第26話 暗殺課
ドアを開け部屋に入り最初に目に入ってきたのは光だった。窓から刺す日差しが強く、思わず銀次は目を細める。暫く地下にこもって半ばモグラのような生活をしていたためか、真昼間の太陽はまぶしすぎた。部屋の中は煙が充満していて、豪華な内装を台無しにするアヘン窟を思わせる。隅には観葉植物が置いてあり、その光合成だけではとても追いつかないほどの二酸化炭素が「課長」の葉巻から燻らされていた。
「やあ銀次。はじめましてだね。噂は聞いているよ。どうぞ好きな場所に座ってくれ」
目の前の男は50代後半程度の年齢だろうか。黒髪は結い後ろに垂らしてある。不健康に腹の膨らんだ恰幅の良い体格をしていて、顎髭を生やしているため正確な年齢よりも老けて見える。そこだけ切り取れば働くお父さんといった風体だが、決定的に裏の人間だと確信できる点がひとつ。顔に切り傷があるだとか、入れ墨が彫ってあるだとかそういったステレオタイプの悪役ではない。
その双眸には、光がなかった。
「はじめまして。自己紹介は必要ありますか?」
「いや、大丈夫だ。聞いている。……葉巻の煙は苦手かね? 随分難しい顔をしているが」
「私も嗜みますけれど、これはちょっと……息苦しいですね。あと眩しいんですよ。ずっと地下にいたもので」
「おっと、これは気が利かなく申し訳ない」
課長は手の平で自分の額を叩いたあと机についているボタンを押す。全窓にはスモークが入り、部屋の窓が灰色の四角形へと変貌する。それともう一つのスイッチを入れると換気扇が回り、急速に煙が室外に排出されていく。
そのまま奥のダイニングまで歩いていき、二人分のマグカップにコーヒーを入れて戻ってくる。香りはマスターが入れてくれる特級のそれより幾分か劣るがそれでもコーヒー好きにはたまらないだろう。
「まあ……とりあえず一服でもしようじゃないか」
「……冗談ですよね?」
先ほどまで満面の笑みで銀次に対応していた課長は顔を曇らせる。
「冗談、とは?」
「ここの課が一体何を仕事にしているのか、私は知っているんですよ。上官にも言われましたし。“暗殺課”ですよ? 自身のリスク管理さえできない愚物をここに入れてくれるほどお優しい機関だとも思っていません」
「……毒でも、入っているんじゃないかと……そう言いたいのか」
その声には凄みがあった。返答いかんではただでは置かないという圧倒的威圧感。それも当然である。普通の社会人が取引先の会社で出されたお茶に「毒入ってませんよね?」と聞くのは礼儀知らずを通り越して気狂いだ。
「はい。そのくらいのリスクはあるものだと」
しかし銀次はあっけからんに言い放つ。新しい職場に来ていきなり爆弾を課長に放り投げた。それを真っ向から受け止め爆発。課長は手を叩いて笑った。
「素晴らしい! 素晴らしいよ……暗殺課が何たるかをわかっている」
そもそも銀次に毒は効かない。その情報を知っているのはSirと切羅の二人だけ。これは課長から銀次に対してのテストでもあったし、銀次からSirに向けてのテストでもあった。「毒程度も警戒できない能力者なのか」と「銀次が眠っている時に毒が効かないという情報を漏らしていないか」という二つ。
課長は立ち上がり、銀次のマグカップを手に持ち壁際に歩いていき、熱帯魚の泳ぐ水槽にそれを流し込む。色が撹拌し、黒が水に混じり靄となる。それから10秒をおかずに魚の死体が浮かんでくる。それを確認した課長は振り向き両腕を大きく開く。
「歓迎しようじゃないか! 銀次。ようこそCIAの掃きだめに。最初に君にこの言葉を贈ろう。『争いあるところに暗殺課あり』だ」
おどけたような明るい声は、組織に吹く新しい風を好ましく思う上司そのものだ。それでも涅色の瞳は相も変わらず笑わない。
「争い。色々あるよな。ガキの取っ組み合いの喧嘩から大国間の大規模な戦争まで。そこで君に質問だ。正義が自分にあると信じて行動した。でも司法がそれを許さなかった。君ならばどうする?」
思い出すのはいつぞやの光景。研究を盗まれ、司法さえ彼の味方をしてくれなかった屈辱の日々。
「以前の私ならば諦めていたでしょうね」
「今の君ならば?」
「……“殺す”でしょうね」
その紅瞳には確かな殺意。普段から「殺す殺す」と息巻いているチンピラとは明らかに格の違うその言葉に暗殺課の長が、震える。
「……模範解答だ。そうなんだよ。死人に口なしともいうだろう? どんな大義も大望も。死んでしまえば三流コメディアンのギャグより価値を持たない」
銀次は課長が冷蔵庫から取り出した缶コーヒーを飲みながら話を聞いている。課長は気分を良くしたのか、はたまた普段からそうなのか切らすことなく葉巻を吸い続けている。まさにチェーンスモーカーである。
「言うならば我々は司法への反逆者。米国が妄信する『正義』のために国際法にさえ弓を引くならず者たちだよ」
そう言い放ち、自嘲気味に笑った後、何本目かわからない葉巻に火をつける。
(ボルゴアの事も悪く言えないじゃないか。まあ立場が違えば正義も違う、か。どうでもいいが)
「業務内容としては、いったいどういったもので?」
「それも冗談かい? 暗殺課だよ。もう答えを言っているじゃないか」
「事務や営業ではないことはわかっていますよ。やることは軍とあまり変わらなそうですね」
銀次に対してハイライトのない目で笑いかける課長。
「各国要人。米国領内スパイ、諜報員。テロリストの暗殺が主な業務だ。正確な部署を教えようか。CIA特別行動部。通称パラミリ。暗殺課はそこの一チームとして行動している。能力者を戦線に送るのは初めてなので新設の部隊を作ることになる。そして最重要な任務として『能力者』の把握、鹵獲、暗殺だ」
「ああ。それならば上官に聞いていましたよ。確かある程度の我儘が“課長”には通ると……」
「そうだねえ。彼とは持ちつもたれつの関係だからな。しかも今回『切断』と『武器創造』もちの能力者を一人借りているんだ、恩義もあるさ」
「私が先ほどの毒で死んでいたら軍にはどう報告するつもりだったので?」
課長は口角をわずかにあげ挑発するように目を細める。
「そんな間抜けは死んでもいいよな? とは流石にいかない。私のほうのマグカップには解毒剤が入っていた。当然その場合お帰り願ったが」
「テストはなし、と聞いていたんですけど。随分物騒な試験があったものですね」
「まあまあ、結果オーライだ、そこで我儘は何だい? 可愛いものだと助かるんだが」
「それに関しては全部話を聞いてからですね」
「抜け目ないなあー。だからこそ暗殺課にも欲しかったわけだけど。……話を戻そう。君は武装諜報員として『ある国』に送られることになる」
器用にも葉巻の煙で輪っかを作りながら、言葉を続ける。
「その『ある国』だが先進国でスパイ防止法が存在しなく、諜報員が暗躍できる天国みたいな国がひとつ、あるんだが。心当たりはないかな?」
一拍おいて、それに答える。
「「日本」」
課長と銀次の声が重なる。二人とも口角を釣り上げ「わかっていましたよ」「わかっているようだね」と視線で会話した。
「君も久々の里帰りだ、ゆっくりと羽を伸ばせる……とまではいかないが、知人や家族に顔見せくらいは出来るだろう」
「必要ないですよ……。日本にそんな大切な存在もいるわけではないですし、あー……一人いたな」
「込み入った事情のようだね……。まあ詮索する気はないよ。で、配属日なんだが一か月後。大体三月頭を目安に考えている。ジェット機だと検閲が厳しいから、タンカーを用意する。食料輸出用のコンテナ船を装った海を渡れる移動要塞だな」
「随分と大掛かりな代物で行くんですね。日本の警察は優秀ですよ?」
「我々の部隊だって優秀だ。殆どがマフィアから取り上げたものだが、複数個の裏ルートは暗殺課が保有している」
銀次も煙草の箱から一本取り出し火をつける。
「質問がひとつ。一ヶ月の時間は何の理由があってですか?」
「……まだね、君を除いた隊員の選考すら終わっていない。一応6人随伴させる予定なんだが。それに日本専用の武装も用意しなくてはいけない。恐らく君が言いたい我儘というのはこの点だと思うんだが」
「お気づきで、やっぱりどこも組織のトップは見る目があるんだなあ」
遠い目をしながら煙を吐き出す銀次。合わせたかのように息を吐くタイミングが課長と重なる。
「やっぱりそうか。給金に関してはそんなに興味はないと思っていたから……」
「いや、それも高ければ高いほどいいんですけどね……。肝心の任務で死んでしまえば元も子もないので、優秀な人材と武装の確保に重きを置いているだけですよ」
(ドウから掴みどころのないやつだと話には聞いていたが、想像以上の傑物だ。大事なものに明確な順位をつけている人間は、強い)
「それが我儘か……いや、思っていた以上に可愛いものだったよ。君に与える階級は『大尉』だ、佐官以上になると前線に出るのが不自然で、あまりに階級が低くとも部下がついてこない。丁度いい塩梅だと思う」
「詳しい兵装や人員の話に関しては、Sirやほかの暗殺課のメンバーと擦り合わせていきましょうか」
「そうしようか。……突然だがポーカーはできるか? 銀次?」
「どうしたんですか急に」
「命を賭けたポーカーだ……。やってくれるね?」
「日本で一般的なドローポーカーならば。命? 命って言いました?」
課長が、取り出したのはアタッシュケース。銀次はドラマでしか見たことのないそれに対して興味深げにまじまじと見つめ、中から何が出てくるのだろうと期待に胸を躍らせていた。
開けると中には十本の葉巻が整然と並べられていた。傷一つつかないように黒い布のクッションで保護されている。
「私秘蔵の最高級葉巻だ。一本一万ドルはする。煙草っていいよな。芳醇な香りに、どんなストレスも忘れさせてくれる命の息吹だ」
「ああ、命ってそういう。でも私はコンビニで売っているような安煙草しか持っていませんが……」
「構わないよ。ただお互い負けたら一週間の禁煙だ」
「私は良いですけど課長大丈夫ですか?」
「リスクは大きいほうがヒリヒリするだろ?」
「良いでしょう。私はアメリカンスピリット18本を賭けましょう」
不敵な笑みを浮かべる課長。相当賭け事に自信があるのか、始まる前から勝利を確信しているような表情。命を賭けるなんて大げさかもしれないが、課長程の愛煙家にとってこの十本の葉巻は我が子のように大事なものなのだろう。
□□□
「二枚交換する」
「私は三枚ですね」
お互いに場代の賭け金一本を払う。後は上乗せ、応じる、降りるが可能である。
「日本においてスパイ活動は合法だ。君も知ってのとおりね。レイズ」
課長は貴重な賭け銭である葉巻に火をつけながら語り始める。それと同時にまだ火をつけていない葉巻を机の上に乗せる。
「ええ……そうですね。レイズ」
「だが暗殺は当然容認されていない。公安警察外事課が出張ってくるだろう。暗殺課の存在をカードに例えるならば。他の諜報員が失敗し、殺す以外方法が無くなった時のジョーカーだ。レイズ」
「そうポンポン人を殺していたら、日本政府も黙ってはいないでしょうしね。レイズ」
「ジョーカーは知られていないから最強なんだ。把握されたら役なしだ。ブタはブタらしく刑務所にでも入っていてもらう。と、言いたいところだが、それもダメだ。自害、もしくは隊長が責任を持って殺害しろ。全賭け」
「承知いたしました。コール」
課長は自身の札を表にする。そこに揃っていたのはスペードの10、J、Q、K、A。ロイヤルストレートフラッシュ。ポーカー最強の役。
「ははは、しばらく禁煙だな。銀次」
「そうだ、ただ一つ訂正が。私は知られてしまっても最強ですよ」
銀次も札を表にする。すべてのマークの9が4枚と1枚のジョーカー。ジョーカー入りポーカーの最強役。ファイブカード。それを見て目を白黒させる課長。
「葉巻、貰っていきますね」
半身を失ったかのような悲しそうな目で銀次の持つアタッシュケースを眺める課長。それを見て、銀次は深いため息をつく。
「はあ、別に葉巻にはそんな興味もないので、一本だけもらっていきますよ。でも一週間は禁煙ですからね」
「心底感謝するよ。でもすごいな、イカサマかい? いや咎めるつもりはない。純粋にファイブカードを作れるなんて思わなくてね」
「……その発言は自身がイカサマをしていた、と白状するようなものですよ。役は素で来ました。ではまた今度」
席を立ち一礼した後、高級葉巻一本をスーツの胸ポケットにしまい退室する銀次。それに手を振り見送る課長。彼が扉を閉じ見えなくなってから、課長は大きく伸びをして、葉巻に火をつける。
「能力だけが彼の脅威ではない……と聞いていたが。まさしくその通りだ。彼は人を殺めることだけに特化した怪物だ。相対して初めてわかる。彼がいれば暗殺課も安泰。これからも世界の覇権を取るのは依然変わらず、米国だ」
そこで自分が賭けの約束を破り、葉巻を吸っているのに気づく。灰皿でもみ消し、長く苦しい一週間の禁煙に頭を抱える。
■■■ 存在しない階層 29階層 カフェテリア
「銀次様? 難しい顔をしてどうかなさいましたか?」
「いやゴメン。仕事の件だ」
「ほっほ。それは失礼。部外者には言えませんからねえ」
「マスター。僕って欲張りかな?」
「……今あなたが食べているものを見ればわかるのでは?」
銀次の前にはこれでもかとトッピングをもりもりにしたチョコレートパフェが置いてある。ウエハース。イチゴ、ホイップクリーム、メープルシロップ、バニラアイスと全てのトッピングが乗っけられた贅沢なスイーツ。
「成る程」
マスターの真意を理解したか、否かは不明だが銀次はそうこぼす。課長に対して注文が多すぎるとSirに苦言を呈されてふてくされているのが今の銀次の現状である。彼が暗殺課のメンバー6人に送った条件とは。
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全員が軍属10年以上
全員が格闘能力および射撃能力に優れている
無手で人を殺せる事
日本語と英語、中国語の会話が可能
航空機、乗用車の操縦に優れている者
銀次の詮索をしない人物
毒物取扱者2名
爆弾技師2名
狙撃手2名
毒物取扱者は表向きに食中毒で死亡したとしか思えない毒を扱える者を要望
爆弾技師には高層ビルを思いの方向に爆破解体できるほどの技師を要望
狙撃手に関しては1.5km以上の距離で安定して殺害可能なスナイパーを要望
これら6名を隊員として所望する。
とのことでこれにニコチン切れでイライラしている課長が頭を抱えてSirに相談した。Sirは「銀次と付き合うならば、それくらい覚悟したほうがいいといったよね?」と笑顔で課長の肩を叩いたらしい。
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「ま、いっか」
頭の後ろで手を組み、窓の向こうに見える雲海に目を向ける。太陽が燦燦と輝いており、その天界を思わせる絶景が多少は心の安らぎとなった。ここから先は“上の”仕事。銀次の出る幕ではない。この後もマスターに武芸の心得を教えてもらうつもりだった。
■■■ 一か月後 CIA本部
あの部隊だけは特別である。『パラミリ』暗殺課。“チームS”
暗殺課にはもともと五つの実働部隊があった。A。B。C。D。E。そして飛んで新部隊。チームS
以前初顔合わせのために銀次が招かれた部屋にSirが通される。
「前に銀次から聞いたんだが、日本ではAランクの上にSランクというものが存在しているらしい。Superから取ったのか、Specialから取ったのかは知らないし、私には共感できないが」
「それで最も優れている自分にそのSのフォネティックコードを与えろと?」
鼻を鳴らし、暗殺課課長に尋ねるSir。
「いや、違う。それは特に関係無いらしい。銀次からの要望は自分の名前"Silver"から取ったチームの新設だ」
(じゃあなんでSランクの話をしたんだ?)
「長かったよ、永かった。これでようやく能力者大戦の足掛かりとなるシエラ隊が発足する。我らアメリカがこの混迷の世界でも覇者となる第一歩だ」




