俺を誰だと思っていやがる
戦闘訓練の相方は、いつも決まって天元寺突破だ。
たまには他の生徒と組むこともあるけれど、大体は彼が挑んでくる。今日こそお前に勝つ、なんて言葉とともに勝負を挑んでくるのがいつもの事だ。
私としても天元寺くんと訓練をするのは嫌いじゃない。純粋な戦闘力で言えば、私が一番で彼が二番。いまだ天元寺くんとの勝負は常勝無敗を誇っているが、実力差はそう大きいものではない。油断すればすぐに詰められるだろう。
彼には負けたくない、と思うのはどういった感情だろうか。別にクラスメイトに負けたってヒーローにはなれるのに。だけど私は、もうしばらくは天元寺くんに負けてやるつもりはさらさらなかった。
「夜永ァ! 俺と勝負しろ! 今日こそ! お前に! 勝つッ!」
「いいよー」
大体こんなノリである。
ちなみに彼は先生の話を聞いていなかったようだが、今日の訓練は二人一組になっての山岳踏破。戦闘訓練ではないので、彼は私と戦うことはできない。
「はいこれ、ザックとハーネス。私はグローブ使うけど、天元寺くんは?」
「……あ? なんだそれ。戦闘訓練は?」
「だから山登りだって」
彼はしばらくフリーズする。そして、ぴこんと答えを導き出した。
「わかった! 先に登りきった方の勝ちだな!」
「もうそれでいいや」
二人一組の訓練なので、私たちは互いの体をロープで結ぶ。どっちかが先に行く、という勝負ではなかった。
山登りと言っても、そこはヒーローになるための訓練だ。想定されているシチュエーションは山岳救助。整備された登山道をてくてく登るなんてことはなく、断崖絶壁を命がけでクライミングするのが本日の授業。
もちろん、ただ登ればいいというわけではない。可能な限りスピーディに、それでいて体力に余裕を残して登らなければならない。
「天元寺くん。私が先に行ってルートを作る。天元寺くんは――」
下から後を追ってきて、って言ったら怒るだろうなぁ。
「天元寺くんにはスーパーアンダークライマーをお願いしたい」
「スーパーアンダークライマー!?」
「スーパーアンダークライマーには、上にいる人がもしも落っこちた時、その場に踏ん張って落下事故を防ぐ役割がある。私たちの体はロープで繋がれているから、君の体にかかる負荷は相当のものだ。これはとてつもなく難しいミッションであり、そして極めて大事な役割でもあるの。だから、できれば天元寺くんにやってもらいたいんだけど、どうかな」
「ああ、任せとけ。スーパー……なんとか。俺がばっちりこなしてやる!」
とりあえず横文字並べとけばなんとかなるかなと思ったら、本当になんとかなってしまった。チョロいなこいつ。
クラスメイトから畏敬と同情の視線を集めているような気もしたけれど、努めて無視した。なんだかんだでこの男と組むことが多いせいか、扱いになれてしまったのだ。
それに……。よくも悪くも、彼はとにかくまっすぐだ。その向こう見ずなまっすぐさは、どこか太陽に似ているものがあった。
そんな感じの役割分担だったが、私たちの能力を鑑みればこれが順当だろう。
私には“声”が聞こえる。どのルートで岩壁を登ればいいか、すべてわかる。安全かつ素早く登れるルートを迷わず選択すれば、断崖絶壁だろうとちょっと難しいジャングルジムみたいなものだ。
そうやって山の中腹まで登ったところで、状況確認も兼ねて岩場で小休止。そう悪くないペースだ。
「天元寺くん、調子は? どこか怪我してたりしない?」
「何も問題ない。俺は無敵だ」
「そう、ならよかった」
なら休憩もそこそこにしとこうか。想定されているのは山岳救助。救助隊がのんきにおしゃべりなんかに興じていたら、減点されてしまう。
「でもよ。なんか、変な匂いしねえか?」
「……ん?」
――風来さんを呼ぼう。
声が聞こえて、即座に私は声を張った。
「ふわりー!!」
「はーい!」
下の名で叫ぶと、彼女は即座にあらわれた。
空間の間に割り込むように、ひょこっとそこから生えてくる。彼女の能力は神出鬼没。彼女から少しでも目を離すと、いつの間にかそこにいたりいなかったりする。
今回の訓練でもその能力を遺憾なく発揮し、瞬間移動めいた移動法を用いて、早々に一着でのゴールを果たしていた。
ちなみに、彼女の相棒は心見くん。風来さんに置いていかれた彼は、今も一人で懸命に山を登っている。
――心見くんを連れてきてもらおう。
「風来さん。心見くんをここに連れてきて。できる?」
「え、え? ふわりは? ふわりって呼んでくれないの?」
「いいから、早く」
神出鬼没の自由人を地で行く彼女だが、下の名前で呼ぶとすぐに生えてくる習性があることを最近知った。それ以来、用事がある時はこうして便利に使わせてもらっている。
風来さんはちょっと悲しそうにしつつも、心見くんを呼びに行ってくれた。
それ以上声の指示はない。ひとまず、今私がやるべきことはこれだけなのだろう。
「で、天元寺くん。変な匂いって?」
「お、おお……。お前、なんか、色々急だな」
「私の能力。知ってるでしょ」
どうして風来さんと心見くんを呼んだのかは、私にも説明はできない。私にわかるのは結論だけ。声がそういった以上、そうすることがこの場における正解なのだ。
「変な匂いっていうか、なんつーか……。よくわかんないけど、血の匂い?」
「まずいね、それは」
天元寺突破は人間性能の塊だ。とにかくフィジカルが優れていて、目も鼻も野生動物並に効く。その彼が血の匂いを嗅ぎ取って、私の“声”が行動を促した以上、何か異変が起きているのは間違いないのだろう。
ほどなくして、風来さんと一緒に心見くんがあらわれた。
「おい、風来。お前急に何すんだ。僕はお前と違って自分の力だけでこの山を――」
――心見くんに周囲を見てもらおう。
「心見くん。ここから心眼で何か見えない?」
「へ? 夜永さん? 何かって、何が?」
「わかんない。でも、何かあるはず」
心見くんは周囲を見渡した。山の麓に広がるのは広大な樹海。その一角を見て、彼は、ぴたりと動きを止めた。
「……あそこ。誰か、いる。弱い青色だ。助けを求めてる……! 早く行かないと!」
ようやく得心がいった。なるほど、遭難者がいたのか。
たとえ樹海の奥であろうとも、心見くんの目には心の色が見える。だから“声”は、風来さんに心見くんを連れてくるように言ったのか。
――ロープを切ろう。
「……ん?」
なんだ、この指示。なんでだ?
「よっし。そういうことなら、俺の出番だな」
私は迷った。天元寺くんは迷わなかった。それが私たちの命運をわけた。
私は急いで声に従おうとした。ホルスターからナイフを抜いて、互いをつなぐロープに刃を突き立てようとした。だけど、迷ったほんの一瞬だけ、刃は間に合わなかった。
「今ァ! 行くぞおおおおおおおっ!」
「ひにゃっ……! うひゃあああああああああああっ!!」
天元寺突破は、迷うことなく断崖から飛び立った。ロープで繋がれた私もろとも。
解説しよう。天元寺突破の能力はバカ――じゃなくて、突撃だ。目標地点を定めたら、そこに向かって一直線で移動する能力。それを阻む障壁はすべて打ち破り、本人は無傷でその場所に到達できる。
良くも悪くも直線的だが、極めて強力な能力だ。対戦相手として考えると、こういったシンプルに強い系の能力は、夜永つみきがもっとも苦手としているものだった。
だって私の能力、声が聞こえるだけだし。どんなに声が聞こえたって、私には人間以上の動きなんてできないし。風来さんみたいに瞬間移動したり、天元寺くんみたいに超突撃したりなんてできないし。
結局ね、こういった人間を超えてくる能力が一番強いんだと思うよ、私は。
とまあ、そんなどうにもならない走馬灯を交えつつ。あらためて私は現状に向き合った。
岩壁から飛び降りた天元寺くんは、樹海の奥にいる遭難者に向かって一直線に突撃している。その様はまるで流星のようであり、そんな彼に引きずられて飛んでいる私はアクロバティックな金魚のフンだ。
このままだと、私、死ぬ。天元寺くんの能力が保護してくれるのは本人だけ。引きずられている私は間違いなくここで死ぬ。
いやまあ、それでもいいんじゃないかなとちょっと思った。死にたいなぁとは思っていたけれど、よりにもよってこんな形か。ごめんね太陽、ごめんねソラ。つみきは結構アホな感じで死ぬみたい。
――ロープを切ろう。
“声”は私に生きろと言った。了解、死ぬのはまた今度だ。
今度こそロープを切断する。天元寺くんはそのまま飛んでいき、私は空中に投げ出された形だ。このまま地上に激突してプチトマトになる未来は避けられない。だけど――。
そうなる前に、落下地点に綿あめのような雲の塊が形成された。
木々の上に作られた雲のクッションは、私の体をぼよんと跳ね上げる。おかげで勢いはだいぶ殺された。
私は空中で姿勢制御を取り戻し、なんとかして着地をはかる。鬱蒼と茂った葉の中に突っ込み、枝で体中を切り刻まれながら、最後には柔らかい土の上にべとっと転がった。
「いったた……」
全身傷だらけだ。でも、なんとか生きている。そんな私の前に、タバコを咥えた冴えない男があらわれた。
彼の名はシケモク。私たちの担任でもあるプロのヒーロー。
能力は、雲生成だ。
「ありがとうございます、先生……。おかげで、なんとか」
奇跡の生還を果たしたかわいい教え子に、シケモクは無情な宣告をした。
「お前ら、後で説教な」
「そんなぁ」