第118話 平和主義の根源
きっかけは何だったのだろうか。多分幼少期に見た勧善懲悪の陳腐なアニメやゲームが発端だったかもしれない。
ある時、彼はアニメを見た。
世界を統べんと目論む悪の組織を正義の味方がばっさばっさと切り倒していく物語だった。悪人は民間人も容赦なく襲い、もうだれにも止められないと高笑いしたところを、剣を持った英雄がスカーフをはためかせながら、市民の前に立つのだ。
銀次は興奮した。いずれ大きくなったら、あのようなヒーローになるのだと心に決めて目を輝かせながらテレビ画面に噛り付いていた。
小さき頃の彼は何も不思議には思わなかった。悪いやつはお巡りさんがやっつけてくれるし、それでもダメならば、ヒーローが戦友と共に野望を打ち砕くのだ。
銀次は憧れた。いずれ自分も世界に貢献するのだと。画面の中のヒーロー程はかっこよくなくても。強くなくてもできる事ならばあるだろう。武の力はないが、知の力はある。縁の下の力持ちでも構わない。世界に平和を齎すために自分は何ができるだろうとベッドで眠りに落ちるまで妄想していたことがある。
□□□
ある時、彼はゲームをした。
魔物に滅ぼされそうな世界が舞台で、四面楚歌な王国より、勇者が一人旅立つのだ。王様からはした金と棒切れを手渡され、勇猛果敢に悪の根源たる魔王を討ち倒すのだと。
序盤は弱く、貧弱な主人公もレベルを上げればどんどん強くなり、話が進むと仲間が増えていき、様々な苦難を共に乗り越え、歩を進める。
銀次は羨んだ。どれだけ貧弱でも鍛えれば強くなる、訳ではない。都合よく仲間が増えて一緒に寝食を共にしてくれる、事もないだろう。そういった“偶然”が巡り合いピースがきっちりはまったからこその魔王討伐が出来たのだ。その機会をもらった主人公に銀次は心底羨望した。
ラスボスを倒した後にエンディングが流れ始める。銀次はコントローラーを優しくベッドに投げ大きく伸びをする。達成感と共に彼は一つ疑問に思ってしまったのだ。
このゲームはここで終わりだ。
では、この後の世界は誰が守っていくことになるのだろう、と。
悪を倒せば、世界は恒久的に平和になるものなのだろうか、と。
スタッフロールが流れている暇な時間に、それについて考えてみたが結局答えは出ずに、母に夕飯だと呼ばれ、居間へと走っていった。
■■■
年を重ねるにつれ「世界平和」なんてものが所詮ガキの戯言、酔っ払いの妄言に過ぎないことに気付く。世界のどこかでは泣いている人間が存在し、明日食うのにも困っている人間も存在する。
実現不可能な絵空事だ、世界平和なんて。泣いている人を一人残らず救うなんて。神であっても容易な事ではない。その事実に次第に気付いていった。それでもいじめから切羅を救ったのは彼の中に英雄願望が残っていたからなのかもしれない。
現にフリーターだったころの彼はそんな“大望”の事などすっかり忘れて、明日食う銭を稼ぐのに忙殺されて精一杯だった。
(お前は誰も救えない)
(お前は誰も守れない)
(お前は英雄になれない)
夜に見る夢は楽しかったころの思い出などではなく、呪いのような声が彼の頭に響くだけとなっていた。
しかし千載一遇の好機が訪れる。たまたま開いていたクソスレが本当に能力を与えてくれたのだ。賜ったのは「液化金属」殺人に特化した権能。
手に入れてしまったのだ、世界を変えるだけの力を。英雄となる権利を。
■■■ ノーフォーク 山中
銀次は昔を懐かしみ郷愁に浸っていた。有ろうことか目の前の脅威、エージェント3に背を向けてだ。振り返ることなく銀次は語り始める。
「私がどうしてアメリカを選んだか? 脅威だからだよ。単一国家で他の全ての国と戦争しても負けないだけの軍事力。戦術、戦略兵器保有数。練度。士気。どれをとっても一級品だ」
「だからこそ私はアメリカを選んだ。日本に忠誠を誓う気も、米国に身を捧げる気もまるでなかった」
「……それがお前の正体か。裏切者の英雄譚はここで終わりだ」
エージェント3は簡潔に現状を伝えた。
「まもなく、このノーフォークに4個師団の増援が到着する」
「私が【爆破】で吹き飛ばしたのはおおよそ半分ほどか、まあどちらにせよここで死んでもらう」
銀次は振り向き、笑みをこぼす。首を90°傾け、紅瞳が妖しく光る。
「お前……勝ったと思ってるのか? 4個師団程度で?」
地鳴りが響く。大地震でも来たのかというほどの揺れを感じるが、エージェント3はあまりにも近くにいすぎたため気付かなかった。何が起こったのかを。
山一つに巡航ミサイル、弾道ミサイル、大口径火砲、ドローンスクランブル発射口の展開。大量の砲身が山から生えた。一つの山まるまる要塞へと作り替えたのだ。
それを遠方より視認したエージェント5は3に無線で伝える。それを聞いた彼は顔を青ざめさせる。
「何故、これほどまで……。“1位”に大部分を削られたと……」
「やっぱり知ってるじゃないか、米国も私の敵で間違いはなさそうだ」
この戦争に大義名分を得た銀次は再度嗤った。
■■■ 10日前 東京郊外 聖プレアデス教会前
廃教会が音を立てて崩れ落ちていく。哀れな自称神の少年の墓標と化した瓦礫に背を向けて歩き出す。これからは彼の物語だ。遠見小春と獅子ヶ谷の話でもない。リコルテ=クラスニーのストーリーでもない。神堂蒼時の説話でもない。
漸く、漸く水瀬銀次は主人公になることが出来たのだ。
『銀次さん。預かっている携帯電話にメッセージが来ました。どうやら位置情報のようですが……。タイミングが良すぎます。蒼時さんを倒した直後っていうのは』
『そうか、わかった。拠点に帰ったら話そうか。ここじゃあどこに目があるかわかったもんじゃない』
『ええ、エージェント7【透過】の能力者ですね。アップルホワイトさんも抜けてますよね』
『仕方がないよ……。能力者を、しかも自分の意見に絶対遵守の尖兵を三人も忍ばせているんだ。慢心もするさ』
□□□ パンデモニウム メインルーム
「やったぞ眷属、よくやった。褒めて遣わす。これで胸を張ってアメリカに帰れるな!」
「ああ、そうだね来夢。それにみんな。ありがとう。これでようやく僕は挑戦権を手に入れた」
切羅を除いて女性メンバーは不思議そうな顔をするが、銀次が策略を練っている事などいつもの事である。それを信じて彼についてきた。掛け値なしに全幅の信頼を抱いているからこそ彼と共にこの大戦についてこれたのだ。
「銀次さん。お疲れでしょう。皆さんもサポートありがとうございました。ミントガムの出荷は私の方で取り止めておくので、銀次さんは既に出荷分の液体金属の回収だけやっておいてください」
「銀次さん。ちょっといいッスか?」
「どうした椎口?」
「この報告が終わったら自分ちょっと休暇貰ってもいいッスか? もともと世界を飛び回りたいというのが自分の目的だったので……」
「ああ、構わないが……危険な地帯には行かない事を勧めるよ。どれだけの悪意が我々に集まっているかも計り知れない」
「結晶も持っていくので大丈夫ッス!」
椎口はグッドサインをして銀次の心配に答える。
「じゃあ銀次さん……汚れているんで一緒にお風呂入りましょうねぇ。もう銀次さんの個室は無いんですから」
「そういや、そうだったな。全員作戦終了。各自、体を休めてくれ」
銀次が違和感に気付き切羅に問う。
「ん? 切羅、僕の身体は汚れないぞ? 風呂に入る必要もない」
「いいんです。良いんです。私が入りたいだけですから……」
切羅に首根っこをつかまれ彼女の部屋へと引きずりこまれる。来夢は第六感か何かを怖がって椎口と一緒の部屋で寝たいと申し出て、それを椎口は快諾する。
一人残されたノルンは寂しそうにつぶやく。
「ワタシはやっぱり仲間外れなんでしょうかね。まあ一人には慣れていマスし……」
切羅の部屋の扉が開き、銀次が顔を覗かせる。
「ノルン、そんなことは無いよ。僕は人種やおっぱいの大きさで差別したりはしない、君は大切な仲間だ。あ、ちょっと。引っ張らないで切羅。今行くから。おやすみー」
ノルンは納得しかける。自分が最後にチームに入ったからだとか関係なく、アメリカ出身だからとか関係なく、来夢と互角な程貧乳なのとも関係なく……ん?
「暗に私の胸の事馬鹿にしマシたよね!?」
それでも仲間だと認めてくれたことは嬉しく思い、彼女は自室に戻って安らかに眠った。
□□□ パンデモニウム 切羅の私室
「さて、本題ですね」
「ああ、携帯端末を返してもらえるか」
「はい、どーぞ」
切羅は両手で大事そうに抱えた銀次のデバイスを彼に差し出す。ゆっくりと受け取り、ロックのかかっていないそれを開く。
「……知らないアドレスだな」
「罠とかの可能性は無いんですか?」
切羅が小首をかしげて銀次に訊ねる。そのあざとい程の小動物感は彼女自身狙ってやっていることではなかった。しかし、もう銀次はそのリスのような愛らしさに贅沢にも慣れてしまっていた。
「ん? ああ、そのために君にも一緒に来てもらう。他のメンバーには今のところ秘匿したい。場所はロシア東部。ハバロフスクか。正確なポイントまで指定してあるな。扉はあるだろうか?」
「私がパソコンで一括管理してあるので、すぐに検索できますよ。えーとちょっと待ってくださいね」
存在しない階層の時より内装は変わらず、ごちゃごちゃ物を置くことはせず、明るい色の家具で統一されている少しだけ女の子らしさを感じる部屋だった。以前ブラジルで購入したコーヒー豆をひくためのドリッパーが台所の横に立てられている。
銀次はパソコンを弄る切羅のために一杯淹れてあげようとするが、それを察した切羅に呼び止められる。
「すぐ見つかるんで大丈夫です。何より一番働いているのが貴方なんですから……見つけた。ハバロフスク。有りますね。扉の麻袋」
その切羅の気遣いに一言お礼を言いながらも、銀次は二人分のコーヒーを淹れていた。
「僕が飲みたいからだ。手間は一杯も二杯も変わらないからね」
「借りばっかり作るのは、あんまり、なんていうか、嫌です」
「何を言っているんだ。君がいてくれなかったら、警察に見つかってお尋ね者、世界と敵対していた。僕の方が借りを作っている」
猫舌の銀次に合わせたコーヒーを啜りながら、銀次ははにかむ。現に、あの居酒屋で切羅が協力してくれなかったら、警察を潜り抜けたとしても、金銭面で詰んでいるし、能力者の仲間も作れなかった。蒼時を倒すことは不可能だっただろう。
「世辞じゃないってのがわかるのも気恥ずかしいですね……」
頬を掻きながら視線を逸らし、眼を泳がせる切羅は恥ずかしさを紛らわせるためかコーヒーを一息に呑んでいた。
「さて、あるとわかれば早速行きたいが……。夜のほうが良いな。日本との時差は詳しくはわからんがそんなにないだろう。深夜のうちに行動する」
「あ、あれ? 銀次さん。お風呂は?」
「後回し、ていうか。それ……君の欲求不満解消だろ?」
「でも銀次さん、さっき自分のほうが借りを作っているって言いましたよね?」
切羅がサディスティックに微笑む。そこで銀次ははめられたことに気付く。コーヒーのくだりも誘導尋問だったのだ。完全に一本取られたと感心して、額に手を当てる。
「怖いなあ、その能力。敵対してなくてほんと良かった。君、地頭いいねほんと」
「勉強はできないって言いたいんですかー? まぁできませんけど……」
「関係ないよどれだけ勉強できても活かせなきゃ。さて出発するぞ。後で一緒にお風呂入るぞ」
切羅はガッツポーズをしながら移動のために必要な鍵を取り出し部屋の端に当てる。
■■■ ロシア ハバロフスク 郊外
そこは物置に使われている廃倉庫だった。切羅に周囲警戒をしてもらいながら探索を進めると、ある場所に違和感を覚えた。そこには一部分だけ埃がたまっておらず、床にパズルがはめ込まれていた。
50×50マスの石板の一マスだけが開いており順番どおりに並べるスライドパズルだった。石板には数字が大量に刻みこまれている。
「面倒ですね。地下室だったら爆破なり、能力なりで吹き飛ばしましょうか?」
心配そうに顔を覗き込む切羅に対して、銀次はしばし考え込み、否定する。
「この、人の知性を試すやり方をする人物を僕は一人だけ知っている。そして強行突破した場合何かが作動するような仕掛けをしているかもしれない」
「でもこの数のスライドパズルじゃ夜が明けちゃいますよ、人が来たら面倒に……」
「いや、これめちゃくちゃなようで簡単だ。10進数で解こうとすれば確かに面倒くさいが、一度、2進数に変換してからパズルに当てはめると」
銀次が数手順石板をスライドさせると「かちり」という音の後に、床が開き地下への階段が現れる。ライトをつけながら下へと進んで行くと、壁一面にプラスチック爆薬が敷き詰められた簡素な部屋に出る。謎を解かずに侵入した者には決して到達できない宝物庫だ。
「うわぁ……物騒。ていうかそうでしたね。銀次さん結構“あの人”と仲良かったですもんね」
「……怒ってる?」
「いいえ?」
机の上には二つのUSBと手紙が置かれていた。ずぼらで酒浸りな“彼女”に似合わなく、ロシア語ではなく日本語で書かれた手紙は綺麗な文字をしていた。




