、三人。


 それでも。それでも、ヒーローが来ないなら。

 ヒーローなんて、一体、何のためにいるんだろう。

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