主人公こいつじゃね?
ヒーロー候補生、兼、要注意人物。それがシケモクから下された私への評価だ。
下手すれば怪人になってもおかしくないと思われているのだろう。シケモクは度々私を警戒していたし、私もそれをわかっていたので、彼の前では可能な限り優等生として振る舞った。
心配しなくても問題なんて起こさない。私がなりたいのは怪人ではなくてヒーローだ。大嫌いなヒーローになるために、壊れた心を引きずって、一生懸命に訓練に励んだ。
総じて私は優秀な生徒だった。身体能力や学業は上位をキープし、戦闘訓練でクラスメイトたちに遅れを取ることは一度もなかった。
私は強い。強さを手に入れた。あの時、太陽とソラを殺してしまった私は、今さらになってこんな強さを手に入れた。
だけど、私にだって。
どうしても苦手なものはあった。
「夜永さんってすごいよなぁ。見た目女子なのに、普通に男子と殴り合うし。僕も一回相手してもらったけど、めちゃくちゃ怖かった」
「どうだ、つきみんは強いんだぞ。私たち女子の星だ!」
「なんでお前が偉そうなんだよ」
学業の合間の昼休み。それまで別の話をしていたクラスメイトが、話の流れで、そんなことを話しはじめる。
すごく、居心地が悪かった。
「この前なんて、あの天元寺のやつまでボコってたし。だよな、天元寺」
「俺は! 負けて! ねえッ!」
昼休みなのに猛然と腹筋をしながら元気に叫ぶ彼、天元寺突破。問題児の私が言うのもなんだけど、彼も中々の問題児だ。
上昇志向が強く、負けず嫌い。とにかく自分が一番でなければ気がすまないタイプ。戦闘訓練の度に勝負を挑んでくるのは、いつも決まって彼だった。
「わひゃひゃひゃひゃひゃ!」
何がそんなに楽しいのか、少女は手を叩いて笑い始めた。
彼女の名は風来ふわり。クラスの中でも随一の変わり者で、大体いつもよくわからないノリでふわふわとしている。エンジンがぶっ壊れたムードメーカーというのがクラスの評だ。
「夜永さん。天元寺、ああ言ってるけど。どうだった?」
さらっとした流れで私に話題を向けた少年が、心見瞳。
学業・実技ともに目立ったところはないが、人の間に挟まるのが上手い。クセものだらけの同級生たちを上手いこと取りまとめて、しれっと学級委員なんていう役職に収まっていた。
彼らだけではない。この学校は、こんなやつらでいっぱいだ。
どいつもこいつもヒーロー志望。揃いも揃って人格者。いつだって和気あいあいと切磋琢磨し、競い合って己を高める。他人の功績は嫉妬心なく讃えるし、困っている人がいれば手を助けるのは当然だ。
この世に倒せない悪はないのだと。正義の力と心があれば、すべての悲劇は打ち破れるのだと。そんな目眩がするようなきらきらとした思想が、この学校には至るところにはびこっている。
ひどく、居心地が悪かった。
「……心見くん。ごめん、ちょっと、気分が」
「おー? 瞳ちゃん、何したの。つきみんいじめた?」
「ちょっと黙ってろ風来――。ごめん、夜永さん、気づかなくて。保健室まで付き添うよ」
「一人で大丈夫。ありがとう」
席を立ち、私は足早に教室から逃げだした。
無理だ。私には、無理だ。これ以上あの中にはいられない。
これでも、輪に溶け込むつもりはあった。うまくやっていく自信もあった。だけど、どうしても無理なのだ。
あんなきらきらした人に囲まれて、平静でいられるわけがない。だってそうだろう。どうしても考えてしまうのだ。
もしも――。もしも、太陽とソラが生きていたら。
私も、あんな風に笑えたのかもしれないって。
遠い仮定だ。太陽は死んだ。ソラも死んだ。私はとっくに壊れている。きらきらした青春なんて、私には夢見る資格すらもない。
クラスメイトが向ける無遠慮な善意は、私の醜い部分をざくざくと突き刺す。彼らと言葉を交えるほどに、自分との違いが浮き彫りになってしまう。
今はまだ隠せている。人間のふりができている。だけど、いつかはバレるだろう。
私が、最低の人殺しだってことに。
――ヒーローになろう。
「わかってる……」
――ヒーローになろう。
「わかってるよ……」
――ヒーローになろう。
「わかってるから……。もう、やめてよ……」
人気のない廊下の隅で、ずるずると座り込んだ。
ヒーローにならなければならない。私は、なんとしてもヒーローにならなければならない。壊れていても、人殺しでも、あの教室がどんなに居づらい場所だったとしても。何が何でもヒーローになる。それ以外の選択肢はない。
気分が悪い。吐きそうだ。
ほんの数週間すごしただけで、もうこんなにも気持ち悪い。
卒業するまで、あと何日この場所にいなければいけないんだろう。
「夜永さん……」
声をかけられて、緩慢に顔をあげる。
「その……。ごめん、辛そうだったから、大丈夫かなって……。それで……」
心見瞳。
彼は、見てはいけないものを見てしまったような顔をしていた。
事実そうだ。きっと、私はひどい顔をしていることだろう。とっさに取り繕うような余裕もない。
こんな姿、他人に見せていいものではなかった。
「心見くん……。最悪の、ところに、来てくれたね」
「ごめん……」
「ちょっと、待って」
皮肉の一つも言いたい気分だった。
深呼吸を一つ。情けない姿を見られてしまったが、今さらでも取り繕おう。ゆっくりと呼吸を繰り返して、自分の中に強く意思を詰め込んでいく。
さあ、もうちょっとだけ頑張ろうか、夜永つみき。苦しいのはわかってる。だけど、だましだましでも人間をやるんだ。彼を追い払うまでの間だけでもいいから。
一生懸命立ち上がって、なんとかして表情を作る。たったそれだけのことでも、私にとってはやっとのことだった。
「……心見くん」
「うん……」
「私ね、陰キャなの」
「え?」
彼は虚をつかれた顔をしていた。
「陰キャって言うのも変かな。えっと、クラスのみんなってきらきらしてるじゃない? みんなすごく明るくて、優しくて、まさにヒーローって感じでさ。でも私……。ああいうの、あんまり、馴染めないから」
「ああ、まあ……。確かに、この学校ってそういうところあるかもしれない」
「だからちょっと、気分が、ね。話しかけてくれたのはすごく嬉しかったんだけど……。ごめん」
「いや、夜永さんが謝ることはないよ。僕の方こそ……無神経だった」
上出来だ。
我ながら頑張ったと思う。嘘と真実を織り交ぜて、本当に隠したいことは隠し通した。これなら、今後心見くんが私に話しかけてくることもないだろう。
本当にごめん、と頭を下げて、彼の前から逃げようとした。
「夜永さん。ちょっとまって」
心見くんは、私の手を握って引き止めた。
手を、握られた。
ぞわりとした。嫌な思い出が脳裏にフラッシュバックする。いつも私の手を引いてくれていた、温かかった彼の手が。段々と熱を失って、冷たくなっていった彼女の手が。あの感触が、私の手のひらに焼き付いて離れない。
嫌悪感が走る。とっさに、勢いよく手を振り払った。
「え、あ……ごめん、その、そんなつもりじゃ」
「……なに」
冷たい響きが口をついて出た。
寒い。寒くて寒くて仕方ない。だけど、手を握られるくらいなら、寒いままで構わない。
私はもう、誰とも手を握りたくない。
「僕の能力、知ってるかな。心眼って言ってさ。文字通り、心が見えるってやつなんだけど……」
突然に彼はそんな話をする。知っているかと言われても、心当たりはなかった。
「読心術ってほどじゃないよ。感情が色分けして見えるってだけ。何考えてるかまではわからない。信じて」
心見くんはぎこちない笑顔を作ってひらひらと手をふる。
その仕草で思い出した。確か、最初の自己紹介の時も、彼はこんな身振りと共に自らの能力を説明していたんだったか。
「だから、誰がどんな気持ちなのかとかってわかるんだ。無理して笑ってるやつとか、輪の中にいるのに疎外感を感じてるやつとか。でも、それはそれでいいと思う。みんなが仲良くしなきゃいけないなんて思わない。僕だって、実を言うと一人でいる方が好きだったりするし。夜永さんの言うところの……陰キャって、やつかな。はは」
敵意がないことを示そうとしているのか、彼は下手な作り笑いを浮かべていた。
「でも……。夜永さんは、そういうのとは、違うよね」
「……どういうこと?」
「馴染むのが苦手なやつだって、ずっと張り詰めてるわけじゃない。無理して輪の中にいる時は辛そうにしていても、一人になったら安らぎを得ている。だけど……。夜永さんの色は、いつだって真っ黒だ」
黒。
真っ黒。黒く染まった、虚無の心。
見透かされている。誰にも明かす気がなかった胸の内を。
いい気はしなかった。そんな私の感情の機微を悟ってか、彼はびくりと震えた。
「夜永さんが怒るのはわかる。付き合いも浅い相手から、こんなこと言われたら誰だっていい気はしないと思う。でも、聞いてほしいんだ」
返事はしなかった。だけど、立ち去ろうともしなかった。私の譲歩はそこまでだ。
「どうして夜永さんの心がそんなに黒いのか、僕にはわからない。聞きたいとも思わない……わけじゃないけど。でも、夜永さんが言いたくないことを無理に聞き出したいわけじゃない」
「なら、私に何を望むの?」
「いや、その、何かを望むとか、そういうわけでもなくて……」
だったら一体、何をしに来た。
要領を得ない言葉。ロクな覚悟もないくせに、人の心に踏み入るような真似をする。
私はもう、彼のことが嫌いになりつつあった。
「ただ、友だちになってほしいだけ……って言ったら、怒る?」
「……は?」
今度は、私が虚をつかれる番だった。
友だち。友だちと言ったか、この男。どういうことだ。なんで今の流れから、そんな浮ついた言葉が出てくる。
「あー、いや、その……。仲良くしたいってのとはちょっと違う……いや、違わないけど……。ああくそ、僕、本当に下手だなこういうの。もういいや、全部言う。夜永さん。僕、夜永さんと仲良くしたい。ちゃんと友だちになって、もっと色んなこと話したい。今は無理だとしても、いつか夜永さんの胸の中にあるものを見せてほしい。それを言いにきたんだ」
途中からはもう、やけくそ気味に言葉が投げつけられてきた。
虚をつかれるどころじゃない。目を白黒させていた。太陽もソラも強引なところはあったけれど、目の前の彼はまた違う。
なんなんだこのド直球は。
あまりにも飾り気がなさすぎて、それゆえに、心の奥を深くえぐる。
「それは……同情、って言うのはおごりすぎかな。でも、興味ではあるよね。たまたま私の心が珍しい色をしていたから、どんなやつか気になった。そういうことでいい?」
「そうだよ。余計なお世話だってのはわかってる。でも……放っておけなかった」
余計なお世話というのは本当にそのとおりだ。そんなことを言われても困ってしまう。
私に関わるな、なんてあからさまなセリフは言いたくなかったけれど。ここまで余計なことをされたらもう、拒絶するしかないじゃないか。
「僕、こういうの、放っておけないんだよ。だって、ヒーローになりたいから」
その言葉に、私の心の黒い部分が刺激された。
ヒーローになりたいなんて。あんなものに、自分から好き好んでなりたいだなんて。私の前でよく言えたな。
「……私が、ヒーローなんて大嫌いだって言ったら?」
売り言葉に買い言葉。言わなくてもいいような、それこそ余計なことを言ってしまう。
それでも彼は、よどみなく答えてみせた。
「だったら、夜永さんに好かれるようなヒーローになるよ」
……ああ、これはダメだ。
ダメだ。こんなの反則だ。私に勝てる相手じゃない。そう思った。
これだからヒーローは嫌いなんだ。こんなきらきらした言葉を、恥ずかしげもなく言い放つ。私の心から滲み出た猛毒も、正面から受け止めて浄化してみせる。自分の正義はきっと誰かを救えるんだと、頭から爪先までどこまでも純心に信じ切っている。
嫌いだ。大嫌いだ。私と彼は違う。住む世界が決定的に異なっている。
だけど、私は。
これ以上、彼の正義を否定する言葉を、持ち合わせていなかった。
「……ちょっとだけ」
か細く揺れる、我ながら情けない声だった。
これは事実上の敗北だ。私は彼を否定できなかった。ヒーローなんてものを認めたわけではないけれど、それを信じる彼の心の輝きを前に、張り続ける意地なんて持っていない。
「ちょっとだけ、友だちで、勘弁してください……」
「……うん。無理言ってごめん。ありがとう」
握手を求めて彼は手を差し出す。手を握るのはまだ怖くて、私は、指一本分だけそれに応じた。
ややあって、私たちは教室に戻る。窓際に腰掛けて、ぽけぽけと雲を眺めていた風来ふわりが、真っ先に私たちに声をかけた。
「あ、おかえりー。つきみん、大丈夫だった?」
「うん、大丈夫……。あの、風来さん。前も言ったんだけど、そのつきみんっての、やめてほしいかも」
「じゃあふわりんって呼んで?」
「なんでそうなる」
話を聞いているのかいないのか、風来さんはにこにこと笑っていた。かと思うと、ぱっと心見くんの方に向かう。
「こらー!」
そして、唐突に怒った。
「瞳ちゃん。つきみんのこといじめたでしょ」
「風来、あのな。そういうんじゃなくてだな」
「気持ちはわかるけどさー。あんまり強引すぎると嫌われちゃうぜ。あ、でも、最後のセリフはちょっとかっこよかったかも。ザ・青春って感じで。だけど胸の中にあるものを見せてほしいってのはドン引きだね。冷静に考えてみ? セクハラだよセクハラ。あれで減点一億点」
「おまっ、おい、お前! 聞いてたのか!」
「わひゃひゃひゃひゃ!」
風来さんは楽しそうに笑って逃げ出し、心見くんはそれを追いかけて走り出した。
なんというか……。うん。楽しそうなやつらだ。それで片付けることにしよう。
「んでさ、つきみん」
かと思うと、後ろから風来さんが生えてきた。
窓の外にいる風来さんは、窓枠に上半身を預けてぷらぷらと気楽に足を揺らす。ちなみにここは三階だ。ぷよ高の生徒は時々こういった奇行に出る。
「うちのクラス、君のファン、結構多いんだぜ。瞳ちゃんほどあほあほド直球はさすがにいないけど、みんなそれなりに君のこと気にしてるかもね」
「……へえ、そうなんだ」
「嬉しい?」
「目眩がしてきた」
窓を閉める。窓の外にいた少女は、ふみゃっと悲鳴を上げた。
本当に。これだから、ヒーローってやつは嫌いなんだ。