第51話 正義の鉄槌
暗い部屋に浮かぶ狂気の双眸。かつてすべてを愛し、その実、誰をも愛していなかった正義漢。とある合理主義者に地位も妻も、思想でさえ、すべてを奪われた元博愛主義者。現在彼は何者でもなく、彼を突き動かすのは唯一つ。復讐心だけだ。
彼は明かりを消した部屋で噛り付くようにパソコンのディスプレイと睨めっこをしていた。ただ一つの情報をも見逃すことはしない。オカルトから都市伝説まで、眉唾物なネットの海を航海していた。どんな荒唐無稽な話でもいい。はたから見れば馬鹿にされるような情報でさえ彼は精査していた。
一人で住むには余りに大きい一軒家。妻や子供たちに囲まれて、笑いの絶えない、幸せに満ち満ちた空間となっていたはずのこの家を、しかし今、際限ない寂寞と苦悩とが我が物顔で闊歩する。苦悩の主は名を富士宮大輔といった。膿のように憎しみを生み出し続ける富士宮に、かつての「博愛」はその影すら、見ることはできない。彼の歯ぎしりの音が、広々とした書斎に木霊する。
ふとインターホンが鳴る。仕事もクビになって、今この家を訪れる人間など飛び込みのセールスマンか、宗教の勧誘などだろう。そんなことに割いている時間は惜しい。一刻も早く、あの銀髪の悪魔につながる糸口を見つけなければ。
インターホンは一度ならず、二度三度と繰り返される。最初は無視していたが、次第に鬱陶しさのほうが彼の感情を上回った。鬱陶しそうに頭を掻き、追い払うべく玄関のほうに歩きだし、扉を開ける。そこに立っていたのは顔も知らない老齢の女性だった。顔は絶望や悲哀に満ちており、とても営業のする顔ではないことに気付く。
「なんだ、お前は? 悪いが俺は忙しい」
「話を、聞いていただけないでしょうか……。これを」
女性はおずおずと紙袋を手渡してくる。そこに入っていたのは大量の札束。数百万は下らないだろう。
「なんだ、この金は」
「私、貴方が戦っている姿を見たものです。遠巻きに見ていたので確証は今まで得られませんでしたが」
「質問に、答えろ。この金は何だと問うているのだが」
「殺してほしい人間がいるんです」
その言葉を聞き富士宮は激昂した。なんといっても、それをするという事は自分があの銀髪と同等の存在に成り下がれと言っているに等しかったからだ。
「俺がッ! 金で誰かを殺す人間に見えるのか? ふざけるのもいい加減にし……」
「お願いします……」
老齢の女性の頬を涙が伝う。並々ならぬ事情があるのだろう。見るに見かねた富士宮は家に入るように促す。
「話だけは聞いてやる。とりあえず軒先で話すことじゃない。入ってくれ」
扉を開け、家の中に彼女を通す。談話室に案内をして、適当に茶を二人分入れて戻ってくる。
ソファーに腰掛け、対面する。先に口を開いたのは富士宮。
「何があった?」
少しばかりの静寂の後、ポツリポツリと話し始める。
「私には孫がおりました。目に入れても痛くないような自慢の孫です。その子が、強姦されました。精神的な苦痛は想像もつきません。吐き気がします。それであの子は……」
老婆の眼から、止めどなく、涙が流れ出ている。
「孫は、マンションから飛び降りました。即死でした。娘と、その旦那さんと、私とで、警察署に呼ばれました。青いシートが被せられた、孫の、孫の……」
老婆は嗚咽混じりに、それでも話し続ける。何かに突き動かされている様だった。
「あんな……! あんなふうに! あれは!! もう、佳奈子じゃなかった! 見も知らぬ男に犯されて!! 穢されて……っ!! 最後にはあんなふうになってしまった」
談話室に歔欷が響く。
「その日のうちに、娘も死にました。絶望に、耐えられなかったんだと思います。気持ちは、痛いほどにわかりました。旦那さんも一緒に、死んでしまいました。近所のキャンプ場に、車を停めて。煉炭自殺でした。理不尽に分かたれた絆を、天国で、また繋ぎ直したかったんだと思います。富士宮さん、私には、もはや何ひとつとして、残されたものは御座いません。何ひとつとして、私をこの世に繋ぎ止めるものなぞ御座いません」
老婆は、泣き止んでいた。
老婆の眼は、凪いでいる。
しかし、その奥底にある、狂った様な、黒々とした憎しみの炎が宿っている。
「富士宮さん。殺して欲しい人間が、おります」
「……それは俺の仕事じゃないな、警察に行って、しかるべき制裁を受けさせるのが、司法のあるべき姿だ」
「……私も当然、警察にも駆け込みましたよ。結果は門前払い。私たち家族を自殺に追い込んだ少年たちは少年法で手厚く守られ、さらに主犯格の男が官僚の息子でした。故に金でもみ消され、殆どお咎めなし。それからまた他の子を苛め抜いているみたいです」
富士宮の顔が強張る、彼が今まで妄信してきた司法のあるべき姿が、銀次との一戦やこの女性の告白で揺らいでしまっている自覚があったのだ。
「もう、この国の司法は死んでいます。加害者は手厚く守られ、被害者は静観される。挙句相手が権力者ならば痛くも痒くもない。どうかあの悪魔どもを地獄に落としてください」
大粒の涙がぽろぽろと零れ落ちる、富士宮もこんな自分に関係ない復讐に付き合ってやる義理はない。だが、なんというか。義憤に駆られた。あくまでこの賜った能力は正義の執行のために使うべきだと、そう思ってしまった。
「……金は要らない。だから情報をよこせ。そいつらが本当にクズならば、しかるべき報いは受けさせよう」
「! ありがとうございます……。ありがとうございます……」
何度も何度もお礼を述べる女性。弔い合戦にはならない。富士宮の復讐相手は銀次とシエラ隊。だが自分と同じく大切な人を理不尽にも奪われた、彼女を助けねばならないと。復讐は何も生まない。以前の富士宮ならばそう返していただろう。
だが今の彼は、もう変わった。復讐のために、正義のために動く。
「情報ですね、通っている高校と顔写真、フルネームならばもう調べてあります。警察も頼れない、司法にも縋れない。最終的に行き着いたのが貴方という人間離れした化け物だったのです」
(化け物……ね)
「どうかその力を正義のためにふるってください。鉄槌を、下してください。私ができる、今は亡き娘や孫にできる最大の弔いです」
「今から一週間後、また適当なクラスメイトを攫ってリンチしようとしているみたいです。クラスメイトに金を渡し、手に入れた確かな情報です。場所もこちらに……」
渡されたメモには東京都新宿区のとある大型ガレージの場所が記されていた。
■■■ 同刻 横浜 シエラ隊 拠点アパート
「全隊員、勇敢に戦ったサコンに対しての敬礼と黙祷を」
銀次の一声で切羅、椎口を加えたシエラ隊は完との戦いで失った英雄に敬意を表していた。一分間の黙祷ののち目を開ける。
「遺体も損傷が激しく、彼の存在も機密事項だ。すでに火葬してあるから心の中の彼に祈りをささげることしかできない」
「いつまでも落ち込んでいるわけにはいかないですよ。戦死した戦友の事を轢きずっていたらドミノ倒しのように我々全員が危険にさらされます。兄として彼の話はもう今後しないほうがいいです」
ドライ、ともまた違う。ウコンもまた合理的なのだ。現に彼が過去の任務でそういった失敗がいくつかあったのだろう。同じ轍を踏まないように注意喚起する。兄としてではなくCIAであることを優先していた。
「僕も同じことを言おうとしていたが、まさかウコンからその言葉が出るとは。冷たい人間だ、と詰ったりはしない。その通りだ、我々は戦士でなければならない。君たちにとっては釈迦に説法だったな」
乾いた笑いを漏らしながらも、椎口を除くすべての人員が、より覚悟を決めたことに嬉しさがあった。
(サコン……。君の死は無駄ではなかった。いや、我々が無駄にはしない)
「さて、休暇明け初めての任務すよね? 隊長。あ、その前にその巨乳ちゃんの自己紹介がまだすよ」
「ああ……そうだったな。話せるか? 椎口」
「い、いけるッス」
「空木椎口。階級は少尉だったことになっているッス。切羅さんと同じく死人として登録されています。能力は【重力操作】後方支援でバックアップを担当するッス」
「ちょ、ちょっと待ってよ」
そこに口を挟んだのはアレックス。白い髪を整えながら、翡翠色の目が疑心に染まる。身長は切羅と同じくらい小さく、それより大きい椎口に対しては見上げる形となってしまう。
「【重力操作】なのは予想がついていた。あのオアフ島で化け物を一撃で葬ったところは僕たちも見ていたからね」
「ただ、そこじゃない。なんでその能力で前線に出ないんだ?」
「それは僕から説明しよう。彼女、人を殺せないんだ。前回は化け物の姿を模していたからよかったが、この点に対してはおいおい直していこうと考えている」
腕を組んでいたボブが目を開け、珍しく口を開く。
「隊長、あまりにも悠長じゃないか? ここは企業の研修期間なんか設けていない、バリバリの殺人特化のブラックボックスだ。即戦力以外は足を引っ張りかねない」
「……それを差し引いても、強力なんだ。事実戦果は挙げている」
それを聞きシエラ隊は二の句が継げない状況になってしまう。これこそが銀次が作りたかった状況。切羅と銀次にしか知り得ないことだが。
(仲間ができるのはいいことだ。その仲間が大切になればなるほど好ましい。自分の『殺人忌避』によって椎口が友軍を失えばそのストッパーが外れる可能性がある)
「だから彼女が強くなるまで、守って欲しい。僕も当然防衛策を講じるが、君達には椎口と親交を深めることを隊長命令とする」
「……わかりました」
銀次は紅瞳を細め満足げに笑う。
「では任務の話だが、今回は簡単な任務だ。とある官僚とそのご子息の殺人。護衛は拳銃を所持しているSP4人」
「質問だ、銀次」
アシュリーが手をあげる。
「なぜ、米国所属の我々が、日本の官僚をターゲットにするんだ?」
「コイツは日米食料品の貿易会社に一枚かんでいる。不正に値段をつり上げて私腹を肥やしている。日本政府としても鼻つまみ者だが、これに一番腹を立てたのが米国政府だ」
「政府にも抗議したんだが、確執がある。切羅の拉致監禁、その奪還。お互いに牽制しあっている。日本の司法に頼ろうにも権力で握りつぶされる。で、暗殺課の出るところになった。息子まで殺すのは貿易会社に対する威嚇だね」
「わかったよ、銀次。人を殺すんだ、納得のいく理由は欲しいかな、やっぱり」
「…………うん。その感情を大切にするんだよ、アシュリー」
「決行は一週間後、東京都新宿区。そいつが住んでいる邸宅だ。こんなに準備期間はいらないと思うから、ある程度のんびり過ごすと良い。プラスアルファの休暇だと思ってくれ」
■■■ 一週間後 東京都 新宿区 大型ガレージ
東京には夜の帳が降り、陽の光は地平線の向こう側に隠れてしまった。しかし人工的な灯りが至る所でついていて、日本の首都、その繁栄具合を示している。その一角の少し人気の少ないカーガレージ。一台二台を止めておくほどの小さなものではなく、ちょっとした家のようになってしまっている。そこの中には紐で体を拘束された女の子が執拗な暴行を受けていた。
「顔は殴んなよぉ……。後でヤる時に萎えちまう」
「すっげえ、殴りやすいボディしてんなコイツ」
「たすけ、てください……」
「で、でたー! 命乞い! 大丈夫、殺さねえから。まあ自分から死にたくはなるかもしれねえけど」
そこで一人の大男が乱入する。いとも自然に入ってきた彼に少年たちは驚愕の声をあげる。
「なんだこのおっさん!?」
「え? 鍵かけてたよな」
玄関の鍵は富士宮の怪力で捩じり切られている。
「……お前らは何が……楽しくてこんなことをしているんだ?」
富士宮は願った。きっと彼らが非行に走った理由は何かがあるのだろうと。恵まれず、親からの愛を受けられず、後天的に歪んでしまったのだと。頼むから自分が納得できる答えを用意してくれと。
「なんで、知らんおっさんに話さなきゃいけねえのか知らないけど、ま、いいや」
「俺達まだガキなんだわ、だからレイプとかリンチとかしても大幅割引なわけ」
「おっさんだってタイムセールあったら並ぶっしょ? そういうわけ」
「しかも俺の親父が金積めば大体の事は解決するし。せっかくならおじさん混ざる?」
納得などできるはずなどなかった。人間は生まれながらにして清いものだと、性善説を信じていた富士宮はショックを受ける。「罪を憎んで人を憎まず」彼の座右の銘が音を立てて崩れ去っていくのがわかる。この世界には生きていちゃいけない人間も存在するのだと。
「お、俺は、こんなもののために。こんな事をする為にこの力を貰ったんじゃない! 俺が愛した人は見知らぬ者に殺され! それの罪の訴求すら許されず! テメェらみたいなクズはしっかりきっかり法の盾に守られる。何だこれは。何の冗談だ? 何が法だ! 何がッ博愛主義だっ!!」
涙を流し慟哭する富士宮に引いている少年たち。いきなり入ってきて訳の分からないことをわめき散らす。
「このおっさん酔っぱらってるんじゃね?」
「なんか自分にも酔ってて笑うんだけど」
富士宮は真顔に戻り右拳を高く振り上げる。
「お? お? 殴っちゃう? 日本に居場所無く……」
少年が最後まで言葉を紡ぐことはできなかった。何故ならば富士宮の拳がスイカ割りのように頭を破砕していたからだ。
富士宮はもう一つ新たな生きがいを手に入れた。復讐者でありながら掃除人。その瞳には相も変わらず狂気が見え隠れするが、その奥の奥、確かに正義の光は絶えず灯っていた。




