第87話 逆転の一手
「三階層まとめてぶち抜かれた……。これは【イカロス】の権能。いや待てよ……。さっきヘリを堕としたのも【イカロス】。早すぎないか? こんな最奥部まで侵攻してくるのは。どうやって入ってきたかわからない」
存在しない階層の中央部。元Sirの私室の近くまで大穴が空く。そこより跳躍してくるのは灰色の髪と口ひげを生やした老紳士と栗色の髪の毛をした重力使い。自由落下で即座に手薄となったリコルテの本陣まで歩を進める。着地と同時に重力操作で、二人の落下ダメージを吸収する。
しかし、まだ数基のメーザードローンはキングの部屋の前を飛び回っており、自動追尾で射程距離まで近づいてくる。床を蹴り、壁を蹴り、もとより近接戦闘に関して無敵を誇るマスターが、徹甲弾でしか貫けないような堅牢な装甲を持つドローンを一刀両断する。
息つく暇もなく、さらに跳躍。老いてますますと言った具合に、マスターの剣技は卓越していた。最先端技術の結晶であるメーザードローンを斬り捨て、ステップを踏み跳躍。更にほかのドローンに肉薄し、再び斬り壊す。百戦錬磨の剣戟はかつて「トリプルフォール作戦」で打倒した『剣豪』をも過去のものにするほどの妙技だった。
「バフポーション」で底上げされたマスターの姿は椎口が目で追う事すら難しく、ただ唖然と敵のコントロール下にある最新兵器がスクラップになっていくのを見ていることしかできなかった。
■■■ 存在しない階層 地下12階層
地上部隊は退いていくロシア兵を背中から小銃で撃ち殺した。それも小型戦車に阻まれ、十分な数を打倒したとはお世辞にも言えないが、当初の銀次の作戦通り、陽動の役割は十分に果たした。
指輪から通信が入り、銀次から撤退命令が出される。流石にこれ以上の進軍は危険だと判断したのだろう。即座に階段を後にして上を目指すが、上階から更に敵兵が出現する。リコルテによって防衛ラインを地下30階層まで下げることを通達されたので、当たり前の邂逅だっただろう。指輪付き武装兵士は全員結晶装備だ。何のことは無い。お土産にこいつらも冥土に送ってやろうと銃を向けるが、あまりにも“結晶”を頼りすぎた。弱点についても聞いていたはずだったが、破竹の勢いの戦果を挙げる自分たちの活躍で、感覚が麻痺していたのだろう。
そして、ロシア兵も、こんな危険な任務に自ら志願してきているのだ。相手の覚悟を見誤った。
取りだしたのはVXガス。ここで朽ちるならば、敵兵の指輪付き兵士を道連れにせんと、その毒ガスのピンを抜いた。
防弾、防刃、防爆は結晶の薄膜装甲で何とかなるが、酸欠や毒ガスは防げない。ここで上階のロシア軍と、指輪兵士は仲良くのたうち回りながら命を散らした。
□□□ 存在しない階層 地下30階層エレベーターホール
椎口の見た目を借りている銀次は、システマと鉄線で階下に降りてくる全てのロシア兵を殺害していた。
奥側の通路から飛行部隊が飛んできているのを完全に目視した。ここまで彼の予想通り。Sirの私室が手薄になればなる程作戦は成功に近づく。口の端に笑みを浮かべ「切断線」を大量展開。
ほとんど飛翔音のしない5基のメーザードローンは、銀次の鉄線で3基は彼にメーザー光線を浴びせる前に撃墜することが出来たが、すり抜けてくるもう二基。
さらに堕としたと思ったドローンもリコルテが手を加えていたようで、ナパームを放出しながら「ごう」と爆発する。一瞬にしてあたりの酸素を奪い、銀次は苦しそうにあえぐ。
とどめとばかりに電磁波が照射され、銀次は体を痙攣させながらその場に崩れ落ちる。が、最後の力を振り絞り、銀爪により、もう二基を撃墜。がく、とうなだれ、動かなくなる。
当然演技だ。
□□□ リコルテの私室
「【メルクリウス】の弱点、見つけたり。そうか、炎、いや熱か……。だがまだダストシュートからこちらへと向かってくる士官がいる。同様に殺害すれば、ん? もう姿を変えている。銀髪で紅瞳。資料にあった通りの見た目に」
監視カメラに映る、Sirの亡骸は、銀次の姿に戻り疾走し始めていた。監視カメラを睨むリコルテの紅瞳には疑念が宿る。そして数瞬置いて理解が追い付く。
「逃げるつもりか! 追え兵士たちよ。南階段の隔壁を解放する! 挟撃にてあの“2位”に引導を渡すんだ!」
□□□
突然だが、広告というのには存外金がかかる。テレビCMの十数秒でさえ百万円を超える費用が必要となり、駅前看板や大通りに大々的に貼りだしたら湯水のごとく資産は目減りしていく。
今や数十億ドルの資産を持つ銀次にとってそれほどの大金であっても端金だが、重要なのはそこではない。その広告に信ぴょう性を持たせることが何より大事なのだ。勿論銀次から能力の性能に言及することも可能だが、そんなこと誰が信じようか。
つまるところ敵対している筆頭能力者。電子を司るリコルテに大々的に宣伝してもらえばいいのである。【メルクリウス】の弱点が“熱や電磁波”であると。間違った情報を仇敵の手から。それならば説得力が十分で、おまけに費用もゼロだ。
銀次は手近な水道管を切り裂き、液状化して入っていく。そのまま陽動を十分にこなした彼は、かつて「絶対に公開したくない」と思っていた情報をリコルテにわざわざ見せつけたのである。もう“命の残機は無いからなりふり構わず逃走せざるを得ない”というよう誤認させて。
嘘を吐く場合、すべてが嘘なら何も意味をなさない。嘘しか言わない人間の言葉などノイズにしかならず、聞く価値すらないのだから。だから8割の真実に2割の嘘を混ぜる銀次の作戦は見事に成功した。リコルテが最後に笑った彼の真意に気付くことは終ぞなかった。
□□□ 存在しない階層 地下30階層 Sirの私室前
「す、凄い……」
椎口は瞠目していた。銀次が以前教えを乞うた人物だから、さぞ強いのだろうと思っていたが、まさかここまでとは。手薄になったとはいえSirの私室前までには十基を超える無人兵器との戦闘があったのだ。
それをギャルソンコートにただ一つの焦げも穴も作ることは無く、壁や天井を歩き跳び、踊るように縦横無尽に移動し、蹂躙するその姿にただ感嘆するほかなかった。「マスターのサポートを」と銀次より頼まれていた椎口だが、自分の役目は大穴を作るためだけであったのかと錯覚するほど常人離れしていた。
その大業物の日本刀を鞘に納め、襟を直しながらマスターは照れを隠すように椎口に話しかける。
「いやはや、年甲斐もなくはしゃいでしまいましたな。お恥ずかしい。にしてもノルン様のこの薬品は凄まじい。腰の折れた老骨でもまるで全盛期に戻ったかのようですな」
乾いた笑い声を漏らすマスターだったが、それが強がりであることは椎口にも伝わった。Sirが死亡して、その仇をとる為非能力者である彼が、日本刀片手に敵軍大将まで進軍を続けているのだ。端的に言って相手が“5位”でなくとも非能力者は能力者相手に勝つことはほぼ不可能だ。それを仇討ちの為だけに武器を取り、前線に舞い戻る。心中穏やかではないだろう。
「ん? 顔に出ていましたかな? 椎口様。恥に恥を重ねるとは、申し訳ありません。お若い方に心配をかけるなど老兵の名折れですな。……恥ついでにもう一つ。重ねたいのですが、構いませんかな?」
無言で椎口は頷き、先ほどまで菩薩のように穏やかだったマスターの顔が阿修羅のように表情を変え、直近の監視カメラに対して叫ぶ。
「リコルテ=クラスニィ! 貴様は吾輩直々に斬り殺してやるからな! 逃げるんじゃねェぞ! この豚畜生がァ!!」
老兵の確かな激昂。それを聞いてリコルテは“特に何も思わなかった”。だってすべて彼女のゲーム盤の上の駒なのだから。チェス盤の相手ビショップにいきなり怒鳴られたとしても、プレイヤーのリコルテにとっては「で?」という感想しか出てこない。
が、しかし。その化け物じみた性能には、想定外だったと認識を改めた。【メルクリウス】と【イカロス】さえ突破すれば後は楽勝。そう思っていたが無様にも逃げおおせた【メルクリウス】と老兵の影に隠れている【イカロス】。すでにリコルテの眼中にはマスターしか映っていなかった。
リコルテは何も答えず、ただ静かに機械的に、機械に命令を下した。地下30階層全てのスプリンクラーの作動。天井につけられている放水機から水がばらまかれる。
椎口は即座に反応しマスターと自分を空中に浮かせる。直後光が走り床を高圧電流が走る。これは銀次から、マスターでも回避不可な攻撃方法だと前もって教えてもらっていたため椎口にも対応できた。
「あー……。“イカロス”だもんな。さんざん重力で押しつぶされるのを見ていたから飛べもするという事を忘れていた」
そのまま空中を二人は進みマスターの居合でもって鉄扉は両断、分断、瓦礫となる。
Sirの私室には安楽椅子に座っている灰色の作業着を着た小柄な女性が一人。頬杖をついてこちらを見下していた。その紅い瞳は細められ、視線は彼女のほうが圧倒的に下なのに、見おろされているように感じる。
事実見下していた。ボードゲームのキャラに感情移入することはあっても。プレイヤーがそれ以下の存在になることはあり得ない。それを現実でやってのけるのだ。このリコルテ=クラスニーという人物は。そういった傲慢が見え透いていた。
「入城おめでとう。……どうも浮かない顔をしているようだが。キングを丸裸にしたと思ったかい? 老兵に、【イカロス】。当然クイーンは取っておくよ。防御のためにね」
彼女の隣には傅くように大男が膝をついていた。頭には電極が何本も刺さっており、全身筋肉の塊のような人物だ。指を鳴らすとともに立ち上がり、その身長の高さが露わになる。リコルテの二倍近い身長。二メートル後半程の巨躯であった。
「おい。クソ女。お前と会話するのも反吐が出るがこいつは一体なんだ?」
「反吐が出るなら、口を閉じればいいんじゃないの? おじいちゃん。私は介護職員じゃありませんよ」
「ケツの青いガキがほざいてやがる。一人じゃケツも拭けねえか?」
罵詈雑言の応酬に椎口はついていけていない。もとはあれだけ紳士的だったマスターがこれほどまで猛り狂うのを見て委縮してしまっている。
「まあ私は優しいから解説もしてあげるよ」
「デザイナーベイビー。戦うために生み出された強化人間だ。もう世界はゲームみたいに創りたい人間を生み出せられる。クローン技術のタブーとかに嫌悪を示さなければ、戦士は何人でも作れる。その試作品がこいつだ」
その強化人間は口の端から涎を垂らし低く唸っている。会話の通じない猛獣と対峙しているような緊張感が椎口に走る。悪意を持った人間と、暴力を行使する猛獣。どちらが怖いかなんて彼女には決められない。どちらも同じく恐怖の対象なのだ。
「へえ……。ロシアみたいな超先進国様がそんな野蛮な技術に手を付けているとは思いもよりませんでした。吾輩も不勉強でしたな」
「道徳で戦争に勝てるのか? そも米国だって……。いや、いいや。おい! プラーマ46! 殺すぞこの二人を」
強化人間はフロア全域に轟くのではないかというほどの大音量で咆哮し、マスターに吶喊する。刀を構え直し、スキットルに入った「バフポーション」を呷り、それを投げ捨てる。その構えにもはや迷いなど一切なかった。




