第91話 獅子ヶ谷の血脈
獅子は戦うためだけに産み落とされる。戦えない人物は情報漏えいを防ぐため、訓練中の“事故”で死亡する。獅子の牙は唯、“遠見”を。“未来”を護る為に存在する。遠見の当主居るところに獅子あり。これは獅子ヶ谷一族の理念であり標語でもある。
獅子ヶ谷は旭川の市議だけでなく、国会にも数名、為政者が存在する。防衛省特務でも簡単には手を出せないのは、策謀でも、知略でも、もちろん政治力やパフォーマンスの上手さでもない。ただ“暴力”だ。それで以てして旭川を聖域として特別行政区にしたのは戦後GHQの統治が終わり、日本が再び歩みを始めたその時だった。
遠見家当主の未来を見れる天啓は悪用しようとすれば、何でもできる。は大言壮語だが、人生をより豊かにすることは可能である。当然反社会的勢力がそれを狙わないなんてことはあり得ずに、江戸より続く名士である遠見家は度重なる暗殺が繰り返されており、今現在まで血脈が続いていることだけでも奇跡といっていい。
獅子ヶ谷が遠見と接触したのは運命でもなんでもない。何世代前の当主だったかわからないが、彼女がその縁を手繰り寄せたのだ。獅子ヶ谷も元の家系は忍者だと文献に残っており、戦国の時代より有力者の護衛暗殺を任されてきていた。獅子ヶ谷は悪人でも善人でもない。だが遥か昔より日本国を憂いていたという事実だけは揺るぎない。
■■■ 明治初期 東京駅
「もし? そこの人」
「どうしましたか?」
明治時代初期、未だ江戸の名残があり、殆どの建物が平屋だが、幾つかの建築予定の高層ビルの鉄筋がむき出しになっている。文明開化と共に蒸気式の自動車が誕生し、モダンな空気と和洋折衷の服装をした人物が駅を行き交い、活気に満ち溢れている東の都。そこで白い服と帽子を身に着けた美しく髪の長い女性から声が掛けられる。
「獅子ヶ谷の方ですね。今すぐ現当主の館に集合をかけてください、でないと後悔することになります」
なぜ自分が獅子ヶ谷だとわかったのか、男が聞こうとした瞬間、二人の間に通行人が通り過ぎる。その女性は細い裏道に入っていき、それを追った獅子ヶ谷は見失うことになる。諜報員である自分がどうしてど素人の逃走を許したのか。しばし考えたが答えは出ず、彼女の言う通り政府要人の邸宅へと足を走らせた。まったくもって意味不明な女性だったが、その言葉には説得力があったのだ。まるで未来を見てきたみたいに。
帰って彼は想像を絶することとなる。獅子ヶ谷の長が殺害されそうになっていたのだ。完全に安全な場所だと油断していたのもあったが、理由はもう一つある。かの護衛対象が、獅子ヶ谷を裏切ったためである。彼奴は愛国者でも何でもなかった。
ただ自身が獅子ヶ谷などという、国の暗部と繋がっていることをリークすると脅す対抗勢力。それに取り入って、「他の」護衛者に乗り換えよう、としていたため不要になった獅子ヶ谷は新兵器である“リボルバー式回転拳銃”で闇に葬ろうとしていたのだ。
見事、名も知らぬ彼女の一声によって獅子ヶ谷は滅亡を回避したのである。
□□□ 東京駅
「ここに来たら、また君に会える気がしてね」
「ふふ、私も同じ気持ちでした」
柔和な笑みを浮かべ微笑む女性に対して、獅子ヶ谷が答える。白い帽子が突風に飛ばされる寸前、それがわかっていたかのように彼女は頭を抑える。
「まるで先がわかっているかのような仕草だね」
「ええ、そういっても普通は狂言だと笑われるだけですが」
スーツを整え、女性に向き直る男性。獅子ヶ谷は口を開く。
「じゃあ、私がここに来た要件も分かっているんだよな?」
「ええ、勿論。獅子ヶ谷の滅亡を防いだ私に対してどんな礼をすればいいか、ですね」
「凄い、ね。それで、何をしてほしいんだ?」
小悪魔っぽく女性が笑った後、彼女は悪戯っ子のように微笑む。
「デートでもしませんか?」
「でぇと?」
「ああ、御免なさい。お食事とか、一緒にどうですってことです」
「そんなのが君の、望み?」
「違いますよ。お互い、というより貴方は私の事を何も知らないじゃないですか。その齟齬を埋める前段階と言いますか」
「ああ、そうか。確かに常識的に考えれば、未来を読むとかありえないよな。あの敵対組織に指示していたのが貴女だったと考えたほうが自然だもんな」
「ええ……そういった誤解を解くための時間だと考えてもらえれば」
にこやかに笑い彼女と獅子ヶ谷は並んで歩きだした。
□□□
「飲みすぎですよ。獅子ヶ谷さん。こんなんじゃ私が敵対組織の人間だったらどうするんですか?」
「そろ、そろ。良いんじゃないか。君の本当の望みを教えてくれても」
若干呂律が回っていない獅子ヶ谷に対して、酒には強いのか彼女は顔が赤くなる様子もない。彼女はポツリと語りだす。
「私、未来が読めます」
「ああ、知っているさ。今日一日で思い知らされた」
「だから、よく殺される、未来が見えます」
「あ……」
獅子ヶ谷は気付いた。そしてこの一言で察するであろうことも彼女は前もって知っていた。
「だから、未来を。この国の未来を。私と一緒に守ってくれませんか?」
一気に酔いが醒めた獅子ヶ谷。今一族が守るべきなのはいったい何なのか。腐った政治家でも、ブクブク肥えた投資家でもない。ただこの人なのだと。
「ああ、ちょうど当主不在の穀潰しだった我々だ、新しい就職先としては問題ない。……そうだ君の名前を聞いていなかったね」
「遠見ハル……です。これからよろしくお願いいたします。獅子ヶ谷さん」
■■■ 二年前 遠見邸
遠見家は日本有数の大金持ちである。旭川出身の人間だったら名前を聞いたことのない人物は少ないだろう。だが飽くまで大富豪という認識。警察や立法、市議にかかわる人間以外でその実態を知るものは少ない。特に小春が未来を読めるなどとはあまり声を大にして言う事ではない。
旭川の居住可能区画のおおよそ一割を遠見の邸宅が占めていると言えばその途轍もなさが伝わるだろう。警備に割くのが桜、椿、菖だけでは到底手におえない。当然侍女として仕える彼女らの他にも獅子ヶ谷の人間は大勢その広大な邸宅を守っている。千を超える獅子ヶ谷の息がかかった人間。民間警備ながら自衛隊以上の装備さえ整えている。
監視カメラがいくつもつけられた大きな門から自動車に乗って、広大な敷地内を走らせていく。運転手は外部の人間だが当然獅子ヶ谷直属の部下である。血に濡れて帰ってくる菖や、捕虜をトランクに詰めて車に入ってくる椿にも決められた挨拶以外交わすことなく、母屋までただ運転をするという責務のみを全うする。
玄関につきそこには執事服を着た初老の男性が頭を恭しく下げ佇んでいた。
「お帰りなさいませ、当主。報告によると学校がまたテロリストに襲われたと」
「そうね。事後処理のほうは任せてもいいかしら?」
「誠に勝手ながら、もうすでに獅子ヶ谷が向かっており、捜査をしていると……。椿様? そちらのお方は?」
「今回の事件の捕虜だ。尋問、拷問は任せる」
「かしこまりました。ではお疲れだったでしょう。是非もうお風呂に入ってお休みください」
「もとよりそのつもりだよ、執事長。いこうか小春ちん、桜ちん。汗かく程のことは無かったけど、返り血を浴びちゃったよ。キモチワルイ」
半目で菖の事を睨みつける椿。糸を引く手に力がこもり、捕虜が苦悶の声をあげる。
「なぜ、私を誘わない? 菖?」
「あり? 拷問するんじゃなかったの?」
「人の話を本当に聞かないな。執事長に任せると話しただろ」
あきれ顔で嘆息する椿に対していつもの軽い調子で謝罪している菖。それを見ながら桜は小春の手を握っていた。
「小春ちゃん……大丈夫? どこか痛くない?」
「うん、桜。ありがとう。大丈夫。どこも痛くない。……桜、貴女こそ大丈夫?」
小春が桜の手を強く握り返す。
「ふえ? 何が?」
「護る為とはいえ、あまり貴方は戦うのが好きじゃないでしょう。その、私は、わからないけど。人を殺すのってそんな気持ちのいいものじゃないでしょう」
「……獅子ヶ谷に生まれた時から桜の運命は決まっているんだもの。今さらなんてことは……ないよ」
桜の瞳が少し揺らぐ。本心でない事を言っているわけではないのだろうが、その後ろめたさを全否定することも彼女には出来ないようだ。
「おうい! お風呂入りに行くよー。置いてっちゃうよー。桜ちん、小春ちん」
「お前……当主を置いて何を……」
「硬いんだよー。椿ちん。これから入浴タイムなのに。入浴中は無礼講、無礼講」
「まだ入っていないだろうが……」
□□□ 大浴場
遠見家母屋には合計8個の大浴場が存在する。その中でも当主とその侍女しか入浴することが許されていない最高級の天然温泉が湧きだしている絢爛豪華な大浴場だ。そこで菖は椿に絡んでいた。
「椿ちゃん、またおっぱい大きくなった?」
「どうでもいいだろ、そんなことは。邪魔なだけだ、こんな脂肪の塊。それより菖。お前また胸小さくなった?」
「小さくなることは無いだろう!? 桜ちん。椿ちんがいじめるよぉ……」
「菖ちゃんのセクハラが悪いと思うんだけどね……。それに中学生だしまだ伸びしろはあると思うよ。ああ、ほんといい湯。生き返るわあ……」
「お前の体もまるで大楯だな、武器ってその体を参考にしたりした?」
「お? お? 誰の胸が大楯じゃい!」
小春はその談笑に加わっていない。壁一面に張られている防弾ガラス越しに、昼の曇天が嘘のように晴れた、中秋の名月を眺めていた。彼女は責任を感じているのだ。いかに自分が断片的にだが未来を読み、軽症者だけで済ましたとはいえ、自分が居なければクラスメイトを危険にさらすこともなかったし、心身ともに傷つけることもなかったのだと。
「……まるで、疫病神だな」
その言葉は誰の耳にも入らなかった。
■■■ 北海道 特別行政区旭川市 遠見邸 西部分
一日前に全世界に発信された「遠見小春」の【消滅】の能力とそれによって暁堕としを達成できる最後の希望。非能力者にとっても能力者にとっても看過しがたいニュースだった。持たざる者にとっては戦いを五分以上まで持っていける能力であり、持つ者にとっては放置しておけば自らの首を絞める劇毒となる。
「ふへへ……『能力』さえあれば……。俺はもともと有能なんだ。世の中が悪かったんだ。今、神様のおかげでようやく俺の存在価値を証明できる」
ぶつぶつとつぶやきながら自転車ヘルメットと狩猟用ボウガンで武装した黒ずくめの男が興奮で震える手を抑えながら夜闇に紛れ、数メートルの高さの遠見家を一周する柵の周りでうろついている。無職の彼にとってこの天変地異は喜ぶべきことであった。“10位”を獲れればどの国からも引っ張りだこで、億万長者も夢ではない。女も抱き放題で、酒も飲み放題。まさに天国。
という程度にしか彼の想像力は及んでいなかった。この【消滅】を持つことが今どれほど危険で、それを奪うことがどれほど難しいのか。客観視できていない彼にとって大金を稼ぐことなど夢のまた夢であった。
次の瞬間、彼の脳天には大きく弧を描くように硬貨が飛来し穴をあける。痛みも苦しみも全く感じることなく彼は事切れる。それらを与えることなど情報を引き出すとき以外には必要ないのだから。こんなニート相手に聞きだすことなどエドワード=ミューズにとって何一つなかった。
「駄目だよ。おじさん。今日ここはパーティー会場になるんだから。あれ、もうエディ殺しちゃったの?」
「ひ、ひぃいい……」
死体に躊躇なく近づく黒髪の少女相手に、偶然出くわしたサラリーマン風の男は腰を抜かす。しかし気丈にも彼は声を震わせながら、少女に訊ねた。
「ど、どうして。そんなにッ! 簡単にッ! 人の命を奪えるんだッ!!」
メアリーはそのサラリーマン風の男性に視線をやり、しばらくの沈黙のうち口を開く。
「ん? あれれ。お兄さんからもおんなじ臭いがしたんだけど……。思い違いかしら」
「……」
「貴方……、“まだ”人を殺していない私に向かって敵愾心を向けたよね? それにエディの【魔弾】も見えていたみたいだし」
「……油断して口封じのために私に近づいてくれれば、楽に殺せたんだけどね」
サラリーマン風の男がゆっくりと立ち上がり、その眼が据わる。背中から舞台を覆い隠す緞帳のように巨大な銀色のヴェールが展開され、そこから覗くのは四つの銃口。一次大戦の際、塹壕戦を鉄条網と共に泥沼に落し、吶喊する歩兵に無意味な死を与える、『戦車』登場の最重要原因。“機関砲”。
「掃射」
液体金属の中に収納してある【パンデモニウム】の布より異界に繋がっている機関銃はそこの中にいる4名の操作により、動くトーチカとなる。銃声と共に撃ち鳴らされる弾頭は、アスファルトの地面を抉り取る。銃創が蛇のように這い、メアリーへと近づいていく。華麗に側転しながら、遠見家に接近している住宅の中に逃げ隠れる。
もうすでにサラリーマンは元の姿へと形を戻し、その紅瞳を細めていた。
□□□ 遠見邸 東部分
異様な光景だった。遠見邸の東部分に隣接する林より、北海道にはほとんど存在しないゴキブリが数万、数百万の数で指向性を持って突撃してくるのは。遠見家の護衛のほとんどは東部分の防衛に人員を割いている。火炎放射器で虫を燃やすが、絶命と同時に爆発を起こす。それで済めばまだいいが、敷地内に最初からいる昆虫は何者かに操られ、スーツを着た護衛者に密着。気付くと同時に爆殺を行う昆虫兵器。
「あの……途轍もない数の虫。全てが……爆弾?」
「敷地内の虫全ては【蟲の王】権能下にあると侍女たちに通達! 当主に近づく虫は全て殺せ、絶命と同時に爆発を起こすことも知らせろ!」
□□□ 遠見邸 北部分
空にはいくつかの急降下爆撃機が迫っていた。それより投下されるのは爆弾、ではなく頭に電極を刺した大男がパラシュートで投下されていく。ロシア軍の最新鋭兵器「強化人間プラーマ」。限界まで落下傘を開くことはせずに、ほぼ自由落下で落ちていき、直前で落下スピードを減衰、続々と両方の腕で一丁ずつ対戦車ライフルを構えるそれは進行してくる。さらにプラーマは即席の基地局を立てすでに電源を切ってある遠見家北の山岳地帯を【ウィルス=エクス=マキナ】の前哨基地とした。
□□□ 遠見邸 南正門前
防衛省の特務たちとそれを先導する、蒼い髪と眼をした少年が到着する。装甲車から降りてくる少年のそばには自衛隊数名が膝をついて少年の歩く道の両側に畏まっている。少年は特に何かを気にした様子はなかった。お気に入りのミントガムを噛みながら、つま先で地面を小突く。次の瞬間、【時不知】の権能により、堅牢な正門はそれを守る獅子ヶ谷護衛者と共に音もなく消滅していた。
今、旭川にて、全世界筆頭能力者および非能力者が多数集結する。
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遠見邸、西部分にてエドワード=ミューズと水瀬銀次、会敵。




