第24話 日常 ⊇ 非日常
□□□ 存在しない階層 28階層 銀次の私室
ボルゴア大使館爆破から二日。日中はSirへの報告。夜はボルゴアとの非公式な取引。矢継ぎ早にやることが飛び込んできた。睡眠時間を限界まで削って活動をしていたのでカフェのマスターに体調を心配されたこともあった。基本的に外傷からはほぼ無敵を誇る銀次の能力だが、睡眠不足に関しては能力が補ってくれるわけではないらしい。ようやく一段落したところで銀次は自室のベッドで大の字になって体を休めていた。
ボルゴアとの交渉は難航を極めた。「穏健派」に関してはすでに話はつけていたが、その「穏健派」と「過激派」の軋轢が事をややこしくしていた。銀次はボルゴア本国に戦火が及ばないことを「過激派」に対する切り札としていた。彼が本当のことを上官に言えばアメリカとの戦争は避けられないとの脅しだ。
だが「過激派」はこう切り返した。“密談”をしているのならば君の“暗躍”をリークすることで君は今の地位を失墜するのでは? といった脅しであった。これは予想の範疇である。彼はこう返した。
「もしバレたら? 開き直ってごめんなさいすればいい。確かにマイナスにはなるが、アメリカは私をどうこうできる武力を保持していない。大戦で君の国は潰れ、私はほんの少し風当たりが強くなる。その天秤の計算ができないならば『過激派』も随分と合理的ではないじゃないか」
その一言で「過激派」は手のひらを返して交渉に乗ってきた。いかに闘争を主目的に据えている本国も立場が分かったらしい。これにてボルゴア「過激派」「穏健派」ひっくるめて銀次の傘下に入ったことになる。
取引の内容としては、銀次からはボルゴアの安全の保障と後ろ盾の確保。軍事会社からの支援が無くなったため、アメリカから銀次を通して仲介を行う。この情報はアメリカには伏せるため、ボルゴアが一方的にアメリカの情報を知ることができる。後当面の研究資金の提供と「結晶」一つの譲渡。
銀次からボルゴアに支援する金額としては個人対一国であるため、雀の涙程度の物だったが、情報と「結晶」の存在が大きかった。これは自動防御もできれば簡単な装甲車両にもなれるし、使用者の意思で重量が許す限りのあらゆる兵器と成れる。当然だが銀次の一存でコントロールを奪われボルゴアのトップを暗殺できることは伏せていたが。
ボルゴアからはカリホルニウム原爆の優先的譲渡と、能力者の情報。スパイも動員して全力でサポートに回るとの言質がもらえた。それから技術力の提供と、後々の研究資金、再建資金のリターンもしてくれるとの確約。
ベッドの上で不敵に笑っている銀次のもとに「指輪」から通信が入る。
「Mr.銀次。今部屋の前にいる。入ってもいいか?」
「ああ、構いませんよ。インターホンでもつけたらいいかもしれませんねえ……この防音の扉」
顔を引き締めベッドの淵に腰掛ける銀次。そこに扉が開かれ、綺麗にワックスで固められたオールバックで金髪の中年男性が入ってくる。
「Mr.銀次。女装に興味はないかい?」
「いよいよ包み隠さなくなってきましたね……」
「あー違う、違う。娘の誕生日に服をプレゼントしてあげようと思うんだが、そのモデルになってほしい」
銀次は頭を抱え、辟易とした表情で嘆息する。
「なんで……女性にお願いしないんですかね? 見ての通り私は男ですよ?」
「君の変身能力があれば、どんなスタイルにでもなれるし、顔も自由自在だ」
銀次はSirが忙しくなるとぶっ壊れるのを知っている。ストレスのはけ口を家族に向けないだけ善良な父親であろう。嫌な顔をしながら変態し水瀬銀子の姿を形どる。
「何をやっているんだ? Mr.銀次?」
「こっちのセリフなんですけど……」
「女性体の人間が女物の服を着ても“着せ替え”じゃないか。男性が女物の服を着て初めて女装だよ?」
「やっぱり娘は建前じゃないか! 欲望丸出しだよ……怖いなこのおっさん!」
心底軽蔑した、虫を見るような視線で銀子はSirを見つめる。
「あ、TS娘に侮蔑の視線を送られるの。ちょっといいかも。新しい扉開きそう」
「無敵じゃん……。この上官もう嫌だよ……。あと扉は開けないでください……」
手を叩き話題を変えるSir。
「ま、それは後のお楽しみにするとして、本題だ」
「後でやるんですね……。まあ、いいや。どうぞ」
「テレビ見てる? 最近」
「キャバクラちゃうねんぞ! Sir!」
珍しく銀子は敬語が取れ、語気を荒らげる。大使館戦でもここまで声量をあげたことは無かった。
「雑談じゃないんだよ……本当に。でもその様子だと見ていないみたいだね。サンフランシスコが落ちたんだ。ニュースとかはどうなっていると思う?」
息をのみ、銀子は即座にテレビのスイッチをつける。どのチャンネルを見ても「サンフランシスコ大震災」の話題で持ち切り、一局だけボルゴア大使館のビル倒壊をキャスターが話していたが。
「あー。すっかりスルーしていましたけど。あの事件はこう隠されていたのですね……。でも報道規制も限界がありますよね? 数千の土塊が街を踏みまわったので犠牲者もいるだろうし、目撃者もいるはずだ」
「ネットは大盛り上がりだよ。動画も出回っているしね。所謂、陰謀論というやつだね。今回に限っては陰謀ではないんだが。だがそれを利用させてもらった」
「というと?」
円らな紅い瞳をSirに向け首を傾ける銀子。
「サイバーチームにあの惨劇を模したCG映像を大量に作ってもらった。泥水にワインを一滴落としても泥水だが、逆にグラス一杯のワインに一滴の泥を落とせばそれは泥水になる。真実が如何に多くともその虚実を混ぜたうえで報道規制をすればなんとかはなるんだよ」
「目撃者に関してはどうしたんですか? 記憶操作系の能力者でもいるので?」
「いれば、良かったんだがね……。あの事態の収束に奔走してくれたのはCIAの荒事専門屋。これから君が働く場所として上が用意したのがそこだ。面接もペーパーテストもなしに就職できるんだ。上等だろう?」
「あれ? もしかして私、軍はクビに?」
目を閉じて腕を組み大きく息を吸い込んだ後、Sirは銀子に告げる。
「ロシア戦、大使館制圧。いや厳密には爆破か。この二つの勲功は君を認めるのに十分すぎる」
青い瞳を片方だけ開け、Sirは続ける。
「君には軍とCIAの二足のわらじで働いてもらうことになる。詳しい説明は“課長”に聞いてくれ。明日の正午。バージニア州ラングレー。CIA本部で待っているそうだ」
「課の名前は? いきなり言われてもどこに行けばいいかわからないですよ」
「CIA暗殺課。当然表立っていない課だ。話のほうはもう通してある。名前さえ口に出せば案内してくれるだろう。……あとクビになっても28階層以下の設備は残しておく。いつでも帰ってきてもいいからね」
「実家のような安心感ですね。そこに変態が一人いるのに目をつむれば、ですが」
「……ヘンタイ? 何のことだいMr.銀次。なんで目を逸らすの? ねえ」
■■■ 同時刻 東京都 上空 5000m
太陽があたりを照らし、眼下に広がる雲海が陽光を柔らかに受け止めながら僅かに輝く様を見れば、ここが氷点下36℃の極限空間であるとは分からない。だから、余計に現実味のない光景である。果てなき白い雲の絨毯の上に、人間が座っている。
吐く息の白さは、その空間の厳しさを証明していたが、存外人間は穏やかな顔をしている。酸欠も、寒ささえも、どうやら無縁の存在のようである。
栗色の肩にかかるほどのセミロングの髪は、寝癖なのか、所々やや大袈裟なほどに跳ねている。黒ぶちの眼鏡をかけており、眠たげな瞳はこげ茶の虹彩に縁取られ、光が差しこむことで余計にその色を際立たせる。胸部の豊かな膨らみと相まって、“地上にあって”多くの男の目を惹くだろう。どうやら女性らしい。
しかし彼女自身も、身に着けた服飾や、重たげなはずの乳房も、空間に揺蕩うようで、所在なさげな印象を与える。
よくよく見れば、通常全身にあるべき僅かな力みさえ、認められない。彼女は“座ってなどおらず”正しく浮かんでいた。
ふわりと漂う様に透明な安楽椅子へ腰かける少女の美しさは、見る者に現実感を失わせる。顔貌も、華奢な肩も、ほっそりとした腰も、無造作に「空」に投げ出された真っ白な足も、その全て完璧である中で、ただ柔らかな胸と眠たげな瞳だけが絶妙な不均衡を与え、それが却って、暴力的な程の魅力を感じさせる。仕事嫌いな天使が、勤めを抜け出して一息ついているようだ。
「本当。この能力はいいっスねえ。喧騒のない静かな空を存分に揺蕩える。風の吹くままお昼寝でもしようかな」
♦ 空木 椎口 能力名【重力操作】
■■■ 同時刻 東京都内 某テレビ局
マイクを手にした司会が大袈裟な身振り手振りで本日生放送のゲストを迎え入れる。舞台裏から登場したのは腰ほどまで届く艶やかな長い髪を翻し、笑顔を振りまく美少女。
「札幌で知らない人間はいないといっても過言ではない! 脅威の的中率百%の美少女占い師。黒崎切羅さんだぁあ!」
「どうもー。はじめまして。テレビに出るのは初めてなんでちょっと緊張しています」
無駄にテンションの高い司会の進行にうんざりしながらも笑顔を崩さず、いろいろな質問に答えていく切羅。
占い師という職業に必要なものはなんだろうか? 未来を見通す力? 違う。飛びぬけた洞察力? 惜しい。正解は相手が答えてほしい内容を答えてあげること、ただそれだけ。
「今回の特番は、やらせ、仕込み。一切なしッ! 放送事故も関係ない! 本番ぶっつけの一発勝負!」
□□□
「でも、私は彼が浮気しているなんてとても信じられなくて……。確かめてくれませんか?」
(信じられなくて、……ね)
番組が用意した相談者とのリハーサルは全くしていない。相談者は完全に一般人で、仕込みもない。司会者の言っていたことは本当である。切羅の能力ならばわかる。わかってしまう。今半泣きになりながら相談してくる女性の彼氏が4股をかけていることも分かってしまう。さらに言えば、この相談者もその彼の浮気疑惑を相談している男友達と肉体関係を持っていることも“ワカッテシマウ”。
(寂しさを埋めるためにセックスをする。よく聞く話だ。そこに愛がない、と思うことで、不貞な己の免罪符としている。そしてそうさせたのは不安をもたらした貴方なのだ、という論法だ)
「……2年前の7月21日。貴女にとって大事な日じゃありませんか?」
「え!? なんでそれを!」
(この馬鹿面……全く嫌になる)
「その旅行で買った、ペアのストラップ。もう彼はつけていないと思っているかもしれませんけど。彼は大事にしまっているんですよ」
感極まって号泣する相談者。
(この涙は嘘じゃない。それが余計に気持ち悪い)
「あとは貴女がどうしたいか? でしょう。もう助言は必要ありませんね?」
「……あり、がとうございます。ありがとうございますッ! 私は彼を愛しています!」
(だって総合点が一番高いから。顔もいいし、性格もいいし、お金もあるし、セックスの相性もまずまずだ。今の間男じゃあ、体の相性以外勝てない、と)
「凄いッ! 凄すぎるッ!! これが北の占い師! 黒崎切羅の実力だあァ!」
拍手喝さいが起こり切羅はにこやかに観客席のほうに手を振る。
□□□ 放送終了後
「いやー。黒崎さん、凄いね。マジだったのは俺も驚いているよ」
「いえいえ、昔から人を見る目だけはありましたので」
「ところでこの後空いてる? 寿司でも食べに行かない?」
「いえ……ちょっと一人で東京を歩いてみたい気分なので」
「そう、じゃこれ俺の連絡先ね。何かあったら力になるよ」
「ありがとうございます~」
(……エロ河童が)
プロデューサーに下心があったのは切羅でなくともわかったかもしれない。だが切羅は能力の兼ね合い上、その“下心”が脳に直接注がれる。不快感は筆舌に尽くしがたいものがあっただろう。そして自分が今いらついている理由がそれだけではないことにも気づいていた。
夜の街を歩きながら不平をこぼす。
「何が愛だ、悍ましい、反吐が出る」
先ほどの問答嘘は言っていない。彼氏がストラップをつけていないのは、浮気相手に見られないため、それだけなのに。しかも相談者のほうは愛だの宣いながらほかの男に股を開いている。
愛とはもっと崇高なもので。
愛とはもっと純粋なもので。
愛とはもっと一途なもので。
愛とはもっと荘厳なもので。
……愛とは絶対なものでなければならない。
(断じて彼奴の語る愛なんて愛とは呼べない)
「まあこれもお金のためだ……。銀次さんとの結婚資金。後幾ら貯めたら……」
ふと一人の少年とすれ違う。蒼い髪に蒼い瞳をした、決して身長の高くない華奢な少年。外見的に高校生くらいだろうか。日本にしては珍しいその髪色と瞳の色。切羅以外だったならば「校則にひっかからないのか?」という感想を抱いて終わりだろう。
切羅の全身から汗が噴き出す。体の全細胞が警鐘を鳴らす。いますぐ「逃走」を選べと脳から指令が送られる。理解できない。理解してはいけない。もし彼のことを完全に理解してしまえば、切羅は切羅でいられなくなるだろう。切羅という愛の狂信者も、銀次という合理の信奉者もそのどちらをも正常だと言わしめる狂気が服を着て歩いている。
(逃走に気取られてはいけない。あくまで私は一般人。ちょっと占いができる一少女)
全力で走りだしたくなるのを理性が食い止め、吹き出る汗の一滴が零れ落ちる音で彼が振り向くのではないかという恐怖におびえ、歩速を変えずに歩いてゆく。曲がり角を曲がり、はやる鼓動を抑え、後ろを振り向くが、誰もいない。
ビルの外壁にもたれかかり呼吸を整える。すぐさま銀次に報告をしなくては。震える指でスマートフォンを取り出すが後ろから何者かに首をロックされる。基本的に彼女は自分に対する悪意というものにアンテナを張ってある。だが先ほどの動揺からだろうか。少年に気を取られすぎた。
視界が明滅し、ブラックアウトする。切羅の意識はそこで途絶える。
「対象を確保。これより輸送します」
「ああ……間違っても傷をつけるなよ」




