第84話 ペンタゴン陥落
(Sirが死んだか。……予想以上に長い付き合いになってしまった彼が。男の娘好きでTS好きで、女装させられた経験もある。変態ながら有能で、理解ある人物だった。上層部と我々銀次一派、どちらを選ぶか迫られたとき、逡巡しながらも我々の手を取ってくれた彼が)
銀次の足は地下29階で止まっていた。結晶からの遠隔目視でSirがすでに事切れていることを確認した彼にはもう地下30階まで急ぐ理由も無くなってしまっていた。
乾いた笑いが銀次から零れる。今まで彼は苦渋の決断を何度も迫られてきた。情報を護る為にシエラ隊の命を捧げ、無謀な望みのために、何人も見殺しにした。民間人であろうと何人も殺した。何人も何人も何人も。そのたび人の皮が剥がれ、醜い内面が露出するのではないかと思うほどに。自嘲した笑いは、掠れた空気の音となって、静かなこの階層に吸い込まれた。
(何故だろう、悲しいのに涙がまるで出ない。だからこそ“悲しい”。僕はいつから化け物になっていた? Sirが死んだとき? シエラ隊を捨て駒として考えたとき? 能力を得たときから? もしかして生まれた時から僕は悪魔だったのではないか?)
もうすでにパンデモニウム内の電子機器は破棄して別の拠点へとメインルームの入り口を繋げている。彼女たちの心配は今のところ必要ないだろう。このまま最奥部で待ち受けているリコルテ=クラスニーを追い詰めるために足を運ぼうか? いや、もはやこの地階は完全に彼女の独擅場となっている。先ほど切羅から得た情報から明らかだ。
「銀次様! ご無事でしたかッ!!」
その銀次の思考を現へと戻したのは、マスター。地下29階のカフェテリアで働く元Sirの上官であり、剣術の達人である。ギャルソンコートに帯刀をしている何ともアンバランスな出で立ちだった。半年以上前だが彼の腕は「能力抜き」の銀次に完勝した実力者である。
「……マスター。携帯電話は破棄してくれ。今いる能力者はそのネット回線を通じて奇襲が可能なロシア陣営筆頭能力者だ」
「そして我々は今、ペンタゴンを放棄するか否かの決断に迫られている。そして今この場所で最高の指揮権を持つのは大尉であるこの私だ」
「……ドウ君が殺されたんだね」
銀次は何も答えない。いう必要さえないのである。指揮権について言及した際にSirが殺害されたのは疑いようのない事実である。暫くの沈黙の後、銀次は言葉を絞り出す。
「マスター、変な気を起こさないでくれ。私でさえ彼奴に勝てるかどうか、未知数だ」
「……アフガンの話はしましたかね。銀次様」
「いきなり何の話だい……? 今は早急に非常階段で地上を目指すのがマスターたちの生き残る最善手……」
「アフガンの話はしたかね?」
マスターの声色に熱がこもる。銀次はそれに答える。
「いいや、詳しくは聞いていないよ」
「あの時、吾輩が上官で、ドウ君が部下だった。戦争も紛争も命の価値が極端に低くなる。弾丸一発、数ドル相当の出費で命が奪われるんだ。そんな地獄を共に生き抜いてきた吾輩と彼は血縁関係以上の家族といってもいい。それをこうも簡単に失うんだ。君も部下を失う苦しみは味わっているはずだ」
銀次は答えられなかった。確かにシエラ隊は家族のような存在だった。一緒にバーベキューをしたり、アナログゲームをしたり、気の許せる仲間だったのだ。しかし、それを置いても、銀次は彼らの事を“捨て駒”と認識していたのだ。マスターと同じく部下が殺されたという事実が、心をさほど揺り動かされないことに、銀次は再び針が刺さったかのような心痛を感じていた。
「戦場で、吾輩が淹れたコーヒーを初めて美味しいと言ってくれたのは、彼だった」
マスターの黒瞳に殺意が宿る。復讐のため。それは先日打倒した富士宮と同じような眼光だった。
「故に確実に殺す。老いぼれの死に場所としては十分だ」
銀次はここまで決意を固めている彼に対してどう向き合えばいいのかわからなかった。だが銀次の合理性を理路整然とマスターに伝える。
「わかった。ロシアの筆頭能力者への復讐は私も付き合う。今行っても無駄死にだ。一旦私が30の試練で借りていた家に拠点を移して情報を共有してからだ。マスターは重要な戦力だからな。今はここを脱出する。作戦を立て直してから再び侵攻する。それまで命を私に預けてくれないか」
必死の熱弁がマスターにも刺さったのだろう。渋々だが了解を得られ、地上階まで29階、肺が破れるほど全力で、マスターと指輪付きの兵士たちは銀次先導の元駆けあがっていく。リコルテの能力により隔壁は降りていたが、それは銀次の「切断」で突破して上階を目指していく。
今日この日。ロシアの宣戦布告と殆ど時間をおかずに、ペンタゴンの放棄を決定した。国防総省の制圧。完膚なきまでの敗北だった。
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「うーん。隔壁とエレベーターの封印で【メルクリウス】一派は詰ませたと思ったんだが。まあいい。まだ一手目だ。戦局はどう動く?」
Sirの私室でふんぞり返るリコルテはどこからか出現させたチェスの駒を指で弄んでいた。先ほど殺したSirと結晶は近づくのが危険だと判断し、持ち込んでいる掃除ドローンによって部屋の外にまで捨てさせる。その機械は扉を押し開け、再び閉まる。鈍重な鉄扉と数多の攻撃機械によって存在しない階層は彼女を守る堅牢な要塞と化した。
■■■ 翌日 ペンタゴン
一階の壁の所々が砲弾によって破壊され、ペンタゴン内部から、T‐14「アルマータ」ロシア陸軍の主力戦車が続々と出撃してくる。これは彼女がロシアで戦車をデータに置き換えペンタゴン一階のパソコンより具現化したもので、海を挟んで敵対する両国が兵站の概念を無視して、進撃してくるのである。
これに対して、米国も応戦した。対戦車ヘリコプター「アパッチ・ガーディアン」米国主力戦車M1エイブラムスも加わり完全包囲網を作り出した。
戦車特攻の攻撃ヘリコプターは昨晩のうちに銀次がネットと切り離すよう米国エンジニアに通達した。簡単なものではない。基盤から総入れ替えしなくてはならないのだから。しかしこれをしないと、「ガーディアン」さえ守護者の役割を忘れ、我々に牙を剥く。現在銀次の発言権は能力者大尉であり、公にそのことを知られた今ならば彼が指揮を執っても問題ないはずだ。
しかし、能力者に軍の運営は任せられないとのことで、銀次直属の上司はアップルホワイト准将が一任することとなった。彼には当然銀次以外の能力者は死人として伝えられているので、彼の前に出すことはできない。
そしてこの准将、国益のためにと銀次らの手を取ったSirと比べて、比較することほど烏滸がましい“小物”だった。
ネクタイピンカメラで切羅が読んだことだが、彼は自分の利益と、自分の安全が確保できるならば、能力者を道具のように使い潰してもかまわない。と考えるある意味で銀次と同じく合理主義者だった。
故に、銀次はペンタゴンから出てくる敵戦車と、随伴歩兵を斬り殺すルーチンを与えられ、奪還作戦に参加できないでいる。マスター及び、他メンバーは以前銀次が使用していた一軒家に繋いであるパンデモニウムに集結させてある。勿論平時ならばしない事だが、今は国が亡ぶか否かの瀬戸際であった。
ここで強情にもパンデモニウムの使用不許可を続けるのは愚策だと判断したためだ。銀次がいないため、彼の考えていることを切羅が読み取り、ノルンが指揮を執る。
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「切羅。単刀直入に言ってしまえばノルンが僕の次に頭が良い。だからもしもの時の行動方針は彼女に任せる」
「わかってますよ……私が馬鹿なことぐらい」
「んー。君も十分聡明なんだがね。まあ視られているからお世辞じゃあない事も分かるだろう」
「ただ、僕は君を1番信頼している。だからノルンに悪意が無いかどうかを常に監視しろ。もし少しでもあれば彼女のアイデアは棄却していい。非常事態の指揮権は君にあることは変わらない」
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銀次がSirに最初に割り与えられた一軒家。30の試練でつかったリッチモンドの拠点。そこにも扉は作られていた。Sir直属の武装兵士四名はその一軒家を護る為二階建てのその木造建築を交代で睡眠をとりながら警邏していた。彼らにできることはほとんどない。銃が効く筆頭能力者などそうはいない。だが指輪で通信ができる為、ロシアが進軍してきた際にいの一番に“中”に緊急事態を伝えることが可能だ。
■■■ パンデモニウム内 メインルーム
円卓には銀次を除いた能力者4名とマスターが囲んで座っている。議題はペンタゴン奪還とリコルテの討伐。現在銀次は、ペンタゴンより出撃する戦車をスライスサラミみたいに料理している最中だ。波状攻撃のほとんどは銀次一人で食い止め、残りをネットに繋がっていない戦車や軍用ヘリで撃墜している。
そのため、現在議論進行はノルンが行っている。
「この戦いはすでに防衛戦から攻城戦へとシフトしてしまっていマス。ものの数分で存在しない階層を堕としたリコルテの脅威は甚大デス。そして、現在無能な准将のおかげで、我々のリーダーも身動きが取れません」
切羅より全隊員に対して、能力を共有する。
「【ウィルス=エクス=マキナ】彼奴の能力はコンピューターウイルスになれる能力です。この情報社会ではこれほど厄介なものになるとは考えもしませんでした。あれで“5位”ですか」
「にしても、眷属が手を離せない状態ならば我らの誰が行っても同じなのではないか? マスターが単騎で乗り込もうとしたときにも眷属が止めたのであろう?」
「ええ……。そうでございます。いやはや年甲斐もなく熱くなってしまいました。あそこで銀次様が冷静な判断を下していなかったら、犬死でした」
栗色の髪が跳ねている、胸が豊満な女性が申し訳なさそうに手をあげる
いやがおうにも視線は彼女に集まり顔を紅潮させながらも。初期の彼女ならば決して言えない台詞を。全身全霊の心持で口に出したのであろう。
「だったら自分が……。空から押しつぶしてしまえば、ペンタゴンは無くなるッスけど現在の侵攻を食い止めることは出来るッス」
「残念ながら、没だ……。椎口」
全員の視線が椎口から今メインルームの扉を開けて入ってきた銀次に注がれる。軍服は血に染まり、弾痕がいくつもついていた。
「銀次さん!」
「すまない、あのバカ上司が安全な所から指揮を飛ばすとか抜かしたもんで、電話の使用にリスクを負わなくてはいけない現在、早馬を走らせる程度の伝達速度だ。とりあえずは第一波の猛攻をしのぎ切ったから戻ってきたが」
「それより……自分の案がダメってどういう事ッスか?」
「まず君の重力限界がどこまであるかわからない。次に、地下30階層まで押し込んだところで、途中で異変に気付いたリコルテには逃げられる」
「でも自分だって、“3位”ッス。やればできるってところを」
「最後に最も問題である点。対空砲火の武器をデータにして、椎口の直上から撃ち込まれれば落とされる」
「そんな……自分。こんなに切羽詰まった状態でも役立たずなんッスね……」
「違う! そんなことを言っているんじゃない。君には他の役目がある」
「他の?」
眦に涙をたたえ、上目遣いに銀次を見る椎口。
「優しい君には酷な話なんだが……。ロシアと扉を繋げて、リコルテを撤退させなければ死んだ米国人の十倍のロシア国民を潰し殺すという切り札だ」
「……民間人を殺すつもりなんッスか?」
「場合によっては、だがね」
「銀次さん、当初の予定を話しませんか? それは最悪の事態を鑑みた交渉材料でしたよね」
頷き肯定し、銀次が顔を洗ったあと、自室でスーツに着替えて戻ってくる。
「状況を整理しよう。おそらく彼奴はネットに繋がっている電子機器ならば全て掌握できる。ISSさえ指定の場所にピンポイントで落下させられたんだ。存在しない階層地下28階以下は私のメルクリウスで覆っている為、全ての情報は筒抜けだが、向こう方がどれだけ知っているかはわからない」
つまり敵も味方もペンタゴンを掌握できていることとなる。
「となれば核ミサイルも全て彼女が保有していることになるんデスかね?」
「楽観視は出来ないだろう。そう思って私から准将に進言しておいたよ。物理的に核を発射できないようにしてくれと。それと他の国との共闘だが」
ウィルスがいる限り地球上全ての軍隊の兵站と諜報が大きく変わる。リコルテの脅威を日中に伝えて彼女の討伐を日本中国米国の3カ国で徒党を組むという話、元副大統領、現アメリカ大統領が日本と中国に一時停戦を申し込む。
日本からは拒否。
中国からは返答なし。
そして日本と中国からそれぞれ世界3ヵ国へと宣戦布告が本日付で行われた。四つ巴の世界大戦が始まった。
「衛生軌道上の軍事衛星、気象衛星、それらはリコルテの権能で質量兵器とかした。生半可なバンカーバスターじゃ落とされないペンタゴン地階を陣取られたのも相当痛い」
「インターネットを掌握されただけでここまでロシアに追い詰められるとはな。今や大戦の主導権を握っているのは核ミサイルを自由に使えるロシアのみだ」
銀次の語ったこの推測。しかしこれは外れている。ロシアも問題児であるリコルテの暴走を止めるべくほとんどのミサイルは発射不可な状態にしてある。
【ウィルス=エクス=マキナ】を警戒した各国は核ミサイルを物理的に取り外し、皮肉にも彼女がいたおかげで相当数の死者が出ないことに貢献していた。
「アナログで資料を残しているお役所仕事にも今回は助けられたと言ったところだろうかね」
大きい円卓の上には30枚の紙の地図。一枚一枚が大円卓を埋め尽くすほど大きく、存在しない階層全30階層の地図となっている。これだけはと地下資料室から持ち出してきたものだ。
銀次が手をかざすと金属製のチェスの駒が地図の上に落される。今ここでリコルテと同じく銀次たちもゲーム盤の上に自分たちの駒を用意し、詰みの盤面からひっくり返す一手を考えている。
「さてと、リコルテ。降参するつもりはない。最後まで付き合ってもらうよ」




