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第54話 理想主義者 愛手 雪戦①

■■■ 一年前 東京 西麻布


「こらこら、達也。口の周りにソースがついているわよ」


 長男の口元についた汚れを、ナプキンで拭き取り彼女は静かに微笑む。東京でもトップクラスの高級住宅街。その家庭は温かかった。クリスマスだろうと正月だろうが、そこには温度計で測ることのできない温もりがあった。かつて彼女を、愛手(あいで)(ゆき)を苦しめた貧困とは全く無縁の幸せな家庭が。彼女は理想を追い求めていた。


■■■ X年前 鈴木雪の回想


 幼いころ虐待され、育児放棄をされ、パン屋で頭を下げてパンの耳をもらい飢えをしのいでいた。狡猾なことに彼女の両親は、決して見える位置に傷痕を作っていなかった。警察に駆け込めばいいだろうという多くの人間が考えうる最良の手段も両親から恐怖で縛られていた。


 しかし、父がパチンコで大負けした際に暴れたことで逮捕され、その余罪として彼女への虐待が明るみに出ることで、いったんの終息となる。母方の祖父母の家で預かられることになったが、暴力の無い平和な生活は、しかし彼女を全く満足させなかった。出てくるのは年寄臭い駄菓子に漬物やら煮物やら。住まいは隣家との間に4つも田圃を挟んだ向こう。あの暴力と理不尽な生活の中にあって、彼女の理想は不思議な程に高かった。平和であればそれだけで良い、などと澄まし顔で慎ましい望みに甘んじるなど、彼女にとっては唾棄すべき惰弱だったのだ。祖父母は彼女に危害を加えることこそ無かったが、彼女の理想とは程遠い。


 彼女が夢を追い始めたのは、高校三年生の時。服飾に興味のあった彼女は高校を卒業したのち上京し、アパレル業界へと進むことになる。しかし、そこでも彼女の理想は遠く、はるか遠くに存在した。自身が理想とするデザインはコンペで落ち、誰がそんな服を着るんだというような面白みのないデザインが採用される。


 またも彼女は挫折した、理想は、夢幻だから理想なのだと。有り得なく、届かないからこそ理想を夢と呼ぶのだと。そう思っていた矢先、職場でよく話す男性からデートの誘いが来た。仕事こそ彼女の理想だとしていた雪だった。しかしそれも芳しくない、物は試しとそれに答えた。


 それから何回かの食事や、デートを重ねていよいよ彼に告白された。仕事にも疲れたし丁度良いかと考えていた矢先の出来事だったので、彼女も応じた。最初は何とも思っていなかったはずの彼だが、雪の理想を叶えるに値する人物かどうかはゆっくりと見極めればいいだろう。


■■■ 日本近海 オルキヌス 作戦会議室


「この間、私が要求した気象情報はどうなっている。日本のどこが、一番温度が低い?」

「過去一週間分のデータすねこれが、東京二十三区がまるまる極寒のアラスカになってやがる。特に都心がとんでもない」


「……死傷者の情報は?」

「夥しい数死んでるそうですよ……。もうこれは歩く災害でしょう」


(Sirには目的が資料の保存だと言って防衛省の通話記録を録音してもらっているからな、切羅が抜ける)


「よし、ちょっと切羅、僕の部屋に来てくれ」

「はーい」


 満足げな顔をしながら椎口に向けてどや顔をする切羅。それを見て、何のことやらわからない椎口は首を傾げる。その直後銀次が思い出したようにもう一言。


「あ、ゴメン。椎口も来てくれ」


 切羅ががっくりと肩を落としうなだれた顔をする。その様子を見て、椎口は悪気無しに切羅にどや顔で返す。その直後凄い睨まれたので、何度も頭を下げ、そのたびに彼女の寝癖がぴょこぴょこ跳ねる。



□□□ オルキヌス 銀次の私室 


「もう、切羅はわかっているだろうが……」

「銀次さん、銀次さん」


 切羅は耳打ちする。それに耳を貸す銀次。


「私の第三の能力を彼女に明かしちゃってもいいんですか? 録音記録からの記憶遡及」

「僕が信じているのは君一人だよ、それは任せるつもりだったんだが、どうだ?」

「うーん。私が視られるのは今段階での記憶と心、未来に関しては何の保証もできないんですよ」

「教えるかどうかは一任する。彼女は信用に足る人物か、判断してくれ」

「……大丈夫、だと思います」

「よし、では三人で作戦を立てる。椎口近くに来てくれ。これから防衛省の最新情報を抜く」

「え? え? どうやってッスか?」


■■■ 八年前


 それからしばらくして、雪はプロポーズを申し込まれる。すでに彼の事は不満を抱く点が見つからないほどの存在になっており、何の妥協もなしに結婚できる程に理想的な男性だった。それから子供を授かり、マイホームを購入し、慎ましくありながらも自分の理想を体現できたと感じていた。彼女こそは理想(アイデアル)の求道者。


 理想の旦那。稼ぎは年収1500万。学歴も東大、体の相性も良い。

 理想の息子。成績は学年一番で運動神経抜群。女子にもよくモテる。

 理想の家庭。理想の生活。毎日が薔薇色な、どこのママ友に話しても羨望の眼差しが気持ちいい。


(あぁ、私の人生って“理想的”)


■■■


「成る程、成る程……読めました」

「簡潔に説明を頼むよ」

「まず、敵である冷気能力者に関しては、顔以外一切情報なしです。特務直属の尖兵能力者……。といっても、あの髪の蒼い高校生と、銀次さんに倒された三名はガチで筆頭能力者級。それには劣りますが、『賭博師』と『確率操作』この二人が駆り出されたようです」

「名前からして強そうだな、どういった能力だ?」

「前者は能力でトランプを出現させそれを投擲して攻撃します。出た数字でA(エース)が一番強い攻撃となり2が一番低い攻撃です。威力は2ならナイフ程度ですが、A(エース)は単純なエネルギー量ならば核爆弾数発相当の攻撃になります。いかなる防御も貫く超高火力が出ます。しかも攻撃範囲は狭く、周囲に被害は出しません」


「運否天賦で威力の変化する、超高火力ダメージディーラーといったところッスね、ゲーム風に表すと、でもそんな博打を重要な任務に参加させるのは厳しくないッスか? ただでさえ一手の遅れが戦局を左右するのに……」

「それをサポートするのが『確率操作』1から99%のあらゆる事象を好き勝手に変化させる能力です」


「『確率操作』……やっぱりか! 良かったよ、あの時『剣豪』と組まれていたら僕の勝ちがほぼ潰えていた」

「ええ、この世界にはあらゆることがほぼランダムに決定されています。それこそトランプの札とかですね」

「つまり99%の確率でA(エース)を投擲し続けました。富士宮さんの不死身でも持っていれば話は別でしょうが、それを防ぎきるのは我々でも難しいです。銀次さんの薄膜装甲も容易に貫通するでしょう」


「が……通用しなかったと」

「はい、さらに言うとトランプにはジョーカーというカードがありますよね。あれを引くと自身の分身が一体増えます。先に準備をしておいて『賭博師』は100名体制で任務に臨んでいました」


「飽和核攻撃のようなものか……。それでも倒しきれなかったのか」

「恐ろしいのは、こちらの攻撃は99%あたり、こちらには1%の攻撃しか来ないわけです。つまりこの無敵と呼べるタッグでも勝率が1%にも満たなかったんですよ」


「成る程……脅威は伝わった。だが肝心な部分が抜けているね。防衛省は相手方の能力さえ掴めなかったわけだ」

「はい、申し訳ありません」

「君の所為じゃないから謝ることはない、これから前線陸上部隊として僕とジャック。航空部隊としてウコンと椎口。スナイパーはアレックス。後方オルキヌス拠点には切羅とアシュリーを残して偵察に行くプランを立てる」

「威力偵察と行きたいところだがおそらくそのまま戦闘に突入する可能性が高い。接敵と同時に敵能力の解析を頼む」


□□□ 数時間後 東京湾


 オルキヌスには米国が飛ばした高速ヘリコプターが着陸していた。主に寒冷地専用装備のジャケットと酸素ボンベ、ガンシップも専用装備へと組み替えられる。


「東京からここまで離れているのに寒いな……。作戦決行まであと一時間、各員装備の点検は終らしたか?」


「準備万端です!」


 ジャケットを翻しながら船首に立つ銀次は号令をあげる。


「今回も簡単な任務とはさせてくれないようだ。各員! シャーベットになりたい奴だけついてこい!」


 シエラ隊の士気は気温に反比例して熱くなっていた。全員がアメリカ合衆国の国益のために動いている。


■■■


 雪は、平凡を抜け出し、愛を手にした。


 手にした理想を手放してなるものかと、雪は執念に近い「手入れ」をして来た。


 夜は夫が帰るまで、決して眠らなかったし、結果として何時に床に就こうと翌朝は4時には目覚めた。家族を起こしてしまう為、目覚まし時計は使わなかった。


 目を覚ますと先ずはヨガとスポーツ整体から採り入れたストレッチとシェイプアップを行い、続いてスポーツウェアに着替えて7キロほどランニングを行う。


 再び玄関をくぐるのは5時15分。

 これも、毎日同じだ。


 シャワーを浴び、浴室でフェイシャルマッサージを行い、身体を流すと、次はヘアセットとメイクアップ。


 ノーメイクも好きだと言ってくれる夫の為に、週に3度はメイクはしない。


「朝の」自分磨きを終えると、時刻は6時20分。愛する二人の為、朝食作りに取り掛かる。夫は昨夜遅くまで取引先と会食、息子は小学校の野球クラブで体力トレーニング強化週間に入ったところ。メニューは有機野菜と果物のスムージーで胃腸のケア、ハムエッグとトーストで一日の活力を。当然ハムも卵もパンも一級品だ。息子には焼いたボロニアソーセージとボイルのささみも追加して食べ応えとプロテインを摂ってもらう。


 ハムエッグに火をかけた時点で6時35分、家族を起こしに向かう。寝起きの悪い息子と対照的に、夫は目覚めが良い。寝室の扉を開け、目を閉じる夫にキスをすると、彼はいつももう一度だけ、キスをせがむ。今日も綺麗だ、と幸せそうに目を覚ます夫に微笑んで、隣の息子に優しく声を掛ける。


 眠たそうに身をよじる息子にかかる布団を、悪戯のように一息に引き剥がすと、目覚めた息子は恨めしそうにこちらを見る。雪はどこか得意気な顔で「起きなさい」と声を掛ける。


 朝食を終え、二人を見送ると、次は広々としたこの家の、隅々まで清掃する。毎日完璧に清掃する為、この家に大掃除の概念は無かった。


 掃除を終えると次は洗濯。ルームフレグランスメーカーから仕入れるサボンの柔軟剤を使っている。


 これを終えると近所の「デパート」へ食材と日用品を購入しに向かう。


 帰宅後は自身の遅めの昼食を軽く取り、すぐに夕食の準備に取り掛かる。息子はカレーが食べたいと言っていた。それを聞いた時点でスパイスから作ることを決めていた。


 息子の帰宅後は、宿題に付き合い、学校の出来事を聞く。そうしてる内に夫も帰宅、夕食を取って二人を風呂に入れる。息子が眠そうに目を擦るのが大体21時から23時。この日は疲れたのか随分早くに微睡み始めた。


 息子を先に床につかせて、次は夫の晩酌に付き合う。仕事の愚痴を聞きながら、絶妙なタイミングで褒める。酔いが進んだ23時頃、連れ立って息子の眠る寝室へ。


 そして翌日はまた4時に目を覚ます。


 雨の日も風の日も、風邪気味であろうと月のものが来ようと。


 雪は、手に入れたこの理想を、決して崩すまいと、毎日尋常ではない努力を積み重ねていた。


 だがそれは苦では無かった。


 理想に生きる事を、あの地獄にあって尚、夢見続け、奇跡のようにこの手に入れたのだ。


 それを失うことに比して、自分の努力など「当然」と本心から思っていた。



 それなのに。




 崩れ去るのには一月とかからなかった。夫がFXで失敗した。多額の借金を負う。今まで理想で塗り固められていた温かい家庭がたった一ヶ月で崩壊した。罵声や怒号、息子のすすり泣く声が響き、結果離婚という形となるまでは一息だった。雪はそれでも支え続ける気概だったが、騒動の最中、夫の不倫が発覚した。金銭ではない。「そこ」は取り戻せない。このまま夫婦でいても、雪は「不倫された妻」にしかなる事が出来ない。


 そうして雪から離縁を突き付けた。


 雪の努力は、糸が切れたように無くなった。


 雪の「理想的な家族生活」は手に入ることが無くなったのだ。理想的な再婚も、理想的なシングルマザーも、そんなものは雪の欲しい「理想」では無かったのだ。


 この失敗は、雪の人生にとって取り返しがつかなかった。


 雪は慰謝料だけで仕事をしようとしなかった。また貧乏な暮らしに逆戻り。彼女がこの能力を選んだわけは冷蔵庫やエアコンの節約になるというためだった。


 かつてのDV被害者が大人になって、また同じように虐待を始めるというのはよく聞く話だ。能力を手に入れた雪は息子が自分の思う通りに動かなかった ら「冷やした」。最初は 10℃程度だったのがエスカレートし、0℃、氷点下 10℃と虐待は苛烈なものになっていった。恐怖と冷気からだんだんと衰弱し、愛しい 理想の息子は、現実の凍死体へと変貌してしまった。そのとき彼女が発した言葉は。


「あちゃー。温度下げすぎちゃった」


 と、舌を出して頭をこつんと叩いた。そのあと真顔に戻り、しばらくの間死体を見つめながら、彼女は「すべて凍らせる」ことにした。これ程の無為に帰着させたこの世界ごと、全て停止させたかった。東京も。日本も。世界も。忙しく動くこの世界は、ある者に幸せを。あるものに不幸せを(もたら)す。今、その一切が鬱陶しい。息子を殺してしまった雪を、留めるものは何も無かった。



 歩くたび草花は枯れ、凍り付き、すべてを極寒の世界へと塗り替えていく。


「理想を得られない世界は必要ない」


■■■ 東京 新宿


 隊員は南極にでも行くのかというほどに厚着を重ね、酸素マスクを装着している。銀次の創り出したオフロードカー型・無形の車で、人一人いない東京を走っていく。そこに搭乗するのはジャックと銀次。


「まだ、接敵もしていないのに氷点下30℃……途方もないぞこの能力」

「隊長、最新の気象情報が来ました。一番温度が低いのは現在、西麻布、住宅街す」

「わかった、そちらに走らせてくれ」


 銀次はメイン戦力なので即座に対応できるように、助手席に。運転はジャックが行っている。車がほとんどない異様な光景の東京を走らせていく。


 次第に住宅街が多くなる、そして眼前には30代ほどに見える女性が一人歩いている。この寒さの中半袖で、全くそれを気にしてはいないようだ。顔つきは切羅が描いた似顔絵とも酷似している。ここで銀次は確信する。彼奴が今回の目的、冷気能力者だと。ジャックは車から飛び降り、転がりながらダメージを殺す。銀次は運転を変わりこの無形の車に積んである爆弾ごと彼女に突っ込んでいく。追突と同時に起爆。


 黒煙から、ダメージを与えたかどうか確信が持てない。銀次はいったん距離を取り、つぶさに観察を行う。それが晴れたところには無傷の女性、気だるげな瞳でこちらを視認している。


「そりゃあ、核クラスの攻撃連発でも耐える君なら、そうなるよねえ」


「あー、何? 私に何か用?」


 彼女は白い髪の毛を流し、黒瞳が銀次に向けられる。だが説得でどうにかなる段階はとうに過ぎている。ここからはこの諸悪の根源との戦闘に突入する。


「いやはは、早い話が死んでくれないか?」


「そう……。また能力者なんだね、いいよ」


 帰ってきたのは予想外の返答。銀次もあっけにとられるが……。


「世界を凍らせた後に、私も死ぬよ」

「そりゃまた壮大な無理心中だな」


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― 新着の感想 ―
[良い点] この完璧主義者特有の10の完成度にならないとたとえ9でも0にしちゃうのリアルすぎて笑う
[一言] まーた濃い奴が……。 攻撃方向は分かるけどどうやって守ってるやら……まさか何もかも止まる絶対零度で運動エネルギーすら止まる? なんにせよ「液体」には相性がきびしいなぁ。
[一言] 確率操作とかいう場合によっちゃラスボス級の能力者が即出オチなのおもろすぎる
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