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あーあ、出会っちまったか


 怪人と呼ぶには、恐ろしいほどに冷静な男だった。

 柳のようなゆるやかさで、男は淡々とこの状況を作り上げてみせた。しかし、彼の瞳に燃えているのは間違いなく激情だ。炎のように燃える黒い心と、氷のように凍てついた頭を持つ。


 私が見てきた怪人とは、明らかに格が違う。


 ――時間を稼ごう。


 声は時間稼ぎを判断した。これだけ人目のある中での出来事だ。すでに通報もされているだろう。

 もうすぐ、ここにはプロのヒーローがあらわれる。それまで時間を稼げれば。


「んで。名乗れよ」

「……名乗り?」


 一瞬、素で聞き返してしまった。ヒーローに名乗りを求める怪人なんて聞いたこともない。


「候補生だって名乗りの一つや二つあんだろ。俺はな、殺したヒーローの名前を覚えておくのが趣味なんだ」

「あいにく、ヒーローネームはまだないんですよね」

「非公式のものでもいいぞ。俺は形式にはこだわらない」


 そう言われても、本当に考えていなかった。

 ヒーローネームとは、自分がどんなヒーローになりたいかという意思表示のようなものだ。ヒーローに憧れを抱かない私に、なりたいヒーロー像なんてものはない。


「夜永つみき」

「……なんだそりゃ」

「本名です」


 だから、代わりに実名で名乗った。

 男は目を見開く。そして、くひゃひゃひゃと、堰を切ったような哄笑を上げた。


「あんた、変わってんなァ」

「怪人に言われるとは思いませんでしたね」

「ヒーローの仮面をかぶることなく、あくまでも己としてここに立つか。イイね。すごくイイ。ああ、これだから嫌になっちまう。ヒーローにも面白いやつはいるもんだ」


 ただ考えていなかっただけなんだけど、とは言わなかった。ほしいのは時間だ。会話に興味を持ってくれるのに越したことはない。


「それで、あなたは」

「俺か? ああ……。雑魚には名乗らねえつもりだったんだけどな。でも、迷うな。つみきちゃん面白いから、名乗りたくなっちまった」

「夜永です」


 下の名前で呼ばれる筋合いはない。

 男はしばらく迷った後、ぽんと手を叩いた。


「じゃあこうしよう。つみきちゃん、時間を稼げ」

「……は?」

「ヒーローが到着するまでの間、頑張って生き延びろ。それができたら教えてやる」


 それは私の目論見通りだ。だけど、それを怪人から提案されたことは、嫌な想像を掻き立てる。

 こいつはヒーローを誘っている。私たちのような候補生ではなく、本物のヒーローがあらわれることを。それは、つまり。

 本物のヒーローが相手だとしても、勝つ自信があるということだ。


 ――横に避けよう。


 声に従って横に飛ぶ。直後、私がいた場所に、黒い風のようなものが通った。


「……へえ、イイね」


 男は、腕の刃で虚空を刺し貫いていた。

 予兆を感じさせない、ゆらりとした動きというのはわかった。だけど、静から動へと移り変わった一瞬、男は私の目を振り切るほどの急激な加速を見せた。


 声の指示がなければ、今の一撃で終わっていただろう。それほどの速さと鋭さを持つ一撃。

 それが、ただの牽制にすぎない。


 ――二歩下がって迎撃しよう。


 一歩下がり、首をかききる一撃を避ける。もう一歩下がり、腹をえぐる一撃を逸らす。そこで踏みとどまって、脳天を叩き割る一撃にカウンターを合わせた。

 握りしめた拳で殴り飛ばす。綺麗に突き刺さった一撃に、男はたたらを踏んで攻勢を緩めた。


「おい、おい、おい。勘弁してくれよ。惚れっぽいんだ、俺は。そんなことされたら、好きになっちまうよ」

「刑務所までならデートしてあげてもいいですよ」

「あー、そりゃ最高。そんなことまでしてくれんだったら、もう怪人やめちゃおうかな、俺」


 内心の冷や汗を隠しきれない。

 ギリギリだ。本当にギリギリだ。声があるからなんとか捌けているけれど、そうでなければとっくに死んでいる。

 一撃一撃が必殺。一歩一歩が薄氷。何をどう踏み違えても、最悪の結末が訪れる。


 ――心見くんを止めよう。


「来ないで!」


 叫んだ。怪人の男にではない。心見くんだ。


「これは、私が相手する。仲間を呼んできて」


 たぶん、加勢しようとしてくれたのだろう。その気持ちは嬉しいけれど、心見くんでは無理だ。

 彼の能力は戦闘向きではない。ヒーロー候補生として体は鍛えているが、目の前のこれに通用するほどではない。彼がここに来たって犬死するだけだ。

 心見くんにできるのは、天元寺くんを連れてくること。彼なら、まだ。


「あー。仲間がいんのか。どっかに隠れてんだな?」

「ええ。近隣に六人、少し離れたところに四人伏せてます。今は包囲を作ってるところですね」

「ふうん。包囲とはまたご苦労なことだが、なんで人数まで教えた? ブラフか? ……ああいや、こうやって考える時間を使わせたいのか。いじらしいじゃないか、つみきちゃん。俺はもうあんたのファンになっちまった」

「夜永です」


 まあ、こんな手に引っかかるようなタマじゃないよな。

 依然、状況は一対一。ヒーローの到着はまだ先だ。もうしばらくは私一人でやるしかない。


「俺はな、ヒーローが嫌いなんだ」


 ――左前に潜り込もう。


 唐突に振るわれた横薙ぎを、潜り込むようにかわす。


「ヒーローというよりも、ヒーローの嘘が嫌いなんだ。あいつらはいつだって欺瞞だらけ。なあ、そうだろ?」


 ――ローキックから掌底につなげよう。


 ローキックで足首を刈ろうとしたが、ひょんと飛んで避けられた。男の体が浮いたところに、跳ね上げる勢いで掌底を叩き込む。

 回避を許さない一撃だったが、交差した腕に阻まれた。金属を殴りつけたような重い感触。この刃の腕、見た目以上に強靭だ。


「奴らは全てを救えない。この世に悲劇なんてごまんとある。なのにあいつら、自分たちさえいれば絶対大丈夫なんてツラしてやがるだろ。そんな希望は虚構じゃないか」


 ――全力で後ろに跳ぼう。


 伸び切った体を引き戻し、思い切り地を蹴って後ろに跳ぶ。寸前まで私がいた場所に、両腕の刃が振り下ろされた。

 着地までは気が回らなかった。ごろごろと転がって体勢を立て直す。


「ムカつくんだよ。だから、全部さらけ出してやる。俺がこの手でぶちまけてやる。正義なんて方便だって。そんなものは力ない願望だって。無敵のヒーローなんてもの、本当はどこにもいないんだってな」


 ――正面から突撃しよう。


 前に飛ぶ。拳を固める。真正面から怪人と交差し、ヤツが刃を振り抜く前に拳を入れ、初動を抑えて後ろに抜ける。

 一刀で切り伏せられることは防いだ。だけど、無傷ではすまない。頬に走った赤い線から漏れ出した血を、親指でぬぐった。


「急におしゃべりですね」

「つみきちゃんとお話ししたいのさ」

「夜永です」


 どうしよう。

 めちゃくちゃ共感できてしまった。


 彼が言うことは、私が常々感じていたヒーローへの嫌悪感そのものだ。ここに来て初めて、私は理解者とも言える存在に出会えたのかもしれない。

 怪人の思想に感じ入ってしまうのはヒーロー志望としてどうかと思うが、共感してしまったものは仕方ない。


「あなたも――」


 言いかけて、言葉をかえた。


「あなたは、ヒーローに救われなかったんですか」


 この誤魔化しは、彼には通用しなかった。

 けだるげだった男の瞳が、丸く見開かれる。好奇心は狂喜となり、爛々とした狂気的な輝きを放ちだす。


「ますます気に入った」


 気配が変わる。遊びが消える。彼が、本気になってしまう。

 ヤツの佇まいは変わらない。だけど、その存在感は明らかに違う。さっきまでとは別の生き物のような重圧。私は、一歩後ずさった。


「ああ、ヒーローが来るまでの遊びのつもりだったんだけどな……。こんなのズルだろ。本気で欲しくなっちまったじゃねえか。これって運命の出会いってやつだよな。あんたもそう思うだろ――夜永つみき」

「……そうですね。同類と出会ったのは、初めてです」

「否定しないんだな」


 きっと……。きっと、この男にも、私と同じような過去があるのだろう。

 ヒーローに助けられなかった過去が。ヒーローに裏切られた過去が。ヒーローを信じられなくなって、暗闇の底を這い回った過去が。

 私も同じだ。だから私は、彼の心に燃える黒い炎を否定できない。

 それでも。


「私は、この道を選びました」

「……そうか。それは、残念だ」


 私はヒーローで、彼は怪人だ。


 私だってヒーローが嫌いだ。憎悪している。だから、もしも何かが違っていれば、私も彼のようになっていたのだろう。

 そうならなかったのは、“声”が進むべき道を指し示したから。


 どうしてヒーローを目指しているのか、答えはまだわからない。

 だけど今、私は、ヒーローとしてここにいる。


「特別だ。見せてやる、つみきちゃん」


 彼は、パーカーを脱ぎ捨てた。

 パーカーの下に、彼は何も着ていなかった。鍛え抜かれた肉体は、無数の傷跡に彩られていた。


 刺創。銃槍。火傷痕。ありとあらゆる傷跡が刻み込まれたその体は、脈打つように内側から隆起した。

 ぼこり、ぼこりと、筋肉が持ち上がる。肥大化し、変質する。肉体が隆起するたびに質量が増大し、彼のシルエットは一瞬ごとに膨れ上がる。


「こうなっちまうと……手加減……できねえんだ……。五体満足とは言わねえが……。せめて心臓と……頭くらいは……残るといいなァ……」


 いつしかそれは人間から遠くかけ離れて、四足の魔獣めいた姿へと変貌していた。

 危機感が騒ぐ。本能が叫ぶ。これは無理だと。私なんかが相手にできるようなものではないと。


 そして、私の能力も、それを裏付けた。


 ――今すぐ逃げよう。


 声は、無情な指示を出した。

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