第95話 乱戦と共闘
□□□ 遠見邸 北部分山岳地帯 プラーマと獅子ヶ谷椿交戦中
入念な準備と、獅子ヶ谷椿の人外じみた鉄線捌きにより、ロシアの切り札であるプラーマが攻撃行動に移る前に三体を打倒した。一対一でもマスターが敗北した超兵器相手には奮戦したといってもいいだろう。
しかし、残ったのは“その攻撃を学習した”プラーマが二体。獅子ヶ谷の援護もある上で尚、有利に立ったとはとても言い難い。プラーマは群にして一個の超個体。味方の死さえ自分の成長の糧とする群体である。
インターネットに繋がり、リコルテが行動を支配。コンピュータの演算により、友軍が斃れるほど脅威を増していく成長性は人間にはとても真似できない。
プラーマは対物ライフルを放棄した。いかに怪力でも、速度の低下は免れない。ここからはより身軽に、鉄線を躱し椿の撃破を主目的に置いた。
これは椿としても小春の未来視で予想できた展開である。コンピュータの演算速度が人間を上回るならば、未来視でその先を読めば良い。
山岳地帯に多数設置してあるのは「鉄線地雷」。起爆すると鉄線が全方向に射出され、それと繋がっている椿の糸を引っ張ることで、装甲を身に纏ったプラーマ相手にも効く、と予想されていた。
「残り二体。切り刻まれろ……。化け物が」
椿は紫がかった瞳で冷ややかに「鉄線地雷」に引っかかった一体を切断しようと試みる。しかし、分断できない。堅牢な合金装甲に守られた挙句、固めた筋肉が鉄線の切断を不可能にしていた。かろうじて動きを一瞬止めることには成功したが、それだけ。体重差、筋力差で椿のほうが引っ張られる。
しかし流石獅子ヶ谷。その停滞を見逃すほど呆けてはいない。即座に徹甲ライフル弾をプラーマめがけて掃射する。重装甲の鎧をいとも簡単に撃ち抜き、一体のプラーマを撃破することに成功した。
しかし炎の名を冠するロシアの主力はただではやられない。崩れ落ちる瞬間、口から火を噴き、接近していた椿に対して火炎放射を行う。この獅子ヶ谷の小隊の中で一番戦闘力があるのは言わずもがな椿である。黒いスーツを身に纏った護衛者は身を挺して火あぶりという地獄に身を投じ、灼熱から椿を護る。
生きたまま焼かれるのは、溺死と並んで最も苦しい死因の一つである。未来のために、地獄に身を投じる。生半可な精神力で出来ることではない。どの獅子ヶ谷も「遠見」を護る為ならば苦悶の上での死も辞さない鋼の精神を持っていた。
「……ありがとう。君たちのおかげで、山岳地帯からの襲撃は食い止められる」
椿は冷めた視線で最後のプラーマに目をやる。
「残り、一体」
そしてこのプラーマの厄介な点。小春の【消滅】が効かないという点にあった。強化人間は能力の副産物ではなく、電極を刺してリコルテが操っているだけなので、無効化しようにもその対象がいない。
「さて、最後の一体だな。たしかに化け物だ。情報を共有し、対抗策を常に模索し、尋常ならざる身体能力を持ちながら、火炎放射も可能。だがこれで終わり……」
最後に残されたプラーマが雄叫びをあげる、耳をふさぎたくなるような大音量で。最期のあがきだろうか、しかし、もう一体程度ならば、殺せる。しかも今は相手が無防備な状態である。鉄線を展開。プラーマの首部分に引っかかり、彼を拘束。力を込め締め上げる。一定以上力が加わったところで、胴体と頭が別れを告げる。
「菖、北部分制圧完了。これより母屋に帰投、す……る?」
悪夢とは何だろう。ムカデや蜘蛛の大群に埋め尽くされる? 違う。液体金属に絡めとられ圧搾される? 違う。“今この瞬間”だ。
山岳地帯に急遽増設された基地局よりデータが送られてくる。
少なくとも十体を超える、強化人間プラーマが続々と出現してきている。先ほどの侵攻は最初の三体をトラップで葬れたからかろうじて勝利を収めることが出来たのだ。
「それが……十体? 冗談きついよ……」
椿の頬に一滴の汗が流れ落ちる。
□□□ 遠見邸 西部分森林地帯
「共闘しよう」
そのとんでもない提案をしてきたのはエドワード。しかし、それに桜は困惑と憤怒の混じった声色で答える。
「お、おじさんは小春ちゃんを殺しに、来たんでしょ?」
「最初はそうだった」
エドワードはメアリーと共に銀次と桜が交戦している場所まで引き返してきていた。そして嘘偽りなく本心を語る。
「私には、子供を殺すことはできなかったらしい。だから神に誓おう、私は小春女史を殺さない。共に闘おう、筆頭能力者の1人でも殺せれば、暁堕としは夢ではなくなる」
「そ、んな口約束誰が信じられるっていうの?」
「ここで、三つ巴で戦っても、銀次君……【メルクリウス】に勝てる可能性は限りなく低い。【消滅】があれば勝機はあるかもしれないと考えたが、君の両腕はもう使えない。その失血もう長くはもたないだろう」
「……」
「私の情報では銀次君は飲めばどんなケガも瞬時に治る薬を常備しているはずだ。私の助手も片腕を失っていて、止血こそしてあるものの危篤だ」
「つまり……」
「彼奴を打倒して回復薬と能力を奪う。それが我々の助かる唯一の道だ」
桜は逡巡する。獅子ヶ谷の何名かは、このエドワードに殺害されているのだ。手放しに賛同するのも憚られた。しかし、この話に乗らないと小春の命は無くなるという事だけは予想できた。
「わかった。信じるよ。私は獅子ヶ谷桜。よろしくね、おじさん」
桜の桜色の瞳がエドワードを見据える。これが最善なのだと自分に言い聞かせて。
「もーう良いですかね?」
待ちくたびれた様子で、銀次が律儀にも二人の会話が終わるまで「回復ポーション」を飲み抉れた肩の傷を治していた。
「回復薬、ならまだ予備はあるよ。私を殺せれば助かるかもね。そしてエドワード。アシュリーとジャックを殺したな? 私の可愛い部下を」
うんうんと頷き、銀次は眼を閉じる。何やら言葉を選んでいるように感じる。
「まあ、シエラ隊を殺されたからその仇討という名目もできたことだし、派手に暴れさせてもらおうかな」
「名目……ね。どうしてそんなに理由にこだわるんだい? 銀次君」
まるで突拍子もない事を言われたかのように銀次は紅い瞳を丸くする。
「え? だって人を殺すのに理由は必要だろう? それすらなくしたらただの獣以下だ」
「どこまで、他人行儀なんだ。それ程までに壊れるのにいったいどれだけの死を見てきたんだ」
「まあ……色々と、……!?」
視界から桜が消えている。ここまで会話を長引かせたのは銀次の注意をエドワードに向けさせるため。両腕を欠損して戦闘など行えない彼女を思考の隅に追いやる為の策。
直上より血液が降ってくる。反射的に銀次は上を見上げそこには両腕のない侍女の姿があった。
「私は足だけでも人は殺せるよ」
「そりゃ凄い。流石獅子ヶ谷、敬意を払おう」
銀次は不敵に笑う。能力を一時的に失った彼でもそこには余裕が見え隠れしていた。
□□□ 遠見邸 東部分 炎の海
「防衛線を最終防衛ラインまで下げろ! もう持たない! 虫が来ている!」
静かな森林地帯であった東部分はもう火炎放射器とゴキブリの自爆により炎の大海と変貌していた。一次防衛ラインは15分前に突破され、今第二防衛ラインの放棄も決定。一番多くの死者が出ているのがこの“4位”。黒龍の攻撃である。
厄介なことに圧倒的物量でごり押ししてくるだけの単細胞ではないらしい。雀蜂や蚊も秋口だというのに活動している。目の前の物量にとらわれれば、飛翔する虫に攻撃され、手でたたきつぶそうにも、絶命したら小規模な爆発を起こす。
「暗殺」と「戦争」。両方の暴威に晒される獅子ヶ谷は苦戦を強いられてきた。しかしそこに一筋の希望が舞い降りる。
遠見小春がようやく、【蟲の王】に対して【消滅】を発動させたのだ。プラーマに対して能力は無意味。執事長は死亡したため、そのリソースをこちらに回すことが可能になったのだ。獅子ヶ谷のカメラから大量のゴキブリを視認した。
【蟲の王】権能下のゴキブリは統率を失い、火におびえ散り散りに逃走していく。ようやく黒龍の猛攻を食い止めることが出来た。いまだ視界内に入っていない虫は黒龍が動かせるが、蟲の主力を一時的にだが無力化に成功した。
「獅子ヶ谷主力の皆さん。申し訳ありません。今ようやく加勢に加われました」
「当主! 無線通信は危険です! どうか……」
「未来視でこの数分間は【ウィルス=エクス=マキナ】の干渉がないことが視えました。ただ、数分間です。出来る限り、虫を殺してください! でないと再び【蟲の王】が体勢を立て直します。猶予は多めに見積もって三分間!」
絶望に差した一筋の光。それは半壊した獅子ヶ谷の闘志を鼓舞することに成功した。虫一匹母屋には到達させない。それが未来を護る為の最重要事項である。
■■■ 中国 北京 昆虫研究所
虫を美味しく食べられるよう品種改良することがこの施設のメインの目的であった。しかし今はもう違う。軍事転用した虫を操る黒龍の牙城。彼を護る為に武装警備員が多数常駐し、最奥部の黒龍研究室には爪を齧り苛立ちを隠せない様子の一人の黒髪に髭面の男。出不精の彼がガリガリと音を立てながらゴキブリのコントロールが失われたことに腹を立てていた。
彼は現代のファーブル。小さいころから昆虫図鑑に噛り付き、新たな昆虫を発見することが彼の夢だった。しかし夢とは泡沫だから“夢”と呼ばれるのだ。研究者といってもおおよその人間が想像するような、フラスコに試薬を投入し、混ぜ合わせ大発見をする。なんてステレオタイプな研究者など滅多にいない。
ほとんどの研究者は日々ルーチンをこなし些細な変化を記録し、少しずつ成果にアプローチしていくという、単純作業が殆どだ。黒龍はそんな職に飽き飽きしていた。いずれ著名な昆虫学者になって歴史にその名を刻むのだと邁進してきた彼の野望は、日々薄れていった。
彼は思い通りにならない事を大いに嫌う。大半の人間はそうであろうが、彼のそれは常軌を逸していた。極端なまでの自分本位な性格をしている。だから、蟲の大半が動かせなくなったことにこの上なく憤慨していた。
「ああ! ああッ! 鬱陶しい。おとなしく虫に食われろ凡愚どもが!」
『黒龍さん! 研究所に襲撃者です! 頭に電極の刺さった大男……』
施設内に放し飼いにしている蟲越しに聞いたその言葉に黒龍は絶句する。
何故この場所が露見した?
何故侵入者を許した?
蟲の監視は万全だったはずだ。しかしすぐに切り替え、武装警備員全てを斬り捨て、施設内すべての隔壁をおろすスイッチを押した。
□□□ 遠見邸 西部分 エドワードと桜が共闘
上空より銀次に迫る桜。その華奢な足からは想像もできない鈍重な蹴りが銀次の首を捉える。しかし能力を失ってなお、銀次の経験は殺しの為に生まれ落ちた桜を上回る。右腕の甲でそれをパリィし、空いた左腕でもう一方の足をつかんで地面に叩きつける。
地面が腐葉土だったことが幸いし、桜を昏倒させるまでには至らなかった。腹筋をばねのように使い跳ね起き、銀次より距離を取る。銀次の視線が桜に向いたところで銀次の心臓めがけて硬貨が飛んでくる。エドワードの指弾である。
予想はできた。桜の攻撃をいなした間隙に、エドワードの指弾が急所を狙ってくる。だが、能力者であるエドワードが殺してしまえば銀次の能力は消滅。筆頭能力者の権能を奪えないのはこの状況では痛いだろう。
どちらにせよそれを体で受けることはしない。体を半身にし、凶弾を回避する。
しかし失念していた。もうエドワードの能力は【消滅】で無効化されていない。【魔弾】の能力が乗るのである。心臓を狙っていた硬貨は途中で軌道を変え銀次の足に着弾、見事にアキレス腱を断裂させ銀次に膝をつかせる。
銀次が初めて汗を掻いた。ここで移動能力の喪失は痛い。次の攻撃を防ぐ手立てがない。首を後ろに回し確認すると桜が足をあげていた。回し蹴りの体勢である。銀次は片足を失い、回避する術はない。
桜の両腕からの失血もとても軽い怪我ではない。だが、朦朧とする中、桜は銀次の首を捉えた。
鈍い音と共に、銀次の首をへし折る。嫌な音を立て、銀次は森に仰向けで倒れる。銀次だったものは、弾けるように水銀をまき散らす。その中からは何の変哲もない布が4枚と色とりどりの液体が入った小瓶が転がる。
「終わったな……。早く回復薬を飲むんだ。赤い液体だ!」
桜はエドワードに言われるがままにその小瓶を飲み干すと失った腕が生えてくる。
「終わりましたね……。これで“2位”【メルクリウス】は私が継承したと……」
エドワードは頭の中に何か引っかかるものを感じていた。確かに水瀬銀次を打倒した。間違いないはずだ。でも何かがおかしい。
先ほどエドワードが桜を護る為に打った指弾は銀次の肩を抉り取った。つまり能力が無効化された状態で攻撃を受けると生身の人間として処理されるはずなのだ。しかし、この銀次は「銀の猟犬」と同じく水銀をまき散らした。
「……! 回避しろッ! 桜女史!」
エドワードと桜が同時にバク転しながら後方へと飛びのく。そこから現れたのは銀の触手。
地球上で最大の生物とは何だろう。アフリカゾウ? シロナガスクジラ? 意外なことにその答えは“キノコ”である。
「喰らえ、凡才ども」
地面からは「銀の猟犬」を何倍も上回る触手が八本展開されていた。銀次は人間形態で勝つことは捨てていたのだ。先ほどのエドワードと桜の長話は決して棒立ちしていたわけではない。地中に群生するキノコのように液体金属を地面に注入し、銀次本体を地中に移していたのだ。それぞれの触手は【消滅】で対応されるが本体が地中にある以上、無限に再生できる。これこそが対小春の銀次の切り札。“名状しがたき者”。
「仕切り直しだ。無限に生える私の触腕。全て捌いてみろ、エドワード。獅子ヶ谷桜」




