第20話 ボルゴア共和国
『だ、誰がそんなことを答えるかッ!』
と、一週間前のグレイならばイキリ散らかしていただろう。だが、完膚なきまでに心を折られ、両の手首も、自らの生殺与奪さえ握っている目の前の羅刹にそんな強気な言葉を吐く胆力はとうに失われていた。鈍色に光る彼の刃を見ただけでタマが縮みあがる。
「へ、へへ。それを答えたら……僕を殺してくれますかね……。へへ……」
「あー。もう十分です。必要な情報は抜き取りましたので。あんまり物騒な言葉は使いたくないのですが……。そちらで処理してくださって結構ですよ」
切羅からは無慈悲に無温度にそう告げられる。何のことかわからないが、まだ両腕を切り落とされ、雑に縫合される地獄の痛みと、どれだけ策を練ろうと打倒不可の『液化金属』の絶望が待っていることは明白だった。
「さて、実験の続きと行こうか。今日は速度特化のゴーレムだったね」
「痛い……。苦しい……。殺して……。ころ……」
一発の銃声が運動場に響き渡る。眉間に着弾したグレイはズリズリと前のめりに崩れ落ち、命の紅い雫をこぼしながら動かなくなる。銀次がおもむろに後ろを振り返ると、拳銃を構えたSirが目に入る。銃口からは硝煙が立ち上っている。
「確かに、あいつは街一個を潰した。どんな大義があろうと許されることじゃない。贖っても贖いきれない咎がある。数万の市民が虐殺された。いち士官として、はらわたが煮えくり返っているのは事実だ。私たちも命をビジネスにしている。それも大義のためだ。だが、Mr.銀次。自身の能力を磨くためだけに両手を奪い監禁するのは、なんというかエグすぎる。もう楽にしてやってもいいだろう」
銀次は数秒間何も答えなかった。Sirにとってそれは不満なのか、憤りなのかを判断することはできなかったが、しばらくして口を開く。
「……銃の腕。凄いですね。その距離からヘッドショットですか」
口に出たのは称賛の言葉。本来面食らう場面だが彼の性格からしたらその言葉が出るのが一番適切な気がした。
「はいはい。血なまぐさい話は終わりにしましょうよ。私の情報が欲しかったんですよね? Sirさん」
「ん、Mr.銀次。彼女はなんと?」
「私が通訳します。とりあえずSirの私室に行きましょうか。あ、そうだ」
銀次の液体金属がグレイの遺体を包み込み貪食する。
「最近、疑似負傷用の血液が足りなかったのでここらで補給しましょう。死体処理も兼用できますしね。後、今度でいいので、輸血用血液パック2ダースほど用意しておいてもらえますか」
「構わんよ。さて漸く本題だ、一週間もかかってしまったな。早いとこ対策を打たないと私が上にどやされる」
地下30階まで並んで歩いていくSirと銀次。そしてスマホの中の切羅。グレイを失ったことを残念そうにぼやく銀次をなだめるSirと切羅。そう時間はかからずに目的の場所へと到着した。
□□□ 存在しない階層 地下30階層 Sirの私室
蛍光灯の弱い光が室内を淡く照らしている。地上からほど遠い地下深くにいるためか、完全防音の作りになっているためか。そよ風の吹く音も虫のさざめきも聞こえない。ずっと過ごしていたら陰鬱とした感情に支配されるのではないかというほど殺風景で、閉塞的な部屋だ。
机の上には銀次のスマホがスピーカー状態で置かれている。椅子には対面して銀次とSirが座っている。本題に入ろうと銀次が口火を切る手前、切羅が声をあげる。
「Sirさん貴方、銀次さんの女性体に欲情しましたね?」
「え? 切羅。なんで、英語しゃべれるの?」
「欲情? 欲情!?」
男二人が素っ頓狂な声をあげる。しかし切羅は泰然自若とした様子で言葉を続ける。
「記憶が読めるんだから、英語もしゃべれますよ。Sirさん。何か弁明はありますか?」
「え? 何この子。怖い。私には妻子がいてだね……」
「僕、性的な目で見られてたんですか? ちょっと引くんですけど……」
「ちょ……Mr.銀次。誤解だ! 確かに君のTS姿には若干見惚れはしたよ。元来顔がいいからね君は。でもTSはあくまで、唐突な性転換の葛藤にこそ雅があるんだ。断じて君を不純な目で見たことは無い!」
「切羅ぁ……。Sirにこの話をさせると長くなるんだよ……。そこらへんで勘弁してやってくれ」
「りょーかい。あと私はSirの手料理を食べたことにも嫉妬しているんですけどね。私のでさえまだ食べてもらったことないのに。グギギ……」
「本題が、ずれる! まずはグレイの情報に関してだ切羅!」
「まあ半分場を和ませる冗談です。お二人とも……ボルゴア共和国。という国を知っていますか?」
「……なぜあんな無法の国の名前が出るんだ?」
Sirの顔から焦りが消え、代わりに噴き出したのは尋常ならざる憎悪。
「なんなんだ、ボルゴアって?」
「私から説明しよう……。知る限り最悪の国家だ。現代地球の闇といってもいい」
一呼吸おいてSirは語り始める。
「ボルゴア共和国。アフリカ中部の発展途上国だ。国民は白人、黒人、黄色人種と入り乱れ、人種のサラダボウルだな。あそこは」
「別に最悪な国だとは思えませんけどね、それだけ聞くと」
「発展途上と言ったが、国民一人当たりの保有財産はアメリカの平均を大きく超える。その原因は“カリホルニウム”という希少金属の鉱山が偶然にも発見されたためだ」
「畑違いだが、聞いたことはありますよ。確か地球上で最も高価な物質だと」
「悪辣なのは、その兵器としての有用性。あの金属があれば、理論上スーツケース大の核爆弾が作れる。当然どこの国も欲しがった。我々アメリカもな」
「そうですね、グレイさんはボルゴアの出身でした。アメリカ国籍だと経歴詐称していたみたいですね」
「サンフランシスコを踏み潰したのは? どういった理由だ?」
「端的に言うと、示威行為ですね。最近はアメリカとも仲が良くなかったみたいですし、その……」
切羅が最後まで言葉を紡ぎ終えるまでにSirは声を荒らげて激高した。
「仲が良くない? 当たり前だろう! あいつらがどれほどアメリカで悪逆を働いてきたのか!」
「Sir。落ち着いてください。私だけ置いてけぼりです」
Sirは荒らげる息を深呼吸して、一拍おいて話し出す。
「アメリカのボストン郊外に、ボルゴア大使館がある。大使館と銘打ってあるが実態は犯罪者組織だ。麻薬、銃火器、人身売買。こともあろうか大使館でそれらの取引をしている。外交官特権で軍の出動さえできない、国際法に守られた肥溜めだ」
「どうしてそんな状態になるまで放っておいたんですか?」
「私が憤っているのはボルゴアに対してだけではない。その後ろでアメリカの軍需産業のいくつかの系列が美味い汁を吸っている」
「ああ、『大人の事情』ってわけですか」
「だがサンフランシスコの一件で、我々にも大義ができた。Mr.銀次に次の任務を与える。ボルゴア大使館を制圧しろ。出来れば生け捕りが望ましいが、全員殺してもかまわん」
「ええ。いいですよ。後日作戦を練りましょうか」
「Ms.切羅。他に詳しいことはわからないのか?」
「残念ながら……。ボルゴアとしても、グレイさんは捨て石だったみたいですしね、彼もそれを承知の上で凶行に臨んだものだと」
「わかったご苦労」
そこで切羅の口調は真面目なものから人を小ばかにしたような声色に代わる。
「銀次さん。今晩“も”お話ししましょうよ。貴方とならば何時間でも通話していて飽きないです」
読心能力を持たない銀次にも伝わった。彼女とは毎晩通話していないにもかかわらず“も”という助詞が出る。彼女は決して頭の悪い人間ではない。すなわちこう読み取れる。
「Sirには言えずに、銀次に伝えたいことがある。だから後で連絡してくれ」と。
「わかった、わかった。また猥談でもしようか」
「もう。エッチだなあ、銀次さんは。でもすべて受け止めてあげますからねー」
「若いって良いなあ……。まあ私も若いころは……」
最後を他愛もない雑談でしめグレイから抜き取った情報の“一部”を三人で共有した。あとは銀次が残りの情報を切羅から教えてもらえれば完璧になる。
□□□ 存在しない階層 28階層 銀次の私室
「やっぱり銀次さんはすごいですね……。まるで以心伝心。私が伝えたいことがあるのを読んでしまう。あー好き。ほんと好き。今度女性体の水瀬銀子も私に見せてくださいよ。私とあなたの愛の結晶」
「わかっていたよ、その反応……。今度会ったらな。君の思い描くどんなイケメンにでもなってあげるから……」
「素のあなたが一番カッコいいです。でもどんな姿になっても愛し続けられる確固たる自信はありますが」
やれやれと息を吐きながら、応対をする。容姿をほめられたのは、「サイトー」の時以来だったか。思い出したくない過去が浮かび頭を振り払いその呪いを振り払う。
「……ありがと。さて本題は?」
「先ほどの話、嘘は言っていません。Sirさんにもある程度の情報は開示しました」
「補足がある……ということだね?」
「というよりはSirさんはボルゴアの歴史を一面的にしかとらえられていないみたいです。確かに現在のボルゴア大使館は犯罪者集団。それに相違はありません」
「少し長くなりますけどいいですか?」
「よろしく頼むよ。切羅」
淡々と切羅の口からボルゴアの成り立ちが説明される。
──────ボルゴアはアフリカ有数の経済大国である。
ここ十数年での成長は目覚しい。
尤も、初めから金の成る木があったわけではない。列強諸国に食い物にされ、人種も宗教も関係なしにただ「真っ直ぐ」区分けされたアフリカ諸国と同じく、このボルゴアも19世紀初頭、英仏で分割統治され、農耕適地の殆どを『別国』として勝手に指定されることとなった。
海に面さないボルゴアは国民の9割強が農民であった。ボルゴアの人口はその後100年かけて凡そ20%減少した、と言えばその壮絶さの一端は見えてくる。
20世紀に入っても、ボルゴアという国に光明は無かった。教育水準は低く、これという貿易品もない。端的に言えば「貧困」な国であった。列強諸国が富国のために血で血を洗う戦いを続けている最中、それに巻き込まれなかったのは、ボルゴアにとって幸運というべきか。ボルゴアという国に目を向けるほどの価値を感じていなかった、とも言える。しかしそれはボルゴアにとり「平穏」ではなく、「緩やかな死」そのものであった。
この国に光が差したのは20世紀後半。本来ウラン鉱石中に誤差ほどの少量が含まれるのみの「カリホルニウム」という元素を、従来の400倍以上を含有する鉱石を産出する極めて特殊な鉱山が、ボルゴアで発見された。
このカリホルニウム、原子爆弾をスーツケースほどまで小型化することが「理論上」可能である元素だが、自然界にある物質から抽出するには含有量が僅少なため、化学反応で取り出すにも膨大な時間と大掛かりな実験装置が必要であり、それぞれコスト面で現実的ではなかった。
それが、このボルゴア産のウラン鉱石ならば適う。
国の上層部はすぐにこの鉱山に飛びついた。貿易は拡大し、経済が発展し、国は富み、今や国民は高度に文化的な生活を送りつつある。ボルゴアはアフリカでも有数の大国となった。長く辛酸を舐め続けたこの国が、漸く花開くための「唯一最大の」源泉。それがカリホルニウムだった。
但しこのカリホルニウム。鉱石の状態から実用に耐える純度まで「抽出」するために、非常に高い技術が必要になる。
長らく貧困であったこの国には、「技術者を誘致する」か、或いは鉱石のまま他国に売却する他選択肢がなかった。そしてボルゴアが選んだのは後者。いや、選ばざるを得なかった。どの国も核兵器に携わるほどの研究者を手放しはしなかったのだ。
現在、ボルゴアの最大の輸出先はアメリカである。世界の首長と呼ばれて久しい彼の国はその経済力と軍事力によって世界情勢を牽引している。そのアメリカが、である。
アメリカがボルゴアに対して、カリホルニウムに関する「半国営合同会社設立」を持ちかけたのは、一昨年。ボルゴア首都に位置するアメリカ大使館での非公式な外交会談での出来事である。
曰く、カリホルニウム市場において半ば独占状態にある貴国の現状は世界経済のバランスを崩しつつある。技術力の提供と引替えにカリホルニウムの価格調整を共同で行いたい、と。
冗談ではなかった。文字通り臥薪嘗胆であったこの国が、漸く人間らしい暮らしを手に入れかけた矢先に、まるで世界の盟主と言わんばかりに土足で乗り込んで「世界のために貧しい暮らしに戻れ」というのだ。
当然これを断固拒絶するつもりでいたが、アメリカ側はこう続けた。次回のWTO閣僚会議に於いて、「カリホルニウムの寡占状況と、関税による調整」を議題に挙げることを検討しており、既に水面下で主要各国のコンセンサスを得ている。どの国も、自国を守るために必死である。この場合、軍事力という意味で。
脅迫であった。誘いに乗らねば関税は引き上げると。或いは新たな戦争の「火種」になり得ると。
世界大戦の戦火を逃れたこの国では長らく「過激派」が政権を握ることは無かった。この時までは。
件の会談の一件もあり、現在はボルゴア本国でも優秀な技術者を取り入れ、自国のみでの小型原爆の実用性に耐えうるまでの技術は確保してある。アメリカに居を置く「穏健派」にとっては千載一隅の好機である。これからはボルゴア主導での核開発ができる段階にまで昇り詰めたのだから。
だからボルゴア大使館に拠点を置く「穏健派」はサンフランシスコ強襲に対し当然反対した。今のままで十分なのにどうしてアメリカに楯突くのかと。話し合いは平行線のまま、ただ時が流れたが。『グレイ=デイチューノ』という怪物を本国が手に入れて事態は急展開を見せる。
武力による決着。これを選んだのは、ある側面では無理からぬことだったのかもしれない。
かつて戦火に巻き込まれたことがないこと。
長く列強諸国の食い物にされ続けたこと。
国民の生活水準が再び脅かされていること。
ボルゴア「過激派」がサンフランシスコを選んだのは、彼の都市が「アメリカ有数の経済中心地」であることに加えて、現米大統領のホームタウンであったことも理由の一つであった。
我らが故郷を脅かすのなら、我らもまた牙を剥く。
唯一の誤算は、「能力者」の力が「本当に街をひとつ滅ぼす」程度のものである、などと想像もしていなかったことである。例えるならばジャブを打ったつもりが、渾身のアッパーカットとなり、顎を打ち抜いたような話だった。
□□□
「世界情勢の難しい話はいまいちわからないんですけれども、グレイさんは本国の「過激派」Sirさんが怒りを向けている矛先は「穏健派」の大使館。「穏健派」と言っても犯罪行為に加担しているのは違いないですけど」
「あー。列強諸国からさんざ甘い蜜を吸われに吸われ、とうとう堪忍袋の緒が切れたというわけか。……うん。うん。いいね、それ」
「さっすが銀次さん。もう次の一手を思いついたみたいですね」
「僕の画策は隠してもばれるだろうから言ってしまおう。「穏健派」にすべての罪が擦り付けられるのはとても都合が良い。そしてすでに実用化にこぎつけているカリホルニウム原爆も欲しいな」
「そう言うと思っていたんですよね! 次にどんな手を指すのか私にもわからない。心を読める私でさえもです。楽しみだなあ、凄い楽しみ」
銀次は頭の中で詰将棋をするように慎重に次の一手を考えていた。
「ところで……。本当に猥談でもします?」
心底申し訳なさそうに、それでも己の中の好奇心には抗えず、さっき銀次が言った建前を蒸し返す。
「しません」
銀次はぴしゃりと言い放つ。




