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ヒーローは負けられない


 異形化の能力。

 人の身を捨てて、人を超えた力を手にする能力。

 それは、私にとっては最悪とも言える相性の相手だった。


 私の声は正解を指し示すものだ。それは多くの状況で役立つ万能な力ではあるが、その反面突き抜けたものではない。

 いくら声が聞こえたって、私にできるのは人間の枠組みの内側にあることだけ。超常的な力を振るえるわけではない。天元寺くんのように無茶苦茶な突撃をしたり、風来さんのように瞬間移動めいた出現をしたり、シケモクのように雲を操る術は、私にはない。

 本質的に、声とは戦闘向きの能力ではないのだ。


 ゆえに私は、こういったシンプルに強力な能力を何よりも苦手とする。人間以上の力を持つ相手には、どうしても不利がついてしまう。

 ましてやこの、異形化の能力。人間をやめ、人間以上の動きを可能にする、とてもシンプルな人外の力。


 私にとっては、間違いなく最悪の相手だった。


 ――今すぐ逃げよう。


 声は再度告げた。

 声がそう言った以上、逃げなければならない。それがこの場の正解だ。これ以上ここに留まってしまうと、本当に取り返しのつかないことになる。

 だけど。


「逃げたくないんだよね」


 色々な理由があった。

 それはたとえば、私と彼を取り巻く人々の目があるから、だとか。

 それはたとえば、曲がりなりにも人を助けたいと思ってしまったから、だとか。

 それはたとえば、私と似た過去を背負いながら、私と違う結論にたどり着いた彼に背を向けたくなかったから、だとか。


 それはたとえば。

 私が、夜永つみきだから、だとか。


「あー……。死んだなあ、これ」


 声を軽視したわけではない。私の声は絶対だ。この状況でそれに逆らおうものなら、何が起きたっておかしくない。

 私はここで死ぬだろう。だけど、それでもいいと思った。元々惜しむような命じゃない。ヒーローとして死ぬなんてまっぴらごめんだけど、ここで背を向けて生き延びるよりはよっぽどマシだ。


 となると、私がやるべきことは。


 ――今すぐ逃げよう。


「やるだけやってみますかね」


 どれだけ遺して、死ぬか。

 それが、夜永つみきの最期の仕事だ。



 *****



 十八秒。

 それが、私が稼ぐことができた時間だった。


 声は頼りにならなかった。それが指し示す正解は、今すぐここから逃げることだけ。となると私は声に頼らず、己の力でこの異形に立ち向かわざるを得ない。

 声のない私なんてヒーローの卵ですらない。ちょっと体を鍛えただけの、ただの少女に成り下がる。


 ゆえにその戦いは、人間対怪獣。


 十八秒、もっただけでも褒めてほしかった。


「け、ほ……っ。う、く、ぅ……」


 地に伏せてうずくまる。もう指一本たりとも動かない。

 辺り一面が赤く染まっている。周囲にぶちまけられた赤色を見て、ああ、私の体にはこんなにもたくさんの血が入っていたんだなと、場違いなことを考えていた。

 私は蹂躙された。情け容赦ない暴力に晒された。ろくな抵抗もできず、一方的に叩き潰された。


 ……いや。

 情けは、あったか。


「おーい……。おーい……。生きてるかぁ……」


 魔獣は低くうなった。

 私はまだ、生きている。その気になれば何度だって殺せただろうに、彼はなんとかして私を生かそうと、手加減のできない体を精一杯に抑えてくれた。

 その結果でこれなのだ。笑ってしまうほどの実力差。私にはもう、どうしようもない。


 人々は水を打ったように静まり返っていた。彼らにとっての希望であった私が、こうも無惨に敗北を喫したのだ。痛いほどの沈黙の中、嗚咽だけが漏れ聞こえる。


「あー……。もっと、楽しくやりたかったんだけどなぁ……。早く来いよヒーロー……。なんか、後味悪いじゃんか……」


 それはご生憎。

 私は、ヒーローに助けられないことに定評があるんだ。


 まあ、こういう結果になったわけだけど、私としては頑張ったほうだ。

 ヒーロー候補生としての義理は果たした。やるだけやってダメだったんだから、しょうがないじゃないか。世間の皆様だって納得してくれるはずだ。

 体が急速に死に向かう。諦めてしまえば、目を閉じてしまえば、私の人生はそこで終わりだ。


 心見くんは悲しむだろうか。風来さんは泣く気がする。天元寺くんは……たぶん、吠える。彼はそういう性格だ。

 シケモクのヤツは怒るだろうな。そして、誰よりも重く背負う。彼が私にあれこれ強く言っていたのは、それだけ心配してくれていたから。それに気づかないほど子どもではない。


 それと……。太陽と、ソラは。

 あの二人は、私がこんなことをやっていると知って、どう思うだろうか。


 わからなかった。記憶の中の二人は何も言わない。いつまでも子どもの姿のまま、あの時と変わらぬ笑顔を浮かべ続ける。

 まあ、あの二人については直接聞けばいいか。

 すぐに、その機会が――。


「天国と……地獄って……。信じます……?」


 ボロボロの体を奮い起こして。

 血が足りない体に鞭打って。あちこち折れ曲がった骨に無理を言わせて。朦朧とする意識を必死にかき集めて。

 私は、立ち上がった。


「あ……。まだ、立つのかぁ……?」

「私……。どうしても、話したい人たちがいるんですよね……。でもあの二人、きっと天国にいるから……。私が、地獄に落ちると、困るんですよ……」

「へぇ……。あんたは、地獄に落ちるのか……?」


 当たり前だ。

 私は太陽を殺した。私はソラを殺した。私は間違いなく地獄行きだ。

 天国に行きたいとまでは望まない。だけどせめて、一言だけでも話したい。だから。


「地獄行きって、執行猶予とか、つかないかな……」


 そんなくだらない理由で立ち上がった私に、魔獣は、にやりと笑った。


 立ち上がったはいいけれど、正直限界だ。これ以上戦う力なんて体のどこにも残っていない。拳を握るどころか、一歩前に歩くだけでも倒れてしまいそうだ。

 そんな私のたよりなく揺れる体に、何か、小さいものが、後ろから抱きついた。


「頑張って……」


 女の子。

 小さな、女の子。

 さっき、私たちが、駅前の交番に送り届けようとしていた、女の子。


「負けないで……!」


 彼女は、まるでヒーローを見るような目で、私を見上げていた。

 少女は能力を発動させた。とても小さな、癒やしの能力だ。

 能力自体はそう大したものではない。ほんの少しだけ傷を塞いで、ほんの少しだけ血を止めるくらいの。回復にはほど遠く、今まさに死に向かおうとしているこの体をわずかにつなぎとめただけ。


 だけど、彼女がくれた大きな勇気は。

 私の体に、力をくれた。


「……ありがとう。でも、大丈夫だから。安全なところで待っててくれる?」


 少女の頭を優しく撫でる。彼女は泣きそうな顔で頷いて、大人たちの方に走っていった。

 本当に、強い子だ。あんなに怖い怪物がいるのに、勇気を振り絞って来てくれた。


 ああ……。なるほど、どうもそういうことらしい。

 ヒーローが負けられない理由が、わかった気がする。


「すみません。待たせましたか?」

「無粋はしねえさ……。俺は、ヒーローが嫌いだが……。あんたみてえなのは、嫌いじゃない……」

「趣味が合う」


 もう無茶苦茶だ。

 声は今でも逃げろと言う。だけど私は逃げたくない。やるだけやって死のうと思ったのに、どうしても負けたくなくなってしまった。


 絶対に勝てないのに、絶対に負けられない。そんな矛盾が胸を焼く。

 だけどきっと、この矛盾が。この途方もなく大きな矛盾こそが。

 ヒーローを、ヒーローたらしめるものなのだ。

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