第114話 排他主義者 神堂 蒼時戦⑥
打ち棄てられてから長い間、人が立ち入ることの無かった教会に、今、人間が二人。
積層した埃は、停止した時間が動き出すように、ふわりと巻き上がった。天窓より差し込む月光が反射して、これから始まる悲劇の舞台を青白い光で彩っていた。
お互いに得物を構え、微動だにしない。ふと銀次は以前戦った『剣豪』との一戦を思い出した。場所と相手と能力は違うが、あの時とは比べ物にならないくらい強くなっている。その自負が油断を招いたのかもしれない。
陽炎のようにゆらりと動く蒼時の速度は決して速いものではなかった。ただ徒歩で歩くくらいのスピード、十分に目で追えた。
銀次は視線を右にやり、逆手にナイフを持っている蒼時を追う。その遅さが、銀次の遠近感を狂わせた。長椅子を蹴りあげ、破片となった木材が銀次の視界を一瞬さえぎる。
その一つが銀次の顔面に命中しそうになるや否や、彼はその駆逐艦さえ両断できる銀刀でそれを斬った。
当然両断できる。
はずだった。
途中まで刃が入り込んだところで刀が止まる。まさか木の芯程度でこの刀の斬撃が止まるはずもない。その思考に一旦、ほんの僅かだが思考のリソースを取られる。
破砕し飛び散る無数の木片から蒼時が飛び出してきてナイフで銀次の左腕に斬りかかった。
一歩遅れて、銀次も銀刀を振り下ろす。リーチは圧倒的に銀次に分がある。完全に達人同士の間合いに入った。この武の極致において半秒のズレは致命的なラグとなる。
一瞬だけ、蒼時の身体が不自然に横にずれる。刀の延長線上から躱された。蒼時の25秒ある「時間停止」。それをまるまる使わずに、小出しにする。これが、蒼時の編み出した戦法「ずらし」である。
銀次もここまで生き残ってきた経験値があるが、それは蒼時も負けていない。粛清に次ぐ粛清で、ナイフを嫌になるほど振るってきたのだ。ナイフ術は達人の域にある。そのナイフが銀次の腕に届いた。
しかし、何の意味も持たないはずだ。たとえ万物を切断できる『剣豪』の【果雪】さえ、銀次に実質的なダメージを与えられなかった。
だが、銀次の左手首より先がボロボロと崩れ、黒い塊となり、床に崩れ落ちる。それを確認するよりも早く、銀次は後方に跳びのき、壁へと着地する。切断面を見てみるとそこは綺麗な銀色であり、侵食してくる様子はない。
銀次は再び、目線の先を蒼時に合せる。それがこの状況の説明を求める催促だと受け取ったのか、蒼時は話し始める。
「「エンチャント」……付与だよ。ゲームとかでよく聞くだろ?」
「親切だね……。こちらから聞いてもいないのに話してくれるとは」
「まあ、聞かれたところで対策は出来ないからね。『須臾の刻』ももう知っているんだろう? おそらくは心か記憶を覗ける能力者が君の仲間にいるね」
「さあ、どうだろうな」
蒼時はおかしくなったのか手で口を押さえて噴き出す。
「こっちはいろいろと喋っているのに、全然話してくれないんだね」
「……そうだな。以前遠見小春にも話したんだが、主義の違いを話し合いで埋めることに関しては諦めたからね」
「そうか……色々あるんだね。君にも」
蒼時はナイフを手で弄びながらガムを取り出し、食べている。思い出したように顔をあげ銀次に語り掛ける。
「そう、想像力だよ! それに長けていればいるほど能力者は強くなる。君にダメージを与えられた理由なんだが、『須臾の刻』をナイフに付与している。それで時を進め、朽ちさせることが出来るんだ。これは生物には効かないんだが、君の液体金属部分は非生物として認識されているようだね。前にスーパーマーケットで切り落とした腕で、確認済みだった」
どうやらそれにより、攻撃の効かない銀次相手への有効打を見つけていたらしい。不可逆な損耗、銀次としても無視できない権能だ。相手を見くびっていた蒼時でさえ、きちんと対策をしている。“1位”の強さを裏づけているのはこの几帳面さ。傲慢でも独善でも彼が世界最強なのはこれが要因だった。
「無限銀そ……!」
「もう見た」
蒼時は無音の砲撃で、壁ごと銀次を撃ち抜いた。銀次の発光を確認した瞬間につま先で床を叩いていた。壁に大穴が空き、銀次の右肩から先を持っていかれる。
これでも、銀次は回避を行ったのだ。そして現時刻、現座標、その他さまざまな要因より、無音の砲撃の対策はしているのに、このざまである。
確実に以前より精度が上がっている。直線的な攻撃で、予備動作さえ見えているのに銀次は躱しきることが出来なかった。
床に落ち液体金属が弾ける。もう眼前にはナイフを持った蒼時が迫ってきていた。即座に形を取り戻し、触腕を展開。圧縮爆破させ、逃げ場のない全方位棘爆弾を起爆させる。
埃が爆発で盛大に舞い上がり、蒼時の姿が見えなくなる。壁や長椅子は無惨にも破壊され、鉄杭が教会内を埋め尽くした。
(25秒の「時間停止」……。10秒の「時間遡行」どちらをとっても回避不可な攻撃のはず……)
煙幕が晴れるとともに、腕を顔の前に出しクロスさせている蒼時が見える。出血は、無い。当然欠損もない。五体満足だ。彼の前には彼に当たる直前で停止した鉄杭がころころと転がっている。
「無傷……か」
「ああ、見ての通りだ」
銀次は固唾をのんだ、もう自分が仕掛けられる攻撃はすべてやっているつもりなのだ。奇襲、核爆弾、全方位攻撃、継続する攻撃、銀刀を用いた正々堂々の決闘。
「……カラクリの説明が必要かい?」
「いや、大体わかった」
「須臾の刻」は時間を、一瞬を永遠に、永遠を一瞬にする権能だ。そしてそれを防衛省特別庁舎の防御に使用していたという事は。
この戦い、彼は自分の衣服に対してその権能を使用している。さっき得意げに言っていたエンチャントという奴だろう。
「そして、気づいていないかもしれないが……。君。下半身はどこやった?」
半笑いの表情で銀次に語りかけてくる蒼時だった。銀次は痛覚を遮断していない、というよりできない。なので攻撃を受けたらわかるはずなのだ。
しかし気付かなかった。上半身が前のめりに倒れこむことによって、ようやく自分の置かれた状況に気付いた。
両方の足がない。先ほど、室内を塵が舞っているときに無音の砲撃を撃たれたのだろう。かろうじて残っていた薄皮一枚で、自分が立っていたのに、遅れに遅れ、今気づいた。
「どうだ、“2位”? 今の気分は? 土の味は美味しいか?」
「……」
銀次は何も答えない。
「絶望したか、後悔したか? 無理もない、お前は世界で最も喧嘩を売っちゃいけない相手に攻撃を仕掛けたんだ」
銀次がか細い声で呟く。
「負けました……」
その言葉を聞いた瞬間、蒼時の口角が醜く釣り上がる。漸く、漸くだ。何度殺しても吹き飛ばしても、心が折れることなく、“最強”に立ち向かい続ける。それは無謀な努力。唯の徒労である。漸くこの目の前の凡愚はそれに気づいた……。
「……と、頭を垂れて言えば満足するか少年?」
銀次の顔は下を向いている。表情は窺えない。まだ、まだやるのかと。いよいよ蒼時は辟易した。だが顔を上げた銀次の紅瞳を見て、背筋が凍る。それは勝利を確信している者の瞳だったからだ。
「私はね、昔からそうだった。見えない誰かに、神とでも言おうか。その手のひらでおちょくられている様に試練に挑まされてきた。その一喜一憂を誰かに見られて笑われている様な感覚だ」
銀次は蒼時に倣ってか話し始める。そのさなかに攻撃を仕掛けるほど蒼時は無粋ではなかった。
「かつての私は呪ったよ。神がいるならば1発殴らせろとも願ったよ。苦境に心が折れかかった事もあった」
言葉に熱がこもる。これは時間稼ぎではない。心の底からの言葉、心中の吐露なのだと。
「運が悪かった。時期が悪かった。選択を間違えた。親が悪かった。環境が悪かった。友人に裏切られた」
「誰かの、何かの所為にすることは実に簡単だし、精神衛生上そちらの方がいい事も知っている」
「ただね、自分の人生は自分で決める。これは、これだけは曲げられない」
「侮るなよ、“人間”この程度で諦めるほど私の望みは軽くない」
気圧されていた。世界最強が。盤面を見ても圧倒的有利。心を覗かれようとも、教会ごと押しつぶされようと、関係ない。
どうしてそんな目ができる。
どうしてまだ立とうとするんだ。
もう寝ておけ、そうすれば苦しむことも無くなる。
十分、やった。もう君の戦功にケチをつける奴など一人もいない。
それでも……。
「立ち上がるんだね……」
「ああ、底だったらとうに見てきた」
銀次はもう後がない状況だ。全体的に体の線は細くなり、使用可能な液体金属がもう足りていない事が見て取れる。一方蒼時は、この教会において無傷。血の一滴さえ流れていない。
「だったら、楽にしてやるよ。君に追悼と共に最大の攻撃を……」
蒼時は前のめりに倒れる。呼吸が苦しくなる。即座に時間遡行を行う。十秒前に戻る。しかしまた十秒後、息苦しさが戻ってくる。
銀次から見たら、いきなり蒼時があたふたしたように見えている。そこで銀次は嗤った。
「カラクリを……知りたいかい?」
「いっ……われなくともッ! わか……るッ。毒ガスだろう?」
「でもそれには細心の注意を払っていたんだ。遅効性の毒ならば、遡行しても間に合わない。だから……毒性ガス検知器は肌身離さず持って……いるしッ」
蒼時は床に倒れこみ、もがく。窒息の症状が出ているのだろう。唇は紫色に変色しチアノーゼの症状がみられる。
「彼の始皇帝は永遠の命を得るために水銀が不死の薬だと信じて飲んで、いたそうだよ」
「が……ァ。俺は、別に……のんで……」
「君の好きなガム……。それに私の液体金属を仕込ませて、この東京、防衛省特別庁舎の近くのあらゆるコンビニ、スーパーに。液体金属入りのガムが陳列されていた」
「!!」
市民をも巻き込む無差別攻撃だというのか……。こいつはどこまで鬼畜なのか。
「ああ、君以外の購入者には毒素が出る前に体外に排出している。君の体の中にだけ、私の金属が溜まり続けた」
銀次は長椅子に腰掛け勝利の一服と洒落込み、ゆっくりと紫煙を吐き出している。
「微量ずつだから、長い事君の動向を探り、心を読み、少しずつ毒素を蓄積させてきた。だから君はもう何回遡行しても、もう終わりだ」
「君が前に言っていた、勝負は始まる前から決まっている。だったっけか? 神堂蒼時。こう見えて根に持ちやすいタイプなんだよ」
銀次は嗤い歯を見せる。
「毒殺とは、暗殺者らしいやり方だろう? 決闘ごっこに付き合ってやっただけだよ“少年”」
呼吸をするのも苦しいようだが、彼の肺に残った空気全てを絞り出し呪うように叫ぶ。
「みなせっ! ぎんじぃぃいいい!!」
「初めて名前を呼んでくれたね。漸く僕は有象無象から昇格か」
蒼時は『須臾の刻』を乱発し、教会の時を今度は逆に進めて崩落させようとする。無駄だとわかっていてもこの銀次に少しでも意趣返しを。
崩落する天井。まるで神の思し召しかというくらい正確に、尖塔の先にある銀の十字架が落ちてきて蒼時の頭を割る。
蒼時はもう時間の遡行をしなかった。
10秒経って漸く、銀次は自分が勝ったのだと胸を撫で下ろす。
「神を騙るものに天罰か」
「ああ、確かに神はいるかもな」
崩落する瓦礫の一つをも当たることはなく、銀次は廃教会を後にした。




