第55話 理想主義者 愛手 雪戦②
二人が話し合っているさなか、無粋にもそれを遮るように空を切る音が聞こえる。先ほど車外に転がり出したジャックが担いでいたロケットランチャー、それがまっすぐ飛んでいき雪の眼前まで迫るが彼女は微動だにしない。豆鉄砲を見るような冷たい視線だ。
推進力は衰えることなく進んで行くが、彼女の目の前でピタリと砲弾は停止する。そのまま重力に従い地面へと落下し、転がる。
「冗談すよね? 今のランチャーなんて南極でも運用可能な程、丈夫なつくりになっているんだ。それが、不発……?」
「今さら驚くなジャック……! 核クラスの飽和攻撃でも倒せなかったんだ……想定範囲内だ。サラマンダーで燃やせ!」
「……無意味。ほんと、バカって相手してて疲れるわ」
両名からの火炎放射器からの火炎を一身に浴びても、涼しい顔を崩さない。そこから雪の静かな反撃が開始される。
冷気が一段と増した。腕に装着した温度計をちらりと見ると氷点下50℃を指していた。防寒装備があっても指が凍傷になるのが避けられない極低温。銀次は寒いだけで問題はないが、ジャックは不可逆の傷を負うこととなる。銀次は火炎の放射を続けながらも、ジャックには退避を促した。
ハンドサインだけで『了解』と返答し、白く染まった銀世界を一身に逃走する。
「さて、私は部下が逃げるまでの時間稼ぎをしなければならないが……」
「……別に、逃げたければ。逃げてもいいんじゃない? いずれ凍ることになるけれど今すぐ死ぬよりはマシじゃないの?」
「そういうわけにもいかないんだ、我々も君の自棄に付き合ってやる気は毛頭ない」
会話の最中、銀次の両手は大きくなっていた。手の平だけが十数メートルに達し、銀色に光る。それらは手近な一軒家を握りつぶし、雪に向かって投擲する。木材、石材、鉄骨をごちゃまぜにした大きすぎる散弾が彼女目掛けて迫ってゆく。一度攻撃したからと言って、攻撃の手は緩めない。更に隣の家屋も同様に石礫と化し岩石の暴風域が荒れ狂う。これは以前の「グレイ=デイチューノ」との戦いを参考にしている新たな大技。「銀掌」。
あたりが平原となったところで銀次の攻撃は打ち止めだ。雪は瓦礫で包まれた胡麻団子のようになっている。制したか、と思いをはせるも一瞬。その瓦礫の一部が氷槍となり、猛スピードで銀次に“刺し”迫る。
薄膜装甲が自動防御を行い、その氷槍を受け止めるが、それからいかにしても動かない。
(凍らされた? 僕の液体金属が……?)
凍気が、まだ使用可能な液体金属を侵食していく、次第にそこも動かなくなっていく。このままでは本体まで凍らされる。薄膜装甲を破棄、以降彼女からの防御は最悪の場合しか行わないことに決定し、自動防御を解除。凍り砕けた瓦礫が雪の周りに落ちる。
「邪魔するなら、……殺すよ?」
(先んじていた情報でわかっていたことだが、彼女は物理攻撃で殺せない。銃火器でも炎でも質量攻撃でも……。最悪の想定だが、これで確認が取れた。彼女の能力は……)
『銀次さんに報告! 彼女の能力はやはり【絶対零度】です! 以後イレギュラーが入るたび報告します』
(ありがとう、切羅。最高だ、君は)
♦理想主義者 愛手 雪 能力名【絶対零度】
温度には上限はないが下限はある。そも温度とは分子がどれくらい激しく動き回っているか、を定量化したものである。激しく動けばエネルギーは高く高温になる。しかしその分子が停止した状態ならば低温になるが、それ以上分子は動きようがない。これがマイナス273.15℃。絶対零度である。
そしてこの絶対零度、自然には存在しえない。少なくとも地球上は。あってはならない存在なのだ。分子の運動を止めるのだから、どんな物理攻撃も通用しないし、彼女、愛手雪以外の干渉でそれを動かすすべはない。
「全隊員に通達、これよりプランA、作戦通りの行動で進行する!」
「五月蠅いなあ……、喧しいなぁ……、鬱陶しいなぁ……。あんまりイライラさせないでくれないかしら」
地団太を踏みイラつきを露わにする雪。しかしそれはフェイク。愛手雪はいたって冷静だった。理想を砕かれた故の破滅的な思考が、却って彼女の脳みそまで冷やしていた。それに一瞬気付くのが遅れる切羅。
『銀次さん! 足元ですっ! 地面を凍らせています』
「ッ!」
遅れた、反応が。すでに銀次の履いているブーツは伸びてきている絶対零度にとらわれている。と同時に銀次を取り巻くように四本の氷槍が煌めいている。
「あ、まっず……」
ここで氷漬けにされたら、プランAの続行が不可能になる。妥協案も考えたが、それだとその作戦を「米国」が飲まない可能性がある。そのために近場の工場の場所まで頭に叩きいれてきたというのにだ。
ライフル弾が雪に命中する、寸前で止まる。アレックスからの援護射撃。一瞬そちらに気をとられ、銀次を視界から離す。その隙に銀次は靴を放棄し、爆縮移動で空に舞う。そのまま空中で椎口の能力を借りて浮き上がる。
「……スナイパー。前にも、いた」
冬のように冷たい瞳、流し目でアレックスを見る。
『アレックスさん! 場所がばれました! 即座に退避を! 彼女は長距離砲も……』
「捕捉……。凍れ」
「『切断』全方位展開!」
できる限りの氷槍を落とすため、切断を放つがむしろそれが仇となる。氷礫と化したそれは推進力を失わず、一キロ離れたアレックスの陣取るビルに発射される。そのどれに当たっても【絶対零度】は発動する。
遥か一キロメートル遠方の屋上に氷が着弾。結晶の自動防御を凍らせ、突き破りアレックスに届く。そこには雪迷彩ギリースーツを着ている彼が匍匐しており、例外なく着弾。即座に脱ぎ捨てて氷結化を阻止、狙撃銃も放棄。
言ってしまえば不運というほかないだろう。彼の袖の中に氷の欠片が入り込んでしまった。そこから冷気が侵食し、アレックスの左腕を蝕んでいる。斬り落とそうとナイフを抜くが、片一方の手だけでは骨までは切り落とせない。じわりじわりと浸食がすすみ、肩程まで氷像となったアレックスは座り込み胡坐をかく。
かろうじて動く右腕を器用に動かし、最期の煙草を取りだす。外見年齢が小学生から中学生程の女の子に見える彼が煙草を吸うのは、一見違和感を覚えるだろう。だが30代男性だ。
「アレックスより全体へ、体の一部に氷塊が接触。絶対零度は侵食します。以上報告終わり。シエラ隊の皆さん、隊長。ここまでありがとうございました」
『アレックスさん……。ありがとうございました。貴方のおかげで、作戦が続行できます。……ごめんなさい』
涙声でそう訴える切羅に対し、煙草をふかした後軽く笑い、言葉を返すアレックス。
「はは。なんで君が謝るのさ。必要な犠牲、コラテラルダメージだよ、これは。僕なんかのために涙を流しているのは勿体ない。一番大事な人のために取っておくんだよ」
「……はい。決して無駄にはしません。必ずあの雪女を打倒します」
「ああ……、じゃあな」
その言葉を最後にアレックスの全身が凍り付く。氷像と化した美少女は美術館に飾っても遜色ない、煌めきと儚さのアンバランスが見る者を魅了する作品となった。その死に顔は痛苦にゆがんだものではなく、閉じられた瞼の睫毛一本一本が白く長く美しく。自身の終わりに満足しているように感じられた。
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「ああ、また子供を殺してしまった。……でも仕方がないんだ。私は息子を愛していたのに。夫を愛していたのに! その愛を奪った世界が悪いんだ。私は断じて悪くない!」
『……銀次さん、スピーカーにしてください』
「ん? ああ、そうだな」
通信機をスピーカーモードへと変更し、切羅の声が雪にも届くように設定を変更させる。現在銀次は、椎口の【重力操作】で自由に浮くことが出来る。空中から大音量で、切羅の声が響き渡る。
「愛という言葉を気軽に吐くな、陳腐になるでしょう?」
その言葉を聞き、雪は振っていた頭をピタリと止め動かなくなる。彼女の逆鱗に触れた。
「アンタは旦那の肩書に、ガワに、財産に落されたんですよね? 恥ずかしげもなく理想理想とガキのように喚き散らして。あげくそれの均衡が崩れたら世界を丸ごと氷漬けにする? 三流小説のラスボスでももっとマシな動機を持っていますよ。貴方の息子さんは無駄死にだ」
「……何が、お前に、わかる?」
「残念なことにわかっちゃうんですよね。アンタが如何に幼稚で、いかに愚鈍で、どこまでもお花畑の咲いた頭をしているってのが。最後に重要なことを言いますからしっかりと聞いておいてください」
大きく息を吸い込み、そのまま思いのたけを愛手雪にぶつける。
「お前みたいな三下が、一丁前に“愛”だの“恋”だの宣うな! バーーカ!!」
銀次には雪の中で何かが切れる音を確かに聞いたように感じる。
「青臭いこと言ってんじゃねえぞッ!! 処女や童貞臭ぇガキが!!」
「身体を重ねたくらいで大人になったおつもりですか? 息子さんも無駄死にでしたね、肉欲を貪った副産物で生まれて、自身の理想を押し付けられ、挙句の果てに世界心中の言い訳に使われるのですから」
言葉は不要と感じたか、言い負かされたと敗北を悟ったか。雪が展開したのは大量の氷槍。大慌てで逃走を始める銀次。
「全隊員、撤退戦だ!」
『銀次さん! 煽りはこの程度で良かったですか?』
(十分だ、というよりめちゃくちゃ怒ってるよね、あれ)
『ええ。何を優先してでもあなたを殺そうと躍起になって追いかけてくるはずです。でもこんな銀次さんに危険が及ぶ方法私は大反対なんですが』
(言ったはずだ……リスクなしにあの無敵の絶対零度は突破できない。だからこそのこの作戦だ)
『……! 来てます! 後ろ』
雪は即席のレールを空中に創り出し、その上を滑るように銀次に向かってきている。そのスピードは自動車よりも速い。
「切羅ァ!! あいつめっちゃ早くない?」
『どうやら、摩擦係数も掌握できるみたいですね、いや【絶対零度】万能だなあ』
「感心している場合じゃ……」
「お喋りしている場合でもないですよ」
ぞっとするほど冷たい声は銀次のすぐ後ろからかけられた。即座に体を反転させながら銀刀を構える。目に入ってくるのは氷のレールを滑走しながら空中で逃げている銀次に対し、追いかけてくる雪。彼女が氷の剣を携えて肉薄した状態になっている。
「男の人ってこういうのが好きなんですよね?」
「ああ、懐かしいな。北海道に住んでいたころは私も氷柱を剣にして遊んだことがあったな」
剣戟が開始される。氷の剣と、金属の剣。どちらに軍配が上がるかは火を見るより明らかだろう。当然金属のほうが固い。だが、この勝負で重要なのはそこになかった。
銀刀が凍り砕ける。それを放棄、新たに出現させる捕縛線、しかしこれも凍ってしまい使い物にならない。続いて放棄。
「一方的だね……。私の氷の前ではすべて無意味。最初に言ったよね」
「の、割にはムキになっているね? 先ほどの息子が無駄死にという言葉に反応したかい? いやすまんすまん、非礼を詫びる」
銀次の顔は偽悪的に歪んだ。雪にそれを看破できるわけもなかったが。
「訂正しよう」
嗤う、嘲笑う、声もなく。
「アンタの息子は他の親から生まれてきたほうが幸せだったな」
雪は唇をかみしめ鬼の形相で攻撃方法を変更する。
手を大きく上に掲げ、祈祷師のようなポーズをとる。
「氷晶雲、展開。無差別攻撃、『氷雨』」




