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第41話 侵食

 第二のジャックザリッパー事件。


 これに初動で当たったのは連邦捜査局。通称FBIと呼ばれるアメリカ合衆国全域でテロ等、大規模事件で動くことになる組織だった。各捜査員は拳銃(グロック)を携帯し、西から東まで軍が持つ情報をもとに、首謀者と思われる(ワン)の拠点を探し回った。その奔走むなしく、一週間が経過し、何の手がかりも掴めないでいた。その間増えたのはまたも同じく(はら)の裂かれた妊婦の死体。


 捜査官が町外れの埠頭で倉庫群を一つ一つ捜索し始めてから2時間半が経過し、辺りは闇に包まれた。申し訳程度の街路灯が照らす光の点は、それを取り巻く茫漠とした宵闇の圧力に掻き消されそうで、心許ない。


 捜査官が懐中電灯を片手に最後の倉庫の扉に手をかける。かけるが、何故か、開くのは躊躇された。


 最後の倉庫だ。

 ここに無ければ、何も無いのだ。

 ここまで何も無かったのだ、ここもそうだろう。


 捜査官の心は、何の合理性もない、根拠と言うにはあまりに薄弱な「拠り所」を求めていた。


 それはFBIとしては、半人前の心構えに相違ない。しかし今回ばかりは、所謂ベテランの勘とでも形容できるような、第六感が働いたのだろう。


 ギギギ、と。軋む扉が僅かに口を開けた途端、濃密な鉄の臭いと有機物の腐敗臭とが混じりあった空気が溢れ出た。


 もはや。

 もはや、結末は予想できたが、事実を捉えねばならない。意を決して扉を開き切ると、他の倉庫には満載されていたコンテナはただの一つもなく、がらんどうの空間が広がる。


 薄闇、その真ん中、床の辺りに黒い塊が転がっている。懐中電灯の明かりでそれを照らすと、予想通りの悲劇がまたひとつ、コンクリ敷の床を彩っていた。



「またも犠牲者が増えました……。本部応答願います」



 トランシーバーからは待機中の雑音が流れるばかりで、応答がない。有り得ない。ここは市警じゃあない。連邦捜査局の装備品が持ち出し前に検査を過つわけがない。


 明らかな、異常事態。


 一息に尖り高まった捜査官の鋭敏な感覚、その聴覚が僅かな空気音を捉えた瞬間、反射に近い速度で身を屈めた。


「連邦捜査局か。なかなかどうして、やるではないか」


 スーツに サングラスをかけた男の姿。手にはナイフが握られていた。


 返答など無駄、通信障害は意図的と見るべき、この場を生き残ることよりも、情報伝達を。


 思考は最短で、即座に出口へと駆け出した。

 駐車位置までが、長い、長い。背後から追う足音はない。しかしそれでも速度を緩めることはない。


(通信可能な場所まで、早く……っ)


 車に飛び乗り、エンジンの起動ボタンを乱暴に押し込むと同時にアクセルを踏み込む。空転するタイヤがアスファルトを焦がして、車は急発進、幹線道路に繋がる私道に飛び出した。


「本部っ!! 応答願う!! 死体が増え、こちらも襲撃を受けた!! 本部!!」


「こちら対策室。状況伝達を」


「埠頭倉庫郡捜索中……っ」


 ピシリと、車両後部の窓に(ひび)が入る。発砲されている。サイドミラーに黒塗りの車2台。


「くそ……っっ!」


 ハンドルを切り、右へ左へ射線を躱す。


 後部の窓が破砕する。


 なおも発砲は止まない。


 身を屈めながら懸命に追っ手から逃れようとアクセルを踏み込む。


 銃弾は運転席のヘッドを突き抜けてフロントガラスに突き刺さる。広がる罅が視界を奪って、捜査官は「生き残ること」を完全に諦めることにした。


 これ以上の運転は不可能、激突する。それで死なずとも、後続に撃たれる。


(無駄死にだけは御免だ……ッ! せめて情報だけでも……っ!)


 通信用のトランシーバーを掴み、運転席の窓から顔を出して、通信を起動する。


「本部!! クレセントシティだ!! 埠頭倉庫群の1つ!! 死体もホシもそこ……」


 パンッ、と。

 捜査官の頭を銃弾が突き抜けた。


 運転手を失った車輌が、倉庫の壁に突き刺さる。


 黒塗りの車は追跡をやめて停車する。一人の男が車から降りて、通信機を取り出す。


(ワン)さん。アメリカの犬コロが到達しました。問題なく殺害しましたが……。この仮拠点は」


 通信機から聞こえてくるのは気だるげな間の抜けた声。


「あー、その“枕”はもう使ったから、その仮拠点は放棄していいよ。証拠は残さないでね。あくまで“完璧”にだ。死体は放置していい」

「承知いたしました」


 FBIの操作能力は日本の警察機関の何倍もの優秀さを誇る。故に(ワン)はデコイを大量に用意していた。FBIというイレギュラーは放置できない。マフィアだからこそ使うことのできる、最大の交渉術。『陽動』からの『脅迫』。


 全米各地に散らばったFBI。対策室長に届くのは捜査員の訃報。それも一件二件ではない。拷問痕の残る十を超える捜査員の死体が全米各地で量産された。それに恐れをなして辞職する捜査員も多数出てくる。そのためFBIはすでに壊滅状態に陥っている。


 最初に敵が自分であると証拠を残したのは(ワン)の指示のもとだった。『恐怖』を以て組織を壊滅に追い込む。マフィアの常套手段。


「敵の拠点は大量に見つかった。だが(ワン)につながる情報は全くと言っていいほど出てこない。多数の拠点と思しき倉庫は見つかったが、それまで。暗躍するマフィアに届かない」


 机を激しく叩き、遺憾の意を表明する。だがそんなことでは事態は好転しないことはわかっていた。


「駄目だ……。情報、武力どちらでもFBIの手に負えるものではない」


 煙草に火をつけ一服する室長。ここでFBIが折れればアメリカの敗北に等しい。国民が安心して眠ることのできない国になる。


「……軍に要請するか」


■■■


 (ワン)は完璧主義者だ。レストランでフォークとナイフが逆に置いてある。運転中赤信号に二回連続引っかかる。道端のガムを踏んだ。殺した死体の温度が平均より一度低かった。そんな些事で彼は大きく心を乱し、気分を害する。



 故に彼は運の絡むことを大変嫌う。


 そんな彼が公務員などの安定した職を選ばず危険と不運が最も付き纏う国際マフィアなんて職を選んだのか。


 完璧な枕が欲しかったからだ。自分に合う完璧な枕が。しかし合法的にそれを入手する手段も存在しなかった。


「ふぁ~あ、眠いなあ。どうだ? FBIは。今のところ大丈夫?」

「ええ、ボス。問題ありませんよ。ただこの間拷問した捜査員からは、軍が本腰を入れて討伐に乗り出す、と聞きましたね」


 眠そうな瞳を擦りながら、部下に状況を確認する。どうやら芳しくはないようだ。米軍と真っ向からやりあうには(ワン)の能力でも流石に力不足。あの“計画”が始動するまでは、アメリカ本土で枕を手に入れるしかない。


「そうか、ではこちらも兵隊を集めておけ。ボクも準備を進めているからね」

 糸目の(ワン)からは正確な心情を読み取ることはできない。が不思議とマフィアの構成員は安心感を覚えていた。



■■■ カリフォルニア州 埠頭 倉庫群


 大量の犠牲はあった。FBIにも増援の軍にも。命の対価だろうか、その甲斐あって、大量のデコイの中から敵本拠地を絞り出すことに成功した。そこに(ワン)がいるだろう。それを軍に報告して、漸くシエラ隊が動き出すことが決定する。


 カリフォルニアの太平洋に面した埠頭の倉庫群。外は暗く、日も落ち倉庫内の灯りが外に漏れだしている。そこの中で黒い長髪の中国人が椅子に腰を預け、サングラスを掛けて上を向いている。斥候に出ていたアメリカ陸軍は遠方のコンテナ上部から双眼鏡で様子をうかがっていると、奇妙な光景を目の当たりにする。


 倉庫の裏で少女が別の少女にキスをしていた。情熱的で濃厚なものをだ。


「ヒュウ……。逢引きか? お熱いねえ。でもここは危険だな。おい……! 保護しに行ってやれ。お前はそのままいったん戦線を離れろ」

「私ですか? わかりました」


 部隊長から指示のあった部下は、その愛を確かめ合っている少女たちの小さな命を守るため、マフィアに見つかる前にこの場所から非難させなくてはならない。音を立てずに小走りで駆けてゆく。


□□□


「部隊長……。少女たちを保護しました……。それで一つお聞きしたいことが」


 依然変わらず、灯りのついている倉庫をコンテナの上から監視している隊長は急ぎ振り向く。一般人の安全確保を優先し、ここを離れるよう言った部下の声。その内容に特に不審な点はない。だがその声色に、論理的でない物言いになるが、嫌なものを感じたからだ。


 振り向いた瞬間、先ほどの部下の肥大化した右腕が振り下ろされる。金属製のコンテナをへこませるが、すんでのところで回避した。部下の瞳は真っ赤に充血して結膜が紅く染まっている。


「なんデ? 無策デ。ボクに対抗デきるとオもっているんデしょウか……?」


 振り下ろされた腕は本来曲がるはずのない方向に曲がっているのを左腕で強引に元に戻す。


 人間にはリミッターが掛けられており、その筋力を十全に出すことは不可能である。何故ならば、そうすれば己が肉体にダメージを負ってしまう。いわば防衛機能。


 だがもしその自身へのダメージを無視して、筋力を行使できるならば? オリンピック選手でも到達不可な領域へと身体能力の向上は可能である。


 不運にもこの斥候部隊には『能力者』の存在が隠匿されていた。故に部隊長が思ったのは、何かしらの薬物を投与されている。との結論。即座に通信機に手をかけ3メートルほどの高さのコンテナから飛び降りる。


 転がりながら、着地し衝撃を逃す。そのまま彼は裏手に止めてある軍用車まで走っていく。


「本部へ、部下の様子がおかしい。明らかに私に対して敵愾心を持っている。何らかの薬物を投与された可能性が高い」


 そこまで報告したところで、闇から這い出してくる一つの影にタックルされコンテナへと叩きつけられる。先ほど遠方に見えた少女である。とても見た目からは考えられない膂力で押さえつけられ、笑顔を向けられる。ニッコリと真っ赤な眼を細めて彼女は言う。


「ボクはとテモ嬉しイよ。後はキミさえ感染させレば、大幅にジかんを稼ゲる」


 口を大きく開け、首筋に歯を立てようとする少女に、隊長は黒鉄(くろがね)を突き立てる。そのまま発砲。頭を貫通し痙攣しながら後方へと倒れていく少女。


「……すまない」


 悲痛な表情でそう言い残しホルスターに拳銃をしまい込む。民間人の少女を撃ち殺した罪悪感からか、部隊長に一瞬の隙が生まれる。痛みが左側頭部に走る。正確には頭ではなかった。それに気づかせてくれたのは、眼前の四足歩行で凄まじい跳躍力を誇る少女。その口には左耳が咥えられている。


「ああー。殺シちゃった。殺シちゃっタ! 民間人ナノニ。ボクに襲われタ哀れな女の子ナのに」


 もう部隊長は全力で逃走することにした。車で待機している本隊まで戻れば、希望はある。この状況を打破できるだけの重装備も積んでいる。コンテナを回り込み裏の車までたどり着いた時。『最悪』が待っていた。


 車の前で一列に並び小銃をこちらに向けている全隊員、総勢8名。すべての目の色は深紅に染まり、こちらに双眸を向けている。その誰か一人でも自身の味方である、とは直感的に感じえなかった。


「本部、本隊が壊滅。まるでゾンビ映画だ……。……。……。……ン。申し訳ありませン。取り乱しテいたのは私のホウだったみたいです。本隊損害ゼロ。依然作戦続行問題ありマせん」


 部隊長の眼もすでに赤く染まっていた。


■■■ シエラ隊 軍用車 車中


「警告します。敵方の能力は『ゾンビ化』のようなものだと思われます。斥候の陸軍一個小隊が落されました」


 スピーカーから切羅の声が車内に響く。運転手のボブはいつもと変わらず険しい顔を崩さないし、ほかの隊員も完全に仕事モードに入っている。普段軽い態度をしている、サコンやアレックスも口を結んでいる。


「切羅ちゃんの能力でも、断言できないのか?」


 分隊長のジャックが説明を求める。一つの聞き逃しが全滅を生みかねない“対能力者戦”万全を期すのは分隊長として当然だ。


「私は、彼らからの通信を聞いて心を読んでいるんですけど、それに対する答えは『術者本人がいない』からです。感染させられた人間しか存在しませんでした。彼ら彼女らの特徴は『眼が紅い』という点と、人間の出力限界までの筋力、瞬発力の向上が認められています」


「紅いというと、銀次みたいにか?」


「銀次さんは黒目の部分、瞳部分の瞳孔が紅いですが、ゾンビ化している人間。便宜的に『感染者』と呼びますが、彼らは白目部分が紅いという特徴があります。それに身体能力もあなた方が交戦した『富士宮』ほどの強さはないでしょうが、今回の相手は数が多いという強みがあります」


「常人離れした人間が何体もいるという、なかなかハードな仕事だねー」


「アレックスさん。それだけならば、まだ能力者の脅威としては可愛いものでしょう。最悪な点は仲間がどんどん増えるという点です。交戦しに行くと負けた場合取り込まれてしまう可能性が高いです。万一銀次さんが感染した場合、終わりなので同行はできません。引き続きジャックさんに隊長権限を預けるそうです」


 ここで切羅が指揮を執っているのは心を読んでから、他のオペレーターに伝言する際のラグを銀次が嫌ったためである。よって銀次も切羅の隣にいるが、彼の意見も含めて、切羅がシエラ隊に伝えているという作戦になっている。


「再度確認しますが、銀次さんから渡されたクソ重い立方体。『結晶』と呼んでいますがそれは命綱です。基本的に人一人ぐらいは自動防御で守れるでしょうが、全員は無理だそうです。今回、あなた方の目的は情報の収集です。暗殺ではありません。私がカメラを通して敵さんの能力のトリガーを読み取れば、銀次さんの派兵ができます。ただ……。『感染者』に関しては殺しきってください。これから指数関数的に増えるとしたら人類全滅もあり得ます」


「了解、切羅オペレーター」


 現場に到着し狙撃手は定位置、ガントリークレーンに配置され、倉庫の周りを包囲する残り四人。ボブとジャックが倉庫の天窓に位置付き、表口と裏口をウコンとサコンが壁に背を当てて、フルオートショットガン。通称“ベヒーモス”を構える。


 指令室では切羅が腕時計の秒針を確認している。


「突入してくださいッ!」



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― 新着の感想 ―
[気になる点] 瞳孔が紅いのではなく虹彩が紅いのではないですか?青い目は虹彩が青く瞳孔は黒です。瞳孔が黒いのは口の狭い壺の中が黒いようなものです。 [一言] とても面白くて一気にここまで読んできました…
[一言] 切羅の能力はほんとに便利ですね。 多少思考が残っている?筋力マシマシのゾンビ人間は対処は大変そうですね。
[一言] 普通の王道主人公だったら相当やっかいな能力者だけど平然と街ごと核で吹き飛ばせる主人公の相手だとイマイチに感じる敵だな リスク高いと感じたらミサイルで丸ごと破壊くらいするだろうしな 精神だけ…
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