第34話 隠せない弱さ
電話の音が鳴る。一回、二回、三回。自動音声に切り替わり、「留守番電話をどうぞ」と意思もたぬ機械に要求される。
「……これも、防衛省特務に聞かれているだろう。でも誰にも言えなくてね。……この間初めて知る顔を殺したよ。もう、僕に涙を流す権利などないのはわかっている。僕は進み続ける。そのためには君の存在が必要だ。叶うなら、君が隣であってほしい」
■■■ 日本 某県某所 切羅拘束場所
真っ白な部屋の中でもう8人目となる世話係が、銀次が切羅に送った通話記録を聞かせていた。その携帯電話はすでに押収されていた彼女の物だったが、特別に切羅に一時的にメッセージを聞かせるために上がよこしたのであろう。恐らくは心変わりを期待して。
『おやおや、彼は無血の殺人マシーンだと思っていたが、随分とメンタルをやられているじゃないか』
さらに切羅の携帯から壮年の男性の声が混じって耳に入ってくる。半笑いで銀次をバカにするその態度にいつもの切羅ならば激憤していただろうが、彼女は内心穏やかではなかった。
(これって求婚ですよね? 求婚! 求婚!! 銀次が初めて私を求めてくれた!)
(……落ち着こう。浮かれるのは彼に会ってからだ)
その動揺の中にあっても、切羅は演技が得意なほうである。元々資質はあったし、占い師として思ってもいないことを、さも本心のように話すことはそれなりにできると感じていた。
「そ、そんな……。お願いします! 銀次さんとお話しさせてください!」
眦に涙を浮かべ、必死に懇願をする。この通話の相手、おそらくこの組織のトップであろう人間に。
『あ、そうだ。話がかみ合わないと思うが、これは“録音音声”だ。君は世話係を何度も交換させて、自分と相対しないと心を読めない。と思わせようとしていたみたいだが、忘れたかね?』
『一度、Sirとやらに通話越しに、能力を使っているのを』
「!!」
『いやなに、驚嘆の声が聞けないのが残念だよ』
「全部、ぜんぶ、筒抜けで……」
『では君の寝返りを心から待っているよ』
そこで録音音声は途切れ、俯き顔を手で覆う切羅を横目に世話係は部屋を出ていく。
(なーんちゃって♪)
■■■
「切羅、最重要なことはこの録音機に入れて送る。この通話の内容は切り札というものはどうすれば最も有効的に働くのかという話。それは相手にもう手札切れだ、と思わせることだ」
「君の第一の能力。対面時の読心」
「第二の能力。通話越しでの読心」
「そして切り札。録音からの記憶の遡求」
「これはまさしく全知の権能だ」
「基本は第一の能力だけで戦うんだ。それでもダメなら第二の能力。切り札は温存しておくことで価値を増す。この録音機は必ず完全に破壊した後破棄すること」
■■■
(だから、今の録音記録からぜーんぶわかっちゃいました。防衛省の内情)
そして、銀次の泣き言。なんの重要なこともない、ただの通話、弱音。あれにも意味がある。声を聞けば記憶を辿れるのだから、切羅に託したい情報は他にあった。
1週間後に軍部との取引があり、決裂すればそのさらに1週間後に急襲作戦を行う。との情報。
場所が分からないからこれから2週間「僕が記憶した通りの順番でご飯を要求するんだ。それで場所が絞れる可能性がある」と。「食材全てを隔離場所で賄うことはできないだろう。その我儘なメニューで食品の運搬ルートを辿ればCIAが追跡できるかもしれない」と。
ただ、やはりそれだけではない。彼は隠そうとしていたがわかってしまう。
──────私の能力は、難儀だ。
銀次には分かっていたはずだ。
何しろ私の読心は優秀過ぎる。
私と、あの子に、微かな共通点を見ていることも、
電話をしてしまえば、私に「弱さ」を露呈してしまうことも。
それでも銀次は私を信じて電話をかけてくれた。前よりも少しだけ、私が銀次にそうするように頼ってくれた。
私の能力は、難儀だ。
銀次は、これまでも、これからも、いったいどれほどの十字架を背負うことになるのだろう。
もう、読心なんてなくたって、すぐに分かった。
銀次が深い喪失感を抱えたことも、それを悟らせまいと本題を別に用意していることも。
だけど、私の読心は優秀過ぎる。
この世で唯一人愛おしい貴方の抱えた苦しみを、100%余す所なく、私も味わった。
これまで読んだどんな心よりも仄暗く、また凍えていた。
今すぐに、今すぐに、私の全身全霊を以て暖めて差し上げたい。
だけど、私の能力は、難儀だ。
銀次の心を識ることはできても、これからどう変わるかは分からない。
彼は、喪った。
彼は、代わりを求めるのだろうか?
私は、あの子の代わりになって差し上げられるのか?
銀次は、私に、何かを求めるだろうか?
何もかも、差し上げたい。
何でもいい。
何でも、何時でも、何処でもいい。
だからせめて欲しがってほしい。
──────私の能力は、難儀だ。
■■■ 横浜 拠点アパート 二階 談話室
「それにしても本当の能力は『切断』すか。ビル一棟丸ごと両断するほどの。そりゃあ話せないわけだ。無理やり探ろうとしたら首が飛ぶわけだ、物理的に」
冗談めかしてジャックが笑う。先日の富士宮との決戦で一人も犠牲者が出なかったことは幸運だった。富士宮が殺人に忌避感を覚えてくれているおかげでなしえた奇跡だろう。
「ちょっと語弊があるな。僕の『切断』は『武器創造』の延長線上で練り上げたものだからね。ちょっとしたアイデアと工夫でどんなものでも武器になる。くれぐれも他言無用でお願いしたい」
「……まさに、銀色の鬼。『銀鬼』じゃないか、凄まじいね」
アシュリーにカッコいいのか悪いのかわからない異名をつけられ銀次は頬を掻く。
能力の延長線に『切断』がある。それは間違っていない。ただそれは『武器創造』なんてショボいものではなく『液化金属』から派生したものだが。
嘘は多くの真実の中に一欠けらだけを投入することで、最大の効果を発揮できる。
以前に握りつぶした携帯はもう新しいものに新調している。当然、足のつかない飛ばし携帯だ。その端末がバイブレーションをする。
「指令が来たな……」
課長直属のシエラ隊には新たな任務が降りかかる際、隊長である銀次のスマホに送信される。その指令を見た瞬間、銀次の口角が僅かに上がる。
「もー。暫くは休みたいのにー。ここんとこ立て続けじゃない?」
アレックスは頭の後ろで手を組みながら、ソファーに深く座り足をぷらぷらさせている。ボブはその後ろで腕を組みながら瞑目している。
「まあ、仕事があるのは良いことですよ。俺ら暗殺課の本懐じゃないですか」
「兄さんの言う通り、それは間違っていないね。ただ俺もちょいとばかし疲れたなあ。日本に転属させられると聞いて楽な仕事になったと喜んでいたのに、ぬか喜びだったね」
「決行はいつだ? 銀次?」
やる気満々なのはアシュリーだ。彼女は進んで人を殺したくはないと思っていたが、存外オンとオフの切り替えはちゃんとできるようだと銀次は感心した。
「三日後。場所は北海道。北海道大学のとある研究を奪取する。なに、相手はド素人。鼻歌を歌いながらでも達成可能なゆるゆるの仕事だ」
「明日夜に『オルキヌス』で小樽港まで渡航をする。そこからは僕の車で札幌まで移動を行う。一日下調べを行なったのち、暗殺と研究成果の奪取を行う。だから今日明日はフリーだね」
「じゃあ秋葉行きたい! あそこって面白いゲームがたくさん置いてあるんでしょ?」
「ああ、いいよ。出港まで時間はある。各々やりたいことは好きにやってもらって構わないが、武装は拳銃だけにしてくれ。警察にバレると面倒くさい」
■■■ 三日後 北海道大学 研究棟
笑いが止まらないとはこのことだろう。まだ臨床試験には至ってはいないが、この「循環器の人工模倣」が実用化すれば、金も名声も好きなだけ入ってくる。
(近い将来私は現代科学の頂点に君臨できる)
研究室にノックの音が響く。東海林教授はアポイントメントを取られていた記憶はない。だが、有頂天の彼は意気揚々とそのドアを開ける。刹那、口を押さえられ、そのまま頸動脈圧迫で意識は堕ちる。
□□□
「北海道はまだ冷えるな。コートを着てきて正解だったよ」
本棟から研究棟の渡り廊下を狙撃手以外の5名で並んで歩いていく。全員がマスクに目深に帽子をかぶった不審者。その姿に学生たちは何事かと目を向けるが、すぐに興味を失い学友たちとの他愛もない雑談に話を戻す。そのまま、東海林教授の研究室前に到着する。
「さてここか、お礼参りってわけじゃないが、あくまで仕事。そう。仕事だよ」
隊員は銀次の不敵な笑みに若干引くが、彼の過去を知らない彼らにとって、その真実に到達することは無い。
ノックもせずにその扉をあけ放つ。瞬間、パソコンに向かい作業をしている中国人と、目を覚ました東海林を縛り上げているもう一人の人物を発見する。驚いた顔をして、一瞬硬直するが、すぐに懐に手を入れる。だが、練度が違いすぎる。一人はウコンが、もう一人はサコンがそれぞれサイレンサー付き拳銃一発で撃ち倒す。
「あらら、競合。そりゃあ中国も欲しがるよなあ。この画期的研究を。今の今まで襲われなかったのが奇跡に近い」
「隊長、このおっさん見たことあるすよ。確か現代医学の革命者だと」
「ああ、カーボンファイバーバイパス手術。確かそんな名前だと記憶しているね」
「知っているんですか、隊長」
ウコンが横目で銀次に目をやる。
「知っているも何も、私の研究だからね」
しゃがみ込みマスクと帽子を剥ぎ取り、目線を東海林に合わせる。
「お久しぶりです、教授。ご健勝のようで何よりです」
銀次は顎を引いて縛られている東海林に再会時の定型文を投げかける。しかし、彼にはこんな銀髪で紅眼の知り合いは存在しない。だが先ほどのやり取りでこの研究の第一人者しか発することのできない言葉を聞きようやく理解が及ぶ。
「み、水瀬君か? た、助けてくれ! な、頼むよ!」
銀次はしばし瞑目した後不思議そうな声色で疑問を呟く。
「どうしてどいつもこいつも。通るわけがない命乞いをするんだろうか。殺しを見られた以上、死が避けられないことぐらい普通に考えたらわかるでしょうに」
「ああ」と言葉を続ける。
「私は、個人的な恨みでここを訪れたわけではありません。仕事です。ご了承を。ただ一つ、私の感想ですが、技術にしろ財産にしろ、過ぎたるは猶及ばざるが如し、といったところでしょうか」
視線を東海林からジャックに移す。
「ジャック、例の毒物は持ってきているな?」
「ええ、『自然毒』すよね?」
「ああ、そうだ。遠慮なく飲ませて差し上げろ。……教授。貴方は食中毒で亡くなります。食べ物って怖いですよねえ」
暗殺課の毒殺部隊、ジャックとボブが研究に研究を重ねてできた、検出されても表の科学力では“食中毒”以上の結論はでない代物だ。
「そんな! やめてくれ!」
悲痛な懇願が耳に届くが、銀次にとってそれは町中の喧騒となんら変わらない 「ノイズ」だった。
「研究のことなら謝る!! 今からでも共同研究者として論文に名を連ねよう!! 金か!? なんだ! どうすれば良い!!」
(くだらん)
「頼む!! なんでもする!! 斎藤くんか!? あの女学生のことか!? 済まなかった!!」
「……何が済まないのか」
「彼女を脅した!! いや、彼女の親を!! 製薬会社に勤める親を通じて!! 済まない、本当に!」
(そういう、ことか)
「ジャック」
「はい」
「薬を飲ませ、轡を噛ませろ。聞くに耐えん」
「はい」
ジャックがカプセルを無理やり飲ませる。一分ほどは何の変化も見られなかったが、突如呼吸器官が停止しのたうち回る。
余りの苦痛に、目は見開かれ、眼圧によるものか、みるみる充血が進んでいく。真っ赤な瞳孔はあるはずも無い逃げ道を探すように、右に左に、上に下に、ギョロギョロと忙しなく動いて汗を流す。縛られた身体はそれでも、打ち上げられた魚のようにのたうち、跳ね回る。
まるで声の出せぬ主の代わりに、全身が苦痛を叫ぶようだった。
声無き叫びは、しかし徐々に緩やかになってゆく。どう訴えたところで、既に生死の分界点を超え、不可逆の損傷となったことを、身体で理解したようだ。
糞尿を漏らし、一度びくりと痙攣した後、男は有機生命体から、単なる有機物となった。
「問題はこいつらの死体の処理だよなあ。能力使うか……」
眉間から血を流している二体の死体に視線を落とす。
「武装展開、【貪食】」
銀色の口の二本の触腕が中国諜報員の死体を貪り食う。後には肉片一つ落ちていなく、東海林の毒殺死体があるだけだ。最初東海林も貪食すればよいかと考えたが、暗殺者がほかにも来ているならば、死体があったほうが都合がいい。罪をこいつらに擦り付けられる。
「サコン。コンピューター詳しかったよね? データ抜いてもらえる? 後で私が本部に送るから。ボブは自然な形に部屋を整えてくれ。ロープに縛られていたんじゃ、いくら警察が愚鈍でも事件性を悟られる」
研究室で後始末をしているところにノックが鳴る。どうもタイミングが悪いことが続く。アレックスが拳銃を取り出し、扉に向かうがそれを手で制し、銀次は扉を開け、来る人物に応対する。
そこにいたのは黒髪黒目の男性。かつて自分が姿を偽っていた時の、研究に志を燃やし、瞳にももう少し人間味があったころの自分を思い出し、胸にちくりと針が刺さる思いをした。
「あの……教授は? 論文を持ってきたのですが」
「あぁ、もうそんな季節か? ん? いや遅くないか? 3月下旬だぞ?」
「いや、はは……それを聞かれると耳が痛いんですけど。……お姉さんは? お客さんですか?」
「そんなところだよ。教授ならさっき購買に行ったよ。また出直したほうがいいかもね」
「わかりました! ありがとうございます!」
笑顔でお辞儀した学生が歩き去るのを確認し、彼女は息を漏らす。
「ふう……」
「隊長、あの学生も殺し……。誰すかあんた?!」
「この能力も隠しておきたかったんだがね」
そこに立つのは腰ほどまで銀髪を伸ばし、男物のスーツの胸部を膨らました麗人。水瀬銀子だった。
「迂闊だなぁ、私も。教授に挨拶するために変装を解いてしまった」
「さっきの学生を見逃すのはまずいんじゃないすか?」
「誰一人顔は見られていない。私の女性体は見られたが結構。毒は完璧、証言は食い違う、この国の司法は届かない」
「それに」と前置きして銀子は続ける。
「勤勉に学ぶ学生を殺すのは義に反する。帰るぞ」
「その変身も『武器創造』なんすか?」
「……可愛い女の子の笑顔は武器だろう?」
にこりとはにかみ笑顔でその場を乗り切ろうとする銀子にジャックは嘆息する。
「あー。了解。あなたのことは詮索しない。そうでしたね」
「助かる」
「それにしても、隊長……おっぱい大きいすね」
銀子の容赦ない肘鉄がジャックの鳩尾にヒットし彼は悶絶する。
■■■ 四日後 横浜 拠点アパート 二階談話室
シエラ隊はタコパをしていた。猫舌の銀次が舌を火傷して、大騒ぎしたり。アレックスがボブの片腕にぶら下がったり。酒に酔ったアシュリーがたこ焼きの中にウコンが大事にしていた秘蔵のおつまみを勝手に入れたりとやりたい放題の饗宴だった。その混沌の中銀次に通話が入る。相手はSirからだ。席をはずし、氷で舌を冷やしながら自室に戻る。
「Mr.銀次。Ms.切羅の件で、悪い話ともっと悪い話がある。どちらから聞きたい?」
「……どちらも気が乗りませんけど、悪い話からお願いします」
「米ドルで50億。それだけの大金で交渉は成立した」
「? 安いものでは? 能力者の戦略的重要性を考えたら」
「ではもっと悪い話だ。日本が、“裏切った”」




