第66話 神格との接触
この最上層「ヘヴンフロア」に至るまで、銀次は豪運と切羅の能力。あとは簡単なカウンティング等の技法、途中からデスゲーム化したこのカジノエリアを類まれなる洞察力と論理的思考による短期の利益を追求することにつとめ、合計50億ドルの大勝を収めている。
マフィアが取り仕切るカジノ船でぼろ勝ちした人間の末路がどうなるのか。銀次でなくとも想像は容易だろう。難癖をつけられ支払いを拒まれるので最善。最悪は当然暗殺されて海に投棄される。
だがその過程で賭博部門の長と相まみえる機会があるのではないか、とSirが立案して、後はほとんど運任せな杜撰な計画。しかし、意外にも賭博部門の長どころのVIPではなく、Deus01という神と邂逅した。それが良い事なのか悪い事なのかまでは銀次にもわからぬことではあったが。
「ボス……いつも通り、処刑ますか? 50億ドルは流石にこの船の運営が厳しくなるほどの大金です」
「うーん。僕もその話したいからさ、船長室に呼んでくれない? あの二人」
「かしこまりました」
□□□ ヘヴンフロア
銀次がたらふくいい飯を食べたところに黒服が二名、近寄ってくる。
「銀次様、と切羅様。勝利おめでとうございます。掛け金の清算に入りたいのですが、あまりに膨大なチップ故に、すぐには用意できかねます。我々の上司が貴方様方とお話しをしたいと申しているのですが、場所の移動をお願いできませんでしょうか」
(来た……ッ)
「ええ、そうですね。あまりの大勝利に私も先ほどから手の震えが止まりませんよ。是非お願いします」
わざとらしくも、小市民を演じる銀次と彼の意図をくみ取り、即座に金持ちの侍らしているバカ女に扮する切羅。
□□□ 船長室
不気味の谷という現象をご存じだろうか。ロボット工学の分野で主に使われている用語で、リアルな人間に近づいていくと、本物の一歩手前のところで、どうしようもない、不快感、嫌悪感を示すようになるのだ。銀次と切羅は、その人間を模した神に対してそれを感じていた。
「やあ、掛けてくれ給え。お二方。あー他のスタッフは全員席をはずしてくれ」
「しかし、ボス。護衛をつけないのはあまりにも……」
「三度目はないぞ。でてけ」
それは銀次さえ震える、威圧。圧倒的迫力。それに屈したマフィアは最敬礼をしながら部屋を後にする。
「さて、邪魔ものもいなくなったわけだし、どうだい。『一滴零しただけで自殺する』とまで言われる最高級ワインもある。久々にいいもの見せてもらった君達にはあげちゃおう」
「私には、……私たち人間には勿体ないのでは?」
「そんなことないさ! 最初のフロアにいた時から見ていたけど、実に面白い。まずマフィアのカジノ船を調べるのに、能力を手に入れて、爆勝ちするってのがいい。実にいい」
その老若男女のモザイクアートのような風体を更に妖しくするように、神の玉虫色の瞳に愉悦が踊る。
「更に銀次君。君の立ち回りもすごくいいよ。アメリカとボルゴア。どちらのいいところを余すことなく吸収し、最後にはとても素晴らしい目的まで持っている。自分専用のシエラ隊まで用意したのにそのほとんどは戦える捨て石程度の認識だ」
「快楽主義、完璧主義、理想主義。色々な人間がいるが、その全員を貪食している。成長を重ね、失敗を認め、残酷なまでに躍進するその足跡には僕でさえ敬意を表さずにはいられない」
銀次はその出された最高級ワインに口をつけるが、目を限界まで開いて、瞠目する。美味いなんてものではない。脳が多幸感で満たされる。フルーティーな香りは100年の間、樽の中、ビンの中で眠っていたことを忘れさせるくらい鮮やかだし、渋みが殆どない。だが最後には熟成された上品な葡萄が口の中で溶けていく。
隣で飲んでいる切羅も同じような感情を抱いたのであろう、円らな黒瞳がまばゆく煌めき、美味しさを称える言葉もない様だ。
「ああ……そうですね。まあワインはありがたく受け取りますよ。後このワインの製造元と……」
「うん、こっちの連絡先に僕の名前を出してくれれば買えるよ。まあ一本一億円くらいするけど」
「ありがとうござ……、違うなあ。ワインの取引に来たつもりはないですからね。あまりの美味しさに我を忘れましたが」
嬉しそうに笑う。この神格に嬉しいという感情があるのかは不明だが人間の尺度で測るとそれが一番近い。「そうだろうそうだろう」と言っているような気もしてきた。
「まず私達、は普通なら殺されますよね、50億ドルの勝利だと」
「うん。殺すね」
「今回はどういった処遇で済むのかと……」
銀次にしては珍しい命乞い、であった。無敵の彼でも、能力を奪われれば、拳銃どころかナイフでも対抗できない。
「あ、ああ! そっか。能力剥奪の件に関して気にしているんだね。それはしないよ。というか全知全能の神でもないしね。それは出来ない。一応我々にも決まりごとはあるから」
一口ワインを飲んだのち視線を銀次に向ける。
「仮にだ、僕が傲慢な神様でそんな決まり事なんかしらねえ! っていうタイプだったとしても君を害することはしないよ。だって面白いんだもの」
くつくつと笑う神。「なにがおもしろいのか」は銀次にはわからなかった。いや、確かにゲームとしてはよくできているが数多の命を弄んでいる根源がここにいるのだ。相手が神でなかったら、実力行使に出ていたかもしれない。
「そして、多分もう一つの心配事。金の話だが、それも心配いらない。稼いだ分は全て与えよう。51億ドルと……端数は切り上げて52億ドルの米ドルをあげるよ」
「さっきのワインもたくさん買えそうですね……。それより神様、私たちは何で……」
切羅の言葉の先を読んだかのように、それを遮る。指を立てて自分の口に当てる神格。相も変わらず笑顔を崩さない。
「ルールは守らなくちゃ。スポーツにも、ゲームにも、戦争にだってルールはあるんだ。残念ながら君の聞きたい答えは、出せないんだ」
懐からスマートフォンを取りだす神格。何度か相槌を打ったのちに二人に向き直る。
「金の用意ができた。現ナマでもっていってもらうことになるんだが、君の仲間がいれば問題ないだろう? あとその金がもうすぐ紙切れになることは薄々気付いているんじゃないか」
「どう、でしょうね。まだこの金には価値があると思いますが。まあ手持ちの数割は株式や貴金属、兵器や技術投資に割いているのである程度の保険はかけてあります。あとは先ほどの極上ワインにも変えておこうかな」
「随分と気に入ってくれたようだね、嬉しい限りだ。あんまり喋ると禁止事項まで言っちゃいそうで怖いな」
「お喋りが災いするってのは強キャラあるあるですよね」
「ほんと、それ」
銀次と神の話し合いを聞いていた切羅がひょんな疑問を口にする。
「でも、現金化するにも焦りすぎじゃないですか? 一日二日は待たされるものだと……」
「ん? ああ……もう言っちゃってもいいか」
おもむろに振り返るDeus01。その不気味な表情が銀次たちを真っすぐとみる。様々な感情を称えた彼の瞳は先ほどにもまして嬉しさが前面に出ている。
「来てるぞ。主義者級能力者が」
「ッ!!」
銀次が言葉を詰まらせ、切羅も肩を跳ねさせる。神格の心の中までは読めないようで、それが真実か。はたまた冗談なのか計れなかった。が、その問題に答え合わせをするように警告音が鳴り響く。人間の深層心理の、本能に訴えかける不快な音。
「ただいま船尾、貨物室にて火災発生。全スタッフは制圧に向かってください。装備も緊急事態クラスの持ち物を許可します。繰り返します……」
「おい! これはどう言った事だ?」
銀次にも余裕はなく、求める答えが返ってこないことを半ば確信しながらも、神に対して疑問を投げかける。が、その答えが返ってくることは無かった。そもそも神はもうそこにはいなかったのだから。
「一秒も、目を離していないぞ……。なんでもありかよ」
「! 銀次さんマズいことになりました。あれを」
そこに小走りに走ってくるのは黒服が10名ほど、全員がボスに対して指示を仰ぎに来たのであろう。そしてそのボスが最後に話していたのが銀次たち二名。かの神は行方不明。となると疑われるのは必然……。
「おい! お前ら! ボスはどこだ!」
「この騒ぎの原因だろ! タイミングが良すぎる」
銀次には確かに神の笑い声が聞こえてくる気がした。このマフィアとの敵対もシナリオ通りなのだろう。神はいつでも試練を与えてくる。そしてそれは決して乗り越えられない試練ではない。問題というものは常に解決できるようになっている。だからこそ忌々しい。
マフィアが懐に手を入れる。銀次は「切断」にて応撃しようとするが、それよりも早く動いていた人影が一つ。相手の動きを先読みできる切羅だった。彼女がいつの間にか結晶の一部を変形させ作っていたリボルバーは的確にそのマフィアの頭部を捉える。
「意外と簡単なんですね、拳銃って。銀次さん、この人たちに説明しても無駄です。分かりますから」
「そうか、助かる。金を積む時間も欲しいし、殺すか」
「そうしましょう」
9名の武装したマフィア相手に、高々偶然大金を手に入れた一般人が物騒な話をしている。が、敵対の意思は明確、そこで暴力で解決できるからこそのマフィアである。戦闘の意思は数瞬置くことなく固まった。
しかし、その数瞬、刹那の出来事。四名のマフィアの首が飛ばされる。戦闘慣れしているマフィア相手に赤子の手をひねるかのように殺害する。そして彼らが目撃したのは銀色に蠢く触手だった。
「化け物……ッ!」
更に残った5名は手りゅう弾を投擲する。狭い船長室は爆炎で包まれる。確かに撃破した。初見ならば必ず思う事だろう。そうやって自分の常識でしか物事を測れない凡夫ならば、銀次も数えるのも嫌になるくらい殺してきた。
まだ晴れない煙幕から二発の銃弾と二本の触手がマフィアの心臓を穿つ。切羅はたとえ敵が視認できていない場合でも、殺気を向けている位置はわかる。爆発ならば薄膜装甲で防げる。銀次たち相手に爆発物は逆効果である。
最後の一人はもう逃走しようとしていた。しかし体が動かない。足が動かない。殺しのプロだが、殺されることに関してはアマチュアだ。歩み寄ってくる銀髪、紅瞳の美青年。その温度はゴキブリを殺した後の人間よりも冷めていた。
「金の位置と、船内モニター監視室の位置を教えろ」
もしかすると助かるのではと甘い期待を持つも一瞬。後ろに控えている切羅が「わかりました」。と一声上げたのちに彼の頭は胴体と別れを告げていた。
「急いで向かいましょう、幸いどちらも船首付近。火が回ってくるには時間があります」
「切羅は先にメインルームに帰投していてくれ」
「で、でも銀次さん。私という目を失ったら……」
「パンデモニウム内は電波も通じる。カメラをオンにして胸ポケットに入れておくから大丈夫だ。椎口と来夢も安全だろうが心配だ。敵能力者の情報をまとめたのち布きれに描かれた扉から僕も帰る」
「……わかりました。無理はしないでください」
渋々だが切羅もパンデモニウムに帰還。後は金の回収と敵データの収集。簡単な作業である金の回収に関しては水瀬銀子を創り出し、一任する。
本体はモニター室へと駆けて行く。
□□□ 船尾 貨物室 連絡通路
黒い炎が燃え盛っている。本来燃焼というのは急激な酸化反応である。つまり有機物がないと物が燃えることはない。しかし、壁や天井、明らかに無機物であるそれらでさえ燃えている。黒煙は立ち上り、その炎の出火元である人物は体を焼かれながらも表情は崩さない。
出で立ちは平凡そのもの。人畜無害な青年の様。
切りそろえられたおかっぱ頭の身長の低い東洋人だ。
武器の携帯も確認できない。
だが彼の歩む道には黒い炎が燃え広がりその勢力を増していっている。
マフィアは警察と違って発砲時の警告などはしない。だが彼は身軽にもステップを踏み、ある時は左足のつま先で蹴りバックステップ、体を後方に倒し、スウェー。またある時は右足を蹴り、フロントステップ。抱え込むようにダッキングで銃弾を躱していく。
「なんだこいつ! ガソリンでもこうはならない。おい! 増援を要請しろ!」
そう言い放ったマフィアは次の瞬間、黒い炎に包まれていた。苦痛の叫びをあげることさえままならない。ただ黒炎に包まれて、手足をジタバタすることしかできなかった。
「平等を。等しく死を……。それが俺の生まれてきた意味なのだから」
マフィアの増援にはアサルトライフルを携えた人間が二人到着する。そのまま鉛の暴風をこの異能力者向けて乱射する。いくら反射神経に優れていても躱しようのない死のヴェールだ。
しかしそれは彼の涼しい顔を崩させることさえ叶わなかった。すべての銃弾は彼が展開する黒炎に阻まれ、着弾する前に燃え尽きる。
万策尽きた。その言葉がマフィアたちの置かれた現状を正しく表した言葉だろう。
□□□ モニタールーム
戦利品を回収したのち、銀次が向かったのは、この船の中枢。モニタールーム。そこには何人かのマフィアがいたが全員に対して、警告を行う。
「私に、監視カメラを見せてくれないだろうか?」
一見、お願いに聞こえるその言葉は、しかし、絶対的な影響力を持って彼らに伝わった事だろう。服は血に染まり、眼光は完全な殺意に満ち溢れている。普段から命の取り合いに精通しているマフィアには、どの言葉よりも説得力がありこのモニタールームを銀次に明け渡すほかなかった。
「君たちは救命ボートに乗って離脱してくれ。あの炎使いには私から一言申したいことがある」
有無を言わせず撤退の選択肢をとらざるをえなくなった構成員は、即座に退避を試みる。船に大量に備え付けられている非常用ボートに乗って自分だけでも助かろうと全員が志を同じくした。
「やあ、炎使い。聞こえているかな? 私も君と同じく能力者だ。 君が何のためにラクシュミーの揺り籠を燃やしたかには見当がつく。なるほどなるほど、『平等に』か。中々面白い脳みそだよね、君も。まあ、だから話し合おうじゃないか。明朝七時フロリダの廃ビルで私は待っている。是非、君を招待したい」
銀次は、一拍置いて、やや態とらしく偽悪的な声色で続ける。
「まあ話し合いというレベルになれば、の話だが。平等に、公正に、話し合いたいものだね。好きだろう?」
不穏当な艦内放送を聞き、しかし、黒炎使いの表情に目に見えるほどの変化は無かった。
だが彼の操る黒き炎の勢いは増した。代弁するかの様に。燃え盛り、焼き尽くす。
我先にと救命ボートに乗って逃走しようとするVIPも、それらに銃を向けて自分だけでも助かろうとするマフィアも。ある程度本船を離れて安心していた人々も。海を走ってくる黒い炎に飲まれ燃焼する。
最初の出火よりわずか一時間。
船の形をした絢爛豪華な箱庭は、そのまま棺桶へと変わった。
ラクシュミーの揺り籠は、まもなく完全に燃え尽きる。
悪も善も、富も名声も、男も女も、若者から老人も。
何もかも。何もかも。
黒々とした炎に飲まれて、等しく無意味で無価値な物へ変じた。




