ヒーローになろうと、声は何度も繰り返した
「夜永。お前、学校どうだ」
ある休み時間、たまたま二人になるタイミングがあって、シケモクはそんな当たり障りのない質問を投げかけてきた。
当たり障りがなさすぎて、なんと答えるものか逆に迷う。多分、なんて答えても「ああ、そうか」で終わるだろう。そのつもりで適当に返すことにした。
「楽しくやってますよ。一人、意地悪な先生がいますけど」
「そうか。俺もな、生意気な生徒がいて困ってるんだ」
「あら、気が合いますね」
「仲良くしような」
この生暖かいコミュニケーションこそが、私たちが積み上げてきたものである。師弟の絆に乾杯。
「いやまあ、言うだけあって結構楽しくやってるようじゃないか」
「私が楽しくやってちゃいけないですか」
「そうじゃねえよ。なんでそうひねくれてんだお前は」
そりゃだって、ひねくれてない私なんて私じゃないからだ。もう長いことこの壊れた心を引きずっていると、自分がどういう生き物なのかもよくわかってくる。
「なあ、夜永。……なんでお前、ヒーローなんて目指してんだ」
唐突に投げるには、不釣り合いな慎重さがあった。
たぶん、どこかで聞こうとは思っていたのだろう。どうして私がヒーローを目指すのか。入学試験の時に確認できなかった、私の心の内側を。
「言ってもいいですけど、それを理由に退学にしたりしないでくださいね」
「夜永」
冗談を咎める響き。シケモクの目には、真面目な色が宿っていた。
彼は私の過去をある程度知っている。過去に私が、怪人に二度襲われていることを。
だけど、シケモクが知っているのは出来事だけだ。それを体験した私の心の中までは知らない。あの出来事を経験しておきながら、復讐心を燃やすでもなくヒーローを目指す私は、彼にとっては理解しがたいものなのかもしれない。
「そんなに難しい理由じゃないですよ。私の能力は知っているでしょう」
「“声”が、そう言ったのか?」
「はい、そうです。ヒーローになれ、ヒーローになれってうるさいんですよ。だから、仕方なくこんなことをしています」
理由なんてそれだけだ。そうでなければヒーローなんて目指すわけがない。ヒーローも、怪人も、どっちも私は大嫌いだ。
「夜永。お前、自分の能力についてはどう思う」
「どう思う、とは?」
「それをどういう能力だと認識しているか、説明してみろ」
質問の意図がつかめなかった。
ひとまず、言われたままに答えてみる。私の能力は“声”が聞こえるというもの。声は私がやるべきことを教えてくれて、それに従うと大抵の場合はいいことが起きる。
その一方で、声に従わないと酷いことが起きる――というわけではない。切羽詰まった状況では一つの判断ミスが致命傷になりうるが、安全な状況下では、声の指示を無視したって特に問題はない。
あくまでも、その場における正解を指し示す能力。それが、私の声だ。
「そうだ。お前の能力は正解を指し示してくれる。だけど、その正解の根拠はなんだ」
「……根拠、ですか?」
「正解っつっても色々あるだろ。たとえば」
シケモクはコインをピンと跳ね上げた。すぱぱぱっとコインをさばいて、両手のどちらかに握り込む。当ててみろ、と顎で示した。
――右と答えよう。
声が示すまま、私は先生の右手を指し示す。シケモクが開いた右手にはコインが握られていた。
「正解。だけど、俺にとっては不正解だ。俺はお前に間違ってほしいと思っていた」
「正解には主観がある、と」
「そうだ。人によって正解は変わる。お前の声が指し示すのは、あくまでもお前にとっての正解だけだ」
私にとっての正解が、誰かの正解とは限らない。それについては心当たりがあった。
思い返すのは、ソラを失ったあの日のこと。あの時私は、ソラの手を借りてダクトに潜った。だけどそうではなく、私が下に残ってソラを跳ね上げていれば、助かっていたのはソラだったのかもしれない。
声は正解を教えてくれる。可能な限り丸く収まる正解を。だけど差し迫った状況において、声は私の身を優先してしまう。
「次の問題。夜永、俺の職員室の机に置いてあるものについて答えてみろ」
「ええ……? いや、さすがにそんなのわかんないですよ」
「いいから、聞くだけ聞いてみろって」
そう言われて考えてみる。だけど、さすがに声だって万能じゃない。千里眼ではないのだ。耳を傾けても、声は何も答えてくれなかった。
「……わかんないですよ。なんなんですか、この質問」
「じゃあ、俺のズボンのポケットに入ってるものは?」
――ライターと答えよう。
これはすぐに教えてくれた。そのまま答えると、シケモクはポケットからライターを取り出した。
「正解。多分、どっかで見せたんだろうな。だから答えられた」
「えっと……。そう、ですね。さっきの質問と何が違うんでしょうか」
「お前がまったく知らないことはわからないってことだよ。お前の声は、あくまでもお前が見聞きしたものを根拠にしている。だから、お前自身が見たことも聞いたこともないことは答えられないし、逆に少しでも知っていれば答えられる」
なるほど、そういうことか。
思い出すのは、先日の山岳訓練の時のこと。あの時も、声が囁いたのは天元寺くんが血臭に気がついてからだった。彼が最初の情報をくれるまで、声は何も教えてくれなかった。
つまりこの声は、私が知っていることを根拠にして、私にとっての正解を教えてくれる。
それって、つまり。
「俺はさ。お前の能力って、実のところ思考の省略なんじゃないかって思うよ」
シケモクの言葉は、私の考えと同じだった。
「数学に例えるなら、途中式をすっ飛ばしていきなり解を出すようなもんだ。情報さえ出揃えば、お前の能力は即座に正解を導き出す。それは“声”となってお前に与えられる。だからお前は答えに至る過程を知らないままに、最速で最適解を選び取る。違うか?」
「……いえ。違いません。それで合っていると……思い、ます」
今までの経験を一つ一つ思い出す。
太陽が死んだ日、私は――スクランブル交差点で、ディスプレイに映ったニュースを見ていた。あの時の私はニュースの意味なんてわかっていなかったけれど、あれは、近隣に怪人があらわれたことを警告するものではなかったか? だから声は、私たちが薄暗い路地裏に踏み込もうとした時、早期から警告を発することができた。
その一方、ソラが死んだ時。声が指示を出したのは、悲鳴と血臭をわずかに感じた時だった。それはつまり、怪人による被害が出るその時まで、私は危険に気が付かなかったということだ。だから声は、危機を回避するにはあまりにも遅すぎるタイミングになって、ようやく私に危機を知らせた。
間違いない。確かにそうだ。シケモクの推論は合っている。
だけど……。もし、そうだと、したら……。
「もう一度聞くぞ、夜永。お前、なんでヒーローなんて目指している」
声がそう言ったから。
私の声が、ヒーローを目指せと言ったから。
それは、つまり。
「すぐに答えなくていい。だけど、考え続けろ。お前がヒーローを目指す理由は、必ずお前の中にある」